2019/03/07
姫路生まれです。
大阪府堺市で塾講師のアルバイトをした時に、「正解」 のつもりで「おーとう。おーとう。」と言ったところ生徒から「おおとう・・・桃?」と通じなくてびっくりしました。
関西弁っていろいろあるんですね。
2019/03/07
アシックス、ビオフェルミン、グローリー、西松屋。日本全土に浸透している企業だけど「東京から」と言われるとカチンと来る。何故か「ミヤリサン」だけは「兵庫から」だと思われている。
2019/03/07
昭和30年代前半、北区山田町の実家には、ガスはおろか水道もなかった。
飲み水や料理には井戸水を水がめに汲み、煮炊きは「おくどさん」とカンテキ。洗濯は川でしていた。
食事は、土間の台所の横手の板の間で、テーブルではなく、家族一人ずつの前に置いた銘々膳だった。
さすがに電気は来ていたが、家にある電化製品は、電燈とアイロン、ラジオくらいだった。テレビも電話もまだなかった。
冬の暖房器具は「火鉢」のみ。
うちにもいたが、どの家でも牛を飼っていた。
さながら江戸時代だが、違うのは、電気があって皆が洋服を来ていたこと…くらいか。
当時は神戸市兵庫区だったが、電話もあれば電気・ガス・上下水道完備の市街地の生活環境とは格段の格差があった。若い人には想像もつかないだろうな。
それでも、60年代前半から、生活は劇的に変化していった。
2019/03/07
玉ねぎの苗は四国で買う。
2019/03/07
斜度30度までを坂道と思っていない。
以前、西宮の友達を自宅に案内しようと、ふつーに歩いていたら、どんどん遅れはじめ「しんどい!なんでそんなに坂道はよ歩けんの!」と言われた。
2019/03/07
今から35、6年前、播磨では、サッカーやバスケットボール、バレーボールはメジャーなスポーツではなかった。野球か剣道くらいしか選択肢はなく、私は親父が剣道を愛好していた縁もあり、剣道をやらされていた。その当時、スキーがスポーツの選択肢にある但馬に憧れたのは言うまでもない。
2019/03/06
神戸の安くて美味しいパンに慣れていると、東京に行った時にパンが高くてびっくりする
2019/03/06
神戸市北区の教習所で免許を取った。
自分のころにはなかったが、かつては路上教習のコースに六甲山があって、教習中に崖からの転落事故数件、踏切で立ち往生して電車を止めた事故1件、という伝説があった。
免許取得後、片側2車線以上の道路で、どこを走っていいのか分からず、大いに戸惑った。
2019/03/06
阪神:尼崎は昔大金を払って、大阪と一緒の市外局番「06」を選び、兵庫県人は、大阪空港を伊丹空港と呼びます。関西人は、関西弁を方言と言われて、違和感があるのに、但馬人は、但馬弁を方言と言われて、そうですよって納得。なんでかなぁ~。兵庫は不思議が一杯。
2019/03/06
神戸や阪神に「ミニスカ女子高生」がほぼ皆無なのは、この地域には歴史のある伝統的女子校が多くて、その制服にどこも「右へ倣え」してるから、だそうだ。
そのせいか、大阪や京都で、やたらに短いスカートの女子高生を見ると、なんだかやたらに田舎臭い、と感じてしまう…のは、偏見だろうか?


















