神戸の祭りは西と東で違う祭りをやっています。西(西区・垂水区)は(播州)屋台で東(灘・東灘)は(阪神)だんじりをしてます。
出張や旅先でうえがきの鶯ボールが当たり前に売っておらず、神戸土産だと知った時の衝撃…。
いのししと共存。
宝塚音楽学校の卒業式、合格発表、入学式がニュースに登場するのは、兵庫県だけではなく、もはや関西の春の風物詩だ。
が、その宝塚の町が、元は「温泉街」として開発され、歌劇も元々は「温泉の余興」だったことは、もはや地元民ですら覚えていない。
神戸は疑問系の時
「〜しとん?」
という。
ねとん、おきとん、なにしとん
神戸・北野町に観光客が押し寄せるようになったのは、1977年のNHK朝ドラ『風見鶏』がきっかけだった。
それ以前の北野町~山本通り界隈は、実は「ラブホ街」だった。
観光客が続々と押し寄せて、「カップルが入りにくくなった」と廃業するラブホもあったが、今なお結構残っている。
コーベブックス、流泉書房、漢口堂書店、日東館書林、丸善、海文堂、宝文館、かつて学習参考書や学校指定図書、話題の本、ベストセラー図書などをさがしもとめるゴールデンルートでした。
神戸や阪神に「ミニスカ女子高生」がほぼ皆無なのは、この地域には歴史のある伝統的女子校が多くて、その制服にどこも「右へ倣え」してるから、だそうだ。
そのせいか、大阪や京都で、やたらに短いスカートの女子高生を見ると、なんだかやたらに田舎臭い、と感じてしまう…のは、偏見だろうか?
たこ焼きは、浮き粉と卵主体の黄色いヤツで、出汁で食べるものと認識していた。ソースで食べるたこ焼きを初めて食べたとき、「これ、たこ焼きと違う。丸いお好み焼きやんか」と言うたのは、1968年、中学1年の時です。
そのたこ焼きを、明石では「玉子焼き」と称し、大阪では「明石焼き」というのを知ったのは、それから10年後だった。
兄に「中央区は元生田区と元葺合区、西区は元垂水区やったよなあ」と話していると「北区は元兵庫区やで」と言われて、衝撃を受けた。
街に降りてきたイノシシは信号を守る(らしい)。
明石市民は市外局番078、神戸ナンバー、高校は加古川の頭ええとこへ、と人様のええとこどりばっかりしてる。けど便利。
幼少期のうちに、六甲おろしを3番まで唄えるようになる。
淡路はちょっと異世界。
「やばいだ(やばい)」「行けらん(行けない)」可愛すぎる。
神戸さんが「ややこしいわ。区別のために明石焼きでええやろ」と怒ってられますが(【播磨(エピソードマンガ4コマ)】玉子焼)、神戸(長田)で「玉子焼」と言えば「ベビーカステラ」…
尼崎、西宮、芦屋、伊丹、宝塚あたりはどこに住んでいるか聞かれても大阪や神戸とは答えない。
大体兵庫かそれぞれの自治体名で答える。
阪神間というが、バラバラで協力関係にないどころか冷戦状態。
伊丹に至っては、空港つながりの大阪豊中とごみ焼却場を共同運営。
はばタンやわるタンを見かけるとテンションがあがる。
東京の風月◯が本家であることを知らない、又は認めない。
「コープさん」はどこにでもあると思っているし、
元気なら店に行くし、しんどいときは近くまで届けてもらうのが当たり前。
県民性・方言の本で紹介されていた、わかりにくい博多弁…
「この席とっとーと?」
え…?
神戸とちょっと違うけど、意味通じるんですが?
普通に「うん、とっとうよ」と返せる。
「◯◯とう」「ばり」等、何故か兵庫と福岡の方言には、似た所がある。
山側と海側のお話し。
それがよく象徴されているのが、大丸店内の方位表示カンバン。
神戸を意識したサービス ? それとも自意識過剰 ?
でもこの山側、海側、北区や西区ではどうするんやろ。
いつのまにか母校の西宮北高が涼宮ハルヒの聖地になっていたり、喫茶店「ドリーム」にも聖地巡りの人たちがクリームソーダを飲んでいたり…時代は変わりましたね。
神戸市の南側はほとんど雪が降らないが、北側はかなり降る。ごく稀に南側で少し雪が積もって喜んでいると、北区や西区の人に鼻で笑われる。
浜風、そして山風。
坂を駆け上がったり駆け下りたりする風で夏でも大阪京都よりは涼しいのが神戸の特徴。冬の寒さはウインドブレーカーでかなり和らぎます。
六甲山の言い方で神戸っ子か否かわかる
晴れか雨かは六甲山を見て判断する。
長崎とかよりも神戸の方が中華繁華街は良いと絶対的に自身を持ってる。
北を上。南を下と言う。
例えば
「JRの上にあんねん」と言う説明を「JRの北にあるのか?JRの駅ビルの上階にあるのか」はニュアンスではんだんする。
「水木しげる」のペンネームは、確かに、当時住んでいた兵庫区水木通りが由来です。
そして「鬼太郎」もまた、神戸生まれです。
「鬼太郎」の原案を作ったのは、昭和戦前の神戸の紙芝居作家、伊藤正美、辰巳恵洋という二人。
その「ハカバキタロー」という紙芝居を、戦後、水木通りで紙芝居作家をしていた水木が、やはり兵庫区にあった紙芝居問屋(「阪神画劇社」といったそうです)の倉庫でたまたま見つけて、元の作者両名の了解を得た上で、水木版「鬼太郎」として、紙芝居でリメイクしたのです。
その後、紙芝居から漫画、アニメとなって今に至ります。
なので、「鬼太郎」に限っては、正真正銘「神戸生まれ」で、誕生年から言うと、「バットマン」「スーパーマン」と同世代です。
神戸の祭りは西と東で違う祭りをやっています。西(西区・垂水区)は(播州)屋台で東(灘・東灘)は(阪神)だんじりをしてます。
出張や旅先でうえがきの鶯ボールが当たり前に売っておらず、神戸土産だと知った時の衝撃…。
いのししと共存。
宝塚音楽学校の卒業式、合格発表、入学式がニュースに登場するのは、兵庫県だけではなく、もはや関西の春の風物詩だ。
が、その宝塚の町が、元は「温泉街」として開発され、歌劇も元々は「温泉の余興」だったことは、もはや地元民ですら覚えていない。
神戸は疑問系の時
「〜しとん?」
という。
ねとん、おきとん、なにしとん
神戸・北野町に観光客が押し寄せるようになったのは、1977年のNHK朝ドラ『風見鶏』がきっかけだった。
それ以前の北野町~山本通り界隈は、実は「ラブホ街」だった。
観光客が続々と押し寄せて、「カップルが入りにくくなった」と廃業するラブホもあったが、今なお結構残っている。
コーベブックス、流泉書房、漢口堂書店、日東館書林、丸善、海文堂、宝文館、かつて学習参考書や学校指定図書、話題の本、ベストセラー図書などをさがしもとめるゴールデンルートでした。
神戸や阪神に「ミニスカ女子高生」がほぼ皆無なのは、この地域には歴史のある伝統的女子校が多くて、その制服にどこも「右へ倣え」してるから、だそうだ。
そのせいか、大阪や京都で、やたらに短いスカートの女子高生を見ると、なんだかやたらに田舎臭い、と感じてしまう…のは、偏見だろうか?
たこ焼きは、浮き粉と卵主体の黄色いヤツで、出汁で食べるものと認識していた。ソースで食べるたこ焼きを初めて食べたとき、「これ、たこ焼きと違う。丸いお好み焼きやんか」と言うたのは、1968年、中学1年の時です。
そのたこ焼きを、明石では「玉子焼き」と称し、大阪では「明石焼き」というのを知ったのは、それから10年後だった。
兄に「中央区は元生田区と元葺合区、西区は元垂水区やったよなあ」と話していると「北区は元兵庫区やで」と言われて、衝撃を受けた。
街に降りてきたイノシシは信号を守る(らしい)。
明石市民は市外局番078、神戸ナンバー、高校は加古川の頭ええとこへ、と人様のええとこどりばっかりしてる。けど便利。
幼少期のうちに、六甲おろしを3番まで唄えるようになる。
淡路はちょっと異世界。
「やばいだ(やばい)」「行けらん(行けない)」可愛すぎる。
神戸さんが「ややこしいわ。区別のために明石焼きでええやろ」と怒ってられますが(【播磨(エピソードマンガ4コマ)】玉子焼)、神戸(長田)で「玉子焼」と言えば「ベビーカステラ」…
尼崎、西宮、芦屋、伊丹、宝塚あたりはどこに住んでいるか聞かれても大阪や神戸とは答えない。
大体兵庫かそれぞれの自治体名で答える。
阪神間というが、バラバラで協力関係にないどころか冷戦状態。
伊丹に至っては、空港つながりの大阪豊中とごみ焼却場を共同運営。
はばタンやわるタンを見かけるとテンションがあがる。
東京の風月◯が本家であることを知らない、又は認めない。
「コープさん」はどこにでもあると思っているし、
元気なら店に行くし、しんどいときは近くまで届けてもらうのが当たり前。
県民性・方言の本で紹介されていた、わかりにくい博多弁…
「この席とっとーと?」
え…?
神戸とちょっと違うけど、意味通じるんですが?
普通に「うん、とっとうよ」と返せる。
「◯◯とう」「ばり」等、何故か兵庫と福岡の方言には、似た所がある。
山側と海側のお話し。
それがよく象徴されているのが、大丸店内の方位表示カンバン。
神戸を意識したサービス ? それとも自意識過剰 ?
でもこの山側、海側、北区や西区ではどうするんやろ。
いつのまにか母校の西宮北高が涼宮ハルヒの聖地になっていたり、喫茶店「ドリーム」にも聖地巡りの人たちがクリームソーダを飲んでいたり…時代は変わりましたね。
神戸市の南側はほとんど雪が降らないが、北側はかなり降る。ごく稀に南側で少し雪が積もって喜んでいると、北区や西区の人に鼻で笑われる。
浜風、そして山風。
坂を駆け上がったり駆け下りたりする風で夏でも大阪京都よりは涼しいのが神戸の特徴。冬の寒さはウインドブレーカーでかなり和らぎます。
六甲山の言い方で神戸っ子か否かわかる
晴れか雨かは六甲山を見て判断する。
長崎とかよりも神戸の方が中華繁華街は良いと絶対的に自身を持ってる。
北を上。南を下と言う。
例えば
「JRの上にあんねん」と言う説明を「JRの北にあるのか?JRの駅ビルの上階にあるのか」はニュアンスではんだんする。
「水木しげる」のペンネームは、確かに、当時住んでいた兵庫区水木通りが由来です。
そして「鬼太郎」もまた、神戸生まれです。
「鬼太郎」の原案を作ったのは、昭和戦前の神戸の紙芝居作家、伊藤正美、辰巳恵洋という二人。
その「ハカバキタロー」という紙芝居を、戦後、水木通りで紙芝居作家をしていた水木が、やはり兵庫区にあった紙芝居問屋(「阪神画劇社」といったそうです)の倉庫でたまたま見つけて、元の作者両名の了解を得た上で、水木版「鬼太郎」として、紙芝居でリメイクしたのです。
その後、紙芝居から漫画、アニメとなって今に至ります。
なので、「鬼太郎」に限っては、正真正銘「神戸生まれ」で、誕生年から言うと、「バットマン」「スーパーマン」と同世代です。