会社で、島外から赴任してきた上司に来た日当日に淡路島の町名全ての呼び名を教えてくれと言われた。倭文や榎列はわかるとして、本町も分からないのは不思議だった。 が、上司が変わるたびに聞かれ、淡路島の地区名は特殊なのかと思う程だった。
昔は播磨御蔭之荘だった現姫路市砥堀では、お正月の「お鏡」を床の間へ、ではなく昔々俵を作る時に測った筒状で両取っ手が耳の様に付いた50cm前後の高さがある大桝の中に据えて御祝いしました。
昔は播磨御蔭之荘だった現姫路市砥堀では、春の山にツツジが咲くと男児の祝いとか関係無く(おじサンでも爺でも)桃色に赤い斑入りの大型ツツジだけを集めて薬玉の様に丸く縛り高い竿に刺して庭で掲げました。
ふつうは、住んでいるところを「ガラ悪い」といわれると、いやな気がしますが、自慢げにする人が結構いる(屈強なイメージがある)。そうでないところに住んでいる人からすると、うらやましかったりもする。
昔、大阪人だった私が神戸の大学に通学し始めた頃、電車内で見かける女子高生の制服が千差万別なのに、皆同じテイストの補助鞄を提げている事が不思議だった。学校は違えど、納入業者は一緒なのか?神戸の学校では指定されてるのか?と、その補助鞄とは…ファミリアのレッスンバッグ。
西区に住んで、その後北区に住みました。 三宮へ飲みに行くと、「北区と西区は『神戸市』やけど、『神戸』ではない!」と、中央区及び灘区の住人から指摘された。 「千早赤阪村を、大阪、とは言わんのと一緒や」なんだそうです。
但馬の雪の量は、地域により随分と差があります。 学校や職場などで積雪量が話題になると、少ない方が都会だとマウントとります。
毎年、テレビのニュースで「六甲山小学校のストーブ火入れ式」の話題が流れると、「もうすぐ冬やねんなあ・・・」と思う。 その六甲山小学校、かつては市内で一番児童数が少なかったが、今は小規模特認校で、麓からケーブルで通って来る子がほとんどだが、かなりの児童数だ。
いまだに違和感が拭えません。 阪急電車の車内や駅にあるタイガースのポスターと、阪神電車の宝塚。
1970年頃からのブームで、サッポロラーメンのチェーン店が進出してきて、神戸にも「ラーメン屋」がぽつぽつと出現し始めた。 それ以前の神戸には「中華料理店」なら星の数ほどあったが、「ラーメン屋」というのは、皆無に近かった。 昔ながらの神戸の中華料理屋のラーメン、今も好きだ。
「二国」と言えば、我々世代では「第二阪神国道」すなわち「国道43号」だ。 しかし、若い世代では「二国」と言えば「国道2号」で、会話に齟齬が生じることが、度々ある。 我々世代にも、今は「43(よんさん)」の呼び名が定着しつつある。 「阪神国道」も、今は駅名に残るのみ。
神戸で、安くておいしい居酒屋なら、今もやっぱり新開地だ。 どて焼きなら「正宗屋」の串のやつが日本一、と思っている。 店名が素敵な「八喜為(はきだめ)」は、コロナ禍でありながら、つい最近新店舗をオープンしてしまった。 焼き鳥なら、もちろん「八栄亭」だ。
U5HのTwitterの「ひょうごインスタントグラム」に関するTweetを見て感じたこと。 何でも「神戸」って付いたら高級感が出る気がする、と。阪神民の神戸への憧れのあらわれです。「阪神」ってついてもとある虎の球団な感じしかでないのは阪神民のお約束。
秋頃になると西宮では小・中連隊が甲子園で開催されます。裸足で甲子園の土や芝生を踏めたり、高校野球さながらの吹奏楽の演奏(ちょっと大袈裟?)があったりと賑やかになります。西宮市民の誇り(自慢)だったりします!
理化学研究所の播磨キャンパス 播磨学園都市にあって 大型放射光施設SPring8で有名 最先端の科学施設だが 東京ドーム30個分の敷地では 野生の鹿がのんびり草を食んでいる
新入生歓迎登山 が私の中学 高校の時に毎年4月に有りました。 中学では保倉神社山頂本殿 高校では六甲山でした。歓迎と言うよりハードな企画でした。六甲山の上では楽しかったけど、また帰りがキツかった。先生達も身体が…なかなか…ね~。
関西から出ると基本神戸は六甲山、有馬から南までとしか思われてません
我々古い世代の人間には、いまだに「福知山線」と聞くと、どうしても「電車」がイメージできない。 つい、汽車…というか、煤に汚れたディーゼルカーが、ガーガーとエンジンを鳴らして走ってくる…というイメージが、今なお濃い…のです。 「宝塚線」の命名は、その意味では「成功」だと思う。
今は、旅番組などの影響で、有馬温泉が「神戸にある」というのは、関東でもよく知られているようですね。 でも、70年代に東京で学生だった時、TVでコマーシャルも流れていたから「有馬温泉」自体は有名だったけど、それが「神戸市内だ」というと「ウソ!?」と反応されることが多かったです。
毎年二月に、神戸市少年団主催の「耐寒登山」がありました。我が校は人数が少なかったので、5年生以上は全員参加。 旧市街の小学生は表側から、我々北神地区は裏の鈴蘭台側から再度山へ登って、 修法ヶ原に集合。 ある年は大雪だったが、それでも決行されたのでした。
加古川駅前にいると棋士の先生がいるっていうけど、そんなことはない
灘区が誇る珍河川名。 「盗人川」に「貧乏川」 通称ではなく正式名称。地図にもこの名で載ってます。 どちらの川もほぼ暗渠、地上に出ている部分も、多少大きなドブでしかありませんがね。
今の子ども達! 「うらおもて」知ってる?やってる? 昔の神戸の子どもはチーム分けはこれ一択だったのに、いつの間にか絶滅危惧種になってしまった。 なんとなく悔しい。
昔、今ほど通販が発達してなかったころ。 関東の端っこに転勤した友人が、半泣きでSOSの電話をかけてきた。 「こっちのスーパー、どこにも売ってない!箱買いして送って~!」 送りました。鶯ボールと炭酸せんべい…
谷崎潤一郎の小説にも登場する、西宮名物「マンボウ」。 JRの線路を南北に貫く人道トンネル。何本かあるが何れも元は水路なので、大人は身を屈めないと通れない。 甲子園口のは殊に狭くて中で行き違いが出来ないので、向こうから人が来ないのを確認必須。 毎年、何人かは天井に頭をぶつけます。
中学の学校行事、二泊三日の「臨海訓練」で鳥取県境に近い山陰海岸へ。 行きは、バスで所用およそ6時間。当時、但馬への高速道路は皆無で、国道には未舗装区間も。 帰りは、客車列車の各駅停車で三田まで。所用時間は、こちらも約6時間。 兵庫県の広さを実感したのは、1969年でした。
晩秋~冬にかけて但馬の空を覆う(うらにし)気候。時雨れていても急に青空が広がり、止んだかな・・と思って居るうちにまたザ~っと時雨れ、コロコロ変わる。九州から嫁に来られた人が、「晴れたと思って洗濯物を外干しして、何度も騙された」とこぼして居りンさりますが・・。
大屋町の山の中腹に聳え立ち、樹齢千年を超える「樽見の大桜」。国の天然記念物で国内最大のエドヒガン桜、仙桜とも呼ばれている。高さは何と14m、幹周り6m。一時は枯れかけて心配されたけど、樹木医の治療や地元住民の保護活動のおかげで毎年見事な花を咲かせている。でもなんで二つの名前が?
神戸に住んでいたころには、「菊正宗」「白鶴」「沢の鶴」を、主に飲んでいた。 西宮に越してからは「大関」「白鹿」「日本盛」を飲む機会が増えた。 伊丹に越したら、「白雪」に、なるんだろうか? 「剣菱」もまた、元は伊丹のお酒だそうです。
丹波市在住の友人宅へ遊びに行くと、いつも丹波の銘酒「小鼓」を用意してくれている。 灘五郷と伊丹の酒は全国区だが、兵庫五国には、この小鼓をはじめ、但馬の「香住鶴」、播磨の「龍力」「神鷹」、淡路の「都美人」等々、各国それぞれを代表する銘酒のブランドがある。
会社で、島外から赴任してきた上司に来た日当日に淡路島の町名全ての呼び名を教えてくれと言われた。倭文や榎列はわかるとして、本町も分からないのは不思議だった。
が、上司が変わるたびに聞かれ、淡路島の地区名は特殊なのかと思う程だった。
昔は播磨御蔭之荘だった現姫路市砥堀では、お正月の「お鏡」を床の間へ、ではなく昔々俵を作る時に測った筒状で両取っ手が耳の様に付いた50cm前後の高さがある大桝の中に据えて御祝いしました。
昔は播磨御蔭之荘だった現姫路市砥堀では、春の山にツツジが咲くと男児の祝いとか関係無く(おじサンでも爺でも)桃色に赤い斑入りの大型ツツジだけを集めて薬玉の様に丸く縛り高い竿に刺して庭で掲げました。
ふつうは、住んでいるところを「ガラ悪い」といわれると、いやな気がしますが、自慢げにする人が結構いる(屈強なイメージがある)。そうでないところに住んでいる人からすると、うらやましかったりもする。
昔、大阪人だった私が神戸の大学に通学し始めた頃、電車内で見かける女子高生の制服が千差万別なのに、皆同じテイストの補助鞄を提げている事が不思議だった。学校は違えど、納入業者は一緒なのか?神戸の学校では指定されてるのか?と、その補助鞄とは…ファミリアのレッスンバッグ。
西区に住んで、その後北区に住みました。
三宮へ飲みに行くと、「北区と西区は『神戸市』やけど、『神戸』ではない!」と、中央区及び灘区の住人から指摘された。
「千早赤阪村を、大阪、とは言わんのと一緒や」なんだそうです。
但馬の雪の量は、地域により随分と差があります。
学校や職場などで積雪量が話題になると、少ない方が都会だとマウントとります。
毎年、テレビのニュースで「六甲山小学校のストーブ火入れ式」の話題が流れると、「もうすぐ冬やねんなあ・・・」と思う。
その六甲山小学校、かつては市内で一番児童数が少なかったが、今は小規模特認校で、麓からケーブルで通って来る子がほとんどだが、かなりの児童数だ。
いまだに違和感が拭えません。
阪急電車の車内や駅にあるタイガースのポスターと、阪神電車の宝塚。
1970年頃からのブームで、サッポロラーメンのチェーン店が進出してきて、神戸にも「ラーメン屋」がぽつぽつと出現し始めた。
それ以前の神戸には「中華料理店」なら星の数ほどあったが、「ラーメン屋」というのは、皆無に近かった。
昔ながらの神戸の中華料理屋のラーメン、今も好きだ。
「二国」と言えば、我々世代では「第二阪神国道」すなわち「国道43号」だ。
しかし、若い世代では「二国」と言えば「国道2号」で、会話に齟齬が生じることが、度々ある。
我々世代にも、今は「43(よんさん)」の呼び名が定着しつつある。
「阪神国道」も、今は駅名に残るのみ。
神戸で、安くておいしい居酒屋なら、今もやっぱり新開地だ。
どて焼きなら「正宗屋」の串のやつが日本一、と思っている。
店名が素敵な「八喜為(はきだめ)」は、コロナ禍でありながら、つい最近新店舗をオープンしてしまった。
焼き鳥なら、もちろん「八栄亭」だ。
U5HのTwitterの「ひょうごインスタントグラム」に関するTweetを見て感じたこと。
何でも「神戸」って付いたら高級感が出る気がする、と。阪神民の神戸への憧れのあらわれです。「阪神」ってついてもとある虎の球団な感じしかでないのは阪神民のお約束。
秋頃になると西宮では小・中連隊が甲子園で開催されます。裸足で甲子園の土や芝生を踏めたり、高校野球さながらの吹奏楽の演奏(ちょっと大袈裟?)があったりと賑やかになります。西宮市民の誇り(自慢)だったりします!
理化学研究所の播磨キャンパス
播磨学園都市にあって
大型放射光施設SPring8で有名
最先端の科学施設だが
東京ドーム30個分の敷地では
野生の鹿がのんびり草を食んでいる
新入生歓迎登山 が私の中学 高校の時に毎年4月に有りました。
中学では保倉神社山頂本殿 高校では六甲山でした。歓迎と言うよりハードな企画でした。六甲山の上では楽しかったけど、また帰りがキツかった。先生達も身体が…なかなか…ね~。
関西から出ると基本神戸は六甲山、有馬から南までとしか思われてません
我々古い世代の人間には、いまだに「福知山線」と聞くと、どうしても「電車」がイメージできない。
つい、汽車…というか、煤に汚れたディーゼルカーが、ガーガーとエンジンを鳴らして走ってくる…というイメージが、今なお濃い…のです。
「宝塚線」の命名は、その意味では「成功」だと思う。
今は、旅番組などの影響で、有馬温泉が「神戸にある」というのは、関東でもよく知られているようですね。
でも、70年代に東京で学生だった時、TVでコマーシャルも流れていたから「有馬温泉」自体は有名だったけど、それが「神戸市内だ」というと「ウソ!?」と反応されることが多かったです。
毎年二月に、神戸市少年団主催の「耐寒登山」がありました。我が校は人数が少なかったので、5年生以上は全員参加。
旧市街の小学生は表側から、我々北神地区は裏の鈴蘭台側から再度山へ登って、 修法ヶ原に集合。
ある年は大雪だったが、それでも決行されたのでした。
加古川駅前にいると棋士の先生がいるっていうけど、そんなことはない
灘区が誇る珍河川名。
「盗人川」に「貧乏川」
通称ではなく正式名称。地図にもこの名で載ってます。
どちらの川もほぼ暗渠、地上に出ている部分も、多少大きなドブでしかありませんがね。
今の子ども達!
「うらおもて」知ってる?やってる?
昔の神戸の子どもはチーム分けはこれ一択だったのに、いつの間にか絶滅危惧種になってしまった。
なんとなく悔しい。
昔、今ほど通販が発達してなかったころ。
関東の端っこに転勤した友人が、半泣きでSOSの電話をかけてきた。
「こっちのスーパー、どこにも売ってない!箱買いして送って~!」
送りました。鶯ボールと炭酸せんべい…
谷崎潤一郎の小説にも登場する、西宮名物「マンボウ」。
JRの線路を南北に貫く人道トンネル。何本かあるが何れも元は水路なので、大人は身を屈めないと通れない。
甲子園口のは殊に狭くて中で行き違いが出来ないので、向こうから人が来ないのを確認必須。
毎年、何人かは天井に頭をぶつけます。
中学の学校行事、二泊三日の「臨海訓練」で鳥取県境に近い山陰海岸へ。
行きは、バスで所用およそ6時間。当時、但馬への高速道路は皆無で、国道には未舗装区間も。
帰りは、客車列車の各駅停車で三田まで。所用時間は、こちらも約6時間。
兵庫県の広さを実感したのは、1969年でした。
晩秋~冬にかけて但馬の空を覆う(うらにし)気候。時雨れていても急に青空が広がり、止んだかな・・と思って居るうちにまたザ~っと時雨れ、コロコロ変わる。九州から嫁に来られた人が、「晴れたと思って洗濯物を外干しして、何度も騙された」とこぼして居りンさりますが・・。
大屋町の山の中腹に聳え立ち、樹齢千年を超える「樽見の大桜」。国の天然記念物で国内最大のエドヒガン桜、仙桜とも呼ばれている。高さは何と14m、幹周り6m。一時は枯れかけて心配されたけど、樹木医の治療や地元住民の保護活動のおかげで毎年見事な花を咲かせている。でもなんで二つの名前が?
神戸に住んでいたころには、「菊正宗」「白鶴」「沢の鶴」を、主に飲んでいた。
西宮に越してからは「大関」「白鹿」「日本盛」を飲む機会が増えた。
伊丹に越したら、「白雪」に、なるんだろうか?
「剣菱」もまた、元は伊丹のお酒だそうです。
丹波市在住の友人宅へ遊びに行くと、いつも丹波の銘酒「小鼓」を用意してくれている。
灘五郷と伊丹の酒は全国区だが、兵庫五国には、この小鼓をはじめ、但馬の「香住鶴」、播磨の「龍力」「神鷹」、淡路の「都美人」等々、各国それぞれを代表する銘酒のブランドがある。