県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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播磨/ 但馬/ 淡路/ 丹波/ 神戸・阪神
神戸・阪神のエピソード 611
神戸・阪神 まひるさん

イノシシは友達と思っていたが、お尻を咬まれてからは赤の他人と思うようになった。

神戸・阪神 灘のトラキチさん

阪神間の海側には埋立地が多くて「第三工区」や「第四工区」などの名前がついているが、他所から来た人には区別がつきにくいらしくよく迷子になったりする。

神戸・阪神 たろからさん

現在の西区、当時の垂水区在住だった母方の爺ちゃんは、「お腹が空いた」というと、「よっしゃ」と散弾銃を持ち出し、電線に止まっている雀を「ぽんぽんぽん」と撃ち落として、羽をむしって焼いて食わせてくれた。

1960年代のことだ。

川では鰻も獲れたし、毎年秋には、爺ちゃんの山で採れる松茸ばかり、毎日のように食わされたので、松茸が大嫌いだった。

神戸・阪神 たろからさん

昭和30年代前半、北区山田町の実家には、ガスはおろか水道もなかった。

飲み水や料理には井戸水を水がめに汲み、煮炊きは「おくどさん」とカンテキ。洗濯は川でしていた。

食事は、土間の台所の横手の板の間で、テーブルではなく、家族一人ずつの前に置いた銘々膳だった。

さすがに電気は来ていたが、家にある電化製品は、電燈とアイロン、ラジオくらいだった。テレビも電話もまだなかった。

冬の暖房器具は「火鉢」のみ。

うちにもいたが、どの家でも牛を飼っていた。

さながら江戸時代だが、違うのは、電気があって皆が洋服を来ていたこと…くらいか。

当時は神戸市兵庫区だったが、電話もあれば電気・ガス・上下水道完備の市街地の生活環境とは格段の格差があった。若い人には想像もつかないだろうな。

それでも、60年代前半から、生活は劇的に変化していった。

神戸・阪神 たろからさん

母親の実家は、今の西区にあった。

ここがまだ垂水区だったころ、NHK…はどうだったか定かではないが、民放は、大阪の電波…朝日も毎日も関テレもよみうりも、なぜか届かなくて、テレビはいつも岡山の局を見ていた。(サンテレビは、まだなかった)

チャンネルも、NHK以外の民放は、2つくらいしかなかった。

岡山のスーパーとか「きび団子」のコマーシャルが流れてくるのだった。

神戸・阪神 ありえるさん

イカナゴは須磨、垂水の無二名物!と信じていたが、播州に通勤した1年目の3月、イカナゴ解禁のポスターが山電の駅に掲示されていて、須磨=神戸っ子っと言う自負にヒビが入った一瞬だったΣ(゚д゚lll)。

神戸・阪神 出田眞人(HN:ろっこさん)さん

高校時代、通っていた学校が神戸市内だった。

実力テストで「せったん」というのがあってしばらく分からなかったが摂津、丹波だった。


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