県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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なくなったものあるあるとは?

【ないある探検隊#3】ハチ北のマクドなるほド編

#ないないあるあるの投稿の中から特に気になるネタを取材する「ないある探検隊」。
今回は「ハチ北のマクドなるほド」に迫ります。
詳細はこちら>>>

【ないある探検隊#2】三宮のサソリと富士山・完結編!!!

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョンの完結編!!!
三宮駅近くにあったとされる【巨大な富士山の看板】と【サソリの看板】。。。
ついにその全貌が明かされる!!そして、想像もしなかった意外な事実も!!!

【ないある探検隊#1】三宮のサソリと富士山

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョン!兵庫県広報官をインタビュアーに、数ある投稿の中から特に気になるネタを徹底取材!

※動画内の効果音(フィルム)・・・OtoLogic提供
※写真提供・・・石津事務所

なくなったものあるある、新着エピソード

同じ大学の友人が、何年かアルバイトしていました。彼はバンドもやっていて、POLOでは、チーフバイトのような存在。好きなレコードをずっとかけていましたね。私はPOLOでモーニングしてから、すぐ近くの会社に出勤したりしていました。もう40年以上も前のことです。

ビッグ映劇
ひろぶーさん

なつかしいですね。中学生くらいから3本立てなどの映画をよく見に行ってました。往年の名作など。帰りに国際会館前のマクドで食べてました。

模型のつばめや
おぐら せいじさん

阪神西宮のジャスコの最上階にもありましたが、大震災で、ジャスコの閉店と共になくなりました。

50年前 神戸元町商店街をブラブラ 震災後閉店した 神戸三越の手前 元町5丁目にサトーブラザーズが有りましたね。40インチのオーバーオールが看板の如く 商店街の南側 コッヘルと水筒を購入。間口が広く 手作りのお店と言う雰囲気。今流行の古着屋さんとは違うんですね。

ビッグ映劇
じょんさん

高校のころ、土曜日の午前授業後に連れといっしょに学校から直行してました。
キューブリックの2001年宇宙の旅はインターミッションが入るほど長かった。連れは”何がおもろいねん!”と言いだして”俺の時間を返せ”と怒ってました。芸術とは、何かがわからん奴ちゃな。と僕はおもってました。

パルナス製菓
じょんさん

甘いお菓子のー。お国ーの便り。
おとぎーの国の。ローシアのー。
夢の王子が。運んでくれた―。
パルナス。パルナス。モスクワーの味。
パルナス。パルナス。パルナース。(ピロピロピロピローリー)。
この後で、仮面の忍者赤影のオープニングテーマソングが流れて、赤影の時間やった?

珈琲一杯だけで、贅沢な空間に浸れるお店でした。高級車が停まる駐車場に軽自動車で何度も行きました。駐車場の警備員さんもいました。とにかく豪華なお店でした。芦屋の仏蘭西と入力して検索してもヒットしないのは不思議です。

40数年前、サンプラザの最上階にあったバックステージ。コンクリート打ちっぱなしの壁だったか、たばこの煙る暗くて広いジャズの流れる店。外国の本物に触れた感覚、インターネット普及のはるか前、情報の少ない時代でした。ここでくれるマッチ(箱)がなんともかっこよかった。

懐かしい!三宮で働いてた頃よく行きました。センタープラザ地下のお店、当時珍しいあんかけチャーハンがありましたね。「福建チャーハン」だったと思います。ちょっとおたかい。チャーハンとあんかけ焼きそばを四角いパッケージで持って帰りましたね。

昔よくクイズになってましたね。
なぞなぞです。
大阪から東京まで、在来線で行くと、最初に富士山が見えるのはなに駅でしょうか?
答えは、三ノ宮。
新聞会館の壁の富士山でした。

何が始まるの?ー「なくなったものあるある」(通称:ないないあるある)

それは、1本の動画から始まりました。
広報戦略課での会議後、誰かがふと「ウェザーリポートって知ってる?」と言いました。
気象関係の会社かなと検索すると、「1986年神戸」という動画がヒットします。再生すると、そこに映し出されたのは、芦屋のあたりから垂水のあたりにかけて走る車の助手席から見える車窓の風景でした。おそらく一般の方が8ミリか何かで撮影したのでしょう。

それは神戸に2009年から住んでいる私には、初めて見る光景でした。当時但馬に住んでいた同僚にも、当時生まれていなかった同僚にも。やがて車は須磨の海沿いを西に、2号線を走ります。一瞬、西海岸風の白っぽい建物と駐車場が現れ、サンセットっぽい大きな看板に「WEATHER REPORT」という文字が見えました。通りすがった50代前半の同僚が「あ、ウェザーリポート。奥さんと行ってましたよ。ここに停まってる車、僕のちゃうんかな?」と笑います。

「ウェザーリポート」という飲食店が、当時の若者にとってどれくらい憧れの場所だったのか。どう神戸でデートしたのか。みんなが語りだします。それは、そのお店をまったく知らない私にも、現在垂水に住んでいる但馬出身の同僚にも、当時生まれていなかったけれど実は垂水出身の同僚にも、とてもおもしろい話でした。その日からずっと、2号線を通るたび「あ、ここにウェザーリポートがあったのね」と思い、見たことないはずの当時の若者たちが緊張しながらデートしていた息吹ようなものを想像しては、勝手に嬉しくなっています。


兵庫県では1995年に、阪神・淡路大震災が起こりました。あまりにも大きな力に、たくさんのものや場所が、この震災をきっかけになくなっています。他にも、時代の流れや、個人の営みのなかで、ものや場所は、変わり続けていきます。

だけれども、思い出は、変わりません。その場所が与えてくれた喜びは、たくさんのひとの胸の中にあります。「ふるさと」は、私たちそれぞれの、小さくて具体的なエピソードの集まり。だとしたら、そのような思い出が集まり、次の世代へと受け継ぐ場をつくるのは、兵庫県という「みんなのふるさと」の役割ではないか。そう、私たちは考えました。


これは、なくなったものや場所を、みんなの記憶で伝えていくプロジェクトです。この先、わたしたちにいろんなことがあっても、ずっと。

兵庫県広報官 湯川カナ