県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

【勝手にエール|vol.003】“和歌山・有田みかん”の地に、行ってきました。

兵庫県に五国あり。関西に2府3県あり(※兵庫県のぞく)。
兵庫五国が、それぞれ、関西5府県に
勝手にラブレターをしたためる。
そんなプロジェクト「勝手にエール!」の相手先を、
兵庫県広報官の湯川カナが訪れます。

文:湯川カナ(兵庫県広報官)

第3弾は、淡路からのラブレターをお届けした、和歌山。

目指すは、日本のみかん名産地の代名詞ともいえる「有田」(ありだ)。一年を通じて気候温暖、日照時間が長く、夏の降水量が少ない。太陽サンサン、みかんもパンダも観光客も大喜び!

そう、和歌山といえば、関西人にとってのハワイ(のようなもの)。ちょうど兵庫県におけるリゾートアイランド・淡路とよく似たポジション。ワクワクしながら立ち寄るサービスエリアにも、太陽色のみかん製品がずらーり。

……なのですが、この日はあいにくの豪雨。

「みかん街道」に入り、斜面を緑色のみかんの樹が埋め尽くす山々のあいだを縫うカーブの連続の先、真っ青な紀伊水道や湯浅湾をパノラマで眼下にぐるりと見渡すお洒落なイタリアンレストラン……のはずだけどこの日は霧の中に佇む「テスティモーネ」へ。しっかり美味しいパスタをいただいて、すぐ近くの早和果樹園さんにうかがいます。

ところで、和歌山といえば紀伊国。紀伊国といえば紀伊国屋文左衛門。
紀伊国屋文左衛門といえば、まだ17歳の時に、江戸の鍛冶職人の祭りに欠かせないみかんを、誰もが船出を見送るひどい嵐のなか産地の有田から唯一送り届けた決死の「みかん船」で知られます。この件で財を成したという稀代の勝負師であり、また歴史に名を遺す商売人の墓は、出生の地・お隣の有田郡湯浅町にあります。建てたのは、20世紀を代表する経営者・同じ和歌山県出身の松下幸之助。

最速で動くワイパーを眺めながらそんなことを考えていると、車は、山の斜面から川沿いの畑までみかんの樹で埋め尽くされる景色の中に佇む早和果樹園さんに着きました。

【大反対された、みかんジュース】

湯川:こんにち……わっ! このジュース、いただいていいんですか? ちょうどいまイタリアン食べてきて、口の中をさっぱりしたいと思ったんです。……おおー、見るからに濃いですね、トロッとしてるくらい。わあ、あっまーい!!

秋竹さん:そうですか、よかったです。これは、糖度12度以上の「味一みかん」だけでつくった「味こいしぼり」。いままでの呼び方だとこの「味一しぼり」ですね。

湯川:めっちゃ美味しいんですけど……あの、いくらくらいするんですか?

秋竹さん:発売した2004年で、この720ml瓶が、1,260円。

湯川:おー! やっぱり、けっこうしますね! あ、すみません!

秋竹さん:いや、そう思うでしょう? だから最初、私がジュースをつくろうと言った時は、みんなから「やめろ、やめろ」って、それはもう大反対。そんな高いのが売れるわけない! 採算も合わん! って。

秋竹さん:ただ、みかんというのは、天候に大きく左右されるんですよ。たとえば私たち農家が、この「味一みかん」……1キロ400円くらいになるのを狙って、「マルチ栽培」といってですね、まあそれは大変手間をかけて水分コントロールしながら糖度を上げていって、完熟にさせていくわけです。

それが、収穫直前の時期に、雨が一週間続いたり温度が高かっただけで、「過熟」といって実が熟しすぎるんですね。それだけで、みかんの皮に筋が入ったり割れ目が入って、もう出荷できない。実際にそういうことがあって、もう、がっくりきましてね。そうしたら加工用になるんですが、当時の引き取り値は、1キロあたり7円。

湯川:7円! それでなんとかなるんですか?

秋竹さん:なりませんよね(笑) 1年やってキロ7円では、みかん農家を続けられません。なのでとにかく、付加価値がつき、農家に安定収入をもたらし、農業を続けられるようにするためには、加工をするしかない、と。味には自信があったんです。そこらの濃縮還元ジュースとはまったくの別物だから。

湯川:とはいえ、1本300円くらいのジュースもありますもんね。あの、めちゃくちゃ失礼ですが……売れます?

秋竹さん:それがね、今年(2020年)の5月9日、つまり母の日の前日ですが、楽天の全商品の総合売上ランキングで4位になったんです。半日のデータですけど。コロナウィルス関連で、ふだん販売している道の駅や百貨店も閉まって3月は売上が前年の8割、4月はさらに6割と大変だったんですが、そのなかで社員がしっかり準備してくれまして。

湯川:社員……。あっそうか! 会社なんですね。

秋竹さん:そうそう、「会社にした」というのがポイントでね。法人化しなかったら、このジュースはできてなかったですね。現在、年間売上10億円! 生のみかんだけではとても、とても。

【みかん一筋で、食っていく。】

秋竹さん:ここ有田には、だいたい5,000軒のみかん農家がありました。私も何代か続くみかん農家に生まれて、当たり前のようにみかん農家になるもんやと思って、地元の県立農業高校の柑橘園芸科というところを出て、みかん農家になったわけです。

それから地元の若手農家7戸が集まって、1966年に「早和共撰組合」というのを立ち上げて、新しい生産技術を学んだり、実際に取り入れたりということを始めました。これが早和果樹園の母体です。この仲間が良かったから、今日まで続いていると思います。

湯川:当時、みかんを取り巻く状況って、どんなかんじだったんですか?

秋竹さん:いまからは想像できないと思いますが、当時のみかんは大企業のサラリーマンでも買えないと言われるくらいの高級品。だから、農業としても非常に良かった。それで全国で作りはじめると、永年作物なので、毎年、収量が増えるでしょ。するとどうなるか。「豊作貧乏」そのもの、一気に市場価格が暴落です。それが1968年、私は24歳の時でした。

秋竹さん:まわりはもう「みかん、アカン」と畑を諦めて、農家の親父がヘルメットかぶってアルバイトしたり。いわゆる兼業化ですね。こどもにも、畑を継がせずにサラリーマンになれといったり。そうなると、こどもたちも、もう継ごうとしませんよね。

湯川:あー。たしかに、いろんな、いわゆる田舎で、親が「お前はこんなところに居るな」とこどもを都会へ出そうとしたり、「お前はもっといい職業に」と農業を継がせようとしないという話、いまでもよく聞きます。

秋竹さん:そういう諦めのムードが、私はすごく嫌だったんですね。他の土地は知りませんが、有田は、みかん一筋の農家でずっとやってきた農家が多いわけです。私たちみかん研究会仲間も、「私たちはみかん一筋で、農業で食っていく」と決めていました。でも、所属している組合では、やっぱり世代が違うこともあって、話が合わない。そこで研究会の7戸が組合を飛び出して新しい組織をつくって。

湯川:わ!紀伊国屋文左衛門も、17歳でひとり「江戸に行くぞ!」と仲間を募ったら、命知らずの若者たちだけが集まって、荒波に漕ぎ出したってききました。やっぱり、土地柄なんでしょうか?

秋竹さん:それはどうでしょう(笑) ただ、どこも大きな農家で、自分らの親が理事とか組合長だったもんで、それはもう大変でした。私たちの親は何も言わなかったのですが、周囲からは泣いて引き留められたり、「お前たちは、新自由クラブみたいなやっちゃなぁ」なんて言われたり。

【みかんだからできる。】

湯川:農業が厳しい時代に、「みかん一筋で生きる」って、相当な覚悟が必要ですよね。それでも、お子さんたちにも「農家はやめとけ」とは言わず?

秋竹さん:一言も、言ったことないですね。なのにありがたいことに、我々7軒のうちのそれぞれ長男4人がみかん農家をやる、と。それが組織の、いわゆる後継者になるわけです。

とはいえまだ「農業で未来に夢を描ける」というほどではなかった。そんなとき、ちょうど県の担当者からいろいろ指導していただいているなかで「農業を法人化できる」と聞いて、「そらええ!」と思って法人化しようと提案したらですね、

湯川:おお、また新たな挑戦を! 紀伊国屋文左衛門魂!!

秋竹さん:「そんなことでもせんでええ」と(笑) 結局「やろう」となるまで、2年ほどかかりました。それで2000年に法人にしてそれぞれの農園を一括管理しはじめるんですが、当時はそんなことをするところなんてないので、周囲の農家からは完全アウェイ。

ただ当時は、農業が右肩下がりの時代です。だからこそ、「誰もやったことがないことをしようとするから、支援する」と、県や市の方らがとても注目して、いろいろ支援をしてくれたんですね。新しいことをしようとすると、反対もされるけれど、支援もされるんです。で、そうなったらもう、張り切らなあかんでしょ?(笑)

秋竹さん:こうして会社として7戸で力を合わせて、糖度12度以上の「味一みかん」を狙ってつくっていました。そしたら、畑全体ですごくいいみかんができて、「これは……!」と思ったところ、収穫直前に雨が続いて過熟になって、ほとんど売れなくなってしまったという年がありまして。

湯川:あー、キロ7円になるやつ!

秋竹さん:そうそう。でも諦めきれずに、育てたみかんをコップに搾り込んでみたら、色からして違う。濃さが違うんですね。そして飲んでみたら、うまさが違う。

そもそも、うちの先進的な栽培法を取り入れてやってきたみかんは、東京の新宿高野や千疋屋でも評価されていました。質には自信がある。だから、この、年によっては全収穫量の数パーセントしかない味一みかんだけを搾ってジュースにしよう、と。

湯川:最初に話されていた、あの大反対されたという件ですね(笑)

秋竹さん:ええ、もう、まわりから「やめ、やめ」って(笑) さすがにシュンとして帰りました。でも原料が良いから、いいものができる自信はあったんです。なのでたとえば搾り方にもこだわって、一般的な、外側ごと搾る方式ではなく、手間はかかるんですが、ひとつひとつみかんの外皮を剥いて、薄皮ごと裏ごしするチョッパー・パルパー方式でやる、と。

秋竹さん:ちょうどタイミングよく、国が農業への投資を本格化しようとするところだったんです。それで結局、関西で最初の事例として、そのアグリビジネス投資育成株式会社から投資を受けて加工に乗りだせました。これも法人にしていたからです。この、いわゆる六次産業化……みかんをつくるだけでなく、加工して販売することで、雪崩のような値崩れからみかん農家を、つまりみかんを、守る。それを実現するための、企業農業実践です。すべては、みかんの可能性を信じているから。いま、加工用みかんの価格も1キロ50円までになりました。

湯川:おお、7倍!! ……あ、いま思い出したんですが、たしか紀伊国屋文左衛門も、和歌山でみかんが豊作で、大阪でむちゃくちゃ安く買い叩かれたのので、決死の覚悟で嵐のために市場価値が高くなっている江戸へ運ぶことで活路を見出した、と聞きました。後から聞くと「それはそうだろう」ということでも、実際にされる方にとっては「決死」ですよね。たとえば「投資を受けて」ってサラッと言われましたけど、それだけの期待を受けて投資される覚悟が要ることやと思いますし。やっぱり、チャレンジャーですよね。

でもこれで、天候に左右される農家さんも、安心してみかんづくりができるようになるんですよね。あ! それと、さっきびっくりしたことがありまして。お隣がオフィスですが、社員さんですか? 若い方が多いですよね。

秋竹さん:そうなんですよ。いま20代の社員が40%と、若い人がいっぱいです。地元出身の大学生が帰ってきてくれるのが多いですが、大阪や兵庫の国立大や有名私大なんかを出て、来てくれたりもするんですよ。2019年のプレエントリーは、250名。ありがたいことです。

湯川:ええー!! 田舎であっても、しかも、かつて土地のひとが「こどもに継がせたくない」と言っていた農業をしに、わざわざやって来るんですね。「地方」や「農業」の常識を変えますね。

秋竹さん:そういう意味では、もうひとつ驚かれることがあるんですが、創業者の7戸の農家の奥さんたちも、株式会社をつくっているんですよ。こちらは平均年齢72歳、最高齢が84歳かな、全員がめちゃめちゃ元気で、現役です。

若いひともそうだし、女性で高齢者が活躍するこれからの社会の実現というのも、「みかんだからできる」と、私は思ってます。

【まだまだ、みかんの可能性を信じている。】

湯川:ところで今回、ポスターでは有田みかんと、淡路島の玉ねぎを一緒に紹介させていただいているのですが……。

秋竹さん:ああ、「自分では買わん」というの、たしかにそうですね。

そうそう、淡路島といえば、私が50代の頃、ハウスミカンを学びたいと家に研修に来てくれたのが、洲本の平岡農園というところの息子さんだったんです。半年ほど泊まり込みで。それまでは私と家内と息子とのいわゆる家族農業で、まあ適当に、朝起きてからその日することを決めるというかんじだったんですが、仕事もよくできる子だったので、そういうわけにもいかん、と。それから仕事も事前に段取りをつけて、日曜日はちゃんと休むようにして。

こうして彼ひとりが入ったことによって、ハウスミカンの作業がめちゃくちゃ進むんですよ。計画って大事や、ぜんぜん違う、ということを痛感しました。この出来事が、その後の法人化へと進む、いちばん大きなきっかけとなってますね。

湯川:そんなご縁が! 

秋竹さん:平岡さんからも「積極的に前をむいてやるということを学ばせてもらった」と言ってもらって、嬉しかったですね。その後も何回か見学に来られまして。平岡農園さん、地元なのでご存知かと思いますが、とても熱心に農業に取り組まれていて、レモン狩りなんかも立派にされていますよ。淡路のお土産物屋なんかにも平岡農園さんのレモンの加工品が置いてありました。あっそうそう、去年、社員旅行で淡路島に行ったので電話したら夜来てくれて、一緒に飲みましたねぇ。

湯川:おおー! なんだか兵庫県民としても、嬉しいです! ところで、秋竹さんからご覧になって、淡路島の玉ねぎは、どう映りますか?

秋竹さん:淡路島もいろいろ加工をやられていて、すごいな、と。淡路島の玉ねぎは、生でも食べられますよね? 私は一次産業から見てきているものだから、もう、「可能性のかたまり」という気がします。

秋竹さん:みかんの場合、生産者は、できるだけいいものを生で出荷しようとすることが多いんですが、お話したように、みかんは天候に大きく左右されます。でも消費者の目線から考えてみても、気象を言い訳にする農業はやりたくないんです。

どんな天気であろうと、年間を通していつでも美味しいみかんが食べられるように、価値をしっかりつけられる商品開発をして、加工で消費をのばし、原料費をあげていく。その結果、一次産業である農家の「いいものをつくる」という大事なところを支えるというのを、これからはもっとやっていかんとあかんと思いますね。

湯川:なるほど。なぜ周囲から反対されてもジュースや加工に進むのか、なぜ法人化するのか……すべて、地域の農家さんの「みかんづくり」を支えるところに戻ってくるのですね。

秋竹さん:そうです。なぜかというと、自分たちには、この地域に「有田みかん」というブランドがあったのが、非常に有難かったと思っているんです。だって、こちらから「美味しいですよ」と言わなくても、「有田みかんです」と言うと、向こうから「美味しいですよね」と言ってくれるでしょ? 

淡路島の玉ねぎも同じで、「淡路島の玉ねぎです」と言えば、誰もが「ああ、すごく美味しいですよね」って言いますよね。地域の農産物としてのブランド価値が、ものすごく高い。なので、それをリブランディングしながら、新たな淡路島の玉ねぎの価値を見出していくというのが、いくらでもできるだろうなと。  みかんも、まだまだ活用しようとしたら、いっぱいありますよ。ぼくらは、みかんの可能性を、まだまだ信じています。

【みかんがひとを養っている】

梅雨入り前なのに、あいにくの天気でした。せっかく和歌山だから太陽と樹々の緑と海の青を期待していたのにな、と思いつつ、「でも、みかんには必要な雨だったりしますか?」と訊くと、秋竹さんは「それはそうですね」と、優しい顔で頷かれました。

取材するまで、みかんは生業のための「ツール」なのだと思っていました。でも、工場見学をさせていただいたときの徹底した衛生管理(和歌山版HACCP)、資料で拝見したドローン等を用いたICT農業、そして専門用語がいっぱい出てくるこだわりの加工……すべての、過剰なまでに見える環境が、ひとつのみかんの可能性を活かしきるために用意されたことを知って、ああ、完全に間違っていたな、と思いました。

ひとがみかんを育てているのではなく、たぶん、みかんがひとを養っている。
ただそれは、みかんという土地の恵みの可能性を信じ切り、人生を賭けて、みかんとともに生きる(いやむしろ「みかんと共にしか生きない」)と肚を決め、嵐のなかに船を漕ぎ出すような決死の覚悟で、絶え間ない挑戦を果敢に続けるひとたちだけに起きることなのかもしれません。

さまざまな逆境を超えていく「早和果樹園」という乗り物は、ひょっとしたら、現代の「みかん船」なのかもしれないな。

【まるで宝物を載せるかのように】

帰り道、近くのファーマーズマーケット「ありだっこ」に立ち寄ります。広々とした店内には、ちょうどシーズン真っ盛りの梅、桃、ぶどうなどの果物、野菜、そしてみかんの加工品がたくさん並んでいました。どれも生産者のお名前が入っています。ここ有田や和歌山では、たくさんの農家さんが、たくさんの産物をつくられている「リアル」が、売り場全体から立ち上っています。

壁に、みかん色した「有田むき」のポスターが、大きく掲げられていました。外の皮ごと半分に割り、さらに半分に割って、1/4にするものだそう。秋竹さんが「この地域ではふつうのむき方ですよ。インターネットに、息子の社長がやってる動画が載ってますよ」と言われてたやつ。

一見するとと荒っぽいむき方だけど、すごくすごく丁寧に扱われていることがわかるのは、みかんを載せている手のかたち。そっと、まるで宝物を載せるかのように、大事に持っています。四つに分かれたみかんは、ちょうど、四つ葉のクローバーのように見えました。幸せの、象徴。なんか、素敵だな。

……というわけで、取材から帰ってから、動画を見ながら実際にやってみました!

まず、みかんの下側(?)から、親指をぶすっと入れます。わー、なんか、罪悪感。めりっ。ふたつに割ります。それをめりっ、さらにふたつに。おお、4つになった! そのみかんの塊を、内側からくるっとはがすように外しつつ……えーっと、動画によるとそのままお口にダイレクト・イン! なんてワイルドなんだ! え、ええーい!!

わお。いままで、ていねいに外皮を剥いて、白い筋をぜんぶ外して、ちょっと乾き始めた小袋を舌で感じながら食べてたのと、ぜーんぜん違う! あらあらしくて、みずみずしい。何個かやってみて、ひとつもポスターみたいな美しい四分割にはならなかったけど、でも、その不格好なところもふくめて、なにか「命」のようなものを感じることができました。

天候や世の中の流れと闘い、味方につけながら、みかんに命を懸けてきたひとたちの、命、なのかな? もうひとつ、ありがたく、いただきます。

 ・  ・  ・

【 早和果樹園本社店 】
所在地:和歌山県有田市宮原町新町275-1
営業日: 年中無休(元日を除く)
営業時間: 【平日】 9:30~17:00 /【土日祝】10:00~17:00
電話: 0737-88-7279

【 ファーマーズマーケット「ありだっこ」 】
所在地: 和歌山県有田郡有田川町土生33-1
営業日: 第1・第3水曜日(GW、お盆、彼岸は除く)、12月31日~1月5日
営業時間: 9:00~18:00
電話: 0737-53-1311


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U5H(兵庫五国連邦)は、たくさんの方に、「あるある」でふるさとを語り合っていただくきっかけをつくるプロジェクトです。
学校や職場、喫茶店や居酒屋、商店街、公民館、いろんな商店……。
ポスターをご希望の方がいらっしゃいましたら、不特定多数の方の目に触れる場所に貼っていただける方に限り、喜んで分けさせていただきます!

以下の項目をご記入のうえ、U5Hウェブサイトの問い合わせフォームhttps://u5h.jp/contact)からお送りください。

(1)ご希望のお渡し方法
● 郵送(着払いによる発送…県内約1,400円)
● 県庁にて直接受け取り(事前に来庁時間をお知らせください……無料)

(2)ご希望のポスター
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● 種類(各国それぞれの指定、または五国すべて)
● サイズ(B1、B2、A3)
● 枚数(※最大5枚まで)

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