国道2号線が2本ある。(下道と加古川・姫路バイパス)知らない人がナビると混乱するので要注意。
他県に観光へ行ったさきで、「どちらから来られましたか」と聞かれて、「兵庫県から来ました」と答えると「ぁぁ(ヒョウゴケン?)」という反応だけれど「姫路からです」と答えると「あぁ 姫路城のある!」と反応がとても良いです(笑)さすが文化遺産・世界遺産ですね(笑)
但馬から姫路に出ると言葉が違うのにとまどう姫路の口調がキツく毎回怒鳴られているような感じです
「ひめじ」の発音で関西人か否か判断している。
★姫路市民に向かって、姫路(ひめじ)のアクセントを、『神戸(こ・う・べ)』(高音・中音・中音)と同じ発音をすると、露骨に嫌がられる。
★正しくは、貝の『シ・ジ・ミ』と同じ(低音・低音・低音)なのだそう。
★でも、姫路市民の誇り、白鷺城こと『姫路城』の発音は、『姫路』の部分が、『神戸(こ・う・べ)』(高音・中音・中音)と同じ発音に変化する。
★播磨と神戸(摂津)は、お隣なのに、何故にこうも違うのかと、悩む神戸人なのです。
あっ、播磨のみなさん、これであってますか?
尼崎城天守閣が復元された。どちらかというと立派な方らしいんだけど、ふだんから西隣の姫路城、東隣の大阪城を見慣れているので、「ちっちゃぁ~」と思った。
大河ドラマの岡田准一主演『黒田官兵衛』は素晴らしい播州人だが、『河合寸翁』も負けず劣らずの素晴らしい播州人だ。江戸時代、姫路藩主は幕府の重役を任されることが多く、財政がひっぱくしていた。その財政再建で手腕をふるったのが、『河合寸翁』だ。姫路の中学生なら知らない者がいないぐらいのヒーローだ。
姫路城は、播磨全域の五十万石以上の姫路藩により建てられた。その後、姫路藩は石高を減らされても、城のメンテナンスを続けた。戊辰戦争や廃城令、戦前の焼夷弾による空襲等、多くの危機がありながらも、雄大な姿で人々を勇気づけた。その全てが播州人にとっての最大の誇りだ。
お城=姫路城なので、大阪城のなかへ初めて入ったとき博物館みたいになっててショックをうける
国宝&世界遺産の姫路城を、播磨人は自慢にするが、この城は、実は「箱モノ行政」の悪しき見本でもあった。江戸時代の姫路藩は、石高15万石。その税収に対して姫路城は巨大に過ぎ、城の維持のために、あちこちから借金した負債が莫大だったそうだ。喩えて言うと、人口15万の町が、40階建ての市役所を造ってしまった、みたいな?多分、年貢の取立ても厳しかったと思う。そのせいかどうか、明治になってすぐ、姫路城は民間に売りに出されていて、その値段は「100円」だったそうだ。
国道2号線が2本ある。
(下道と加古川・姫路バイパス)
知らない人がナビると混乱するので要注意。
他県に観光へ行ったさきで、
「どちらから来られましたか」と聞かれて、「兵庫県から来ました」と答えると「ぁぁ(ヒョウゴケン?)」という反応だけれど
「姫路からです」と答えると
「あぁ 姫路城のある!」と反応がとても良いです(笑)
さすが文化遺産・世界遺産ですね(笑)
但馬から姫路に出ると言葉が違うのにとまどう
姫路の口調がキツく毎回怒鳴られているような感じです
「ひめじ」の発音で関西人か否か判断している。
★
姫路市民に向かって、姫路(ひめじ)のアクセントを、『神戸(こ・う・べ)』(高音・中音・中音)と同じ発音をすると、露骨に嫌がられる。
★
正しくは、貝の『シ・ジ・ミ』と同じ(低音・低音・低音)なのだそう。
★
でも、姫路市民の誇り、白鷺城こと『姫路城』の発音は、『姫路』の部分が、『神戸(こ・う・べ)』(高音・中音・中音)と同じ発音に変化する。
★
播磨と神戸(摂津)は、お隣なのに、何故にこうも違うのかと、悩む神戸人なのです。
あっ、播磨のみなさん、これであってますか?
尼崎城天守閣が復元された。
どちらかというと立派な方らしいんだけど、ふだんから西隣の姫路城、東隣の大阪城を見慣れているので、「ちっちゃぁ~」と思った。
大河ドラマの岡田准一主演『黒田官兵衛』は素晴らしい播州人だが、『河合寸翁』も負けず劣らずの素晴らしい播州人だ。
江戸時代、姫路藩主は幕府の重役を任されることが多く、財政がひっぱくしていた。その財政再建で手腕をふるったのが、『河合寸翁』だ。姫路の中学生なら知らない者がいないぐらいのヒーローだ。
姫路城は、播磨全域の五十万石以上の姫路藩により建てられた。その後、姫路藩は石高を減らされても、城のメンテナンスを続けた。戊辰戦争や廃城令、戦前の焼夷弾による空襲等、多くの危機がありながらも、雄大な姿で人々を勇気づけた。その全てが播州人にとっての最大の誇りだ。
お城=姫路城なので、大阪城のなかへ初めて入ったとき博物館みたいになっててショックをうける
国宝&世界遺産の姫路城を、播磨人は自慢にするが、この城は、実は「箱モノ行政」の悪しき見本でもあった。
江戸時代の姫路藩は、石高15万石。その税収に対して姫路城は巨大に過ぎ、城の維持のために、あちこちから借金した負債が莫大だったそうだ。
喩えて言うと、人口15万の町が、40階建ての市役所を造ってしまった、みたいな?
多分、年貢の取立ても厳しかったと思う。
そのせいかどうか、明治になってすぐ、姫路城は民間に売りに出されていて、その値段は「100円」だったそうだ。