北但でも西部の人は鳥取と仲良し.お出掛けする街は “鳥取市” なんです.話す言葉も京阪神より外側の鳥取・岡山,北陸,尾張の訛りや方言が会話の端々に出ます.
そうだった。神姫バスは、播磨だけじゃなくて、丹波および三田と神戸市北区、西区でも、大切な「足」なのだった。神姫バス提供「歌声は風に乗って」って、まだやってます?
自転車通学のことをチャリ通といいます。播磨にある高校ではチャリ通の子が多くいますが、神戸にある高校では坂が多いせいか、交通量の多さのためか、チャリ通の子はほぼいません。チャリ通禁止の高校もあるのかも。
兵庫は溜め池の多い県でもある。冬、小野市役所前の県道を走っていると濃い霧がかかっていて道の両側に何も見えない区間があり物凄く不安になる。晴れていると、池の真ん中に道が通っているのだとすく分かるけれど。
モロゾフが兵庫県だから、ロイズも兵庫県やろと思ったら北海道かいな!となるくらい兵庫県は広い
山陰本線、イノシシはねて遅延、鹿はねて遅延、余部強風で遅延乗り遅れそうなお年寄りがいて遅延「君だけのドアが開く♪」とはこの事
でも冬場は手動ドア降りる時は閉めるのがローカルなマナー
阪神間の海側には埋立地が多くて「第三工区」や「第四工区」などの名前がついているが、他所から来た人には区別がつきにくいらしくよく迷子になったりする。
中学2年では、鳥取県境に近い但馬の海岸で二泊三日の「臨海訓練」があった。1969年当時だが、往路はバスで、ほぼ一日がかり。復路は山陰線ー福知山線の鈍行列車で、三田の学校まで約6時間かけて帰って、それから1時間かけて神戸の自宅に戻った。淡路島に実家があった級友は、神戸からさらに2時間かけて家に帰って行った。途中、京都府をちょっとかすめるだけで、全ルートがほぼ県内。どんだけ広いんや…と、当時も思った。淡路の彼は、「5国」すべてを通過して帰った、ということなんだな……
播磨人は、「神姫バス」を、もっとリスペクトしてあげても、いいと思う。
今から40年くらい前の給食に「くじらのノルウェー風」とか「ビーフストロガノフ」とか、粋なメニューがあった。子供ながらに、「学校給食やのに頑張ってるなぁ」と感じていた。
神戸人は神戸人であることを自慢げに思っているが「〜しとぅ」「〜やっとぅ」「見とぅ」と、神戸弁をマネされるとバカにされたような気持ちになる。
兵庫県を代表する山は六甲山と思われている節が多々あります。でも兵庫県で一番高い山は氷ノ山。鳥取との県境にある山です。ただ忘れられやすいのがたまにキズ。
芦屋はモナコかバチカンのような独立国
高速神戸駅から東の線路が気になってしかたがないのは私だけ…?阪神と阪急どこで交差しているの???花隈から高速神戸に到着するときに窓から見るけどわからない…
但馬には片側1車線の自動車専用道路しかないので、高速教習はシミュレーターだった
鳥類の知識が無くてもコウノトリと他の鳥の見分け方は分かる。足にタグが付いているので。
あの時反対などしなければ、関西国際空港は神戸に出来ていて、後に地方空港なんて作ることなかったとずっと悔やんでいる。
神奈川県横浜市神奈川区の存在を知って何故だか心がざわつく兵庫県神戸市兵庫区民。
たつの市にある某有名ランドセルメーカーの名前の由来の一つが「西播」と知って思わず「そのまんまやんけ!」とひっくり返りそうになりながらツッコミを入れる。
夜、東京駅から新幹線で新神戸や西明石まで移動するときに目にする光景:新大阪駅でほとんどの乗客が降りてしまい、貸切車両のようになってしまう。
丹波黒大豆が有名で、地元では夏になると飽きるほど枝豆にした黒大豆を食べさせられた(実際美味しかったけど、飽きてました。。。)
はんごうすいさん、耐寒登山、小学校でも中学校でも、必ず行事に組み込まれていた。坂道の先は常に登山道につながっている。
神戸新聞会館大劇場、スカイシネマ、阪急会館、阪急シネマ、阪急文化、三劇、三映、朝日会館…、どこも入れ替えという仕組みはなかったため、途中から見始めて、見たところまできたら帰る、というようなこともあった。
昔の阪神春日野道駅(地下)のホーム幅はわずか2.6メートル。でもそれが特に危険とは思わせないほど、当時は危ない建造物や場所、あるいは住居はいたるところにあった。
1980年代三宮センター街の南には?ダイエー村?があった。スーパーマーケットをはじめ、ファッションビル、ステーキハウス、ハンバーガーショップ、ドーナツショップ、スポーツ用品店…、なんでもあった。
東京にも「淡路町」があって、同名の駅が地下鉄丸ノ内線にある。東京には、「明石町」もあるな。高知には、「播磨屋橋」もある。
明石の「魚の棚商店街」は、看板にもわざわざ平仮名の「の」が入っているに関わらず、「うおんたな」と読まれてしまう。あの「の」は、必要なのだろうか?
「神戸ノート」を使っていた転校生の子も最初はジャポニカを使っているけど、次第に神戸ノートを使うようになっていく
大阪と京都が横にあるけど、何気に一番住みたいのは兵庫県西宮やで
北区は、神戸市唯一の積雪区、とは言え、今はせいぜいが5センチほどの積雪だが、かつて、昭和30年代~40年代には、年に1、2度は30センチを超す積雪があった。それでも神戸電鉄は、普段通りに運行されていた。神鉄は、関西では一番「雪に強い」電車だ。
北但でも西部の人は鳥取と仲良し.お出掛けする街は “鳥取市” なんです.
話す言葉も京阪神より外側の鳥取・岡山,北陸,尾張の訛りや方言が会話の端々に出ます.
そうだった。
神姫バスは、播磨だけじゃなくて、丹波および三田と神戸市北区、西区でも、大切な「足」なのだった。
神姫バス提供「歌声は風に乗って」って、まだやってます?
自転車通学のことをチャリ通といいます。
播磨にある高校ではチャリ通の子が多くいますが、神戸にある高校では坂が多いせいか、交通量の多さのためか、チャリ通の子はほぼいません。チャリ通禁止の高校もあるのかも。
兵庫は溜め池の多い県でもある。冬、小野市役所前の県道を走っていると濃い霧がかかっていて道の両側に何も見えない区間があり物凄く不安になる。晴れていると、池の真ん中に道が通っているのだとすく分かるけれど。
モロゾフが兵庫県だから、ロイズも兵庫県やろと思ったら北海道かいな!となるくらい兵庫県は広い
山陰本線、イノシシはねて遅延、鹿はねて遅延、余部強風で遅延
乗り遅れそうなお年寄りがいて遅延
「君だけのドアが開く♪」とはこの事
でも冬場は手動ドア
降りる時は閉めるのがローカルなマナー
阪神間の海側には埋立地が多くて「第三工区」や「第四工区」などの名前がついているが、他所から来た人には区別がつきにくいらしくよく迷子になったりする。
中学2年では、鳥取県境に近い但馬の海岸で二泊三日の「臨海訓練」があった。
1969年当時だが、往路はバスで、ほぼ一日がかり。
復路は山陰線ー福知山線の鈍行列車で、三田の学校まで約6時間かけて帰って、それから1時間かけて神戸の自宅に戻った。
淡路島に実家があった級友は、神戸からさらに2時間かけて家に帰って行った。
途中、京都府をちょっとかすめるだけで、全ルートがほぼ県内。
どんだけ広いんや…と、当時も思った。
淡路の彼は、「5国」すべてを通過して帰った、ということなんだな……
播磨人は、「神姫バス」を、もっとリスペクトしてあげても、いいと思う。
今から40年くらい前の給食に
「くじらのノルウェー風」とか「ビーフストロガノフ」とか、粋なメニューがあった。
子供ながらに、「学校給食やのに頑張ってるなぁ」と感じていた。
神戸人は神戸人であることを自慢げに思っているが「〜しとぅ」「〜やっとぅ」「見とぅ」と、神戸弁をマネされるとバカにされたような気持ちになる。
兵庫県を代表する山は六甲山と思われている節が多々あります。でも兵庫県で一番高い山は氷ノ山。鳥取との県境にある山です。ただ忘れられやすいのがたまにキズ。
芦屋はモナコかバチカンのような独立国
高速神戸駅から東の線路が気になってしかたがないのは私だけ…?阪神と阪急どこで交差しているの???花隈から高速神戸に到着するときに窓から見るけどわからない…
但馬には片側1車線の自動車専用道路しかないので、高速教習はシミュレーターだった
鳥類の知識が無くてもコウノトリと他の鳥の見分け方は分かる。
足にタグが付いているので。
あの時反対などしなければ、
関西国際空港は神戸に出来ていて、
後に地方空港なんて作ることなかったと
ずっと悔やんでいる。
神奈川県横浜市神奈川区の存在を知って何故だか心がざわつく兵庫県神戸市兵庫区民。
たつの市にある某有名ランドセルメーカーの名前の由来の一つが「西播」と知って思わず「そのまんまやんけ!」とひっくり返りそうになりながらツッコミを入れる。
夜、東京駅から新幹線で新神戸や西明石まで移動するときに目にする光景:新大阪駅でほとんどの乗客が降りてしまい、貸切車両のようになってしまう。
丹波黒大豆が有名で、地元では夏になると飽きるほど枝豆にした黒大豆を食べさせられた
(実際美味しかったけど、飽きてました。。。)
はんごうすいさん、耐寒登山、小学校でも中学校でも、必ず行事に組み込まれていた。坂道の先は常に登山道につながっている。
神戸新聞会館大劇場、スカイシネマ、阪急会館、阪急シネマ、阪急文化、三劇、三映、朝日会館…、どこも入れ替えという仕組みはなかったため、途中から見始めて、見たところまできたら帰る、というようなこともあった。
昔の阪神春日野道駅(地下)のホーム幅はわずか2.6メートル。でもそれが特に危険とは思わせないほど、当時は危ない建造物や場所、あるいは住居はいたるところにあった。
1980年代三宮センター街の南には?ダイエー村?があった。スーパーマーケットをはじめ、ファッションビル、ステーキハウス、ハンバーガーショップ、ドーナツショップ、スポーツ用品店…、なんでもあった。
東京にも「淡路町」があって、同名の駅が地下鉄丸ノ内線にある。
東京には、「明石町」もあるな。
高知には、「播磨屋橋」もある。
明石の「魚の棚商店街」は、看板にもわざわざ平仮名の「の」が入っているに関わらず、「うおんたな」と読まれてしまう。
あの「の」は、必要なのだろうか?
「神戸ノート」を使っていた
転校生の子も最初はジャポニカを使っているけど、次第に神戸ノートを使うようになっていく
大阪と京都が横にあるけど、何気に一番住みたいのは兵庫県西宮やで
北区は、神戸市唯一の積雪区、とは言え、今はせいぜいが5センチほどの積雪だが、かつて、昭和30年代~40年代には、年に1、2度は30センチを超す積雪があった。
それでも神戸電鉄は、普段通りに運行されていた。
神鉄は、関西では一番「雪に強い」電車だ。