県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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なくなったものあるあるとは?

なくなったものあるある、新着エピソード

国鉄 JR
チヒロさん

オレンジと緑は急行じゃなかったかなぁ?
快速はシルバー(白かな?)と水色だったような…。

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赤い店構えの店かなぁ?
子供の頃親父がよく連れて行ってくれて、行列で順番待ち必須だったけど、手打ちの実演を見るのが楽しかった(笑)
名前も知らなかったし、確かさんちかにあったよね?としか記憶がなく、親父も他界してずっとモヤモヤしてました(笑)

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丸刈りの中学生
チヒロさん

神戸生まれ神戸育ちでは当たり前だったから中学生は丸刈りなんだという認識だったなあ( ^∀^)
神戸だけだと知ったときビックリしたけど、俺は小学生の頃からスポーツ刈りでほぼ丸刈りに近かったから全然抵抗なかったし、バリカン1つで家で散髪できたので楽だったなぁ(笑)

1+

たこフェリーより大型の船で、車両デッキが2階建てで乗用車はタラップで2階に乗り込むのがワクワクしたけど、自分としてはバイクでしか乗ったことがなかったのが惜しいな~。

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たこフェリー
チヒロさん

本格的なカーフェリーでたこフェリーほど気軽に利用できるフェリーって他にあるんだろうか?
予約する必要もなく乗れて、僅か20分とは思えない『旅感』も好きだったんですけどね~…。

1+

今は仁川にありますが、戦前には、浜甲子園にありました。
その後、軍に接収されて飛行場となったとき、メインスタンドのみが管制塔として残され、戦後には、米軍キャンプを経て一帯は団地となりましたが、元メインスタンドの管制塔は、今も、武庫川女子大の校舎として残っています。

2+
阪神パーク
たろからさん

阪神パークは、戦前には浜甲子園の阪神競馬場近くにあったそうです。
競馬場とともに、軍の飛行場として接収されたときに閉鎖され、戦後、今のららぽーとの場所で再開されたそうだ。
甲子園浜では、引き潮の時に、この旧・阪神パークの残骸が海底から出現します。

2+
バー・アティック
たろからさん

山本通の異人館クラブにあった、アメリカン・バー。
オーナーはマーティ・キーナート氏。バースやアニマル等、関西在住の野球選手にも愛された店でした。
床いっぱいに敷き詰められていたのは、客が投げ捨てるピーナッツの殻。
1980年代北野の「おしゃれ」と「大人」の象徴でした。

1+

ホワイトタイガーの名前が公募されたのは、1985年。
応募された中で一番多かったのは「バース」、だったんだけど、阪急(ブレーブス)の遊園地に阪神の選手と同じ名は「まずい」と、別の名が採用された。

1+
甲子園競輪
たろからさん

競輪場は、甲子園球場の南、臨港線よりさらに南にありました。
今は、巨大なマンションになってます。
西宮球場もまた、野球がオフの時にはグランドにバンクが設置され「西宮けいりん」に早変わりしていて、西宮は、野球とともに競輪の町、でもありました。

2+

何が始まるの?ー「なくなったものあるある」(通称:ないないあるある)

それは、1本の動画から始まりました。
広報戦略課での会議後、誰かがふと「ウェザーリポートって知ってる?」と言いました。
気象関係の会社かなと検索すると、「1986年神戸」という動画がヒットします。再生すると、そこに映し出されたのは、芦屋のあたりから垂水のあたりにかけて走る車の助手席から見える車窓の風景でした。おそらく一般の方が8ミリか何かで撮影したのでしょう。

それは神戸に2009年から住んでいる私には、初めて見る光景でした。当時但馬に住んでいた同僚にも、当時生まれていなかった同僚にも。やがて車は須磨の海沿いを西に、2号線を走ります。一瞬、西海岸風の白っぽい建物と駐車場が現れ、サンセットっぽい大きな看板に「WEATHER REPORT」という文字が見えました。通りすがった50代前半の同僚が「あ、ウェザーリポート。奥さんと行ってましたよ。ここに停まってる車、僕のちゃうんかな?」と笑います。

「ウェザーリポート」という飲食店が、当時の若者にとってどれくらい憧れの場所だったのか。どう神戸でデートしたのか。みんなが語りだします。それは、そのお店をまったく知らない私にも、現在垂水に住んでいる但馬出身の同僚にも、当時生まれていなかったけれど実は垂水出身の同僚にも、とてもおもしろい話でした。その日からずっと、2号線を通るたび「あ、ここにウェザーリポートがあったのね」と思い、見たことないはずの当時の若者たちが緊張しながらデートしていた息吹ようなものを想像しては、勝手に嬉しくなっています。


兵庫県では1995年に、阪神・淡路大震災が起こりました。あまりにも大きな力に、たくさんのものや場所が、この震災をきっかけになくなっています。他にも、時代の流れや、個人の営みのなかで、ものや場所は、変わり続けていきます。

だけれども、思い出は、変わりません。その場所が与えてくれた喜びは、たくさんのひとの胸の中にあります。「ふるさと」は、私たちそれぞれの、小さくて具体的なエピソードの集まり。だとしたら、そのような思い出が集まり、次の世代へと受け継ぐ場をつくるのは、兵庫県という「みんなのふるさと」の役割ではないか。そう、私たちは考えました。


これは、なくなったものや場所を、みんなの記憶で伝えていくプロジェクトです。この先、わたしたちにいろんなことがあっても、ずっと。

兵庫県広報官 湯川カナ