県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

県公式・兵庫五国連邦プロジェクト
ないないあるあるエピソードを投稿する
なくなったものあるあるとは?

なくなったものあるある、新着エピソード

30年程まえ学校サボって神戸へ遊びに行った時よく食べに行っていました。ジャージャー麺?肉そば? のようなものをよく食べていたような気がします。似たようなものが食べられるお店は現在ありますか?

0

メトロ神戸開業と同時にオープンしたから、1968年から?
ピロシキが名物で、よく買って帰った。
今、同じ場所にあって、やはりピロシキが名物の「よつばや」は、かつての「おやつセンター」と同じ店?
どなたか、御存じでしょうか?

1+
そごう神戸店
たろからさん

え? そうなんですか。
自分の記憶は逆で、やはり40年以上前から、大丸は「よそ行き」、「そごう」は普段着、でした。
確か、1970年前後には、両店の売り場拡張合戦が熾烈で、最終的には「そごう」が神戸No.1となったけど、「高級感」では、大丸だったと記憶します。

3+
そごう神戸店
くまうちちゃうわ!@葺合出身さん

さんちかから地階に入ると
生ジューススタンドと
ピロシキと
回る飴ちゃんタワーが
待ち構えてる気がする。未だに…

1+
福知山線のSL
たろからさん

1965年ころ、国鉄で大阪から神戸へ向かっていた。夜だった。
ふと気づくと、左側の線路になんだか薄暗い客車が並走していた。父が、福知山線の汽車や、と教えてくれた。
徐々に追い越していくと、先頭は蒸気機関車だった。
68年に三田の中学に入ったが、福知山線からSLはもう消えていた。

2+
元町の三越
上田太郎さん

小学生のころ三越百貨店は遊び場でした。洋館造りで異国情緒があって、屋上遊園もあり好きでしたね。三越横にできたマクドナルドが初めてのハンバーガーデビューでした。

4+

平成の初めに一度だけ行ったことがあります。まだ若かったので注文の仕方がわからず、店の奧さんが適当に選んでくれました。何を食べたかは覚えていないですが(チキンカツ?)、学生にとっては少し高かった思い出だけ残ってます。

1+

小学生の頃、鈴蘭台から、まだ旧道だった有馬街道を下ってバス遠足。
ガイドさんから「運転手さんがとても神経を使う箇所だから、街に降りるまで、皆さん静かにしていてね」と言われ、崖っぷちの狭くて急なカーブを絶妙のハンドル捌きでクリアする運転手さんを、皆で固唾を飲んで見守った。

0

震災の3~4年前、一冬だけ「かき十」さんでバイトしました。広島から来る女将さんは、暮れに生牡蠣や広島菜を持たせてくれたりと、面倒見のいい方でした。震災で全壊したのを見た時は衝撃でしたが、それで閉めたんではなかったんですね。寂しさは変わりませんが、知れて良かったですm(_ _)m

4+

日本にまだ「ドラッグストア」という形態も、概念すらもなかったころ、トアロードにあった「ドラッグストア」。
薬や化粧品の他に、雑貨やお菓子もあって、神戸の「おしゃれ」の象徴だった。
トアロードから消えた後、90年代に新神戸OPAにオープンしたが、OPAもろとも、今はもうない。

3+

何が始まるの?ー「なくなったものあるある」(通称:ないないあるある)

それは、1本の動画から始まりました。
広報戦略課での会議後、誰かがふと「ウェザーリポートって知ってる?」と言いました。
気象関係の会社かなと検索すると、「1986年神戸」という動画がヒットします。再生すると、そこに映し出されたのは、芦屋のあたりから垂水のあたりにかけて走る車の助手席から見える車窓の風景でした。おそらく一般の方が8ミリか何かで撮影したのでしょう。

それは神戸に2009年から住んでいる私には、初めて見る光景でした。当時但馬に住んでいた同僚にも、当時生まれていなかった同僚にも。やがて車は須磨の海沿いを西に、2号線を走ります。一瞬、西海岸風の白っぽい建物と駐車場が現れ、サンセットっぽい大きな看板に「WEATHER REPORT」という文字が見えました。通りすがった50代前半の同僚が「あ、ウェザーリポート。奥さんと行ってましたよ。ここに停まってる車、僕のちゃうんかな?」と笑います。

「ウェザーリポート」という飲食店が、当時の若者にとってどれくらい憧れの場所だったのか。どう神戸でデートしたのか。みんなが語りだします。それは、そのお店をまったく知らない私にも、現在垂水に住んでいる但馬出身の同僚にも、当時生まれていなかったけれど実は垂水出身の同僚にも、とてもおもしろい話でした。その日からずっと、2号線を通るたび「あ、ここにウェザーリポートがあったのね」と思い、見たことないはずの当時の若者たちが緊張しながらデートしていた息吹ようなものを想像しては、勝手に嬉しくなっています。


兵庫県では1995年に、阪神・淡路大震災が起こりました。あまりにも大きな力に、たくさんのものや場所が、この震災をきっかけになくなっています。他にも、時代の流れや、個人の営みのなかで、ものや場所は、変わり続けていきます。

だけれども、思い出は、変わりません。その場所が与えてくれた喜びは、たくさんのひとの胸の中にあります。「ふるさと」は、私たちそれぞれの、小さくて具体的なエピソードの集まり。だとしたら、そのような思い出が集まり、次の世代へと受け継ぐ場をつくるのは、兵庫県という「みんなのふるさと」の役割ではないか。そう、私たちは考えました。


これは、なくなったものや場所を、みんなの記憶で伝えていくプロジェクトです。この先、わたしたちにいろんなことがあっても、ずっと。

兵庫県広報官 湯川カナ