我々には、なんの不思議もない「高速神戸」という駅名だが、他所から来た人には、かなりインパクトのある駅名だったりする。「高速な神戸…って、神戸のなにが高速なの?」と戸惑う例多し。新開地駅にある「高速そば」にも、衝撃を受けるようだが、好奇心から入ってみて、そばが「高速」で出てくるわけではないと知り、がっかりするのだった。いずれも、「神戸高速鉄道」という鉄道会社の認知度が低いゆえです。
かつて、神戸から大阪へ行くのなら、阪急か阪神、京都へ行くなら阪急、と決まっていて、大阪でも京都でも、「国鉄で行く」という選択をする人は、ごくわずかだった。とある午後、国鉄時代の新快速で大阪から三宮まで帰ったことがあるが、1車両まるまる「貸切」状態だった。ちなみに、当時の新快速の停車駅は、京都-大阪-三ノ宮-明石-姫路。新大阪も神戸も通過で、特急よりも速かったが、それでも客がいなかった。この図式は、国鉄がJRになっても変わらなかったのだが、それが逆転したのは、阪神大震災がきっかけだった。震災で、大阪ー神戸間の鉄道は、阪急も阪神もJRもすべて不通となったのだが、JRの復旧が、阪急や阪神よりも段違いに早かったので、JRに乗客が集中し、阪急、阪神の復旧後もそれが続いたのだった。
江戸時代初期、尼崎から神戸の須磨あたりまで、つまり今の阪神南部は、天領を除いてほぼ尼崎藩の領地だった。
しかし、今の尼崎住民は、気分はほぼ大阪で、武庫川以西は甲子園球場以外、自分たちとは無関係と思っている節がある。
毎年季節になると、街道沿いのあちこちに即売所が店開きする「二郎いちご」は、神戸市北区の知る人ぞ知る名産品だ。「二郎」は、昔は確か「にろ」だったはずだが、いつの頃からか「にろう」になっていた。
神戸にあって横浜にないもの、もうひとつ、あった。かつて日本の首都だった過去。
さきの投稿で「紅葉閣」と誤変換のまま投稿してしまった。「♪有馬兵衛の向陽閣へ」ですね。ちなみに、「有馬温泉」は、日本人なら大抵は知っているが、それが神戸市内にある、というのは、意外に知られていない。ところで、「ゴーフル」と「炭酸せんべい」は、同じようなもの、と長年認識してきたのですが、違うの?
「♪有馬兵衛の紅葉閣へ!」のコマーシャルを、東京でもやってるのを見て、「え!?」とびっくりしたのは1975年だった。その翌年、神戸へ遊びに来た埼玉の友は、「♪伊東へ行くならハ・ト・ヤ」のコマーシャルを見て、「こっちでもやってんだ…」と絶句していた。
但馬の柏原は、日本一標高の低い中央分水界があることで有名だが、神戸でも、平野から有馬街道を北上していくと、時々道に寄り添う川は、当初は南向きに流れている(明石川水系)のだが、北区大池を境に、北向きに流れが変わる(武庫川水系)。実は神戸にも分水嶺があるのだった。
神戸・北野町に観光客が押し寄せるようになったのは、1977年のNHK朝ドラ『風見鶏』がきっかけだった。それ以前の北野町~山本通り界隈は、実は「ラブホ街」だった。観光客が続々と押し寄せて、「カップルが入りにくくなった」と廃業するラブホもあったが、今なお結構残っている。
ここを見て初めて、子どもの頃使っていたノートが神戸ノートと言われていて、神戸でしか使われていないと知った……マジかー
我々には、なんの不思議もない「高速神戸」という駅名だが、他所から来た人には、かなりインパクトのある駅名だったりする。
「高速な神戸…って、神戸のなにが高速なの?」と戸惑う例多し。
新開地駅にある「高速そば」にも、衝撃を受けるようだが、好奇心から入ってみて、そばが「高速」で出てくるわけではないと知り、がっかりするのだった。
いずれも、「神戸高速鉄道」という鉄道会社の認知度が低いゆえです。
かつて、神戸から大阪へ行くのなら、阪急か阪神、京都へ行くなら阪急、と決まっていて、大阪でも京都でも、「国鉄で行く」という選択をする人は、ごくわずかだった。
とある午後、国鉄時代の新快速で大阪から三宮まで帰ったことがあるが、1車両まるまる「貸切」状態だった。
ちなみに、当時の新快速の停車駅は、京都-大阪-三ノ宮-明石-姫路。
新大阪も神戸も通過で、特急よりも速かったが、それでも客がいなかった。
この図式は、国鉄がJRになっても変わらなかったのだが、それが逆転したのは、阪神大震災がきっかけだった。
震災で、大阪ー神戸間の鉄道は、阪急も阪神もJRもすべて不通となったのだが、JRの復旧が、阪急や阪神よりも段違いに早かったので、JRに乗客が集中し、阪急、阪神の復旧後もそれが続いたのだった。
江戸時代初期、尼崎から神戸の須磨あたりまで、つまり今の阪神南部は、天領を除いてほぼ尼崎藩の領地だった。
しかし、今の尼崎住民は、気分はほぼ大阪で、武庫川以西は甲子園球場以外、自分たちとは無関係と思っている節がある。
毎年季節になると、街道沿いのあちこちに即売所が店開きする「二郎いちご」は、神戸市北区の知る人ぞ知る名産品だ。
「二郎」は、昔は確か「にろ」だったはずだが、いつの頃からか「にろう」になっていた。
神戸にあって横浜にないもの、もうひとつ、あった。
かつて日本の首都だった過去。
さきの投稿で「紅葉閣」と誤変換のまま投稿してしまった。
「♪有馬兵衛の向陽閣へ」ですね。
ちなみに、「有馬温泉」は、日本人なら大抵は知っているが、それが神戸市内にある、というのは、意外に知られていない。
ところで、「ゴーフル」と「炭酸せんべい」は、同じようなもの、と長年認識してきたのですが、違うの?
「♪有馬兵衛の紅葉閣へ!」のコマーシャルを、東京でもやってるのを見て、「え!?」とびっくりしたのは1975年だった。
その翌年、神戸へ遊びに来た埼玉の友は、「♪伊東へ行くならハ・ト・ヤ」のコマーシャルを見て、「こっちでもやってんだ…」と絶句していた。
但馬の柏原は、日本一標高の低い中央分水界があることで有名だが、神戸でも、平野から有馬街道を北上していくと、時々道に寄り添う川は、当初は南向きに流れている(明石川水系)のだが、北区大池を境に、北向きに流れが変わる(武庫川水系)。
実は神戸にも分水嶺があるのだった。
神戸・北野町に観光客が押し寄せるようになったのは、1977年のNHK朝ドラ『風見鶏』がきっかけだった。
それ以前の北野町~山本通り界隈は、実は「ラブホ街」だった。
観光客が続々と押し寄せて、「カップルが入りにくくなった」と廃業するラブホもあったが、今なお結構残っている。
ここを見て初めて、子どもの頃使っていたノートが神戸ノートと言われていて、神戸でしか使われていないと知った……マジかー