県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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なくなったものあるあるとは?

【ないある探検隊#3】ハチ北のマクドなるほド編

#ないないあるあるの投稿の中から特に気になるネタを取材する「ないある探検隊」。
今回は「ハチ北のマクドなるほド」に迫ります。
詳細はこちら>>>

【ないある探検隊#2】三宮のサソリと富士山・完結編!!!

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョンの完結編!!!
三宮駅近くにあったとされる【巨大な富士山の看板】と【サソリの看板】。。。
ついにその全貌が明かされる!!そして、想像もしなかった意外な事実も!!!

【ないある探検隊#1】三宮のサソリと富士山

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョン!兵庫県広報官をインタビュアーに、数ある投稿の中から特に気になるネタを徹底取材!

※動画内の効果音(フィルム)・・・OtoLogic提供
※写真提供・・・石津事務所

なくなったものあるある、新着エピソード 80/101

バー「アカデミー」
海を渡る握手さん

元々は関西学院の近く(中央区上筒井)にあって加納町に移転。司馬遼太郎も「ここは日本最古のバーではないか」と「そして神戸」の中で語っています。

バー「アカデミー」
海を渡る握手さん

15年ほど前に行きました、壁に小磯良平や竹中郁の寄せ書き(www.kobe-np.co.jp/news/odekake-plus/news/detail.shtml?news/odekake-plus/news/pickup/201701/9860608)がありました。

震災前まで、阪急三宮駅ビルには、阪急シネマ、阪急会館、阪急文化、という3館の映画館が入ってました。
最上階の阪急文化がお気に入りだった。
映画を見てると、電車の轟音が響いてくるのだった。
西側の高架下にも、確か「三劇」と「三映」という映画館があった、と思います。

バー「アカデミー」
たろからさん

加納町の交差点近くにあって、創業は大正時代。
谷崎潤一郎や小磯良平に愛された店で、神戸の画壇、文壇の人々が集まる店だったとか。
昔、東京で、元画家の喫茶店ママに「神戸だったら、ここ知っってる?」と教えられたのだけど、行く機会がないままに。
なくなる前に一度行きたかった店でした。

大丸の屋上は、観覧車やミニ電車などの遊具を具えた遊園地でした。
赤い板に玉子焼きを乗せて出汁で食べさせる、本格的なたこ焼きの店が隣にあって、子供のころは、その両方が楽しみでした。

今も「カスクート」と呼ばれるものは売ってますが、あれじゃないんです。
今よりももっと細身のバケットに、ただベーコンだけを挟み込んだサンドウィッチ。
シンプルだけど、これが、もう、ものごっつ旨かったんです。
ぜひ是非、復活を望みたいです。

原田の森にあった関西学院からの帰り、タルホ少年は、山手のトアホテルから坂を下って、“チャイナクォーター”(南京町?)に立ち寄った後、また坂道を上がっていって、突き当りを左に折れたあたり、と書いてあるので、多分、中山手通の4丁目か5丁目あたり…じゃなかったかと思われます。

1970年代、当時一世を風靡していた野坂昭如さんが、コート姿で、臨港線と貨物駅の線路上を歩くコマーシャルが、全国区で放映されてもおりました。
野坂作品で描かれた、戦時中と戦後の神戸の風景もまた、なくなって久しいですね。
『火垂るの墓』の風景も。

“酷道”428号線
たろからさん

今でこそ、全線がきれいに整備されてますが、1990年代初頭までは、ことに箕谷-淡河間が、まさに「酷道」でした。
区間全線が未舗装、山越えの急坂とヘアピンカーブが連続する1車線の狭いダート路は、ラリー気分でワイルドかつスリリング。
対向車とのすれ違いもまた、スリル満点だった。

未舗装の国道
たろからさん

1972年に、居組駅前から浜坂駅行きのバスに乗った。
国道178号線は、海岸沿いの断崖絶壁をクネクネと辿る未舗装のダート路だった。車窓は絶景だったが、ときどきヒヤリとした。
後年、TVの深夜映画で見た『悪名』に勝新・田宮次郎コンビがこの道路を旅するシーンがあり、少し感激した。