私がこの店に出会ったのは、高校生(昭和40年代中頃)の時で、あまりのうさん臭さとインパクトの強さに近づくことすらできず、横目でチラッと見ながら足早に通り過ぎるだけでした。お客さんも店主もほとんど見かけず、何を扱っているのか分からず「ただただ怖かった」印象しかありません。
店主が死んで店じまいに 横浜から妹さんが来て店じまいをしていた。 ここでは体育会航空部の合宿用のジャンパーを10個ほど購入した。それを同期のクラブ員10名様に調達。パイロット用の飛行服も売っていたが大きすぎて使えなかった。 毒マスクのような怪しげなものも販売していた。
40年以上前になりますね、なんとなく通りがかって見つけて入った時の感動は忘れられません。 その頃は情報がポパイやホットドックプレスぐらいしか無く、田舎から出て来て買い物をする時間は貴重でしたから。放出品を探して神戸のガード下を何度訪れた事やら。その頃買った物は今でも大切にしている
1974年ころ、ここで買ったオリーブグリーンのショルダーバッグは、ストラップの位置を変えるとリュックにもできて重宝した。 10年以上は使ってました。 アーミージャケットとオイルライターも、ここで買ったっけ。
中学校の帰りに よく寄ってました。薄暗い店内に うず高く積まれた雑多なモノたち、奥にいた 愛想がいいのか悪いのかわからない店のおじさん… キャップ(ガロン帽?)などの安価なものしか買えなかったけど 今でも時々鮮明に思い出します···
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話題のないないあるある
元町通り5丁目にあった 米軍払い下げ品の「サトーブラザース」のエピソードを投稿する