県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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なくなったものあるあるとは?

【ないある探検隊#3】ハチ北のマクドなるほド編

#ないないあるあるの投稿の中から特に気になるネタを取材する「ないある探検隊」。
今回は「ハチ北のマクドなるほド」に迫ります。
詳細はこちら>>>

【ないある探検隊#2】三宮のサソリと富士山・完結編!!!

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョンの完結編!!!
三宮駅近くにあったとされる【巨大な富士山の看板】と【サソリの看板】。。。
ついにその全貌が明かされる!!そして、想像もしなかった意外な事実も!!!

【ないある探検隊#1】三宮のサソリと富士山

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョン!兵庫県広報官をインタビュアーに、数ある投稿の中から特に気になるネタを徹底取材!

※動画内の効果音(フィルム)・・・OtoLogic提供
※写真提供・・・石津事務所

なくなったものあるある、新着エピソード 54/101

兵庫区の一部だった「北神地区」と、垂水区の一部だった「西神地区」を除いた地域の呼称として、「旧市街地」という呼び名がありました。

国鉄 JR
たろからさん

かつての「国鉄」三ノ宮駅の駅舎屋上には、「新快速 三ノ宮ー大阪 19分!」と、でかでかと書かれた看板が掲げられてました。
それでも、誰も乗らなかった新快速・・・というか、「国鉄」なのでした。
大阪へ行くには、たいていの人が阪神か阪急を選択してた。

国鉄 JR
たろからさん

ちなみに、新快速登場以前、快速の停車駅は、明石-兵庫-神戸‐元町‐三ノ宮‐芦屋‐大阪‐新大阪‐高槻‐で、今の新快速並み。
だから初期の新快速は、-明石‐三ノ宮-大阪-京都、という停車駅だった。
快速は、京都以東と明石以西は各駅停車だったけど、西明石止まりが多かったです。

子供の頃親に連れて行ってもらいました。現在の店舗よりもう少し坂を上がった現在の駐車場あたりに店を構えられてた記憶。ちょっと良いところで外食は春陽軒と新開地本通りの現在日本共産党兵庫県委員会の建物が「赤のれん」といういわゆる食堂ビルでした。何食べてたかは全然覚えてませんが笑

神鉄で長田を過ぎ、電車の窓からこの円形校舎が見えたら、そろそろ終点の湊川、なのでした。
従兄弟が通う小学校でもありました。

神戸電鉄の「単車」
たろからさん

自分が子供の頃、神鉄電車は、概ね二両編成でしたが、ときたま、一両だけのがやってきて、これを「単車」と呼んでました。
電車は、当時の国電と同じ茶色一色で、貫通扉がなかったので、二両編成でも車両間の通り抜けはできなかった。

国鉄 JR
たろからさん

実はどうだっけ? と調べてみた。
最初に登場した「新快速」は1970年で、快速と同じ「湘南色」、つまりオレンジと緑。
72年に、余剰となった急行用電車をシルバー(白)とブルーに塗り替えて、二代目登場。
三代目がベージュに茶色ラインの「急電」スタイル。
4代目以降が、現役、らしい。

関西汽船の四国・別府航路があったころです。
別府・四国から来た船に中突堤で乗り込んで、大阪・弁天埠頭まで行けました。逆コースも、もちろん可能。
所用約1時間、六甲の山並みと街を眺めながら、クルーズ気分でビールが飲めるのでした。
料金は、国鉄の「三ノ宮ー大阪」と同じだった。

今は豚まん専門店として有名な新開地「春陽軒」。
元々は、「和風」を掲げる中華料理屋さんで、豚まんも名物でしたが、お店のイチオシメニューだったのが「火鍋(ホーコー)」。
子供の頃、豚まんはいつも食べてたけど、火鍋は高かったので食わせてもらえなかった。
一度は、食べてみたかった。

明石駅前のダイエー
よっちゃんさん

そうそう、当時明石で勤務していたワタシ、ストレスがたまると閉店まじかのダイエー明石店で、半額のおにぎりや惣菜・缶チューハイを買い込み、そのままタコフェリーへ乗船。明石海峡大橋の夜景を酔っぱらいながら楽しみ、岩屋へ。また明石に帰っていくプチ船旅でなんとか激務を乗り越えました。