『実家が三田』というと必ず『ああ、アウトレットがあるとこ』と言われる。正確には神戸市北区。名前に惑わされる。『神戸三田プレミアムアウトレット』
神戸市北区の大池は、明石川水系と武庫川水系との分水嶺。 三田行の電車から注意深く見てると、それまで進行方向と逆に流れていた川が、大池駅を過ぎると、進行方向に沿って北向きに流れ始めます。
関西の他県の人に三田出身と言うと、「あぁアウトレットのとこ」と言われるが実際は三田に無く神戸市北区にあると言われるたび説明する。特に大学入りたての場合この会話が多く途中から訂正するのが面倒くさくなり、「そう、そのへん」と答えたりする。
神戸市北区で「かまくら」を作ったことがあるのが、密かな自慢。 昭和40年代には、年に二、三度は、20~30センチ超の積雪があった。 朝起きて玄関を開けると、屋根から落ちた雪が、白い壁になって立ちふさがっていた。
よそからの人は神戸市北区も三田扱いするけど、地元民からすると北区って言っても神戸なんや…!というギリギリのプライドと神戸への憧れがある。
西宮に越してからは、すっかり忘れていたけど、神戸市北区にいたころ、冬には毎夜、寝る前に水道を「お湯」側にして細く水を流しっぱなしにしていた。これを忘れると、翌朝には(まず間違いなく)給湯器が凍り付き、お湯を沸かしてかけたりと大騒ぎしてた…のを、初雪を見て、ふと思い出しました。
この言い回しは、多分、我が故郷の北区山田町だけ、かと思います。 「どこ行きやァ?」「おう、山行きじゃあ」は、「どこへ行くんや?」「おう、田んぼ仕事じゃあ」という意味。 「山」は即ち「田んぼ」なのでした。 田んぼのほぼすべてが、山の中の棚田だったゆえでしょうか。
神戸電鉄「二郎」駅。昔は、確かに「にろ」だったと記憶するのだが、いつのまにか「にろう」になっていた。なんででしょうか? 神戸市北区には、「大沢(おおぞう)」はじめ、「宅原(えいばら)」、「淡河(おうご)」等々、難読地名が結構ある。 「ヤンゲン」というカタカナ地名も、ある。
お正月ネタ。 昭和30年、播磨(西区)から摂津(北区)へ嫁いだ母が、最初の正月、実家で作り慣れた雑煮を出すと、舅から「どこの世界にすまし汁の雑煮があるんや!?」と怒られて、翌年から、元旦は味噌の雑煮、二日にすましの雑煮、とすることで、アイデンティティを保ったらしい。
猪肉は、実は神戸でも食べられる。 西区在だった亡祖父は、北区の我が実家近くでよく猟をしていて、仕留めた猪を近所の家で解体しては、肉を届けてくれた。 今も、北区の実家の近所には、祖父の猟仲間だった爺さんが存命で、毎年猪肉を届けてくれる。
『実家が三田』というと必ず『ああ、アウトレットがあるとこ』と言われる。正確には神戸市北区。名前に惑わされる。『神戸三田プレミアムアウトレット』
神戸市北区の大池は、明石川水系と武庫川水系との分水嶺。
三田行の電車から注意深く見てると、それまで進行方向と逆に流れていた川が、大池駅を過ぎると、進行方向に沿って北向きに流れ始めます。
関西の他県の人に三田出身と言うと、「あぁアウトレットのとこ」と言われるが実際は三田に無く神戸市北区にあると言われるたび説明する。特に大学入りたての場合この会話が多く途中から訂正するのが面倒くさくなり、「そう、そのへん」と答えたりする。
神戸市北区で「かまくら」を作ったことがあるのが、密かな自慢。
昭和40年代には、年に二、三度は、20~30センチ超の積雪があった。
朝起きて玄関を開けると、屋根から落ちた雪が、白い壁になって立ちふさがっていた。
よそからの人は神戸市北区も三田扱いするけど、地元民からすると北区って言っても神戸なんや…!というギリギリのプライドと神戸への憧れがある。
西宮に越してからは、すっかり忘れていたけど、神戸市北区にいたころ、冬には毎夜、寝る前に水道を「お湯」側にして細く水を流しっぱなしにしていた。これを忘れると、翌朝には(まず間違いなく)給湯器が凍り付き、お湯を沸かしてかけたりと大騒ぎしてた…のを、初雪を見て、ふと思い出しました。
この言い回しは、多分、我が故郷の北区山田町だけ、かと思います。
「どこ行きやァ?」「おう、山行きじゃあ」は、「どこへ行くんや?」「おう、田んぼ仕事じゃあ」という意味。
「山」は即ち「田んぼ」なのでした。
田んぼのほぼすべてが、山の中の棚田だったゆえでしょうか。
神戸電鉄「二郎」駅。昔は、確かに「にろ」だったと記憶するのだが、いつのまにか「にろう」になっていた。なんででしょうか?
神戸市北区には、「大沢(おおぞう)」はじめ、「宅原(えいばら)」、「淡河(おうご)」等々、難読地名が結構ある。
「ヤンゲン」というカタカナ地名も、ある。
お正月ネタ。
昭和30年、播磨(西区)から摂津(北区)へ嫁いだ母が、最初の正月、実家で作り慣れた雑煮を出すと、舅から「どこの世界にすまし汁の雑煮があるんや!?」と怒られて、翌年から、元旦は味噌の雑煮、二日にすましの雑煮、とすることで、アイデンティティを保ったらしい。
猪肉は、実は神戸でも食べられる。
西区在だった亡祖父は、北区の我が実家近くでよく猟をしていて、仕留めた猪を近所の家で解体しては、肉を届けてくれた。
今も、北区の実家の近所には、祖父の猟仲間だった爺さんが存命で、毎年猪肉を届けてくれる。