
【ないある探検隊#3】ハチ北のマクドなるほド編
#ないないあるあるの投稿の中から特に気になるネタを取材する「ないある探検隊」。
今回は「ハチ北のマクドなるほド」に迫ります。
詳細はこちら>>>
【ないある探検隊#2】三宮のサソリと富士山・完結編!!!
今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョンの完結編!!!
三宮駅近くにあったとされる【巨大な富士山の看板】と【サソリの看板】。。。
ついにその全貌が明かされる!!そして、想像もしなかった意外な事実も!!!
【ないある探検隊#1】三宮のサソリと富士山
今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョン!兵庫県広報官をインタビュアーに、数ある投稿の中から特に気になるネタを徹底取材!
※動画内の効果音(フィルム)・・・OtoLogic提供
※写真提供・・・石津事務所
なくなったものあるある、新着エピソード

1980〜90年代?に往年のハリウッド映画をメインとしたポスターやグッズが展示されてたと記憶しています。
現在は「神戸トリックアート 不思議な領事館」という異人館になってるようです。建物が現役なのは何よりですが、ポスター等はどこに引き取られたのでしょうか…。

イチローの活躍前は、自宅近辺のコープのサービスカウンターにて内野自由席が1000円で販売されており、かなりお得に観戦できました。
入場時にくじ付きの選手カードを配っていて、お米や洗剤が当たったことがあり母が喜んでました(笑)。ファンサービスは本当に熱心でしたね。
「園」じゃなくて「亦楽山荘」ですね。
山桜がメインなのは、派手なソメイヨシノを笹部が「下品だ」と嫌っていたからだとか。
昔から、線路を歩く以外にここへ至る道はなく、笹部も武田尾から線路を歩いて通い、トンネルで汽車に遭遇して轢かれかけたこともある、と水上勉『櫻守』にありました。

1980年頃のハイウェイ。震災前に数度、震災後(移転)に一度お邪魔しました。オニオングラタンスープとウィンナー・シュニッツェルは絶品でした。奥に細長い店内は簡素で、大東さん(写真の男性)の温かくてさりげないサービスが心に残っています。
ニュートラディショナル、略して「ニュートラ」。
1970年代、神戸・阪神間の女子大生が好んで着ていた「お嬢様」ファッションを「anan」や「JJ」などの雑誌が相次いで特集し、神戸発のファッションとして全国的に流行。
横浜では、これを元にアレンジして「ハマトラ」と呼ばれました。
何が始まるの?ー「なくなったものあるある」(通称:ないないあるある)
それは、1本の動画から始まりました。
広報戦略課での会議後、誰かがふと「ウェザーリポートって知ってる?」と言いました。
気象関係の会社かなと検索すると、「1986年神戸」という動画がヒットします。再生すると、そこに映し出されたのは、芦屋のあたりから垂水のあたりにかけて走る車の助手席から見える車窓の風景でした。おそらく一般の方が8ミリか何かで撮影したのでしょう。
それは神戸に2009年から住んでいる私には、初めて見る光景でした。当時但馬に住んでいた同僚にも、当時生まれていなかった同僚にも。やがて車は須磨の海沿いを西に、2号線を走ります。一瞬、西海岸風の白っぽい建物と駐車場が現れ、サンセットっぽい大きな看板に「WEATHER REPORT」という文字が見えました。通りすがった50代前半の同僚が「あ、ウェザーリポート。奥さんと行ってましたよ。ここに停まってる車、僕のちゃうんかな?」と笑います。
「ウェザーリポート」という飲食店が、当時の若者にとってどれくらい憧れの場所だったのか。どう神戸でデートしたのか。みんなが語りだします。それは、そのお店をまったく知らない私にも、現在垂水に住んでいる但馬出身の同僚にも、当時生まれていなかったけれど実は垂水出身の同僚にも、とてもおもしろい話でした。その日からずっと、2号線を通るたび「あ、ここにウェザーリポートがあったのね」と思い、見たことないはずの当時の若者たちが緊張しながらデートしていた息吹ようなものを想像しては、勝手に嬉しくなっています。
兵庫県では1995年に、阪神・淡路大震災が起こりました。あまりにも大きな力に、たくさんのものや場所が、この震災をきっかけになくなっています。他にも、時代の流れや、個人の営みのなかで、ものや場所は、変わり続けていきます。
だけれども、思い出は、変わりません。その場所が与えてくれた喜びは、たくさんのひとの胸の中にあります。「ふるさと」は、私たちそれぞれの、小さくて具体的なエピソードの集まり。だとしたら、そのような思い出が集まり、次の世代へと受け継ぐ場をつくるのは、兵庫県という「みんなのふるさと」の役割ではないか。そう、私たちは考えました。
これは、なくなったものや場所を、みんなの記憶で伝えていくプロジェクトです。この先、わたしたちにいろんなことがあっても、ずっと。