2019/04/06
神戸は坂の町なので、南北を上下で表現します。(JRの上とか阪急の下とか)ある時、一時期神戸に住んでた人と話していて、その人の居住地よりも「うちはもっと上のほう」と言って、マウンティングととられて切れられたことがあった。
2019/04/06
他府県の人に住所を聞かれ「神戸です」と答え更に神戸のどこ?と聞かれたので「兵庫です」と答えると混乱される
2019/04/06
私立の親和を、「しんな」とずっと言っていた。思ってた。
2019/04/06
北を上。南を下と言う。
例えば
「JRの上にあんねん」と言う説明を「JRの北にあるのか?JRの駅ビルの上階にあるのか」はニュアンスではんだんする。
2019/04/05
尼崎城天守閣が復元された。
どちらかというと立派な方らしいんだけど、ふだんから西隣の姫路城、東隣の大阪城を見慣れているので、「ちっちゃぁ~」と思った。
2019/04/05
大河ドラマの岡田准一主演『黒田官兵衛』は素晴らしい播州人だが、『河合寸翁』も負けず劣らずの素晴らしい播州人だ。
江戸時代、姫路藩主は幕府の重役を任されることが多く、財政がひっぱくしていた。その財政再建で手腕をふるったのが、『河合寸翁』だ。姫路の中学生なら知らない者がいないぐらいのヒーローだ。
2019/04/05
姫路城は、播磨全域の五十万石以上の姫路藩により建てられた。その後、姫路藩は石高を減らされても、城のメンテナンスを続けた。戊辰戦争や廃城令、戦前の焼夷弾による空襲等、多くの危機がありながらも、雄大な姿で人々を勇気づけた。その全てが播州人にとっての最大の誇りだ。
2019/04/05
丹波篠山が「田舎の代名詞」になったのは、明治のころ「デカンショ節」が全国的に流行した故だ。
明治時代に、元・藩主の青山家の援助で一高(東大)へ遊学した篠山出身の学生たちが、寮で歌ったところが大いにウケて、当時の一高生の愛唱歌となり、そこから全国に広まったそうだ。
とりわけ、「丹波篠山、山家の猿が…」の部分が、強烈なインパクトだったみたいだ。
2019/04/05
最近では往時の勢いはないとは言え、1970年代~80年代、神戸・阪神は、確かに、日本の流行の発信地だった。
当時、この地域の女子大生が、主に好んで着ていた洋服やファッション(「ニュートラ(ニュー・トラディショナル)」と呼ばれた)が、カレシの車で須磨や舞子のカフェやレストランでデートするライフスタイルとともに、「anan」や「JJ」などのファッション誌に特集され、流行として全国に広まった。
メディアで、やたらと「女子大生」がもてはやされるようになったのも、これが震源。
その後、神戸の「ニュートラ」をベースとして、横浜で生み出されたのが「ハマトラ」だった。
2019/04/04
お城=姫路城なので、大阪城のなかへ初めて入ったとき博物館みたいになっててショックをうける


















