県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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ないないあるあるエピソードを投稿する
なくなったものあるあるとは?

【ないある探検隊#3】ハチ北のマクドなるほド編

#ないないあるあるの投稿の中から特に気になるネタを取材する「ないある探検隊」。
今回は「ハチ北のマクドなるほド」に迫ります。
詳細はこちら>>>

【ないある探検隊#2】三宮のサソリと富士山・完結編!!!

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョンの完結編!!!
三宮駅近くにあったとされる【巨大な富士山の看板】と【サソリの看板】。。。
ついにその全貌が明かされる!!そして、想像もしなかった意外な事実も!!!

【ないある探検隊#1】三宮のサソリと富士山

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョン!兵庫県広報官をインタビュアーに、数ある投稿の中から特に気になるネタを徹底取材!

※動画内の効果音(フィルム)・・・OtoLogic提供
※写真提供・・・石津事務所

なくなったものあるある、新着エピソード

とんかつ大雄
ヒコさんさん

元町商店街の横道に入り和の香りがする建物だったと記憶しています

とんかつ大雄
ヒコさんさん

元町商店街の横道に入り和の香りがする建物だったと記憶しています。トンカツには付随のソースの他に、とんかつ本体にグレービーソースの様なものが掛かっていてそのソースが、トンカツの味に深みを出していたと、記憶しています。無くなってしまって、幼い頃から食べ続けていた、懐かしい味がこいしい

ハイウエイは私の祖父たち日本郵船浅間丸のコックさん達が集まって大東さんの弟さんが始めた洋食屋さんの後を継いで神戸一の洋食屋さんになりました。関西の財界、著名人の人達皆来ていたみたいです。今は大東さんのお孫さんがJR三ノ宮近くでグリル大東をオープンしています。

ハイウエイ創業当時の浅間丸の人々です。

冬になったら春陽軒で火鍋。
真ん中に煙突?みたいな鍋で、具材は魚介類、鶏肉、豚肉、肉団子、野菜類と春雨、量もたっぷり。大人2人子供2人なら2人前と豚饅2皿もあれば充分でした。もう一度食べたいな。

元町「東亜食堂」
マァークンさん

御節を頼んだりしていました。
お粥が絶品で
よく魚のをいただきました。
出汁とパクチーと揚げ麩?と生卵で
美味しかった。神戸の中華の料理人さんが
よくこられていました。

かっぱ天国
マァーくんさん

昔は今の南京町の北元町商店街の
果物ジュースの店横の路地を入ったところで
餃子専門店として黄さんがやっておられた。
この方は台湾のご出身で
いつも台湾の事を気にされていた。
餃子を味噌で食べたのはここで初めてだった。
昭和35年前後の話。

ブラザースだけど、確か三兄弟のおじいちゃんでしたよ。入口左右にショーケースがあり米軍のヘリコプタークルー用の防弾ベストがありました。米陸軍の新品ギャリソンキャップ/略帽が1000円で数枚購入しました。神戸元町に行くと、ここと高架下のイカリヤなどへ行くのが楽しみでした。

お好み材料に大きないかを中心に大きなだし巻きのように巻いて最後に海苔で包むだったか、「海苔巻き」おいしかった。他にもユニークなメニューばかり。元気な奥さんが亡くなられてからもしばらく営業されていたと思いますが、久しぶりに行ったらお店をやめられていて残念でした。また食べたいですね。

大阪駅から乗り宝塚を過ぎると渓谷、川沿いを走りました。客車のデッキの扉は開けっぱなし、車両間連結器のところの幌はなく外も下の線路も丸見えです。なれた乗客は開いたドアのところに脚を外に出して座っていました。阪神間は電車ばかりの昭和50年代にカルチャーショックを受けました。

何が始まるの?ー「なくなったものあるある」(通称:ないないあるある)

それは、1本の動画から始まりました。
広報戦略課での会議後、誰かがふと「ウェザーリポートって知ってる?」と言いました。
気象関係の会社かなと検索すると、「1986年神戸」という動画がヒットします。再生すると、そこに映し出されたのは、芦屋のあたりから垂水のあたりにかけて走る車の助手席から見える車窓の風景でした。おそらく一般の方が8ミリか何かで撮影したのでしょう。

それは神戸に2009年から住んでいる私には、初めて見る光景でした。当時但馬に住んでいた同僚にも、当時生まれていなかった同僚にも。やがて車は須磨の海沿いを西に、2号線を走ります。一瞬、西海岸風の白っぽい建物と駐車場が現れ、サンセットっぽい大きな看板に「WEATHER REPORT」という文字が見えました。通りすがった50代前半の同僚が「あ、ウェザーリポート。奥さんと行ってましたよ。ここに停まってる車、僕のちゃうんかな?」と笑います。

「ウェザーリポート」という飲食店が、当時の若者にとってどれくらい憧れの場所だったのか。どう神戸でデートしたのか。みんなが語りだします。それは、そのお店をまったく知らない私にも、現在垂水に住んでいる但馬出身の同僚にも、当時生まれていなかったけれど実は垂水出身の同僚にも、とてもおもしろい話でした。その日からずっと、2号線を通るたび「あ、ここにウェザーリポートがあったのね」と思い、見たことないはずの当時の若者たちが緊張しながらデートしていた息吹ようなものを想像しては、勝手に嬉しくなっています。


兵庫県では1995年に、阪神・淡路大震災が起こりました。あまりにも大きな力に、たくさんのものや場所が、この震災をきっかけになくなっています。他にも、時代の流れや、個人の営みのなかで、ものや場所は、変わり続けていきます。

だけれども、思い出は、変わりません。その場所が与えてくれた喜びは、たくさんのひとの胸の中にあります。「ふるさと」は、私たちそれぞれの、小さくて具体的なエピソードの集まり。だとしたら、そのような思い出が集まり、次の世代へと受け継ぐ場をつくるのは、兵庫県という「みんなのふるさと」の役割ではないか。そう、私たちは考えました。


これは、なくなったものや場所を、みんなの記憶で伝えていくプロジェクトです。この先、わたしたちにいろんなことがあっても、ずっと。

兵庫県広報官 湯川カナ