県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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ないないあるあるエピソードを投稿する
なくなったものあるあるとは?

【ないある探検隊#3】ハチ北のマクドなるほド編

#ないないあるあるの投稿の中から特に気になるネタを取材する「ないある探検隊」。
今回は「ハチ北のマクドなるほド」に迫ります。
詳細はこちら>>>

【ないある探検隊#2】三宮のサソリと富士山・完結編!!!

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョンの完結編!!!
三宮駅近くにあったとされる【巨大な富士山の看板】と【サソリの看板】。。。
ついにその全貌が明かされる!!そして、想像もしなかった意外な事実も!!!

【ないある探検隊#1】三宮のサソリと富士山

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョン!兵庫県広報官をインタビュアーに、数ある投稿の中から特に気になるネタを徹底取材!

※動画内の効果音(フィルム)・・・OtoLogic提供
※写真提供・・・石津事務所

なくなったものあるある、新着エピソード

高校生の頃、サン神戸地下の広場で「チョットいいですか?」と背の高い外人さんに呼び止められ、植込みに腰を下ろして「なぜ神は実在するのか」を30分ほど説明されました。あまり良い思い出ではありません。

懐かしい
覚えておられる方がいらした!
坊主頭のおじさんが、オススメ果物を選んでくれて父が買ってくれた

石屋川ボウル
藤原英輝さん

下一桁が指定の番号の年賀状を持って行けば、1ゲーム無理になったので、正月明けはよく行った。

「海苔巻き」だったか、大きく切ったいかとか具を、巻き寿司のような形に仕上げ周りを海苔で巻いていたような・・・ユニーク、おいしいメニューが多くありました。奥さんは気のいい人、おやじさんにはいろいろよくしてもらいました。1990年前後くらいだったか・・・。

その中(横?)に食堂があり、西側の旧御崎公園球技場サブグラウンド(砂に近い土のグラウンド、現在ノエビアスタジアムの場所)で仲間とサッカーをした後にビールをひっかけて帰りました。

うちも家族で外食といえば、春陽軒か赤のれんでした。楠町から、福原をはるばる横切って食べに行ってました。古老肉(酢豚)をよく食べました。美味しかったです。帰りにお土産用に豚饅を注文すると、お店の人が厨房に「2丁かぶり」とか言ってました。
今でも時々豚饅を買いに行ってます!

ホテルシェレナ
ひでさんさん

私の友人はアイランドカフェで知り合い、ウェザーリポートでプロポーズし、シェレナで結婚式を挙げました。どこも残っていませんが、御夫婦は(しぶとく?)残っています。

バックステージ
ひでさんさん

行ってました。大学生のくせにオールドの水割りとか飲んでました。

電車と競争する人
ひでさんさん

高校時代の部活の先輩は、電車が高速神戸止まりだと「走れば間に合う!」と言って新開地まで地下を走り、神戸電鉄に乗ってました。

何が始まるの?ー「なくなったものあるある」(通称:ないないあるある)

それは、1本の動画から始まりました。
広報戦略課での会議後、誰かがふと「ウェザーリポートって知ってる?」と言いました。
気象関係の会社かなと検索すると、「1986年神戸」という動画がヒットします。再生すると、そこに映し出されたのは、芦屋のあたりから垂水のあたりにかけて走る車の助手席から見える車窓の風景でした。おそらく一般の方が8ミリか何かで撮影したのでしょう。

それは神戸に2009年から住んでいる私には、初めて見る光景でした。当時但馬に住んでいた同僚にも、当時生まれていなかった同僚にも。やがて車は須磨の海沿いを西に、2号線を走ります。一瞬、西海岸風の白っぽい建物と駐車場が現れ、サンセットっぽい大きな看板に「WEATHER REPORT」という文字が見えました。通りすがった50代前半の同僚が「あ、ウェザーリポート。奥さんと行ってましたよ。ここに停まってる車、僕のちゃうんかな?」と笑います。

「ウェザーリポート」という飲食店が、当時の若者にとってどれくらい憧れの場所だったのか。どう神戸でデートしたのか。みんなが語りだします。それは、そのお店をまったく知らない私にも、現在垂水に住んでいる但馬出身の同僚にも、当時生まれていなかったけれど実は垂水出身の同僚にも、とてもおもしろい話でした。その日からずっと、2号線を通るたび「あ、ここにウェザーリポートがあったのね」と思い、見たことないはずの当時の若者たちが緊張しながらデートしていた息吹ようなものを想像しては、勝手に嬉しくなっています。


兵庫県では1995年に、阪神・淡路大震災が起こりました。あまりにも大きな力に、たくさんのものや場所が、この震災をきっかけになくなっています。他にも、時代の流れや、個人の営みのなかで、ものや場所は、変わり続けていきます。

だけれども、思い出は、変わりません。その場所が与えてくれた喜びは、たくさんのひとの胸の中にあります。「ふるさと」は、私たちそれぞれの、小さくて具体的なエピソードの集まり。だとしたら、そのような思い出が集まり、次の世代へと受け継ぐ場をつくるのは、兵庫県という「みんなのふるさと」の役割ではないか。そう、私たちは考えました。


これは、なくなったものや場所を、みんなの記憶で伝えていくプロジェクトです。この先、わたしたちにいろんなことがあっても、ずっと。

兵庫県広報官 湯川カナ