Vol.03 岩松 了さんの中華五苑 尼崎店(尼崎市)
ふるさとは、遠きにありて、思ふもの。……胃袋が。
兵庫県を離れて活躍される方(の胃袋)を、いまだ惹きつけてやまない、故郷の思い出の味を教えていただく「ただいまグルメ」 です。
(文章:湯川カナ/兵庫県広報官 )
今回のゲストは、岩松 了さん。
”名バイプレーヤー”と紹介されることが多い、ドラマや映画でよく見かける俳優さん……だけでなく、劇作家や演出家、映画監督としても目覚ましいご活躍をされていて、演劇人や映画人が口をそろえて「好き」「憧れ」と言う存在でもあります。
出身は長崎県。その後、大学進学を機に上京してから、拠点は関東。
ただ、2009年に尼崎の兵庫県立ピッコロ劇団代表に就任されて以降は、多い時には1年のうち2カ月近くを、兵庫県の尼崎市で過ごされることもあるそうです。
阪神尼崎を、そのまま送り届けることはできない。
尼崎市は、兵庫県のいちばん東にあり、川を挟んで大阪府と接する。電話番号の市外局番は、大阪市と同じ06。
市内には、大阪と神戸をむすぶ鉄道が、北から順に阪急・JR・阪神と3本走る。JRと阪神はともに「尼崎」という駅名、だけど、ふたつの駅はだいぶ離れていて、歩くと30分以上かかかる。
岩松 了さんの定宿は、阪神尼崎駅のエリア。「JR尼崎駅周辺より、阪神尼崎駅周辺の方が、特徴がある。そういう意味で、好きですね」
いわゆる大衆居酒屋が並ぶ駅前商店街の、猥雑な雰囲気や、明け方など時間によってはお世辞にも清潔とはいえない光景。そこにある、様々なひとがたしかに生活している気配に、なんとなく「懐かしさ」を感じる。そう、岩松さんは言われます。「さすがに『尼崎が故郷』っていうほどではないけど、たとえば川崎に行くたび、『あ、尼崎に似てる』と思ったりしますね」
ただ、関東の友人に「いま、尼崎にいるんだよ、こんなところ」と写真を撮って送っても、実感している分の半分しか伝わらないのだそう。綺麗に切り取られる写真には収まりきれない、臭いや音、空気感。「阪神尼崎をそのまま送り届けることはできない」。だから、そこにいるしかない。そんなことを感じながら、まちをぶらぶらされているそうです。「いろんなひとがいるから、飽きないですね」
そんな岩松 了さんの、「ただいまグルメ@阪神尼崎」とは……?
昼から夜まで続く稽古を支えるラーメン(微々たる健康への良さも考えて)。
「本当はね、寿司屋が好きなんですよ」
旅先で、タクシーの営業所に飛び込んででも美味しい寿司屋を聞き出して訪れてしまうという岩松さん。だけど「尼崎で必ず行く店」として紹介してくださったのは、中華のお店。
劇場に入れば、長い時間、稽古が続く。その体力をもたせるため、昼時は腹持ちの良いラーメンを食べたくなる。尼崎だけじゃなく、本多劇場がある下北沢でも、行きつけの、つけ麺屋があったそう。
ここ尼崎で、稽古前にラーメンを食べに訪れる店は、2号線沿いにある。「実は昨日も食べたんですけどね」 尼崎南警察署横、ピカピカの派手な看板が目を引く「中華料理 五苑」。
「ぶらぶらしていて、なんとなく入って」、「メニューで『シャキシャキ感が美味しい』が売りの白菜ラーメンを見て」、「炭水化物だけじゃなく野菜も食べるという、微々たる健康への良さも考えたりして」、「で、食べてみたら、たしかにシャキシャキしてるし、スープも美味しいし」……と思ってから、そればかりを食べ続けている。近頃「スープの塩気がきつくなった? 料理人が変わったのか?」と感じつつも、他のメニューを頼んだことは、ない。
ピッコロ劇団が、岩松代表を待っている。
店は、12時を過ぎると近くの勤め人で混み合う。だから岩松さんは、開店する11時半過ぎに、店に入る。できれば40分までに入りたい。
カウンターに座ると、必ず白菜ラーメンを、単品で頼む。ランチ客の多くが注文するハーフチャーハンや天津飯とのセットには目もくれない。丼が出されたら、それまで仕事をしていたタブレットを脇に置き、もくもく食べる。「食べ方のルールとか、ないですね。ただ口に入れるだけ。がさつですから」
食べ終わると、岩松さんは劇場へ向かう。前任の別役実さんから直々に後継者として指名を受けたピッコロ劇団が、岩松代表を待っている。
いま稽古をしているのは、この2020年3月に亡くなった別役実さんがピッコロ劇団用に書き下ろした『ホクロのある左足』。もともと別役さんの違う作品を予定していたが、岩松さんが、別役作品としては珍しい青春群像の再演を決めた。舞台はもちろん、尼崎。東京に行きたい若者たち。
「生活の場だからこそ、人間が集合体になってしまう、だから仲間ができる。そんな若者が『違うところに行きたい』という……ある意味、普遍的な話ですよね」
まず最初に、色をつけてくれた場所。
「ふるさとって、なんでしょうね?」 思い切って、直球で聞いてみました。岩松さんは、この日初めて「うーむ」と少し沈思してから、何かを探るように、ゆっくりと話し始められました。
「……たとえば、ちょっと『家族』にも似ていると思うんですよね。もちろんひとによると思うんですけど、『自分の家族』って嫌じゃないですか。で、そこから離れたい、って思うわけですよね。同じように『故郷』も、そこから離れたい、というものを与えてしまう。近親憎悪というか、とにかく身近すぎて嫌いになる。
家族、故郷、どちらも自分を束縛してくる、何色かに染めようとしてくる。でも、そんな力を強く受けるからこそ、違うところに行きたいと思わせるんですよね。自分を、違う色に染めさせたい、と。
だけど、嫌ってしまえば、あるいは離れることで忘れてしまえば、やがて、だんだん違う意味をもってくる。優しくなることもできる。たとえば、初めて経験をした相手のように。そこから離れることで、別の感情をもち、やがて、そのひとのことが懐かしくなることがある。
故郷とは……ありきたりかもしれないけど、まず最初に、色をつけてくれた場所。それによって自分に『憎む』ということのきっかけを与え、やがて、別の感情を起こさせる契機にもなる。何もないところから、「何かがあった」という始まりの状況を作ってくれるのが故郷なのかもしれないですね。家族もそうですが。『それがないと、自分の歴史が現れない』場所」
ふるさとは、遠きにありて……。岩松さんのお話を伺いながら、自分の故郷や家族のこと、そこから出てきたこと、たくさんのことを思い出していました。
岩松さんが、芸術で地域をつなげることを目指すピッコロ劇団の代表を引き継がれて、12年目。別役実作・岩松 了演出『ホクロのある左足』、きっとこうして、誰もの故郷に触れてしまうものなのでしょう。よろしければ、ぜひ、触れてみてください。
岩松 了さん、ありがとうございました!
岩松 了
いわまつ・りょう1952年生まれ。劇作家、演出家、俳優。岸田國士戯曲賞、読売文学賞、鶴屋南北戯曲賞など受賞多数。俳優としても『のだめカンタービレ』で主人公の父親役、『時効警察』の熊本課長役、『いだてん』の大日本体育協会二代目理事・岸清一役など、テレビドラマや映画で欠かせないバイプレイヤーとして大活躍する。2009年より、兵庫県立ピッコロ劇団代表。2018年度兵庫県文化賞受賞。
<お知らせ>
兵庫県立ピッコロ劇団 第68回公演
「ホクロのある左足」
2020年10月2日(金)~ 7日(水)
「行くんやろ、トーキョーへ……?」
尼崎―鬱屈した日々の中 “ここではないどこか”を求める若者たち
1998年の別役実書き下ろし作品を、岩松了新演出で再演
https://piccolo-theater.jp/event/3187/
【中華五苑 尼崎店】
営業時間 11:30~23:30(23:00ラストオーダー)
定休日:無休(お盆・正月期間休みあり)
住所:兵庫県尼崎市昭和通2-6-1
(阪神電車「尼崎駅」から徒歩7分)
メニュー 白菜ラーメン:702円(税込)ほか