県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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ないないあるあるエピソードを投稿する
なくなったものあるあるとは?

【ないある探検隊#3】ハチ北のマクドなるほド編

#ないないあるあるの投稿の中から特に気になるネタを取材する「ないある探検隊」。
今回は「ハチ北のマクドなるほド」に迫ります。
詳細はこちら>>>

【ないある探検隊#2】三宮のサソリと富士山・完結編!!!

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョンの完結編!!!
三宮駅近くにあったとされる【巨大な富士山の看板】と【サソリの看板】。。。
ついにその全貌が明かされる!!そして、想像もしなかった意外な事実も!!!

【ないある探検隊#1】三宮のサソリと富士山

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョン!兵庫県広報官をインタビュアーに、数ある投稿の中から特に気になるネタを徹底取材!

※動画内の効果音(フィルム)・・・OtoLogic提供
※写真提供・・・石津事務所

なくなったものあるある、新着エピソード

こちらはかつての藤田伝三郎男爵3男で藤田彦三郎(曾祖父)の邸宅でして、彦三郎の長女幸子が私の祖母でした。ここで、私の父(学生時代のアルバイト)と母(従業員)が出会って結婚。私が誕生しましたので、ここが無ければ、私は存在していません。

湊川温泉劇場
神戸の住人さん

昨日、跡地を見に行って来ました。
当時の面影は跡形も有りませんが、階段は当時のままらしいです。

湊川温泉劇場
神戸の住人さん

今は当時の面影は何も有りませんが、階段だけは当時のままらしいです。

「宝塚映画」と撮影所
神戸の住人さん

意外なことに加山雄三の若大将シリーズが、何作かここで撮られてますね。
海の若大将なんかです。

神戸メリケン波止場
神戸の住人さん

石原裕次郎「赤い波止場」の舞台になった場所。
裕次郎と北原三枝がランチ(小舟)に乗った階段とビットがまだ有るはず。

垂水駅前に田毎という旅館があって隣がフタギという三階建て?の百貨店でした。
その隣が東宝という邦画専門の映画館。
フタギはカメラや模型を置いていたのでよく行ってました。
屋上に遊戯施設がありましたね。
フタギの向かいに狭い間口の模型店があって、あの辺りは今より興味深い地域でした。

高校生の頃、サン神戸地下の広場で「チョットいいですか?」と背の高い外人さんに呼び止められ、植込みに腰を下ろして「なぜ神は実在するのか」を30分ほど説明されました。あまり良い思い出ではありません。

懐かしい
覚えておられる方がいらした!
坊主頭のおじさんが、オススメ果物を選んでくれて父が買ってくれた

何が始まるの?ー「なくなったものあるある」(通称:ないないあるある)

それは、1本の動画から始まりました。
広報戦略課での会議後、誰かがふと「ウェザーリポートって知ってる?」と言いました。
気象関係の会社かなと検索すると、「1986年神戸」という動画がヒットします。再生すると、そこに映し出されたのは、芦屋のあたりから垂水のあたりにかけて走る車の助手席から見える車窓の風景でした。おそらく一般の方が8ミリか何かで撮影したのでしょう。

それは神戸に2009年から住んでいる私には、初めて見る光景でした。当時但馬に住んでいた同僚にも、当時生まれていなかった同僚にも。やがて車は須磨の海沿いを西に、2号線を走ります。一瞬、西海岸風の白っぽい建物と駐車場が現れ、サンセットっぽい大きな看板に「WEATHER REPORT」という文字が見えました。通りすがった50代前半の同僚が「あ、ウェザーリポート。奥さんと行ってましたよ。ここに停まってる車、僕のちゃうんかな?」と笑います。

「ウェザーリポート」という飲食店が、当時の若者にとってどれくらい憧れの場所だったのか。どう神戸でデートしたのか。みんなが語りだします。それは、そのお店をまったく知らない私にも、現在垂水に住んでいる但馬出身の同僚にも、当時生まれていなかったけれど実は垂水出身の同僚にも、とてもおもしろい話でした。その日からずっと、2号線を通るたび「あ、ここにウェザーリポートがあったのね」と思い、見たことないはずの当時の若者たちが緊張しながらデートしていた息吹ようなものを想像しては、勝手に嬉しくなっています。


兵庫県では1995年に、阪神・淡路大震災が起こりました。あまりにも大きな力に、たくさんのものや場所が、この震災をきっかけになくなっています。他にも、時代の流れや、個人の営みのなかで、ものや場所は、変わり続けていきます。

だけれども、思い出は、変わりません。その場所が与えてくれた喜びは、たくさんのひとの胸の中にあります。「ふるさと」は、私たちそれぞれの、小さくて具体的なエピソードの集まり。だとしたら、そのような思い出が集まり、次の世代へと受け継ぐ場をつくるのは、兵庫県という「みんなのふるさと」の役割ではないか。そう、私たちは考えました。


これは、なくなったものや場所を、みんなの記憶で伝えていくプロジェクトです。この先、わたしたちにいろんなことがあっても、ずっと。

兵庫県広報官 湯川カナ