県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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なくなったものあるあるとは?

【ないある探検隊#3】ハチ北のマクドなるほド編

#ないないあるあるの投稿の中から特に気になるネタを取材する「ないある探検隊」。
今回は「ハチ北のマクドなるほド」に迫ります。
詳細はこちら>>>

【ないある探検隊#2】三宮のサソリと富士山・完結編!!!

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョンの完結編!!!
三宮駅近くにあったとされる【巨大な富士山の看板】と【サソリの看板】。。。
ついにその全貌が明かされる!!そして、想像もしなかった意外な事実も!!!

【ないある探検隊#1】三宮のサソリと富士山

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョン!兵庫県広報官をインタビュアーに、数ある投稿の中から特に気になるネタを徹底取材!

※動画内の効果音(フィルム)・・・OtoLogic提供
※写真提供・・・石津事務所

なくなったものあるある、新着エピソード

S47年頃、神戸へ転校して山手小学校に3年ほど通いました。2つ小学校が並んでいて隣が下山手小だったのか、記憶が定かではないですが、狭い校庭でプールが地面に隠されていて不思議な感じでした。前が相楽園や県庁、気象台が通学路で神戸ぽっくて楽しかった。

今は、神戸松陰女子学院大やマンションが建っている一帯は昭和50年頃まで勝岡山というはげ山でした。仮面ライダーや戦隊ものの爆破シーンに使われそうな場所で、モトクロス等の練習場所になってました。ジャンプセクション等もあって、当時免許の無い私は自転車でそのコースを良く走り回ってました。

阪神大石駅が高架駅になって出来た高架下ショッピングセンター。
都賀川(大石川)を挟んで西側がグリーンストア大石というスーパーマーケット。東側がBSショッピングセンターという
今でいうショッピングモール。入口すぐのエスカレーターを登って右にUターンするとゲームセンターがありました。

まだ明石海峡大橋が無かった1998年以前、たこフェリーの駐車場が狭く、岩屋中学校の下で次の出港を待つ車の大行列が国道28号線に並んでいました。大型連休の風物詩のようなものでした。

西宮市の鳴尾浜と淡路島の志筑を結んでいました。比較的ゆったりとした船だったような気がします。
西宮から淡路に行くのに便利で何度も利用していました。

高速そば
たろからさん

とうとう「なくなったもの」になってしまった新開地名物。
正直、お味の方は「……」だったけど、「どこが高速やねん!?」というツッコミが出来なくなったのが、惜しい…

明石市営バス
燃焼系アミノ式@市立さん

神戸市バスは寺谷方面(現西神中央方面)-明石駅、明石市バスは明舞団地-明石駅を通っていた気がします…。今では明石市から譲渡されたバスが神姫バスとして明舞団地-明石駅をよく走っていると友達から聞きました。

茅葺屋根の家
たろからさん

物心ついたころの我が家は、まだ茅葺屋根でした。
現在の北区、当時の兵庫区北神地区には、昭和40年代ころには、まだ茅葺屋根が多くみられました。
山間に点在する茅葺屋根の風景を求めて、画家がスケッチする姿も、よく見られました。
北区でも、今や数軒を残して絶滅種です。

ポートピア81
岡谷 敦仁さん

小さい時に家族と一緒に行きました。

神戸市立夢野火葬場
たろからさん

神鉄長田駅のすぐ近くにあって、火葬場の煙突から煙が上がっているのが、電車からよく見えた。
夢野にあった親戚のお爺さんが、ここで火葬にふされました。
鵯越斎場の完成と同時に、こちらは閉鎖されたと記憶します。

何が始まるの?ー「なくなったものあるある」(通称:ないないあるある)

それは、1本の動画から始まりました。
広報戦略課での会議後、誰かがふと「ウェザーリポートって知ってる?」と言いました。
気象関係の会社かなと検索すると、「1986年神戸」という動画がヒットします。再生すると、そこに映し出されたのは、芦屋のあたりから垂水のあたりにかけて走る車の助手席から見える車窓の風景でした。おそらく一般の方が8ミリか何かで撮影したのでしょう。

それは神戸に2009年から住んでいる私には、初めて見る光景でした。当時但馬に住んでいた同僚にも、当時生まれていなかった同僚にも。やがて車は須磨の海沿いを西に、2号線を走ります。一瞬、西海岸風の白っぽい建物と駐車場が現れ、サンセットっぽい大きな看板に「WEATHER REPORT」という文字が見えました。通りすがった50代前半の同僚が「あ、ウェザーリポート。奥さんと行ってましたよ。ここに停まってる車、僕のちゃうんかな?」と笑います。

「ウェザーリポート」という飲食店が、当時の若者にとってどれくらい憧れの場所だったのか。どう神戸でデートしたのか。みんなが語りだします。それは、そのお店をまったく知らない私にも、現在垂水に住んでいる但馬出身の同僚にも、当時生まれていなかったけれど実は垂水出身の同僚にも、とてもおもしろい話でした。その日からずっと、2号線を通るたび「あ、ここにウェザーリポートがあったのね」と思い、見たことないはずの当時の若者たちが緊張しながらデートしていた息吹ようなものを想像しては、勝手に嬉しくなっています。


兵庫県では1995年に、阪神・淡路大震災が起こりました。あまりにも大きな力に、たくさんのものや場所が、この震災をきっかけになくなっています。他にも、時代の流れや、個人の営みのなかで、ものや場所は、変わり続けていきます。

だけれども、思い出は、変わりません。その場所が与えてくれた喜びは、たくさんのひとの胸の中にあります。「ふるさと」は、私たちそれぞれの、小さくて具体的なエピソードの集まり。だとしたら、そのような思い出が集まり、次の世代へと受け継ぐ場をつくるのは、兵庫県という「みんなのふるさと」の役割ではないか。そう、私たちは考えました。


これは、なくなったものや場所を、みんなの記憶で伝えていくプロジェクトです。この先、わたしたちにいろんなことがあっても、ずっと。

兵庫県広報官 湯川カナ