県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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ないないあるあるエピソードを投稿する
なくなったものあるあるとは?

【ないある探検隊#3】ハチ北のマクドなるほド編

#ないないあるあるの投稿の中から特に気になるネタを取材する「ないある探検隊」。
今回は「ハチ北のマクドなるほド」に迫ります。
詳細はこちら>>>

【ないある探検隊#2】三宮のサソリと富士山・完結編!!!

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョンの完結編!!!
三宮駅近くにあったとされる【巨大な富士山の看板】と【サソリの看板】。。。
ついにその全貌が明かされる!!そして、想像もしなかった意外な事実も!!!

【ないある探検隊#1】三宮のサソリと富士山

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョン!兵庫県広報官をインタビュアーに、数ある投稿の中から特に気になるネタを徹底取材!

※動画内の効果音(フィルム)・・・OtoLogic提供
※写真提供・・・石津事務所

なくなったものあるある、新着エピソード

今も、有馬温泉と六甲山頂を結ぶ線は健在ですが、かつては、これに連絡する「表六甲線」がありました。
ケーブルの六甲山上駅から「天狗岩」を経由して「六甲山頂カントリー」駅までの線がそれで、ここで裏六甲線に連絡し、ケーブルとロープウェーを乗り継いで有馬まで行けるのが「売り」でした。

兵庫運河の貯木場
たろからさん

昭和から平成の初期にかけて、兵庫運河は輸入木材の貯木場として利用されていて、丸太が水面一杯に浮かんでました。
インドネシアなどから輸入された材木には、時たま、現地の積み込みの際にコブラが紛れ込んでいて、こいつが材木の間からヌッと出現して大騒ぎ、というニュースを覚えています。

明石郡
榮蓮のブログさん

合併の話は、住民投票(選挙の種類はわからない)で明石が反対したからと聞いてます。
といっても、当時私は学齢前。大人たちが合併について話しているのを覚えているだけですが・・・。もしあの時神戸と合併していたら、地下鉄も明石まで延伸していたことでしょう。

高2の冬休み、クラスメートにスケートに連れて行ってもらった。この頃(1970年の初めころ)ビルは老朽化が激しく、建物全体には黄昏感が漂っていた。
新開地もスケートもデートも初めての経験だったが、楽しかったなぁ・・・

新聞会館
榮蓮のブログさん

1961~2年頃新聞会館の前で写した写真。母は、着物に防寒コートを着ている。後ろに、マーロンブランド「片目のジャック」、マックィーン「ガールハント」、ト二―ライザー「白銀は招くよ」の看板が見える。大劇場とスカイシネマには青春の思い出が詰まっている。地下に「秀味街」があった。

東急ハンズ
たろからさん

うわ~~っ、懐かしいですね「新世紀」。
キャバレー文化華やかなりし頃の、神戸最大のキャバレー。
生田筋の正面に「ドーン!」と聳えてましたね。
もう一つの「雄」、「クラブ月世界」は、ライブハウスとして、今も元の場所で営業中です。

東急ハンズ
榮蓮のブログさん

東急ハンズの前身は『新世紀』というマンモスキャバレーでした。裕次郎の映画などに出てくる、生バンドが入ってホステスさんがいてダンスフロアがある酒場?
昭和3~40年代は、東門筋を中心に一大歓楽街でしたから。(今は規模も縮小でかっての勢いはなし)

神戸雅叙園ホテル
榮蓮のブログさん

写真部員だった頃、雅叙園ホテルで撮影会をする企画が
持ち上がり、場所とか規模を調べたことがあった。
結局企画は流れて行かなかったけど、一度くらいは足を運んでおけばよかったと残念に思う。ちなみにそれは「〇-ド撮影会」でした。(決して怪しげなものではありません。念のため)

キングスアームス
榮蓮のブログさん

フォークを持ったイギリス人の看板、三角屋根が個性的な外観の店だったが、大震災で瓦解した。一階のカウンターバーの雰囲気(名刺べたべた)はイギリスそのもの。二階でビフカツサンド?を食したが、お肉の苦手な私の口には合わず・・・。フラワー・ロードの顔みたいな店だったのに、震災が憎い。

アメリカン・ファーマシー
榮蓮のブログさん

戦後まもなく東京の日活ホテルにも「ア・フ」があったようですが神戸との関係が分かりません。神戸店の資料・写真等何もないので(あるのは記憶だけ)それらを探し続けてウン十年たちました。とにかく異文化遭遇の点で忘れられない店です。「元夙川の貴公子さん」どうしたら連絡とれるでしょうか。

何が始まるの?ー「なくなったものあるある」(通称:ないないあるある)

それは、1本の動画から始まりました。
広報戦略課での会議後、誰かがふと「ウェザーリポートって知ってる?」と言いました。
気象関係の会社かなと検索すると、「1986年神戸」という動画がヒットします。再生すると、そこに映し出されたのは、芦屋のあたりから垂水のあたりにかけて走る車の助手席から見える車窓の風景でした。おそらく一般の方が8ミリか何かで撮影したのでしょう。

それは神戸に2009年から住んでいる私には、初めて見る光景でした。当時但馬に住んでいた同僚にも、当時生まれていなかった同僚にも。やがて車は須磨の海沿いを西に、2号線を走ります。一瞬、西海岸風の白っぽい建物と駐車場が現れ、サンセットっぽい大きな看板に「WEATHER REPORT」という文字が見えました。通りすがった50代前半の同僚が「あ、ウェザーリポート。奥さんと行ってましたよ。ここに停まってる車、僕のちゃうんかな?」と笑います。

「ウェザーリポート」という飲食店が、当時の若者にとってどれくらい憧れの場所だったのか。どう神戸でデートしたのか。みんなが語りだします。それは、そのお店をまったく知らない私にも、現在垂水に住んでいる但馬出身の同僚にも、当時生まれていなかったけれど実は垂水出身の同僚にも、とてもおもしろい話でした。その日からずっと、2号線を通るたび「あ、ここにウェザーリポートがあったのね」と思い、見たことないはずの当時の若者たちが緊張しながらデートしていた息吹ようなものを想像しては、勝手に嬉しくなっています。


兵庫県では1995年に、阪神・淡路大震災が起こりました。あまりにも大きな力に、たくさんのものや場所が、この震災をきっかけになくなっています。他にも、時代の流れや、個人の営みのなかで、ものや場所は、変わり続けていきます。

だけれども、思い出は、変わりません。その場所が与えてくれた喜びは、たくさんのひとの胸の中にあります。「ふるさと」は、私たちそれぞれの、小さくて具体的なエピソードの集まり。だとしたら、そのような思い出が集まり、次の世代へと受け継ぐ場をつくるのは、兵庫県という「みんなのふるさと」の役割ではないか。そう、私たちは考えました。


これは、なくなったものや場所を、みんなの記憶で伝えていくプロジェクトです。この先、わたしたちにいろんなことがあっても、ずっと。

兵庫県広報官 湯川カナ