地方に出かけ、地元の人に「どこから来たの」との答えに、伊丹市からと答えてもピンとこない人かいるので、伊丹(大阪国際)空港のあるところと言うと、やっとわかってくれる。
「兵庫大仏」よりもっとマイナーなのが、「鵯越大仏」だ。
北区山田町の鵯越墓苑にある。
最寄り駅は神鉄鵯越駅。注意して見てると、電車からも「ちらっ」と見えます。
神戸には、実は大仏がふたつあるのです。
鵯越大仏、昔、子供のころには大仏の掌や体に登って遊んだのですが、今もできるかな?
毎年12月に甲子園球場では「タイガースカップ」が開催される。
中学生の硬式野球関西No.1を競う大会だ。
これを経験してから、高校野球で再び甲子園に帰って来る選手も多い。
11月には、高校野球OBによる「マスターズ甲子園」も開催されている。
西宮の小学校、中学の体育祭も、甲子園球場で開催される。
高校野球とプロ野球以外でも、甲子園球場はフル活用されていて、まさしく西宮及び阪神地区のランドマークなのだ。
「甲子園」と「宝塚」の所在地を、ともに「東京だ」と思い込んでいた人を、二人知っている。
一人は北海道、もう一人は秋田県出身だった。
関東より遠方には、テレビの全国ネットで映る場所は、すべて「東京だ」というスリコミがある…というか、「東京より向こう」の世界は、認識できない…のかな?
そう言えば、子供のころの自分も、東京が「日本の端っこ」と認識していて、それより向こうは想像できなかった。
またぞろ昔ネタ。
姫路駅の「えきそば」、かつては列車が着くごとに、当時の駅弁同様、肩から箱を提げたおじさんが立ち売りしていた。
窓から身を乗り出して「おーい」と呼ぶと、予め丼に入れた茹で麺と天ぷらの上からポットの出汁をかけて、窓越しに渡してくれるのだった。
岡山からの帰途にこれを買って、急行列車の車内で食ったことがあるのは、実はひそかな自慢。
立ち売りが無くなった後も、「えきそば」の丼がペラペラのプラスティックだったのは、使い捨てだったこの時代の名残りだ。
大晦日は除夜の鐘?
いいえ除夜の汽笛!
神戸市民でも知る人は少ない、兵庫大仏・・・
記念館があるから、宝塚市生まれだと思われがちな手塚治虫。
実は大阪生まれ。
しかし、育ちは宝塚で、宝塚歌劇等の宝塚の風景が後の作品に影響を与えたので、宝塚にこそ記念館があるべきである。
鳥取県境港市が、「ゲゲゲの鬼太郎のふるさと」と言われるのに少し抵抗がある。
水木しげるのペンネームは、神戸市兵庫区水木通にあったアパート・水木荘に住んでいた事に由来し、そこで鬼太郎の原型となる話も描かれたというのに・・・
しかし、水木しげるが妖怪に興味を持ったのが、境港に住んでいた時代であるだけに、強く反論出来ない・・・
神戸人あるある
三田までは JRより市営地下鉄山手線の方が早い
ここを見て初めて、子どもの頃使っていたノートが神戸ノートと言われていて、神戸でしか使われていないと知った……マジかー
先日、「ポートタワー」を「神戸タワー」と紹介するサイトがあって愕然とした。
「神戸タワー」は今は取り壊されてもうないが、、大正時代から昭和40年代まで、新開地にあったコンクリート造りの塔で、当時は「モダン神戸」の象徴だった。
自分は1956年生れだが、我々の世代が、「東の浅草、西の新開地」を、実体験として知っている、最後の世代だと思う。
元町・三宮は、買い物に行く街、新開地は、映画を見たり芝居を見たり、うまいものを食べたり(人によっては「H」方面も)、と遊びに行く街、という棲み分けがあった。
50年前の新開地本通りは、ことに年末ともなれば、人でごった返して身動きもとれなかった…のを、想像できるかな?
播磨人は、「神姫バス」を、もっとリスペクトしてあげても、いいと思う。
夜、東京駅から新幹線で新神戸や西明石まで移動するときに目にする光景:新大阪駅でほとんどの乗客が降りてしまい、貸切車両のようになってしまう。
兵庫五国連邦のロゴの地図は、播磨の領土を摂津に侵犯されている。このような地図の間違いが影響しているのか、摂津人は西区や垂水区を摂津の範囲だと勘違いしている人が多い。
そもそも兵庫県民意識が絶望的に欠如している件 ?
電車に乗ると元町より西は非常に遠く感じる。
“阪神間”で括られると大阪も入ってしまう気がして実はやめてほしい。
名のあるスイーツ店も良いけど、神戸人にはそれぞれご贔屓の知られざるスイーツ店がひとつはある。「どこのお店?」と聞かれることが喜び。
但馬地域内および但馬と大阪・神戸を結ぶ重要な交通網を担う全但バス。そのサイトにある路線図や時刻表には兵庫県庁前(神戸市中央区)のことを「神戸県庁前」と表示…。
神戸市の東端にある
マンションでは
最寄り駅は芦屋と謳う。
芦屋市で阪神沿線に近い
マンションでも
最寄り駅は芦屋川と謳う。
他の地方から知り合いが来るとき…
①駅名が紛らわしいので大阪駅周辺にする。
②人多い、待ち合わせ場所分かりにくいので、駅から少し離れた場所に待合せる。
③大阪駅周辺の構造が複雑すぎて知り合いが迷う。…etc
《結論》
初回の待ち合わせでうまくいった試しがない。
神戸生まれの神戸育ちの私、お隣播州姫路へお嫁に行き、初銭湯に行ったときのこと…。
脱衣場からいざお風呂へと入ったら
何かしらの違和感…
シャワーに浴槽……。あ~!!!
体や頭を洗う専用の湯船ない!!!
そぅ…長細い湯船があるのは神戸だけなんです(T_T)
軽いカルチャーショックの洗礼を受けましたw。
海苔の時期になると須磨海岸が海苔臭くなる
物心ついた場所は住吉。幼少期、母に連れられて灘神戸生協に通った私。
転勤で地元に戻り、コープさんの組合員になった時「私も一人前になったなあ」と感慨深かった。
新神戸駅の匂い…
山(葉っぱ)の匂い
水(駅直下の水遊び場)の匂い
駅前時計台ねきの
噴水のちょっとヘンな水の匂い
昔はさらにカレーの匂い
何もかも皆懐かしい…
神戸市西区を「西神戸」と言う人がいるが、あそこは「西神」であって、西神戸ではない。
西神戸は、兵庫区、長田区、須磨区、垂水区で、対して東神戸は、中央区、灘区、東灘区を指す。
北区は、「北神」だ。
西区、北区は、未だに「準神戸」扱いなのだった。
モロゾフのプリンの空き瓶は花瓶として使うのが当たり前。
三田市に「有馬高校」や「有馬富士」があるのを、不思議がる人がたまにいます。
三田が、元は「有馬郡三田町」だったからです。
ちなみに、三田の隣の神戸市北区は、旧有馬郡、旧武庫郡、旧美囊郡から構成されています。
「♪ぼくの町の阪神電車」
地方に出かけ、地元の人に「どこから来たの」との答えに、伊丹市からと答えてもピンとこない人かいるので、伊丹(大阪国際)空港のあるところと言うと、やっとわかってくれる。
「兵庫大仏」よりもっとマイナーなのが、「鵯越大仏」だ。
北区山田町の鵯越墓苑にある。
最寄り駅は神鉄鵯越駅。注意して見てると、電車からも「ちらっ」と見えます。
神戸には、実は大仏がふたつあるのです。
鵯越大仏、昔、子供のころには大仏の掌や体に登って遊んだのですが、今もできるかな?
毎年12月に甲子園球場では「タイガースカップ」が開催される。
中学生の硬式野球関西No.1を競う大会だ。
これを経験してから、高校野球で再び甲子園に帰って来る選手も多い。
11月には、高校野球OBによる「マスターズ甲子園」も開催されている。
西宮の小学校、中学の体育祭も、甲子園球場で開催される。
高校野球とプロ野球以外でも、甲子園球場はフル活用されていて、まさしく西宮及び阪神地区のランドマークなのだ。
「甲子園」と「宝塚」の所在地を、ともに「東京だ」と思い込んでいた人を、二人知っている。
一人は北海道、もう一人は秋田県出身だった。
関東より遠方には、テレビの全国ネットで映る場所は、すべて「東京だ」というスリコミがある…というか、「東京より向こう」の世界は、認識できない…のかな?
そう言えば、子供のころの自分も、東京が「日本の端っこ」と認識していて、それより向こうは想像できなかった。
またぞろ昔ネタ。
姫路駅の「えきそば」、かつては列車が着くごとに、当時の駅弁同様、肩から箱を提げたおじさんが立ち売りしていた。
窓から身を乗り出して「おーい」と呼ぶと、予め丼に入れた茹で麺と天ぷらの上からポットの出汁をかけて、窓越しに渡してくれるのだった。
岡山からの帰途にこれを買って、急行列車の車内で食ったことがあるのは、実はひそかな自慢。
立ち売りが無くなった後も、「えきそば」の丼がペラペラのプラスティックだったのは、使い捨てだったこの時代の名残りだ。
大晦日は除夜の鐘?
いいえ除夜の汽笛!
神戸市民でも知る人は少ない、兵庫大仏・・・
記念館があるから、宝塚市生まれだと思われがちな手塚治虫。
実は大阪生まれ。
しかし、育ちは宝塚で、宝塚歌劇等の宝塚の風景が後の作品に影響を与えたので、宝塚にこそ記念館があるべきである。
鳥取県境港市が、「ゲゲゲの鬼太郎のふるさと」と言われるのに少し抵抗がある。
水木しげるのペンネームは、神戸市兵庫区水木通にあったアパート・水木荘に住んでいた事に由来し、そこで鬼太郎の原型となる話も描かれたというのに・・・
しかし、水木しげるが妖怪に興味を持ったのが、境港に住んでいた時代であるだけに、強く反論出来ない・・・
神戸人あるある
三田までは JRより市営地下鉄山手線の方が早い
ここを見て初めて、子どもの頃使っていたノートが神戸ノートと言われていて、神戸でしか使われていないと知った……マジかー
先日、「ポートタワー」を「神戸タワー」と紹介するサイトがあって愕然とした。
「神戸タワー」は今は取り壊されてもうないが、、大正時代から昭和40年代まで、新開地にあったコンクリート造りの塔で、当時は「モダン神戸」の象徴だった。
自分は1956年生れだが、我々の世代が、「東の浅草、西の新開地」を、実体験として知っている、最後の世代だと思う。
元町・三宮は、買い物に行く街、新開地は、映画を見たり芝居を見たり、うまいものを食べたり(人によっては「H」方面も)、と遊びに行く街、という棲み分けがあった。
50年前の新開地本通りは、ことに年末ともなれば、人でごった返して身動きもとれなかった…のを、想像できるかな?
播磨人は、「神姫バス」を、もっとリスペクトしてあげても、いいと思う。
夜、東京駅から新幹線で新神戸や西明石まで移動するときに目にする光景:新大阪駅でほとんどの乗客が降りてしまい、貸切車両のようになってしまう。
兵庫五国連邦のロゴの地図は、播磨の領土を摂津に侵犯されている。このような地図の間違いが影響しているのか、摂津人は西区や垂水区を摂津の範囲だと勘違いしている人が多い。
そもそも兵庫県民意識が絶望的に欠如している件 ?
電車に乗ると元町より西は非常に遠く感じる。
“阪神間”で括られると大阪も入ってしまう気がして実はやめてほしい。
名のあるスイーツ店も良いけど、神戸人にはそれぞれご贔屓の知られざるスイーツ店がひとつはある。「どこのお店?」と聞かれることが喜び。
但馬地域内および但馬と大阪・神戸を結ぶ重要な交通網を担う全但バス。そのサイトにある路線図や時刻表には兵庫県庁前(神戸市中央区)のことを「神戸県庁前」と表示…。
神戸市の東端にある
マンションでは
最寄り駅は芦屋と謳う。
芦屋市で阪神沿線に近い
マンションでも
最寄り駅は芦屋川と謳う。
他の地方から知り合いが来るとき…
①駅名が紛らわしいので大阪駅周辺にする。
②人多い、待ち合わせ場所分かりにくいので、駅から少し離れた場所に待合せる。
③大阪駅周辺の構造が複雑すぎて知り合いが迷う。…etc
《結論》
初回の待ち合わせでうまくいった試しがない。
神戸生まれの神戸育ちの私、お隣播州姫路へお嫁に行き、初銭湯に行ったときのこと…。
脱衣場からいざお風呂へと入ったら
何かしらの違和感…
シャワーに浴槽……。あ~!!!
体や頭を洗う専用の湯船ない!!!
そぅ…長細い湯船があるのは神戸だけなんです(T_T)
軽いカルチャーショックの洗礼を受けましたw。
海苔の時期になると須磨海岸が海苔臭くなる
物心ついた場所は住吉。幼少期、母に連れられて灘神戸生協に通った私。
転勤で地元に戻り、コープさんの組合員になった時「私も一人前になったなあ」と感慨深かった。
新神戸駅の匂い…
山(葉っぱ)の匂い
水(駅直下の水遊び場)の匂い
駅前時計台ねきの
噴水のちょっとヘンな水の匂い
昔はさらにカレーの匂い
何もかも皆懐かしい…
神戸市西区を「西神戸」と言う人がいるが、あそこは「西神」であって、西神戸ではない。
西神戸は、兵庫区、長田区、須磨区、垂水区で、対して東神戸は、中央区、灘区、東灘区を指す。
北区は、「北神」だ。
西区、北区は、未だに「準神戸」扱いなのだった。
モロゾフのプリンの空き瓶は花瓶として使うのが当たり前。
三田市に「有馬高校」や「有馬富士」があるのを、不思議がる人がたまにいます。
三田が、元は「有馬郡三田町」だったからです。
ちなみに、三田の隣の神戸市北区は、旧有馬郡、旧武庫郡、旧美囊郡から構成されています。
「♪ぼくの町の阪神電車」