県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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なくなったものあるあるとは?

【ないある探検隊#3】ハチ北のマクドなるほド編

#ないないあるあるの投稿の中から特に気になるネタを取材する「ないある探検隊」。
今回は「ハチ北のマクドなるほド」に迫ります。
詳細はこちら>>>

【ないある探検隊#2】三宮のサソリと富士山・完結編!!!

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョンの完結編!!!
三宮駅近くにあったとされる【巨大な富士山の看板】と【サソリの看板】。。。
ついにその全貌が明かされる!!そして、想像もしなかった意外な事実も!!!

【ないある探検隊#1】三宮のサソリと富士山

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョン!兵庫県広報官をインタビュアーに、数ある投稿の中から特に気になるネタを徹底取材!

※動画内の効果音(フィルム)・・・OtoLogic提供
※写真提供・・・石津事務所

なくなったものあるある、新着エピソード

「神戸へ行く」
たろからさん

ただいまの北区がまだ兵庫区だったころ、神鉄で湊川・新開地へ、あるいは市電に乗り換えて元町・三宮方面へ行くことを「神戸へ行く」と言っていました。
まだ「神戸市」じゃなかった頃の言い回しが、そのころまで残ってたんでしょうね。

今は国の重要文化財となっている北野町の風見鶏の館、かつては中華同文学校(華僑のための私立小中学校)の寮だったことがありました。NHKドラマの舞台になり、異人館ブームとなった頃には神戸市に移管されたみたいですが、なんだか贅沢な話です。

通称「ドヤ」の簡易宿泊所、西元町あたりにもあったようですが、どっちかと言うと、新開地界隈に多かったみたいで、釜ヶ崎や山谷、寿町には及ばないけど、全盛期には50軒ほどがあったそうです。新開地本通り裏手の湊川公園近くに、今なお1軒が営業中です。
近年では、一泊千数百円が相場らしい。

高架下商店街の西端近く、山側に百円宿があった。
多分日雇い労働者とかのための簡易宿泊所だったと思う。
泊まったことはないが、入り口の雰囲気などから、ディープなところだという印象を強く感じた。

40年以上前になりますね、なんとなく通りがかって見つけて入った時の感動は忘れられません。
その頃は情報がポパイやホットドックプレスぐらいしか無く、田舎から出て来て買い物をする時間は貴重でしたから。放出品を探して神戸のガード下を何度訪れた事やら。その頃買った物は今でも大切にしている

アジアホテル
たろからさん

「パルモア学院」で思い出したのですが、その近く、元町駅から少し山手に上がった裏手にありました。
かなり大きな建物でしたが、70年代当時ですでに営業はしてなくて、廃墟同然でした。
しかも、その「廃墟」のまま、都会の真ん中で2000年代まで存在し、「心霊スポット」でもあった。

ラインパン
凪さん

ラインパンの日はマーガリンもジャムも無く、パンに合うおかずでもなく、どうやって食べろというの?と苦しんだ…

パルモア学院
昼行燈さん

たろからさん、バルモア学院の場所は、今のパルモア病院の東隣、マンションが建っているところですね。
1970年代は、今病院が建っている土地も学院の敷地で、病院は今の病院から道路を挟んで西側にありました。
2000年代になって、JR神戸駅近くへ移転しました。

北野坂のCROSS
たろからさん

うわ~~、そうです、そうです、懐かしい。
バブル絶頂期ですよね、自分はもう社会人でしたが、ここはほんとに、大人の雰囲気の店でした。
黒人のピアニストがピアノ弾いていて、「カサブランカ」みたい、と思ったのでした。

パルモア学院
たろからさん

浪人時代の1974年に、週に3日、通ってました。
そうなんですよね、関学と同じ「三日月」の校章なんだけど、校舎は木造の、かなりボロな建物でした。
場所はいまいちウロ覚えなんですが、元町駅から細い坂道を上って、パルモア病院の裏手にあったのかな? 

何が始まるの?ー「なくなったものあるある」(通称:ないないあるある)

それは、1本の動画から始まりました。
広報戦略課での会議後、誰かがふと「ウェザーリポートって知ってる?」と言いました。
気象関係の会社かなと検索すると、「1986年神戸」という動画がヒットします。再生すると、そこに映し出されたのは、芦屋のあたりから垂水のあたりにかけて走る車の助手席から見える車窓の風景でした。おそらく一般の方が8ミリか何かで撮影したのでしょう。

それは神戸に2009年から住んでいる私には、初めて見る光景でした。当時但馬に住んでいた同僚にも、当時生まれていなかった同僚にも。やがて車は須磨の海沿いを西に、2号線を走ります。一瞬、西海岸風の白っぽい建物と駐車場が現れ、サンセットっぽい大きな看板に「WEATHER REPORT」という文字が見えました。通りすがった50代前半の同僚が「あ、ウェザーリポート。奥さんと行ってましたよ。ここに停まってる車、僕のちゃうんかな?」と笑います。

「ウェザーリポート」という飲食店が、当時の若者にとってどれくらい憧れの場所だったのか。どう神戸でデートしたのか。みんなが語りだします。それは、そのお店をまったく知らない私にも、現在垂水に住んでいる但馬出身の同僚にも、当時生まれていなかったけれど実は垂水出身の同僚にも、とてもおもしろい話でした。その日からずっと、2号線を通るたび「あ、ここにウェザーリポートがあったのね」と思い、見たことないはずの当時の若者たちが緊張しながらデートしていた息吹ようなものを想像しては、勝手に嬉しくなっています。


兵庫県では1995年に、阪神・淡路大震災が起こりました。あまりにも大きな力に、たくさんのものや場所が、この震災をきっかけになくなっています。他にも、時代の流れや、個人の営みのなかで、ものや場所は、変わり続けていきます。

だけれども、思い出は、変わりません。その場所が与えてくれた喜びは、たくさんのひとの胸の中にあります。「ふるさと」は、私たちそれぞれの、小さくて具体的なエピソードの集まり。だとしたら、そのような思い出が集まり、次の世代へと受け継ぐ場をつくるのは、兵庫県という「みんなのふるさと」の役割ではないか。そう、私たちは考えました。


これは、なくなったものや場所を、みんなの記憶で伝えていくプロジェクトです。この先、わたしたちにいろんなことがあっても、ずっと。

兵庫県広報官 湯川カナ