県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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なくなったものあるあるとは?

なくなったものあるある、新着エピソード

大井の肉うどん(そごう地下)
Qちゃん(・o・)vさん

今ではカウンターだけのお弁当のイートインになってしまいましたが、神戸そごう時代にはもう少し大きな大井肉店の飲食部門があって、そこの肉うどんがめっちゃ好きでした
藤井棋聖の肉うどん見てふと思い出しました

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明石市立水族館が人生初水族館やった。国道28号を挟んで明石市役所の北側に、港の海底をさらった土を盛った丘があって、その上にひっそり建ってた。祖父が天文町に住んどったんで、幼児の頃によく連れてってもろたわ。須磨とは違ごてこじんまりして、気安い所やった。昭和47年に廃館したそうな。

1+

引退後に商船大学に保存されてて、合宿施設になってた。子供の頃、船員気分でキャビンに泊まるのが楽しかった。マスト等は撤去されて錆だらけやったけど、現役時代はさぞ優雅やったやろな。横浜や富山とかみたいに、引退した帆船を港町のランドマークとして誘致するの、神戸も見倣うべきと思う。

3+

山陽電車の兵庫ー長田間が路面軌道だったころ、今の「長田」交差点のところで、市電の軌道と平面交差していました。
ときおり、市電がここで立ち往生することがあったそうで、乗客が電車を押して移動させていたとか。

1+

新幹線の新神戸駅は、地下鉄が開通する1987年まで「陸の孤島」でした。
三宮からバスかタクシーで行くしか交通手段はなくて、とても不便だった。
新幹線も、この駅には停まらず通過する列車が多かったので、たいてい新大阪から乗っていたように記憶します。

3+
国鉄 JR
たろからさん

「シルバーの前」は、ありません…というか「新快速」自体がなかった。
新幹線の岡山開業で余った急行用の車両(オレンジと緑のやつ)を、シルバーに塗り替えて登場したのが新快速でした。
その後、戦前の「急電」に倣った「ベージュと茶色」になりました。

2+
国鉄 JR
たろからさん

ちなみに、オレンジと緑は、元々は東京から横浜を経て小田原や熱海へ行く「湘南電車」の塗色で、沿線の海とミカンからのイメージ。
京阪神圏も、同じ東海道線の延長だから、同じ電車と塗色が採用されたんでしょうね。

2+
国鉄 JR
海を渡る握手さん

新快速の車体は白地に青の車体の前はクリーム色に茶色の線が入ったデザインでした。

2+

そう言えば。かのエルメスは洋食器も売ってるんか!と知ったのは、他ならぬ「ジャン・ムーラン」でした。極楽鳥の豪華な食器のセットで頂いたコース。。。あんな優雅なディナーは後にも先にもない、気がする。

2+
阪急今津駅と阪神今津駅
ふるさとを遠くに在りて思う者さん

確かホームが一体化してて、金網のフェンスで仕切ってあるだけでした。
たまに乗る阪急側から常用の阪神側を見た時の特別感が好きでした。
写真の一枚も撮っておかなかったのがすごく残念。
ネットで探しても、私の頭の中のイメージに合致するアングルの写真って見つからないんですよね。

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何が始まるの?ー「なくなったものあるある」(通称:ないないあるある)

それは、1本の動画から始まりました。
広報戦略課での会議後、誰かがふと「ウェザーリポートって知ってる?」と言いました。
気象関係の会社かなと検索すると、「1986年神戸」という動画がヒットします。再生すると、そこに映し出されたのは、芦屋のあたりから垂水のあたりにかけて走る車の助手席から見える車窓の風景でした。おそらく一般の方が8ミリか何かで撮影したのでしょう。

それは神戸に2009年から住んでいる私には、初めて見る光景でした。当時但馬に住んでいた同僚にも、当時生まれていなかった同僚にも。やがて車は須磨の海沿いを西に、2号線を走ります。一瞬、西海岸風の白っぽい建物と駐車場が現れ、サンセットっぽい大きな看板に「WEATHER REPORT」という文字が見えました。通りすがった50代前半の同僚が「あ、ウェザーリポート。奥さんと行ってましたよ。ここに停まってる車、僕のちゃうんかな?」と笑います。

「ウェザーリポート」という飲食店が、当時の若者にとってどれくらい憧れの場所だったのか。どう神戸でデートしたのか。みんなが語りだします。それは、そのお店をまったく知らない私にも、現在垂水に住んでいる但馬出身の同僚にも、当時生まれていなかったけれど実は垂水出身の同僚にも、とてもおもしろい話でした。その日からずっと、2号線を通るたび「あ、ここにウェザーリポートがあったのね」と思い、見たことないはずの当時の若者たちが緊張しながらデートしていた息吹ようなものを想像しては、勝手に嬉しくなっています。


兵庫県では1995年に、阪神・淡路大震災が起こりました。あまりにも大きな力に、たくさんのものや場所が、この震災をきっかけになくなっています。他にも、時代の流れや、個人の営みのなかで、ものや場所は、変わり続けていきます。

だけれども、思い出は、変わりません。その場所が与えてくれた喜びは、たくさんのひとの胸の中にあります。「ふるさと」は、私たちそれぞれの、小さくて具体的なエピソードの集まり。だとしたら、そのような思い出が集まり、次の世代へと受け継ぐ場をつくるのは、兵庫県という「みんなのふるさと」の役割ではないか。そう、私たちは考えました。


これは、なくなったものや場所を、みんなの記憶で伝えていくプロジェクトです。この先、わたしたちにいろんなことがあっても、ずっと。

兵庫県広報官 湯川カナ