県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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なくなったものあるあるとは?

【ないある探検隊#3】ハチ北のマクドなるほド編

#ないないあるあるの投稿の中から特に気になるネタを取材する「ないある探検隊」。
今回は「ハチ北のマクドなるほド」に迫ります。
詳細はこちら>>>

【ないある探検隊#2】三宮のサソリと富士山・完結編!!!

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョンの完結編!!!
三宮駅近くにあったとされる【巨大な富士山の看板】と【サソリの看板】。。。
ついにその全貌が明かされる!!そして、想像もしなかった意外な事実も!!!

【ないある探検隊#1】三宮のサソリと富士山

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョン!兵庫県広報官をインタビュアーに、数ある投稿の中から特に気になるネタを徹底取材!

※動画内の効果音(フィルム)・・・OtoLogic提供
※写真提供・・・石津事務所

なくなったものあるある、新着エピソード

東急ハンズ三宮店
ベー中さん

初めてハンズに行ったときの感動は忘れられない。
あのワクワクする空間、物欲が刺激されるモノたち、それらを具現化する世界観・・・
なのに最近はあまり行かなくなっていました(涙)

5+

プレイバッハはオープン当初はレストランbarだったと父から聞きました。
当時の著名人、芸能人等が多くパティーをしていたらしい。
その後フレンチレストランが2店舗ほど代わって今も3店舗目のフレンチレストランです(笑)

1+

ドライブインシアター、スターダストだったかなぁ?大阪南港、千里にもあった!

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トーテムポール
たろからさん

神戸市役所前の花時計横にあった、かつてのランドマーク。
1965年頃の遠足写真引っ張り出して見ると、記憶以上に大きい。
姉妹都市締結時にシアトル市から贈られたそうで、何年か前、老朽化のため撤去された後、現在は森林植物園内「シアトルの森」に横たえられ、「土に還す」途中だそうです。

3+
国鉄尼崎港線
Fernwehさん

尼崎の次が金楽寺、そしてその次が尼崎港。

金楽寺は単線横にホームがあって駅名標が立っているだけの停留所。終点尼崎港はちゃんと駅舎があって貨物用に何本も線路がある立派な駅でした。ただ切符は窓口の駅員さんの手書き。もちろん線路が続く限り日本全国どこまででも切符が買えました。

1+
国鉄尼崎港線
Fernwehさん

尼崎港線は尼崎港と川西池田の間で確か1日2往復機関車牽引の客車列車が走っていたはずです(当時運行頻度が最低だったのは清水港線の1往復/日)。廃止する頃にはこれが塚口~尼崎港に短縮になっていたと記憶します。その頃には尼崎港の駅舎もプレハブに変わっていました。

1+
パルナス製菓
Fernwehさん

長年阪神尼崎駅でがんばっていたモンパルナス、コロナの影響で3月末で閉店だそうです。でも5月から豊中の庄内で復活とか。自分は阪神沿線なので遠くなりますが、まだピロシキは食べることができそうで、ホっとしました。

2+
ナイル書店
ぴぃさん

滝野社インターと言えば、ナイル書店のラクダでした。いまその場所はフレッシュバザールに変わっているけれど、ナイル書店というレストラン併設?の書店だったように記憶しています。ただ、実際に行ったことない、笑。それでもランドマークとして記憶に残っていますね。

2+
関西汽船と加藤汽船
たろからさん

1960年代の年末、松山へ家族旅行。
2等しか切符が手に入らず、神戸からでは席が確保できないと、始発の弁天埠頭から神戸・松山経由の別府行きの夜便に。
港の待合室には人が溢れかえっていて、乗船が始まると、船底の2等船室はたちまち満員に。
あぶれた人は、廊下に寝てました。さらに…

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関西汽船と加藤汽船
たろからさん

年末の関西汽船別府航路、船室に入りきらなかった人は、食堂や、トイレにまで毛布を敷いて横たわり、甲板には風よけのシートが張ってあって、そこにも人が寝てました。
阿久悠・原作の映画『瀬戸内ムーンライトセレナーデ』に、終戦直後の別府航路が描かれてますが、60年代でも、まさにあんな感じ

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何が始まるの?ー「なくなったものあるある」(通称:ないないあるある)

それは、1本の動画から始まりました。
広報戦略課での会議後、誰かがふと「ウェザーリポートって知ってる?」と言いました。
気象関係の会社かなと検索すると、「1986年神戸」という動画がヒットします。再生すると、そこに映し出されたのは、芦屋のあたりから垂水のあたりにかけて走る車の助手席から見える車窓の風景でした。おそらく一般の方が8ミリか何かで撮影したのでしょう。

それは神戸に2009年から住んでいる私には、初めて見る光景でした。当時但馬に住んでいた同僚にも、当時生まれていなかった同僚にも。やがて車は須磨の海沿いを西に、2号線を走ります。一瞬、西海岸風の白っぽい建物と駐車場が現れ、サンセットっぽい大きな看板に「WEATHER REPORT」という文字が見えました。通りすがった50代前半の同僚が「あ、ウェザーリポート。奥さんと行ってましたよ。ここに停まってる車、僕のちゃうんかな?」と笑います。

「ウェザーリポート」という飲食店が、当時の若者にとってどれくらい憧れの場所だったのか。どう神戸でデートしたのか。みんなが語りだします。それは、そのお店をまったく知らない私にも、現在垂水に住んでいる但馬出身の同僚にも、当時生まれていなかったけれど実は垂水出身の同僚にも、とてもおもしろい話でした。その日からずっと、2号線を通るたび「あ、ここにウェザーリポートがあったのね」と思い、見たことないはずの当時の若者たちが緊張しながらデートしていた息吹ようなものを想像しては、勝手に嬉しくなっています。


兵庫県では1995年に、阪神・淡路大震災が起こりました。あまりにも大きな力に、たくさんのものや場所が、この震災をきっかけになくなっています。他にも、時代の流れや、個人の営みのなかで、ものや場所は、変わり続けていきます。

だけれども、思い出は、変わりません。その場所が与えてくれた喜びは、たくさんのひとの胸の中にあります。「ふるさと」は、私たちそれぞれの、小さくて具体的なエピソードの集まり。だとしたら、そのような思い出が集まり、次の世代へと受け継ぐ場をつくるのは、兵庫県という「みんなのふるさと」の役割ではないか。そう、私たちは考えました。


これは、なくなったものや場所を、みんなの記憶で伝えていくプロジェクトです。この先、わたしたちにいろんなことがあっても、ずっと。

兵庫県広報官 湯川カナ