県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

県公式・兵庫五国連邦プロジェクト
   

【勝手にエール|vol.004】“奈良・柿の葉すし”の実家に、行ってきました。

兵庫県に五国あり。関西に2府3県あり(※兵庫県のぞく)。
兵庫五国が、それぞれ、関西5府県に
勝手にラブレターをしたためる。
そんなプロジェクト「勝手にエール!」の相手先を、
兵庫県広報官の湯川カナが訪れます。

文:湯川カナ(兵庫県広報官)
取材日:2020年8月24日

第4弾は、播磨からのラブレターをお届けした、奈良。
「播磨と奈良はボンジュール!」という、これまでにない(あるいはちょっと強引な)キャッチコピーのポスターは、こんなメッセージで終わっている。

「祭り」に地域のみんなが集う、遠くへ行ったあの人も、この日は帰る。
フランス語なら、こう言っちゃうね。
「ボンジュール(こんにちは)、サバ(元気)?」
おかえり~!
播磨と奈良は、いつもあなたを想ってます。

そう、奈良といえば、サバが人気の、柿の葉すし。
今回はその故郷、柿の葉すしの有名店が居並ぶ五條市……を通り過ぎ、小さな川を渡り、やがて柿の木の丘を横目に、車がすれ違えないくらいの山道に入って。斜面に張り巡らされた鉄のネットの合間に顔を出して咲く、なんだか可憐なヤマユリたちに心洗われながらしばらく山道を分け入ると、ここは西吉野。あたりはもう、一面の柿の木。

つやつやと濃い緑のなかに現れた植栽が見事なお宅から、黒々とした髪の男性が出てくると、「ようこんな田舎まで」と笑顔で迎えてくださいました。吉井さん、昭和17年生まれ……ということは、今年78歳。現役の「柿の葉農家」さんです。

【せっかく柿の葉すしを買うてもらって、ね。それが破れてたり、ごはんがはみ出てたりしてたら、嫌でしょ?】

自宅隣、「柿の葉すし用の柿の葉専用の柿の木」にお連れいただきます。種類としては、いわゆる渋柿。真っ直ぐに伸びた枝の、上の方にだけ、少し葉っぱが残っていました。

「もう、今朝みんな採ったからね。これ、徒長枝(とちょうし)ね、この先の方に出てくるやわらかい葉っぱは、使えない。いや、使う農家さんもいるけど、うちは出さない。だって、せっかく買うた柿の葉すしが破れてたら、嫌でしょう?」 そんな”柿の葉すし用に出荷するには大きさが足りない葉”を、枝からとっていただく。あ、ぜんぜん大きい。わ、柔らかい。厚みがあって、ひんやりして、きもちいい。えっ、柿の葉って、こんなだったっけ?

「これはね、実をぜんぶ剪定して。栄養は、ぜんぶ葉っぱに」

なるほど! それでこんなに大きな葉っぱばかり、ワサワサと。ふと隣を見ると、吉井さんが葉の香りを確認して「うん」と言っている。促されて、私も葉っぱに鼻を近づける。おぉーこれがたしかに柿の葉の匂い!……と言うには、ほのかすぎるくらいに爽やかな香り。あ、そっか。私が「答え合わせ」をしようとしていたのは、「すしの柿の葉」の匂いだ。

常緑樹のみかんと違い、柿の木は落葉樹。たしかに童話「さるかに合戦」のイラストを思い出しても、食いしん坊でいじわるなサルが登った、実がたわわになっている柿の木も、枝だけになっていて葉は一枚もない。

柿の葉すし用の葉が収穫できるのは、5月、6月が中心。その時期の吉井さんの一日は、毎日、夜明けよりずっと前、朝4時台に始まる。息子さんとふたりで畑に出て、充分な大きさがあり虫食いなどもない、状態の良い柿の葉を手早く収穫する。太陽が姿を見せない雨の日も、同じ。

柿の葉は、生き物。枝からちぎった瞬間から、どんどん「やける」。だから、やけないうちに、すぐ専用の冷蔵庫に入れる。車で移動する遠くの畑も、いくつもある。朝から父と息子とで何往復も何往復もする。葉っぱをうっかり重ねたままで放置すると、中から熱をもってしまい、すぐだめになる。

「ほら、もう」

吉井さんに言われて、話を聞きつつ握りしめていた葉っぱを見た。ああ、たしかに、しなっとなって、ついさっきここにあった、あの艶がない。これが「やけた」なのだろう。たったこの数分で。そしてこの状態にならないよう、吉井さんは息子さんと細心の注意を払い、初夏から盛夏にかけて、毎日、柿の葉をすし店に納め続ける。わー、いままで無造作に、べりって剥がして捨ててた! ほんとごめんなさい!!

【なかなか手間ですんやで】

見渡せば、一面の柿畑。山の上から見ると、和歌山との県境も超えて連なっている。数百軒の柿農家が集まるここ西吉野で、吉井さんは「オギャア」と生まれた。もちろん家は、柿農家。

小学生だった昭和20年代、何かあったら日の丸弁当の時代。初夏、親戚総出で田植えをする。その数日前から母親や村のおばさんたちが仕込み始めるのが、柿の葉すしだ。

吉野は山の奥。当時は回転すしも寿司屋もない。とても貴重な魚が、塩サバだった。「川魚はありますけど、脂が乗っているのはやっぱり海のが、ねぇ?」。

「なかなか手間ですんやで。おばさんがサバ買うてきて、それを薄うにす(削)いで、ごはんを握りにして。で、柿の葉でひとつひとつ包んで、箱に詰めて、重石して……」

箱?

「それぞれの家庭で、つくってあったの、桶というかね。吉野のあたりは吉野杉なんか使って、きちっとしたのを。それで、できてから一週間くらいは置いておいて。柿の葉すしなんてご馳走、安易に食べられへんさかいに。日にち経ったら、だんだんと柿の葉の裏にサバの脂が浮いてきてね。それでも、おいしい、おいしいって」

柿の葉すしに大切な思い出がある吉井さんは、同じように「ご馳走」として柿の葉すしを食べるひとを悲しませることのないよう、ていねいに、最高品質の柿の葉を育て、出荷する。あの大きく厚く、虫食いも破れも「やけ」もない見事な柿の葉は、吉井さんのような吉野の柿の葉農家さんの思いと、ていねいなお仕事の結晶なのだ。

【地元の人にも他所の人にも、土地の名物を食べてほしい】

吉野の山間の村では初夏の田植え期に食べられていた柿の葉すし。山を下り、交易で開けた五條市内に入ると、夏祭りのご馳走となる。

五條という地名の由来には、いくつかの説がある。ひとつは「五つの川があったから」。もつひとつは「五つの街道があったから」。川を下って、近代までずっと建材として燃料として日本人の暮らしを支えてきた最良の木材が筏に組まれてやってくる。そして陸の街道からは、塩をまぶした貴重な熊野灘のサバを背負った行商人がやってくる。

江戸時代は商人への免税特権もあり、五條は「山と海と、まちをつなぐ場所」として大いに栄えた。明治3年には「五條県」も誕生している(翌年、廃止して「奈良県」へ)。

このまちで生まれ、育ち、いま柿の葉すしを作り続けるトップランナーにお話を伺った。『柿の葉すし本舗たなか』代表、田中妙子さん。

「五條市は、言ったら、紀伊半島のおへそのような場所なんですよね。山を越えたら大阪の河内方面、西に行けば和歌山、東に行ったら奈良、下ると熊野、それに伊勢につながる道もあり、十津川村に下るひとたちの中継地点にもなっていて。

それで、鉄道……といっても、いまは1時間に1本くらいしか電車がなくて少しさびれているような雰囲気ですが、明治後期には始発でもあり終点にもなっている国鉄五条駅がすごく賑わっていて、それに、新宮などに抜ける大きなバスターミナルもあったんですね。で、製材所などいわゆる木材関係を中心に仕事もたくさんあるので、地元のひとだけじゃなくて外のひともいっぱい来るような土地で。

曾祖父は大工の棟梁で、曾祖母は職人さんたちのまかないをつくっていて。そんな関係で、駅前の商店街で始めた食堂で、夏に「地元の人にも他所の人にも、土地の名物を食べてほしい」と柿の葉すしを出したのが人気で。やがて父親を早くに亡くした祖父が、柿の葉すしを年中出せるようにと柿の葉の保存方法を工夫して専門店にしたのが、『たなか』の始まりなんです」

【鯖寿司ではなく、みんなでごはんを食べる、柿の葉すし】

田中さんは昭和52年生まれ。育ったのはJR五条駅近く。当時はその実家の下が、柿の葉すしの工場だった。毎日、朝から大量のごはんを炊いて、酢飯にして、それをおばちゃんたちが握って、柿の葉すしにして……。

「家に365日柿の葉すしがあるから、もちろん残り物を食べたりしますし。で、あんまり見過ぎて、とにかく柿の葉すしから離れたいと思うくらい嫌いになって(笑)」

大学は兵庫県西宮市に。さらに建築の道に進み、住宅メーカーに就職する。地元から離れて直面したのは「誰も柿の葉すしを知らない」事実。

「たとえば大学生って、鍋パーティーするでしょ。で、『シメはうどん? 雑炊?』って言ってるときに、『柿の葉すしがあったらちょうどええのに!』って思ってたり(笑) なんか悔しくて。仕事で京都市内に赴任した時には、みんな知らないから、わざわざ自分の店で買って差し入れに持って行ったりして」

そうして、「母から娘へ、姑から嫁へ」この地域で受け継がれる柿の葉すし専門店の跡取りとして戻ってきた。もう、柿の葉すしのことは誰より詳しい。
「できたての味は、塩角が立ってるんですよね。そこから漬かっていくと熟成していって甘みに変わっていくので、味が丸くなるんです。なので、できたてよりも少し味がなじんだ頃が食べ頃なんですよ」

ポスターを見ても、鯖寿司に興味津々。

「わー、知らなかった! けっこう珍しい形ですよね。京都のは上にバーンと上に半身載っていることが多いんですが、これは本当に内臓の部分にごはんを包むような。サバ、瀬戸内海で獲れたのを使ってはるのかな? 脂がのってるといえば、北近畿が有名ですものね」

そんな京都の鯖寿司を知るお客様からは時々、「このサバ、ペラッペラで薄すぎひん? こんなん鯖寿司とは言わへん」とクレームが入る。田中さんは笑顔で「これは鯖寿司ではないんです。魚の旨味がしみ込んだごはんを食べる、柿の葉すしです」と答える。

山の中でとても貴重だった海の幸。たっぷりの塩で漬け込んだ、最高に脂ののった鯖をみんなで少しずつ分け合って美味しく食べるために先人が考え抜いたのが、このサバの薄さ。見よ、この、ごはんとの絶妙のバランスを。塩と酢のダブルでしめたあと、大勢でも食べやすいように、寿司をひとつひとつ包む、大きくて香りのよい柿の葉。ラップのない時代に、乾燥を防ぎ手も汚さない食べ方。そんな柿の葉すしのすべてに、誇りがある。

【自分たちを生み出してくれた地域の文化を、未来へと残す】

「柿の葉すしは、それぞれの家で味が違うんです。だから、好みですよね。うちのは『田中家』の味。売るほど作っているだけで(笑)」

いまは工場でつくっているが、それでも92歳の祖母はつい最近まで、「夏にはやっぱり柿の葉すしを作りたくなる」と自分でも柿の葉すしをつくっていた。夏の定番は、柿の葉すしと三輪そうめん。柿の葉すしのレシピは、和歌山から五條市にお嫁に来た祖母に、大工のまかないをつくっていた姑が伝えたもの。

お祖母様と並んで、田中妙子さんも、一緒につくっていた。「うん」 お祖母様が、満足そうに頷く。「やっぱり自分でつくった方が、うまい」。機械で成型しない、不揃いのごはん。ごはんがくっつかないよう手に酢をつけながら握るから、ふだん市販している「たなか」の柿の葉すしよりも酸っぱいごはん。それらをひとつひとつ、季節によっては生の柿の葉で包み、「自分とこの桶」に入れて……。

やっぱり、桶があるんだ! 「田中家」の柿の葉すしの桶、気になる。

「うちのは祖父の代からのでそんなに古くないんですけど、五條市では、古い建物の蔵から柿の葉すし用の木桶が出てきていて、そこに江戸時代の「文化」という元号が書いてあったので、1810年頃にはこの地域で柿の葉すしがつくられていたことがわかっているんです。うちの桶はいまでも手づくり講習会のときに使うんですけど、”アブラギッシュ”ですよ~(笑)」

実は「たなか」を継いだ田中妙子さんには、ひとつ、心配がある。いまや自分がいちばんその価値を感じている、一周まわって大好きになった故郷の伝統食。ただ、こうして専業メーカーの「たなか」があることで、いまや地元では、家庭で柿の葉すしを手づくりする機会が減ってしまった。そのせいで、江戸時代から伝わる地域の伝統食の本来あるべき姿を途絶えさせてしまうのではないか……。

なので、田中妙子さんは毎年、柿の葉すしをつくる講習会を開催している。儲けるだけではなく、自分たちを生み出してくれた地域の食文化を未来へと残す。それが伝統を受け継ぐ者の責務だと思うからだ。

「いまでも、たくさんのひとが集まる、おめでたい席やハレの日に買われる方が多いですね。婚礼もそうですし、お盆とか、年末年始、運動会、お花見、それにバーベキューなんか。地元の方は、日常的に自分で買ってというよりも、やっぱりそうやって何か特別な日に食べることが多いと思います」

フィンガーフードとしてオードブルにも最適のはず、という田中さんは、サバやすでに定番のサケだけではなく、季節によってサンマ、キンメダイ、アナゴ、山菜ちりめん、サワラ、さらにはエビや、スモークサーモンなどの商品化を続ける。大学時代を過ごした思い出の西宮北口駅構内にも出店した。いつか大学生たちが、楽しい鍋パーティーのシメに、柿の葉すしを頬張る日を夢見て。

【いつでも、『おかえり』というために】

「たなか」本店に立ち寄り、噂の”アブラギッシュ”桶を拝見。たしかに、内側が飴色になっている。そこから匂い立つのは、酢の匂いでも魚の匂いでもなく、木の香り。なんだっけ……ヒノキ風呂みたいな? 桶は顔が余裕で入るくらいの大きさで、目算でざっと100以上の柿の葉すしが作れそう。いったい何人家族が、何人のお客様を呼んで、何日で食べきるのだろう? 七五三? 運動会? それとも婚礼???

冷蔵庫なんてない時代から、「生き腐れ」とも呼ばれる足の速いサバを上手に利用し、かつ、酢と塩で充分に保存性を高めたうえで、抗菌・抗酸化作用をもつ柿の葉でひとつずつ包み、さらに抗菌・防虫・防腐作用に優れるスギやヒノキの木桶に詰めた。古くは後醍醐天皇の時代から?今日まで続くこの柿の葉すしの、手のひらにちょこんと乗るひとつの中に、どれだけの歴史と知恵と喜びとが詰まっているのだろう。

本店のすぐ裏手には、五條市の観光名所、重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている「五條新町通り」がある。屋根を見上げると、法隆寺にも見られる波兎から、これは京都で人気の鍾馗さんかな? 風情も趣もある建物が軒を連ねる。なかには1607年築といわれる、日本最古の民家もある。ただ、見学はできない。なぜならいま現在も、持ち主がお住まいだから。本当に、どこまでも伝統を生き続ける、五條市である。

通りの向こうは、川。小さな橋を渡ると、いきなりパアッと視界が開けた。目の前には広々とした河川敷、遠くに連なるは吉野の山々。往時は三倍以上の水量があったという。まるで見えるようだ。山奥で組まれここまで運ばれてくるスギやヒノキの筏、それを力いっぱい引き上げる男たち、料亭の二階でひそかに交わされる材木問の交渉、やがて始まる、取引の成立を寿ぐ宴席。そして各地から訪れる商人たち。あらゆる仕事が生まれ、さまざまなひとが集まってくる、そのまんなかに山積みで供される柿の葉すし。湧き上がる歓声、四方八方から伸びる手、その大きな手で剥かれる柿の葉、立ちのぼる清涼な香りと酢の匂い、脂ののった海のサバと混然一体になった寿司。人がいて、寿司がある。ああ、きっとこれが、柿の葉すしの故郷の光景。

通りの一角に、観光案内所も兼ねた「まちなみ伝承館」があった。パネルで五條市の歴史が紹介されている。五條市は、明治3年に「五條県」となった翌年に奈良県となり、9年には「堺県」となり、14年に「大阪府」に併合された後、20年に奈良県として”独立”したらしい。

それはちょうど明治4年に「姫路県」となり、その後「飾磨県」と呼ばれ、明治9年に「兵庫県」となった播磨国を彷彿とさせた。ともに行政の都合に翻弄され、しかし、祭りや伝統料理など、そこに住む人々の綿々たる営みによって、地域の文化を誇りを受け継ぎ次へ伝え続けてきた。とても誇り高い地域。

五條市観光ポスターが貼ってある。市の出身で名誉市民でもある尾野真千子さんが、オレンジ色の柿を頭にかぶって、こちらに向かって片手を高く上げている。大きく「カモン! 五條市」の文字。そして白抜きで「おかえり」「ただいま」と書いてあった。

ああ、やっぱり! 「ボンジュール(こんにちは)、サバ(元気)? おかえり~」 播磨と奈良は、きっと、いつでもあなたを想っている。時代が変わっても社会が変わっても、文化を、伝統を、しっかり守り続ける。これから先も、「おかえり」と言い続けるために。

【「えー……お寿司を焼くの……!?」】

まちなみ伝承館でかぶらせていただいた、尾野真千子さんも実際に使われたという柿のかぶりものをうやうやしく戻すと、私たちは帰路につきました。途中、地元のスーパーに立ち寄ります。伝承館で勤める女性から、「このあたりでは、スーパーで柿の葉すし用のサバが売ってますよ」と聞いたから。

たしかに、ありました。1パックに30枚くらい、ということは、1度に少なくともそれくらいはつくるのでしょう。私もやってみようかなと思って探したけど、肝心の柿の葉は見当たらず。五條市の人は、いったいどうしているんでしょう? やっぱり、市町村単位で柿の収穫量日本一の五條市では、「柿の葉」は買うものじゃなくて、自分でとったり、いただいたりするものなのかしら? ……というわけで、私は柿の葉を調達できず、自作を断念。できあがった柿の葉すしを、買って帰りました。

母と娘のふたりで、10個入り。少しずつ食べても、3日目に入ります。しかも途中でファミレスで夕ご飯とかしちゃったから、4日目に突入。冷蔵庫の中で、ごはんが硬くなっているのが想像できます。田中さんも「冷ご飯になると芯が残る」って言われてたもんなぁ。あれって、美味しくないんだよなあ……ということで、田中妙子さんに教わった、「田中家伝統・日が経った柿の葉寿司のアレンジレシピ」に挑戦。

「昔はおばあさんがストーブの上で、ころころ転がしてたんやけど。いまならオーブントースターで数分、焼いてみてください。私の好みは、葉っぱが焦げてパリパリになるくらい。もちろんバーベキューなんかでも」

えー……。お寿司を焼くの……!? でも勇気を出して、我が家はオーブントースターがないので、魚焼き網にのせて直火で焼くことにしました。おお、焦げる焦げる。黒くなった。おっ、ボロボロ感でてきた。いや、本気で? うーむ。信じてお皿にとり、こわごわと葉っぱを開いてみる。うお、いい香り! あ、サバが焼きサバになってる。ぱくり。ごはん、ホカホカやーん! レンジとか使わずに!! ねえねえ吉井さん、ごはんが柿の葉からはみ出てないから、焦げてないよ!

うん、これは、おご馳走だわ。柿の葉すし、ありがたい。奈良のみなさん、美味しい食文化をつないでくださって、本当に本当にありがとうございます!

 ・  ・  ・

【 柿の葉すし本舗たなか 五條本店 】
所在地:奈良県五條市新町1-1-15
営業日:年中無休
営業時間:7時30分~19時30分
電話:0747-25-1010

【 まちなみ伝承館 】
所在地:奈良県五條市本町2丁目7番1号
定休日:毎週水曜日(祝祭日にあたる場合は翌日)、年末年始(12月25日~1月5日)
営業時間:9時~17時(入館は16時まで)
電話:0747-26-1330


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U5H(兵庫五国連邦)は、たくさんの方に、「あるある」でふるさとを語り合っていただくきっかけをつくるプロジェクトです。
学校や職場、喫茶店や居酒屋、商店街、公民館、いろんな商店……。
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