加古川駅前にいると棋士の先生がいるっていうけど、そんなことはない
灘区が誇る珍河川名。 「盗人川」に「貧乏川」 通称ではなく正式名称。地図にもこの名で載ってます。 どちらの川もほぼ暗渠、地上に出ている部分も、多少大きなドブでしかありませんがね。
今の子ども達! 「うらおもて」知ってる?やってる? 昔の神戸の子どもはチーム分けはこれ一択だったのに、いつの間にか絶滅危惧種になってしまった。 なんとなく悔しい。
昔、今ほど通販が発達してなかったころ。 関東の端っこに転勤した友人が、半泣きでSOSの電話をかけてきた。 「こっちのスーパー、どこにも売ってない!箱買いして送って~!」 送りました。鶯ボールと炭酸せんべい…
谷崎潤一郎の小説にも登場する、西宮名物「マンボウ」。 JRの線路を南北に貫く人道トンネル。何本かあるが何れも元は水路なので、大人は身を屈めないと通れない。 甲子園口のは殊に狭くて中で行き違いが出来ないので、向こうから人が来ないのを確認必須。 毎年、何人かは天井に頭をぶつけます。
中学の学校行事、二泊三日の「臨海訓練」で鳥取県境に近い山陰海岸へ。 行きは、バスで所用およそ6時間。当時、但馬への高速道路は皆無で、国道には未舗装区間も。 帰りは、客車列車の各駅停車で三田まで。所用時間は、こちらも約6時間。 兵庫県の広さを実感したのは、1969年でした。
晩秋~冬にかけて但馬の空を覆う(うらにし)気候。時雨れていても急に青空が広がり、止んだかな・・と思って居るうちにまたザ~っと時雨れ、コロコロ変わる。九州から嫁に来られた人が、「晴れたと思って洗濯物を外干しして、何度も騙された」とこぼして居りンさりますが・・。
理化学研究所の播磨キャンパス 播磨学園都市にあって 大型放射光施設SPring8で有名 最先端の科学施設だが 東京ドーム30個分の敷地では 野生の鹿がのんびり草を食んでいる
新入生歓迎登山 が私の中学 高校の時に毎年4月に有りました。 中学では保倉神社山頂本殿 高校では六甲山でした。歓迎と言うよりハードな企画でした。六甲山の上では楽しかったけど、また帰りがキツかった。先生達も身体が…なかなか…ね~。
関西から出ると基本神戸は六甲山、有馬から南までとしか思われてません
我々古い世代の人間には、いまだに「福知山線」と聞くと、どうしても「電車」がイメージできない。 つい、汽車…というか、煤に汚れたディーゼルカーが、ガーガーとエンジンを鳴らして走ってくる…というイメージが、今なお濃い…のです。 「宝塚線」の命名は、その意味では「成功」だと思う。
秋頃になると西宮では小・中連隊が甲子園で開催されます。裸足で甲子園の土や芝生を踏めたり、高校野球さながらの吹奏楽の演奏(ちょっと大袈裟?)があったりと賑やかになります。西宮市民の誇り(自慢)だったりします!
U5HのTwitterの「ひょうごインスタントグラム」に関するTweetを見て感じたこと。 何でも「神戸」って付いたら高級感が出る気がする、と。阪神民の神戸への憧れのあらわれです。「阪神」ってついてもとある虎の球団な感じしかでないのは阪神民のお約束。
神戸で、安くておいしい居酒屋なら、今もやっぱり新開地だ。 どて焼きなら「正宗屋」の串のやつが日本一、と思っている。 店名が素敵な「八喜為(はきだめ)」は、コロナ禍でありながら、つい最近新店舗をオープンしてしまった。 焼き鳥なら、もちろん「八栄亭」だ。
いまだに違和感が拭えません。 阪急電車の車内や駅にあるタイガースのポスターと、阪神電車の宝塚。
1970年頃からのブームで、サッポロラーメンのチェーン店が進出してきて、神戸にも「ラーメン屋」がぽつぽつと出現し始めた。 それ以前の神戸には「中華料理店」なら星の数ほどあったが、「ラーメン屋」というのは、皆無に近かった。 昔ながらの神戸の中華料理屋のラーメン、今も好きだ。
「二国」と言えば、我々世代では「第二阪神国道」すなわち「国道43号」だ。 しかし、若い世代では「二国」と言えば「国道2号」で、会話に齟齬が生じることが、度々ある。 我々世代にも、今は「43(よんさん)」の呼び名が定着しつつある。 「阪神国道」も、今は駅名に残るのみ。
西区に住んで、その後北区に住みました。 三宮へ飲みに行くと、「北区と西区は『神戸市』やけど、『神戸』ではない!」と、中央区及び灘区の住人から指摘された。 「千早赤阪村を、大阪、とは言わんのと一緒や」なんだそうです。
但馬の雪の量は、地域により随分と差があります。 学校や職場などで積雪量が話題になると、少ない方が都会だとマウントとります。
毎年、テレビのニュースで「六甲山小学校のストーブ火入れ式」の話題が流れると、「もうすぐ冬やねんなあ・・・」と思う。 その六甲山小学校、かつては市内で一番児童数が少なかったが、今は小規模特認校で、麓からケーブルで通って来る子がほとんどだが、かなりの児童数だ。
ふつうは、住んでいるところを「ガラ悪い」といわれると、いやな気がしますが、自慢げにする人が結構いる(屈強なイメージがある)。そうでないところに住んでいる人からすると、うらやましかったりもする。
昔、大阪人だった私が神戸の大学に通学し始めた頃、電車内で見かける女子高生の制服が千差万別なのに、皆同じテイストの補助鞄を提げている事が不思議だった。学校は違えど、納入業者は一緒なのか?神戸の学校では指定されてるのか?と、その補助鞄とは…ファミリアのレッスンバッグ。
淡路島ではベビーカステラよりもピンス焼きが人気。ベビーカステラの見た目で中身が生になっているので、淡路島民じゃない人からすれば、ちゃんと焼けてないと驚く。
芦屋市の道路は夜になってもスポーツカーや高級車、アメ車のエンジン音で眠れないほどうるさくなる(芦屋市は外車が当たり前)
新幹線の駅で 新神戸駅ほど表と裏の 落差が大きい駅は他にない。 表(南側)都会、高層ホテル、タワマン 裏(北側)山、木、滝、ロープウエイ
神戸市兵庫区夢野町は、摂津国風土記の「夢野の鹿」が住んでいた場所で、そのあたりには、ゆめの児童館、ゆめのこどもホーム、ゆめの中学校、ゆめの団地、ゆめのマンション、夢の老人ホーム、ゆめの自動車、ゆめのサービスステーション、ゆめのハウジング、ゆめの支店など、ゆめの○○であふれている。
JR福知山線って、大阪~福知山間の路線を総称して呼ばれることがあるんですけど、実際は篠山口~福知山間が福知山線なんですよね。
明石の名前の由来説の一つに、明石市林崎あたりに住む雌鹿が小豆島の雄鹿と通い合っていたが、あるとき漁師に刺されてその血が赤い石になったという赤石伝説からきたというのがある。また、鹿が通っていたところが「鹿の瀬」という播磨灘屈指の漁場である。
会社で、島外から赴任してきた上司に来た日当日に淡路島の町名全ての呼び名を教えてくれと言われた。倭文や榎列はわかるとして、本町も分からないのは不思議だった。 が、上司が変わるたびに聞かれ、淡路島の地区名は特殊なのかと思う程だった。
昔は播磨御蔭之荘だった現姫路市砥堀では、お正月の「お鏡」を床の間へ、ではなく昔々俵を作る時に測った筒状で両取っ手が耳の様に付いた50cm前後の高さがある大桝の中に据えて御祝いしました。
加古川駅前にいると棋士の先生がいるっていうけど、そんなことはない
灘区が誇る珍河川名。
「盗人川」に「貧乏川」
通称ではなく正式名称。地図にもこの名で載ってます。
どちらの川もほぼ暗渠、地上に出ている部分も、多少大きなドブでしかありませんがね。
今の子ども達!
「うらおもて」知ってる?やってる?
昔の神戸の子どもはチーム分けはこれ一択だったのに、いつの間にか絶滅危惧種になってしまった。
なんとなく悔しい。
昔、今ほど通販が発達してなかったころ。
関東の端っこに転勤した友人が、半泣きでSOSの電話をかけてきた。
「こっちのスーパー、どこにも売ってない!箱買いして送って~!」
送りました。鶯ボールと炭酸せんべい…
谷崎潤一郎の小説にも登場する、西宮名物「マンボウ」。
JRの線路を南北に貫く人道トンネル。何本かあるが何れも元は水路なので、大人は身を屈めないと通れない。
甲子園口のは殊に狭くて中で行き違いが出来ないので、向こうから人が来ないのを確認必須。
毎年、何人かは天井に頭をぶつけます。
中学の学校行事、二泊三日の「臨海訓練」で鳥取県境に近い山陰海岸へ。
行きは、バスで所用およそ6時間。当時、但馬への高速道路は皆無で、国道には未舗装区間も。
帰りは、客車列車の各駅停車で三田まで。所用時間は、こちらも約6時間。
兵庫県の広さを実感したのは、1969年でした。
晩秋~冬にかけて但馬の空を覆う(うらにし)気候。時雨れていても急に青空が広がり、止んだかな・・と思って居るうちにまたザ~っと時雨れ、コロコロ変わる。九州から嫁に来られた人が、「晴れたと思って洗濯物を外干しして、何度も騙された」とこぼして居りンさりますが・・。
理化学研究所の播磨キャンパス
播磨学園都市にあって
大型放射光施設SPring8で有名
最先端の科学施設だが
東京ドーム30個分の敷地では
野生の鹿がのんびり草を食んでいる
新入生歓迎登山 が私の中学 高校の時に毎年4月に有りました。
中学では保倉神社山頂本殿 高校では六甲山でした。歓迎と言うよりハードな企画でした。六甲山の上では楽しかったけど、また帰りがキツかった。先生達も身体が…なかなか…ね~。
関西から出ると基本神戸は六甲山、有馬から南までとしか思われてません
我々古い世代の人間には、いまだに「福知山線」と聞くと、どうしても「電車」がイメージできない。
つい、汽車…というか、煤に汚れたディーゼルカーが、ガーガーとエンジンを鳴らして走ってくる…というイメージが、今なお濃い…のです。
「宝塚線」の命名は、その意味では「成功」だと思う。
秋頃になると西宮では小・中連隊が甲子園で開催されます。裸足で甲子園の土や芝生を踏めたり、高校野球さながらの吹奏楽の演奏(ちょっと大袈裟?)があったりと賑やかになります。西宮市民の誇り(自慢)だったりします!
U5HのTwitterの「ひょうごインスタントグラム」に関するTweetを見て感じたこと。
何でも「神戸」って付いたら高級感が出る気がする、と。阪神民の神戸への憧れのあらわれです。「阪神」ってついてもとある虎の球団な感じしかでないのは阪神民のお約束。
神戸で、安くておいしい居酒屋なら、今もやっぱり新開地だ。
どて焼きなら「正宗屋」の串のやつが日本一、と思っている。
店名が素敵な「八喜為(はきだめ)」は、コロナ禍でありながら、つい最近新店舗をオープンしてしまった。
焼き鳥なら、もちろん「八栄亭」だ。
いまだに違和感が拭えません。
阪急電車の車内や駅にあるタイガースのポスターと、阪神電車の宝塚。
1970年頃からのブームで、サッポロラーメンのチェーン店が進出してきて、神戸にも「ラーメン屋」がぽつぽつと出現し始めた。
それ以前の神戸には「中華料理店」なら星の数ほどあったが、「ラーメン屋」というのは、皆無に近かった。
昔ながらの神戸の中華料理屋のラーメン、今も好きだ。
「二国」と言えば、我々世代では「第二阪神国道」すなわち「国道43号」だ。
しかし、若い世代では「二国」と言えば「国道2号」で、会話に齟齬が生じることが、度々ある。
我々世代にも、今は「43(よんさん)」の呼び名が定着しつつある。
「阪神国道」も、今は駅名に残るのみ。
西区に住んで、その後北区に住みました。
三宮へ飲みに行くと、「北区と西区は『神戸市』やけど、『神戸』ではない!」と、中央区及び灘区の住人から指摘された。
「千早赤阪村を、大阪、とは言わんのと一緒や」なんだそうです。
但馬の雪の量は、地域により随分と差があります。
学校や職場などで積雪量が話題になると、少ない方が都会だとマウントとります。
毎年、テレビのニュースで「六甲山小学校のストーブ火入れ式」の話題が流れると、「もうすぐ冬やねんなあ・・・」と思う。
その六甲山小学校、かつては市内で一番児童数が少なかったが、今は小規模特認校で、麓からケーブルで通って来る子がほとんどだが、かなりの児童数だ。
ふつうは、住んでいるところを「ガラ悪い」といわれると、いやな気がしますが、自慢げにする人が結構いる(屈強なイメージがある)。そうでないところに住んでいる人からすると、うらやましかったりもする。
昔、大阪人だった私が神戸の大学に通学し始めた頃、電車内で見かける女子高生の制服が千差万別なのに、皆同じテイストの補助鞄を提げている事が不思議だった。学校は違えど、納入業者は一緒なのか?神戸の学校では指定されてるのか?と、その補助鞄とは…ファミリアのレッスンバッグ。
淡路島ではベビーカステラよりもピンス焼きが人気。ベビーカステラの見た目で中身が生になっているので、淡路島民じゃない人からすれば、ちゃんと焼けてないと驚く。
芦屋市の道路は夜になってもスポーツカーや高級車、アメ車のエンジン音で眠れないほどうるさくなる(芦屋市は外車が当たり前)
新幹線の駅で
新神戸駅ほど表と裏の
落差が大きい駅は他にない。
表(南側)都会、高層ホテル、タワマン
裏(北側)山、木、滝、ロープウエイ
神戸市兵庫区夢野町は、摂津国風土記の「夢野の鹿」が住んでいた場所で、そのあたりには、ゆめの児童館、ゆめのこどもホーム、ゆめの中学校、ゆめの団地、ゆめのマンション、夢の老人ホーム、ゆめの自動車、ゆめのサービスステーション、ゆめのハウジング、ゆめの支店など、ゆめの○○であふれている。
JR福知山線って、大阪~福知山間の路線を総称して呼ばれることがあるんですけど、実際は篠山口~福知山間が福知山線なんですよね。
明石の名前の由来説の一つに、明石市林崎あたりに住む雌鹿が小豆島の雄鹿と通い合っていたが、あるとき漁師に刺されてその血が赤い石になったという赤石伝説からきたというのがある。また、鹿が通っていたところが「鹿の瀬」という播磨灘屈指の漁場である。
会社で、島外から赴任してきた上司に来た日当日に淡路島の町名全ての呼び名を教えてくれと言われた。倭文や榎列はわかるとして、本町も分からないのは不思議だった。
が、上司が変わるたびに聞かれ、淡路島の地区名は特殊なのかと思う程だった。
昔は播磨御蔭之荘だった現姫路市砥堀では、お正月の「お鏡」を床の間へ、ではなく昔々俵を作る時に測った筒状で両取っ手が耳の様に付いた50cm前後の高さがある大桝の中に据えて御祝いしました。