県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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なくなったものあるあるとは?

【ないある探検隊#3】ハチ北のマクドなるほド編

#ないないあるあるの投稿の中から特に気になるネタを取材する「ないある探検隊」。
今回は「ハチ北のマクドなるほド」に迫ります。
詳細はこちら>>>

【ないある探検隊#2】三宮のサソリと富士山・完結編!!!

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョンの完結編!!!
三宮駅近くにあったとされる【巨大な富士山の看板】と【サソリの看板】。。。
ついにその全貌が明かされる!!そして、想像もしなかった意外な事実も!!!

【ないある探検隊#1】三宮のサソリと富士山

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョン!兵庫県広報官をインタビュアーに、数ある投稿の中から特に気になるネタを徹底取材!

※動画内の効果音(フィルム)・・・OtoLogic提供
※写真提供・・・石津事務所

なくなったものあるある、新着エピソード

「神戸へ行く」
たろからさん

神戸電鉄の終点が湊川駅だったころ、電車の行先表示は「湊川」ではなく「神戸行き」でした。
新開地へ乗り入れるようになって「新開地行き」になりました。

生田区と葺合区
たろからさん

1980年に合区して「中央区」となりましたが、合区はともかく、全国どこにでもある平凡な区名で、上に「神戸市」をつけないとどこだか分かりません。
今少し個性的な区名はなかったのか、と今も思います。

かつては、テレビ・ラジオで頻繁に流れていましたね、カネテツの「てっちゃん」CM。
「てっちゃん」は、中島らも・作の四コマ漫画のキャラクターにも起用されていました。
CMでは見かけなくなったけど、カネテツのキャラクターとしてのてっちゃんは、今も健在のようですね。

南天荘やコーベブックスはじめ、海文堂や日東館、漢口堂も、現存店も含めて、神戸の今はなき書店のブックカバーが、ここに集められております。

28-1 神戸市

長いこと、神戸のデパート、と言えば、この3店でした。
そごう、大丸、三越、の順に、明治末から大正時代にかけて、神戸市内に出店したんだそうです。

有楽ビル(映画館)
みねよしくみよしさん

16才の時の彼女と昭和58年8月1日か2日に1年半ぶりに再会し、プルメリアの伝説を見に行きました。この日の出来事は今でも鮮明に覚えてます、想い出をありがとう

丸刈りの中学生
たろからさん

半世紀以上経った今も、強制的に丸刈りにされた屈辱は、思い出すたび腹が立ちます。
頭髪が自由になった後は、反動で肩まで髪を伸ばしていました。
高校生になると、従妹の通っていた東京都立高校では、制服がなくて私服登校なのが羨ましくて、運動しようとしたが、これは実現しなかった。

阪神間モダニズム
たろからさん

今はすっかり忘れ去られた概念というか言葉ですが、この本を読むと、阪神タイガースや甲子園、宝塚歌劇も阪急沿線文化も芦屋の住宅街もみんな、阪神間モダニズムの遺産であり、その精神は、いまなお、その中に脈々と生きているのがわかります。

駅弁の立ち売り
たろからさん

列車が着くたび、「べんと~~、べんと~~」と呼ばわりながら売り子がホームを歩く姿、神戸駅や三ノ宮ではなかったように記憶しますが、「えきそば」も立ち売りしてた姫路駅には、確かにありました。
兵庫県内でこれが見られたのは、他にどんな駅だったんでしょうね?

何年か前から有料化されてしまいましたが、かつて甲子園の外野席は、高校野球では無料でした。
近くを通りがかったときに時間があれば、ビール飲んだり弁当食ったりしながら、野球を見物してました。
甲子園は、元来が中等学校野球の為に作られた球場だったが故に「無料」だったんだとか。

何が始まるの?ー「なくなったものあるある」(通称:ないないあるある)

それは、1本の動画から始まりました。
広報戦略課での会議後、誰かがふと「ウェザーリポートって知ってる?」と言いました。
気象関係の会社かなと検索すると、「1986年神戸」という動画がヒットします。再生すると、そこに映し出されたのは、芦屋のあたりから垂水のあたりにかけて走る車の助手席から見える車窓の風景でした。おそらく一般の方が8ミリか何かで撮影したのでしょう。

それは神戸に2009年から住んでいる私には、初めて見る光景でした。当時但馬に住んでいた同僚にも、当時生まれていなかった同僚にも。やがて車は須磨の海沿いを西に、2号線を走ります。一瞬、西海岸風の白っぽい建物と駐車場が現れ、サンセットっぽい大きな看板に「WEATHER REPORT」という文字が見えました。通りすがった50代前半の同僚が「あ、ウェザーリポート。奥さんと行ってましたよ。ここに停まってる車、僕のちゃうんかな?」と笑います。

「ウェザーリポート」という飲食店が、当時の若者にとってどれくらい憧れの場所だったのか。どう神戸でデートしたのか。みんなが語りだします。それは、そのお店をまったく知らない私にも、現在垂水に住んでいる但馬出身の同僚にも、当時生まれていなかったけれど実は垂水出身の同僚にも、とてもおもしろい話でした。その日からずっと、2号線を通るたび「あ、ここにウェザーリポートがあったのね」と思い、見たことないはずの当時の若者たちが緊張しながらデートしていた息吹ようなものを想像しては、勝手に嬉しくなっています。


兵庫県では1995年に、阪神・淡路大震災が起こりました。あまりにも大きな力に、たくさんのものや場所が、この震災をきっかけになくなっています。他にも、時代の流れや、個人の営みのなかで、ものや場所は、変わり続けていきます。

だけれども、思い出は、変わりません。その場所が与えてくれた喜びは、たくさんのひとの胸の中にあります。「ふるさと」は、私たちそれぞれの、小さくて具体的なエピソードの集まり。だとしたら、そのような思い出が集まり、次の世代へと受け継ぐ場をつくるのは、兵庫県という「みんなのふるさと」の役割ではないか。そう、私たちは考えました。


これは、なくなったものや場所を、みんなの記憶で伝えていくプロジェクトです。この先、わたしたちにいろんなことがあっても、ずっと。

兵庫県広報官 湯川カナ