県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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「北区」に関するあるある

神戸・阪神 たろからさん

自分は、垂水区で生まれて兵庫区で育った…はずだったのが、高校生の時に「北区育ち」になってしまった。
さらに、大学を卒業した後には、生まれた場所も「西区」になってしまった。
それにつけても、北区、西区…もちょっとましな区名は、なかったんだろうか?

但馬 武田伊左夫さん

神戸市北区鈴蘭台に有る
「親和女子大学」では、時々
興味深い講演会が開かれます。
楽しみにしてますが、会場の
「親和女子大学」 へは神戸電鉄の鈴蘭台駅から 延々と急な坂道を登って行かねば成りません。
真夏日の講演会には水筒が必携です。

神戸・阪神 たろからさん

1967年に行った小学校の修学旅行は、今の北区、当時の兵庫区北部の小学校全部が集まった「北神連合」という団体で挙行された。
各小学校からバスで近鉄上本町駅に集結、修学旅行専用車「あおぞら号」で、大挙伊勢に向かったのだった。
でも、「全小学校」っても、確か10校程度でしたっけ。

神戸・阪神 たろからさん

西区と北区に住んだ後、西宮に越した。
越してから最初に参加した町内の掃除で、「そこの、がんじき、取って」と言うたが通じなくて、ポカン、とされた。
「べっちょない」も、なに、それ? と笑われた。
どちらも、関西共通語だと思ってたが、播州弁と初めて知った。

神戸・阪神 たろからさん

昭和30年代、今の北区は兵庫区の一部だった。
我が家周辺には上下水道はなく、簡易水道だった。
風呂は五右衛門風呂、洗濯は川でしてた。
うちには牛もいた。
ハンドルをグルグル回して交換を呼び出す電話機だった。
外便所で、もちろん「ぼっとん」だった。
神戸の街に出ると、舗装路と信号が珍しかった。

神戸・阪神 たろからさん

今の北区で育ちました。
子供の頃には、正月以外の行事はすべて旧暦で、ひな祭りは4月、端午の節句は6月、七夕は8月でした。
幼稚園で7月に七夕飾りを作って、家に帰ってから「うちでも七夕やって」というと、7月に七夕を飾る阿呆がどこにおる! と怒られたのは、昭和30年代です。

播磨 たろからさん

北区の神鉄粟生線沿いの我が家周辺では、「ひじき」のことを「めえ(めェ?)」と呼んでいたのですが、播磨方言でしょうか?
テレビや雑誌に出てくる「ひじき」とそれが同じものとは知らず、「どんな食い物やろか?」と思ってた。
「おでん」は、「お膳」から転じたんじゃないかな。

神戸・阪神 ガバチョさん

神戸市北区の人は、三宮など中央区に行くことを下りる(おりる)と言う。

神戸・阪神 たろからさん

鈴蘭台を含む北区山田町と、現在の東灘区は、元は同じ「武庫郡」だ。
なのに、東灘区が「神戸の代表」みたいな顔してるのに対して、山田町は「神戸のおまけ」的存在に甘んじている。
神戸市に編入されたのは、山田町の方がずっと早かったのに、実に不公平だと思う。

神戸・阪神 たろからさん

神戸の北区に住んでいたころ、大阪で飲んでの帰り、姫路まで寝過ごしてしまったことが、JRで3回、阪神電車でも2回あり、それ以来、大阪でお酒飲んだ帰りは、必ず阪急と決めていた。
当時の乗換駅は三宮だったのだが、阪急なら、乗り越しても新開地までだったから。

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