県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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なくなったものあるあるとは?

【ないある探検隊#3】ハチ北のマクドなるほド編

#ないないあるあるの投稿の中から特に気になるネタを取材する「ないある探検隊」。
今回は「ハチ北のマクドなるほド」に迫ります。
詳細はこちら>>>

【ないある探検隊#2】三宮のサソリと富士山・完結編!!!

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョンの完結編!!!
三宮駅近くにあったとされる【巨大な富士山の看板】と【サソリの看板】。。。
ついにその全貌が明かされる!!そして、想像もしなかった意外な事実も!!!

【ないある探検隊#1】三宮のサソリと富士山

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョン!兵庫県広報官をインタビュアーに、数ある投稿の中から特に気になるネタを徹底取材!

※動画内の効果音(フィルム)・・・OtoLogic提供
※写真提供・・・石津事務所

なくなったものあるある、新着エピソード

たしか、西宮駅から、東口に各駅停車が止まってるのが見えたはず。「あぁ、あの電車来るわ~」って感じで。

1+
アイランド・カフェ
たろからさん

1980年代、ポーアイのワールド本社ビル1階にあったカフェレストラン。
当時東京住まいで、月一出張での宿泊先がポートピアホテル。
ふと目について入ってみると、ガラス張りの店内はめちゃ広くて、デートの男女で溢れかえってた。
東京よりも「遥かにオシャレやなあ…」と呆気にとられました。

2+
大道学園
あへりんさん

80年代には大道学園、YMCA予備校、神戸予備校、コロンビア予備校などがありましたね。まだ駿台や河合塾、代ゼミ(既に撤退)が神戸に参入するずっと前の時代です。懐かしいです。

6+
三田スケート
あへりんさん

三田スケートは平成2年に閉鎖されました。
屋外スケートリンクで氷の質が抜群に良かったことを
憶えています。当時は関西圏にもまだたくさんの
スケートリンクがありましたね。懐かしいです。

6+
国鉄有馬線
あへりんさん

神鉄二郎駅近くのパンプキンの裏に鉄橋の跡がありますよ。
道場町日下部には国鉄有馬線の新道場駅があって、往時には道場商店街が栄えたそうです。今ではほとんどのお店が廃業して住宅街になり商店街の面影はありません。

5+
国鉄湊川駅
たろからさん

1960年代の地図には、「湊川駅」との表記が確認できます。
線路は、貨物駅からさらに川崎重工の工場内まで延びています。
神戸電鉄の終点は「みなとがわ」駅で、神戸駅とは市電で連絡されています。
現在の神大病院も、このころはまだ県立の「医大病院」となってますね。

3+

1960年代に加古川に移転して「播磨学園」となるまで、現在の神鉄の車庫の場所にあって、電車からいつも見えていました。
ずっと子供のころには、「悪いことしよったら、鈴蘭台のカンベッショへ入れられるで!」というのが、怒られるときの定番フレーズでした。

2+
「ウヰルキンソンタンサン」の工場
トミーのおっちゃんさん

あそこの前あたりは、渋滞の名所やったですね。
(今でもそうかもしれんけど…)
イナロク(国道176号線)と、蓬莱峡からの道と、西谷からの十万道路が合流して、しかも道幅が狭かった!
たいがい歌劇場前交差点が渋滞の先頭で、お尻がウィルキンソンあたりでした。

4+
三宮ブックス
たろからさん

三宮ブックスの村田社長は、今年亡くなられましたが、生前には、長く県の書店組合理事長を務められ、県下の書店の震災復興などに力を尽くされました。
高架下にお店があったころには、「ナニワ金融道」の漫画家・青木雄二さんもこの書店を贔屓にして、新神戸の自宅から歩いて通っていたそうです。

3+

父に連れられて映画を見に行った思い出。ブルースリーの映画だった。スケート場もあったのかな?その当時としては何か複雑な構造で斬新な建物だったと思います。今、その当時のまま残っていたらどんなに良かっただろう。神戸は古い建物をあまり残さないのが残念ですね。

2+

何が始まるの?ー「なくなったものあるある」(通称:ないないあるある)

それは、1本の動画から始まりました。
広報戦略課での会議後、誰かがふと「ウェザーリポートって知ってる?」と言いました。
気象関係の会社かなと検索すると、「1986年神戸」という動画がヒットします。再生すると、そこに映し出されたのは、芦屋のあたりから垂水のあたりにかけて走る車の助手席から見える車窓の風景でした。おそらく一般の方が8ミリか何かで撮影したのでしょう。

それは神戸に2009年から住んでいる私には、初めて見る光景でした。当時但馬に住んでいた同僚にも、当時生まれていなかった同僚にも。やがて車は須磨の海沿いを西に、2号線を走ります。一瞬、西海岸風の白っぽい建物と駐車場が現れ、サンセットっぽい大きな看板に「WEATHER REPORT」という文字が見えました。通りすがった50代前半の同僚が「あ、ウェザーリポート。奥さんと行ってましたよ。ここに停まってる車、僕のちゃうんかな?」と笑います。

「ウェザーリポート」という飲食店が、当時の若者にとってどれくらい憧れの場所だったのか。どう神戸でデートしたのか。みんなが語りだします。それは、そのお店をまったく知らない私にも、現在垂水に住んでいる但馬出身の同僚にも、当時生まれていなかったけれど実は垂水出身の同僚にも、とてもおもしろい話でした。その日からずっと、2号線を通るたび「あ、ここにウェザーリポートがあったのね」と思い、見たことないはずの当時の若者たちが緊張しながらデートしていた息吹ようなものを想像しては、勝手に嬉しくなっています。


兵庫県では1995年に、阪神・淡路大震災が起こりました。あまりにも大きな力に、たくさんのものや場所が、この震災をきっかけになくなっています。他にも、時代の流れや、個人の営みのなかで、ものや場所は、変わり続けていきます。

だけれども、思い出は、変わりません。その場所が与えてくれた喜びは、たくさんのひとの胸の中にあります。「ふるさと」は、私たちそれぞれの、小さくて具体的なエピソードの集まり。だとしたら、そのような思い出が集まり、次の世代へと受け継ぐ場をつくるのは、兵庫県という「みんなのふるさと」の役割ではないか。そう、私たちは考えました。


これは、なくなったものや場所を、みんなの記憶で伝えていくプロジェクトです。この先、わたしたちにいろんなことがあっても、ずっと。

兵庫県広報官 湯川カナ