県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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なくなったものあるあるとは?

【謎ファイル】三宮のサソリと富士山・完結編!!!

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョンの完結編!!!
三宮駅近くにあったとされる【巨大な富士山の看板】と【サソリの看板】。。。
ついにその全貌が明かされる!!そして、想像もしなかった意外な事実も!!!

【謎ファイル】三宮のサソリと富士山

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョン!兵庫県広報官をインタビュアーに、数ある投稿の中から特に気になるネタを徹底取材!

※動画内の効果音(フィルム)・・・OtoLogic提供
※写真提供・・・石津事務所

なくなったものあるある、新着エピソード

一昨年まで、春と夏の高校野球の期間中、応援バスの駐車場近くで毎年、講談社の人たちが「少年(ちび)マガジン」という、マガジン連載の野球漫画などを抜粋した冊子を、バスを降りて球場に向かう生徒さんたちに、無料で配っていた。
漫画離れの高校生を啓発する販促活動、だったんだと思う。

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大石市場には、小学校の同級生がたくさんいました。BSショッピングセンターの1Fに着物店、八百屋、同級生、でした。2Fの書店、おもちゃ屋さん、レコード店、中華料理店。いろいろ思い出しました。

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旧JR姫路駅
たろからさん

地上駅時代の姫路駅には、汽車時代の名残であるホームの大洗面所が、最後まで残ってました。
「えきそば」のスタンドには、「車内に持ち込まないでください」との張り紙があり、その丼が、ペラペラの使い捨てだったのも、汽車時代の名残ですね。
ホームも、やたらに低い汽車規格だった。

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山陽線の客車急行
たろからさん

1970年代にはまだ、電車に混じって、機関車が牽く客車の急行がありました。
我が母校には、先輩某が、垂水にあった神戸商大の受験に向かうのに、神戸駅でうっかりこれに乗ってしまい、間違いに気づいて慌てて飛び降りたら大怪我して、1年を棒に振った、という話が、教訓として伝えられていた。

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北区と須磨区の分区
たろからさん

1990年代に、北区と須磨区、西区を、将来的にはそれぞれ2区に分区する、という計画が、神戸市にあった。
「1区10万人」が目途なので、20万人を超えた区は分区、という説明もあったと記憶する。
北区、西区はもう20万を超えてるが、あの計画は「なかったこと」になったの?

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歌手名、間違ってました。「すぎもとまさと」ですね。失礼しました。
しかも、すぎもとさん、姫路とは縁もゆかりもない、東京生まれだった。
故郷・姫路に残してきた恋人に、東京から手紙を書いた、という歌だと、ずっと勘違いしてたが、手紙の相手は男だったんですね。

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播但線飾磨港駅
駅蕎麦、本当ウマイさん

ちなみに私が通った学校の傍を走って居ました。校庭とグラウンドの間に飾磨港線は走ってました。登校トチると貨物列車が入替で学校への道を蓋してしまいます。『開かずの踏切』は恐怖でしたね。後、ソフトボールを授業でしていて打球を打ち込み‥列車破壊しそうにも。幸いパワーが無くて助かりましたが

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70年代にスマッシュヒットした、すぎもとまさし「М氏への便り」は、自分の知る限り「姫路」を歌った唯一のヒット曲で、これ以後は、ない。
歌詞の一部に「姫路の街がやさしい街なら」というワンフレーズが出るだけなんですけどね。
知らない人は、ググってみてください。

1+

私が物心ついた頃はキャブオーバーのバスで、ボンネットバスではなかったのですがドアが前と真ん中で、真ん中ドアを車掌が操作して乗降してました。カーブと道路幅の関係で今も中型車の運行です。朝だけ逆回りしてた記憶あります。歌敷山→高ヶ平→学園前の様に。

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そうですか、当初は、もうちょっと広かったんだ。
駅改装以前の、2002年に撮った写真がありました。
点字ブロックも、まともに敷くと人の歩く余地がなくなるので、ハーフサイズです。

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何が始まるの?ー「なくなったものあるある」(通称:ないないあるある)

それは、1本の動画から始まりました。
広報戦略課での会議後、誰かがふと「ウェザーリポートって知ってる?」と言いました。
気象関係の会社かなと検索すると、「1986年神戸」という動画がヒットします。再生すると、そこに映し出されたのは、芦屋のあたりから垂水のあたりにかけて走る車の助手席から見える車窓の風景でした。おそらく一般の方が8ミリか何かで撮影したのでしょう。

それは神戸に2009年から住んでいる私には、初めて見る光景でした。当時但馬に住んでいた同僚にも、当時生まれていなかった同僚にも。やがて車は須磨の海沿いを西に、2号線を走ります。一瞬、西海岸風の白っぽい建物と駐車場が現れ、サンセットっぽい大きな看板に「WEATHER REPORT」という文字が見えました。通りすがった50代前半の同僚が「あ、ウェザーリポート。奥さんと行ってましたよ。ここに停まってる車、僕のちゃうんかな?」と笑います。

「ウェザーリポート」という飲食店が、当時の若者にとってどれくらい憧れの場所だったのか。どう神戸でデートしたのか。みんなが語りだします。それは、そのお店をまったく知らない私にも、現在垂水に住んでいる但馬出身の同僚にも、当時生まれていなかったけれど実は垂水出身の同僚にも、とてもおもしろい話でした。その日からずっと、2号線を通るたび「あ、ここにウェザーリポートがあったのね」と思い、見たことないはずの当時の若者たちが緊張しながらデートしていた息吹ようなものを想像しては、勝手に嬉しくなっています。


兵庫県では1995年に、阪神・淡路大震災が起こりました。あまりにも大きな力に、たくさんのものや場所が、この震災をきっかけになくなっています。他にも、時代の流れや、個人の営みのなかで、ものや場所は、変わり続けていきます。

だけれども、思い出は、変わりません。その場所が与えてくれた喜びは、たくさんのひとの胸の中にあります。「ふるさと」は、私たちそれぞれの、小さくて具体的なエピソードの集まり。だとしたら、そのような思い出が集まり、次の世代へと受け継ぐ場をつくるのは、兵庫県という「みんなのふるさと」の役割ではないか。そう、私たちは考えました。


これは、なくなったものや場所を、みんなの記憶で伝えていくプロジェクトです。この先、わたしたちにいろんなことがあっても、ずっと。

兵庫県広報官 湯川カナ