「どこ出身?」「西宮……(言うてもピンとけぇへんやろから)、大阪と神戸の真ん中ですわ」
「へぇ」「でもほら、甲子園も西宮ですし」
「へぇ」「(まあそんなもんか……)」
明石大橋は神戸にあるのになぜと聞かれると、本当は明石海峡大橋というのだと説明。変に正式名を略すと混乱を招く
灘五郷に江戸時代からあった蔵元のいくつかは、明治から昭和戦前にかけて、酒造だけではなく、銀行、海運、観光、ホテル等々の事業にも乗り出し、巨大財閥に成長した。
これらの財閥の存在が、いわゆる阪神モダニズムと呼ばれる文化の醸成に、大きく寄与したのは、間違いない。
「朝日新聞」もまた、その蔵元財閥のひとつが興した新聞だ。
今は、国道2号を「二国」、43号を「よんさん」と呼ぶようだが、かつて、「二国」は、43号のことだった。
2号線が「阪神国道」、略して「はんこく」と呼ばれていたのに対して、43号は「第二阪神(国道)」だったので、通称「二国」なのだった。
なので子供のころ、フランク永井の歌う『夜霧の第二国道』は、大阪から神戸へ向かっている歌、と思い込んでいた。
「ええとこ、ええとこ聚楽館」
「三角公園」
「楠公さん」
「みなと祭りの花電車」
賑やかだったころの新開地を思い出すと、そんなフレーズが浮かんでくる。
なぜか最近、神戸・阪神でも固有の文化のように語られる「いかなご釘煮」だが、あれは元々は播磨の郷土料理だ。
40年と数年前、垂水在住の友人の家で、毎年「釘煮」というのをを作っていると聞き、初めて見たそれを食わせてもらって「へ~え」と思った。
明石の親戚と長田に嫁いだ「姉ちゃんの家」でも同じものを作るのだと、そのとき聞いたが、自分の知る限り、少なくとも神戸の兵庫区以東、北区以北で、「作っている」という例は、当時では見たことがない。
こどもが中学生になると、学校が主催するスキー教室のため、県内のスキー場に泊りがけで参加する。スキーの楽しさを覚えると、翌シーズンは保護者がスキー場に連れていかなければならなくなる。でも、県内のスキー場の多くは、そんな家族スキーに向いていて、とてもありがたい。
神奈川県横浜市神奈川区神奈川は地名としてよくネタにされるけど、兵庫県神戸市兵庫区兵庫町もネタと思いきやちゃんと実在します。全く負けてへん!!神戸にだって元町も大倉山もちゃんとあるしな。
硬式野球の全国大会といえば、甲子園球場だが、
軟式野球の全国大会も兵庫県内で行われてる。(ただし、明石公園野球場)
「播磨」を体感したい人に、神戸市西区の県道378号「神出-六分線」を車で走ってみる事をお勧めします。
地平線まで続く直線道路と、どこまでもま~~~ったいらで広々とした地面に畑が広がっています。
初めてここを走ったとき、「ここは、北海道か!?」と思ってしまった。
今から40年くらい前の給食に
「くじらのノルウェー風」とか「ビーフストロガノフ」とか、粋なメニューがあった。
子供ながらに、「学校給食やのに頑張ってるなぁ」と感じていた。
岸和田の地車と灘のけんか祭りにかき消されてしまう神戸・阪神間の地車祭り…
母校が甲子園に出場した。
応援は現地集合・解散、だった。
ポートアイランドを
【ポーアイ】と言うか【ポートピア】と言うかで年齢層がわかってくる。
一時期、都合で関東住まいになりました。関東平野は神戸みたくきっつい坂道がないのでルンルン自転車を漕いでいたら迷子になりましたので、周囲を見回しましたが。
「山ない! 海ない! 方角分からん! ここ何処!?」
夕方、ヘロヘロになってアパートに帰り着きました。
明石に住んでいるが、出身地を聞かれたら「神戸です」と言ってしまう。
「だって、明石ってどこにあるか、わかりにくいやん」と言い訳しながらも、じつは
「神戸って言うといたほうがオシャレやん」と思っている。
神戸には、谷崎潤一郎、稲垣足穂、野坂昭如、村上春樹、という文学兵器があるが、ライバルの横浜には矢作俊彦しかない。
神戸は、この文学兵器を、もっとアピールすべきだ。
ちなみに、野坂昭如・原作のアニメ「火垂るの墓」の舞台を、「大阪」あるいは「広島」と認識している例は、全国的にかなり多い。
神戸体操は腕立て伏せに似たパートがあるため、地面に両手をつけなければなりません。そのパートが終わると立ち上がり、次のパートへ移行するのですが、両手についた土や砂を払うというルーティンが加わります。
放送では「エイリィナインポインナーイン♪(89.9)」でも地域によっては87.1など別の周波数で聴く、それがKiss FM。車で走っていると途中で局が切り替わる。
数年に一度くらいは、神戸・阪神エリアから頑張って兵庫県の北の方に向かってみるものの、行けども行けども目的地に着かない。ついに出てくる感想は「日本列島って分厚いんだね・・・」。
豚まんと言えば、南京町の老祥記が有名だが、自分は、昔から食べ慣れた新開地の春陽軒の方が好きだ。
あの「からし味噌」が、なんともいえん。
すぐ近くのミナエンにあった「吉林麺店」も美味しかったのに、残念ながら閉店してしまった。
そこそこ知名度が上がってきた、牛スジ肉とこんにゃくの醤油煮込みの「ぼっかけ」の名称について、意外と地元民は「ぼっかけ」という名称をあまり使わず、「スジの炊いたん」とかただ単に「スジ」と言う。「ぼっかけ」という呼称の歴史は意外と浅いと思う(神戸市長田区生まれのおっさんより)。
尼崎市役所の敷地には、いまだに光化学スモッグの表示板が残っている。(使われていないけどね)
自分は県外の出身でよく兵庫に遊びに来るけど、友達に説明する時は大阪に行くよ。と言ってしまう笑
阪急は最高すぎる
中学・高校は、神戸市内から三田まで通ってました。
当時、国鉄福知山線利用者は「汽車通学」、神鉄利用者は「電車通学」と区別されてました。
学校から遠足で大阪万博へ行ったとき、「汽車通学」の同級生が会場へ通じる地下鉄に架線がないのに気がついて、「あ!地下鉄もディーゼルなんや!うちと一緒や!」と、とても嬉しそうでした。
あんまり嬉しそうなので、「第三レール」のことは、言いそびれてしまいました。
阪神間から西神ニュータウンに引っ越し。地下鉄が地上に出るとめっちゃ晴れてるけど、ひょっとしてここは播磨!?そう、歴史的には播磨の東の端なんです。嬉しいような、悲しいような。
出身が神戸なため生まれてから一度も兵庫県出身と言ったことがなく、兵庫県と神戸は別物と思っていたが、結婚を気に姫路にきたら、県外の人にどこに住んでるの?と言われて、姫路と言っても通じず、なんて言えば良いかわからなくなった。
県外在住の人で遊びによく兵庫来るけど、やっぱり兵庫=神戸で初めて相生とか田舎の方行った時は格差に驚いた笑
山陽の直通特急ってなんでずっと旧車のまま?京阪を兵庫に乗り入れて欲しい
神戸にはあまり愛着は無い尼崎市民ですが、車が神戸ナンバーなので、他県に行ったら、神戸のイメージの良さで優越感に浸れる。その時だけ神戸人を気取る。
三田に住んでいる時、神戸に行く事を南に下るイメージで「神戸に下りて行く」と言うと神戸の方々にとても嫌がられました。
「どこ出身?」「西宮……(言うてもピンとけぇへんやろから)、大阪と神戸の真ん中ですわ」
「へぇ」「でもほら、甲子園も西宮ですし」
「へぇ」「(まあそんなもんか……)」
明石大橋は神戸にあるのになぜと聞かれると、本当は明石海峡大橋というのだと説明。変に正式名を略すと混乱を招く
灘五郷に江戸時代からあった蔵元のいくつかは、明治から昭和戦前にかけて、酒造だけではなく、銀行、海運、観光、ホテル等々の事業にも乗り出し、巨大財閥に成長した。
これらの財閥の存在が、いわゆる阪神モダニズムと呼ばれる文化の醸成に、大きく寄与したのは、間違いない。
「朝日新聞」もまた、その蔵元財閥のひとつが興した新聞だ。
今は、国道2号を「二国」、43号を「よんさん」と呼ぶようだが、かつて、「二国」は、43号のことだった。
2号線が「阪神国道」、略して「はんこく」と呼ばれていたのに対して、43号は「第二阪神(国道)」だったので、通称「二国」なのだった。
なので子供のころ、フランク永井の歌う『夜霧の第二国道』は、大阪から神戸へ向かっている歌、と思い込んでいた。
「ええとこ、ええとこ聚楽館」
「三角公園」
「楠公さん」
「みなと祭りの花電車」
賑やかだったころの新開地を思い出すと、そんなフレーズが浮かんでくる。
なぜか最近、神戸・阪神でも固有の文化のように語られる「いかなご釘煮」だが、あれは元々は播磨の郷土料理だ。
40年と数年前、垂水在住の友人の家で、毎年「釘煮」というのをを作っていると聞き、初めて見たそれを食わせてもらって「へ~え」と思った。
明石の親戚と長田に嫁いだ「姉ちゃんの家」でも同じものを作るのだと、そのとき聞いたが、自分の知る限り、少なくとも神戸の兵庫区以東、北区以北で、「作っている」という例は、当時では見たことがない。
こどもが中学生になると、学校が主催するスキー教室のため、県内のスキー場に泊りがけで参加する。スキーの楽しさを覚えると、翌シーズンは保護者がスキー場に連れていかなければならなくなる。でも、県内のスキー場の多くは、そんな家族スキーに向いていて、とてもありがたい。
神奈川県横浜市神奈川区神奈川は地名としてよくネタにされるけど、兵庫県神戸市兵庫区兵庫町もネタと思いきやちゃんと実在します。全く負けてへん!!神戸にだって元町も大倉山もちゃんとあるしな。
硬式野球の全国大会といえば、甲子園球場だが、
軟式野球の全国大会も兵庫県内で行われてる。(ただし、明石公園野球場)
「播磨」を体感したい人に、神戸市西区の県道378号「神出-六分線」を車で走ってみる事をお勧めします。
地平線まで続く直線道路と、どこまでもま~~~ったいらで広々とした地面に畑が広がっています。
初めてここを走ったとき、「ここは、北海道か!?」と思ってしまった。
今から40年くらい前の給食に
「くじらのノルウェー風」とか「ビーフストロガノフ」とか、粋なメニューがあった。
子供ながらに、「学校給食やのに頑張ってるなぁ」と感じていた。
岸和田の地車と灘のけんか祭りにかき消されてしまう神戸・阪神間の地車祭り…
母校が甲子園に出場した。
応援は現地集合・解散、だった。
ポートアイランドを
【ポーアイ】と言うか【ポートピア】と言うかで年齢層がわかってくる。
一時期、都合で関東住まいになりました。関東平野は神戸みたくきっつい坂道がないのでルンルン自転車を漕いでいたら迷子になりましたので、周囲を見回しましたが。
「山ない! 海ない! 方角分からん! ここ何処!?」
夕方、ヘロヘロになってアパートに帰り着きました。
明石に住んでいるが、出身地を聞かれたら「神戸です」と言ってしまう。
「だって、明石ってどこにあるか、わかりにくいやん」と言い訳しながらも、じつは
「神戸って言うといたほうがオシャレやん」と思っている。
神戸には、谷崎潤一郎、稲垣足穂、野坂昭如、村上春樹、という文学兵器があるが、ライバルの横浜には矢作俊彦しかない。
神戸は、この文学兵器を、もっとアピールすべきだ。
ちなみに、野坂昭如・原作のアニメ「火垂るの墓」の舞台を、「大阪」あるいは「広島」と認識している例は、全国的にかなり多い。
神戸体操は腕立て伏せに似たパートがあるため、地面に両手をつけなければなりません。そのパートが終わると立ち上がり、次のパートへ移行するのですが、両手についた土や砂を払うというルーティンが加わります。
放送では「エイリィナインポインナーイン♪(89.9)」でも地域によっては87.1など別の周波数で聴く、それがKiss FM。車で走っていると途中で局が切り替わる。
数年に一度くらいは、神戸・阪神エリアから頑張って兵庫県の北の方に向かってみるものの、行けども行けども目的地に着かない。ついに出てくる感想は「日本列島って分厚いんだね・・・」。
豚まんと言えば、南京町の老祥記が有名だが、自分は、昔から食べ慣れた新開地の春陽軒の方が好きだ。
あの「からし味噌」が、なんともいえん。
すぐ近くのミナエンにあった「吉林麺店」も美味しかったのに、残念ながら閉店してしまった。
そこそこ知名度が上がってきた、牛スジ肉とこんにゃくの醤油煮込みの「ぼっかけ」の名称について、意外と地元民は「ぼっかけ」という名称をあまり使わず、「スジの炊いたん」とかただ単に「スジ」と言う。「ぼっかけ」という呼称の歴史は意外と浅いと思う(神戸市長田区生まれのおっさんより)。
尼崎市役所の敷地には、いまだに光化学スモッグの表示板が残っている。(使われていないけどね)
自分は県外の出身でよく兵庫に遊びに来るけど、友達に説明する時は大阪に行くよ。と言ってしまう笑
阪急は最高すぎる
中学・高校は、神戸市内から三田まで通ってました。
当時、国鉄福知山線利用者は「汽車通学」、神鉄利用者は「電車通学」と区別されてました。
学校から遠足で大阪万博へ行ったとき、「汽車通学」の同級生が会場へ通じる地下鉄に架線がないのに気がついて、「あ!地下鉄もディーゼルなんや!うちと一緒や!」と、とても嬉しそうでした。
あんまり嬉しそうなので、「第三レール」のことは、言いそびれてしまいました。
阪神間から西神ニュータウンに引っ越し。地下鉄が地上に出るとめっちゃ晴れてるけど、ひょっとしてここは播磨!?そう、歴史的には播磨の東の端なんです。嬉しいような、悲しいような。
出身が神戸なため生まれてから一度も兵庫県出身と言ったことがなく、兵庫県と神戸は別物と思っていたが、結婚を気に姫路にきたら、県外の人にどこに住んでるの?と言われて、姫路と言っても通じず、なんて言えば良いかわからなくなった。
県外在住の人で遊びによく兵庫来るけど、やっぱり兵庫=神戸で初めて相生とか田舎の方行った時は格差に驚いた笑
山陽の直通特急ってなんでずっと旧車のまま?京阪を兵庫に乗り入れて欲しい
神戸にはあまり愛着は無い尼崎市民ですが、車が神戸ナンバーなので、他県に行ったら、神戸のイメージの良さで優越感に浸れる。その時だけ神戸人を気取る。
三田に住んでいる時、神戸に行く事を南に下るイメージで「神戸に下りて行く」と言うと神戸の方々にとても嫌がられました。