兵庫県を代表する山は六甲山と思われている節が多々あります。でも兵庫県で一番高い山は氷ノ山。鳥取との県境にある山です。ただ忘れられやすいのがたまにキズ。
芦屋はモナコかバチカンのような独立国
高速神戸駅から東の線路が気になってしかたがないのは私だけ…?阪神と阪急どこで交差しているの???花隈から高速神戸に到着するときに窓から見るけどわからない…
但馬には片側1車線の自動車専用道路しかないので、高速教習はシミュレーターだった
鳥類の知識が無くてもコウノトリと他の鳥の見分け方は分かる。足にタグが付いているので。
あの時反対などしなければ、関西国際空港は神戸に出来ていて、後に地方空港なんて作ることなかったとずっと悔やんでいる。
神奈川県横浜市神奈川区の存在を知って何故だか心がざわつく兵庫県神戸市兵庫区民。
たつの市にある某有名ランドセルメーカーの名前の由来の一つが「西播」と知って思わず「そのまんまやんけ!」とひっくり返りそうになりながらツッコミを入れる。
夜、東京駅から新幹線で新神戸や西明石まで移動するときに目にする光景:新大阪駅でほとんどの乗客が降りてしまい、貸切車両のようになってしまう。
丹波黒大豆が有名で、地元では夏になると飽きるほど枝豆にした黒大豆を食べさせられた(実際美味しかったけど、飽きてました。。。)
はんごうすいさん、耐寒登山、小学校でも中学校でも、必ず行事に組み込まれていた。坂道の先は常に登山道につながっている。
神戸新聞会館大劇場、スカイシネマ、阪急会館、阪急シネマ、阪急文化、三劇、三映、朝日会館…、どこも入れ替えという仕組みはなかったため、途中から見始めて、見たところまできたら帰る、というようなこともあった。
昔の阪神春日野道駅(地下)のホーム幅はわずか2.6メートル。でもそれが特に危険とは思わせないほど、当時は危ない建造物や場所、あるいは住居はいたるところにあった。
1980年代三宮センター街の南には?ダイエー村?があった。スーパーマーケットをはじめ、ファッションビル、ステーキハウス、ハンバーガーショップ、ドーナツショップ、スポーツ用品店…、なんでもあった。
東京にも「淡路町」があって、同名の駅が地下鉄丸ノ内線にある。東京には、「明石町」もあるな。高知には、「播磨屋橋」もある。
明石の「魚の棚商店街」は、看板にもわざわざ平仮名の「の」が入っているに関わらず、「うおんたな」と読まれてしまう。あの「の」は、必要なのだろうか?
「神戸ノート」を使っていた転校生の子も最初はジャポニカを使っているけど、次第に神戸ノートを使うようになっていく
大阪と京都が横にあるけど、何気に一番住みたいのは兵庫県西宮やで
北区は、神戸市唯一の積雪区、とは言え、今はせいぜいが5センチほどの積雪だが、かつて、昭和30年代~40年代には、年に1、2度は30センチを超す積雪があった。それでも神戸電鉄は、普段通りに運行されていた。神鉄は、関西では一番「雪に強い」電車だ。
出るとうれしかったおやつ。一にピロシキ、二に豚まん、三、四がなくて、五に人工衛星。
父方の爺ちゃんは、よく「レンセイ製菓」のケーキを買ってきてくれたが、あれは、「ケーキ」という名のクッキーだった。
「回転焼」「御座候」、一部では「人工衛星」と呼ばれる、あのお菓子だが、かつての三木市では「太鼓饅頭」と呼ばれていたのを、覚えている人は、いませんか?「ナメラ商店街」にあった、あのお店の太鼓饅頭は、とてもおいしかった。
神戸限定? だったかも、だが、小学生の遊びの定番「いんさ」は、まだ生き残っているのだろうか?
橋渡った瞬間から涙止まらんわ空気中の玉ねぎ指数、高すぎやろ!
淡路島って北の端と南の端でキャッチボール出来るんやろ?って時々聞かれる
播州弁が出るとヤクザに間違われるほど怖がられる
春はいかなご。
近豊の指定カバンが但馬の高校生に大人気
小学生はホームサイレンが鳴ったら家に帰らなければならない。
魚食べるの上手って褒められる。
瀬戸内に住むと、冬は乾燥肌と静電気に悩まされる。
兵庫県を代表する山は六甲山と思われている節が多々あります。でも兵庫県で一番高い山は氷ノ山。鳥取との県境にある山です。ただ忘れられやすいのがたまにキズ。
芦屋はモナコかバチカンのような独立国
高速神戸駅から東の線路が気になってしかたがないのは私だけ…?阪神と阪急どこで交差しているの???花隈から高速神戸に到着するときに窓から見るけどわからない…
但馬には片側1車線の自動車専用道路しかないので、高速教習はシミュレーターだった
鳥類の知識が無くてもコウノトリと他の鳥の見分け方は分かる。
足にタグが付いているので。
あの時反対などしなければ、
関西国際空港は神戸に出来ていて、
後に地方空港なんて作ることなかったと
ずっと悔やんでいる。
神奈川県横浜市神奈川区の存在を知って何故だか心がざわつく兵庫県神戸市兵庫区民。
たつの市にある某有名ランドセルメーカーの名前の由来の一つが「西播」と知って思わず「そのまんまやんけ!」とひっくり返りそうになりながらツッコミを入れる。
夜、東京駅から新幹線で新神戸や西明石まで移動するときに目にする光景:新大阪駅でほとんどの乗客が降りてしまい、貸切車両のようになってしまう。
丹波黒大豆が有名で、地元では夏になると飽きるほど枝豆にした黒大豆を食べさせられた
(実際美味しかったけど、飽きてました。。。)
はんごうすいさん、耐寒登山、小学校でも中学校でも、必ず行事に組み込まれていた。坂道の先は常に登山道につながっている。
神戸新聞会館大劇場、スカイシネマ、阪急会館、阪急シネマ、阪急文化、三劇、三映、朝日会館…、どこも入れ替えという仕組みはなかったため、途中から見始めて、見たところまできたら帰る、というようなこともあった。
昔の阪神春日野道駅(地下)のホーム幅はわずか2.6メートル。でもそれが特に危険とは思わせないほど、当時は危ない建造物や場所、あるいは住居はいたるところにあった。
1980年代三宮センター街の南には?ダイエー村?があった。スーパーマーケットをはじめ、ファッションビル、ステーキハウス、ハンバーガーショップ、ドーナツショップ、スポーツ用品店…、なんでもあった。
東京にも「淡路町」があって、同名の駅が地下鉄丸ノ内線にある。
東京には、「明石町」もあるな。
高知には、「播磨屋橋」もある。
明石の「魚の棚商店街」は、看板にもわざわざ平仮名の「の」が入っているに関わらず、「うおんたな」と読まれてしまう。
あの「の」は、必要なのだろうか?
「神戸ノート」を使っていた
転校生の子も最初はジャポニカを使っているけど、次第に神戸ノートを使うようになっていく
大阪と京都が横にあるけど、何気に一番住みたいのは兵庫県西宮やで
北区は、神戸市唯一の積雪区、とは言え、今はせいぜいが5センチほどの積雪だが、かつて、昭和30年代~40年代には、年に1、2度は30センチを超す積雪があった。
それでも神戸電鉄は、普段通りに運行されていた。
神鉄は、関西では一番「雪に強い」電車だ。
出るとうれしかったおやつ。
一にピロシキ、二に豚まん、三、四がなくて、五に人工衛星。
父方の爺ちゃんは、よく「レンセイ製菓」のケーキを買ってきてくれたが、あれは、「ケーキ」という名のクッキーだった。
「回転焼」「御座候」、一部では「人工衛星」と呼ばれる、あのお菓子だが、かつての三木市では「太鼓饅頭」と呼ばれていたのを、覚えている人は、いませんか?
「ナメラ商店街」にあった、あのお店の太鼓饅頭は、とてもおいしかった。
神戸限定? だったかも、だが、小学生の遊びの定番「いんさ」は、まだ生き残っているのだろうか?
橋渡った瞬間から涙止まらんわ
空気中の玉ねぎ指数、高すぎやろ!
淡路島って北の端と南の端でキャッチボール出来るんやろ?
って時々聞かれる
播州弁が出るとヤクザに間違われるほど怖がられる
春はいかなご。
近豊の指定カバンが但馬の高校生に大人気
小学生はホームサイレンが鳴ったら家に帰らなければならない。
魚食べるの上手って褒められる。
瀬戸内に住むと、冬は乾燥肌と静電気に悩まされる。