神戸ナンバーになる阪神地区。
しかし、宝塚市民は有名なんだし「宝塚ナンバー」でいいんじゃね?と密かに思ってる。
三田は雷も多い。
「くわばら」は三田の地名。
サンダだけにサンダー(thunder)ってか?
ばらソース以外でお好み焼き食べられない…
神戸弁がキツい割には
他地方の方言にツラれ易く
東京から戻って来ては
地元のツレに
イラッとされる…
神戸にはほとんどの地区で町内放送がない
あっても鳴るのは災害時など
いかなごのくぎ煮は、ほぼ神戸だけのソウルフード
神戸人は待つのが嫌、食事に行っても15分待ちとか言われるとやめようかと思う。
居酒屋でもメニューのお勧めは、一応聞くけど大体頼まない。
あと、焼き鳥屋が圧倒的に多い。安くて美味しいものしか生き残れない。高くて美味しいのは当たり前と思われている。
東灘区と西区だと東灘区のほうが神戸らしくてリッチな感じに捉えられるのに、東神戸と西神戸って言われるとなぜか西神戸のほうが響きが良いという逆転現象が発生する。ただし、長田区もたまに西神戸を名乗るので油断は出来ない。
藤原紀香、相武紗季=阪神美人
北川景子、浅野ゆう子=東神戸美人
平愛梨、濱田マリ=西神戸美人
が、それぞれの典型と思うのですが、どうでしょうか?
国道43号は、甲子園球場付近で高架のオーバーパスになるが、これは道路を跨ぐためではなく、甲子園駅から球場へ向かう人の動線を確保するため。
つまり、歩行者を優先するために、道路をわざわざ上へ持ち上げたのだった。
神戸の市営地下鉄は、日本で初めて冷房車を導入した地下鉄、らしい。よう知らんけど。
『北のダンナと西のヨメ』(横山了一)は、北海道出身のダンナと、神戸出身のヨメとの夫婦間カルチャーギャップ漫画。
が、ここで語られる「神戸」とは、実は北区のことだったりする。
実名は出てこないが、北区出身者が読むと、ヨメの実家の最寄駅まで分かってしまったりもする。
街を歩くイノシシに遭遇して対処法をググった。
去年(2018年)のセンバツ大会兵庫県から選ばれなかった(泣)
おかげで甲子園から三宮方面の阪神電車は比較的空いていたように思う
阪神さん的に「兵庫の高校も選んどけよ!」と思ったんとちゃうか?
たとえば神大病院の敷地が何度工事をしても狭苦しいのは、かつてあの辺りに福原京があったせいで掘っても掘っても何かの遺構が出てきてしまうからである。したがって、有馬街道沿いの者にとっては福原京の存在はあまり嬉しく思われていない。長編のテレビドラマシリーズが放送されていた時期の平清盛の人気の盛り上がり方も、それほどでもなかった。ちなみに同じ兵庫でももう少し運河沿いの方に行くと、それなりに平清盛で町おこしを図っている感はある。
「♪有馬兵衛の紅葉閣へ!」のコマーシャルを、東京でもやってるのを見て、「え!?」とびっくりしたのは1975年だった。
その翌年、神戸へ遊びに来た埼玉の友は、「♪伊東へ行くならハ・ト・ヤ」のコマーシャルを見て、「こっちでもやってんだ…」と絶句していた。
但馬の柏原は、日本一標高の低い中央分水界があることで有名だが、神戸でも、平野から有馬街道を北上していくと、時々道に寄り添う川は、当初は南向きに流れている(明石川水系)のだが、北区大池を境に、北向きに流れが変わる(武庫川水系)。
実は神戸にも分水嶺があるのだった。
大阪にとって東京が永遠のライバルであるように、神戸のライバルは、ずっと横浜だ。
が、近頃はやや押され気味……とは言え、海水浴場…は横浜にもあるのだが、「温泉」と「スキー場」は、横浜には「ない」ということで、溜飲を下げていた。
翻って、「神奈川vs兵庫五国連邦」では、姫路=小田原、六甲山=箱根、湘南=須磨~明石、までは互角だが、神奈川には「丹波」「但馬」「淡路」がない、という点で圧勝。
しかし、我が方には「鎌倉」がない、というのが、やや痛い失点なのだった。
…というバトルを、東京時代、なにかにつけて、横浜出身者と茅ヶ崎出身者を相手に、繰り広げていたのだった。
関東に移住し3ヶ月、「ポールウインナー」が売ってないことを知る
イオン系列のスーパーで販売されていることを突き止めるが、関西のスーパーより100円以上高いレートで売られている
関東で同年代の兵庫県民に出会った時の最初の会話
「トライやる・ウィーク、どこいって何した?」
昔…て、まあ、1960年代くらいまで、神戸に「ラーメン屋」は、なかった。
ラーメン屋はなかったが、「中華料理店」は、それより以前の昔から、掃いて捨てるほどあった。
ちなみに今の南京町は、一度戦災で焼失した後、1980年代に復興されたもの。
南京町として復興される以前、あの一帯には、ぼったくりの暴力バーとか怪しい店が軒を連ねていて、神戸で一番のデンジャラス・ゾーンだった。
神戸人は神戸人であることを自慢げに思っているが「〜しとぅ」「〜やっとぅ」「見とぅ」と、神戸弁をマネされるとバカにされたような気持ちになる。
最近の低糖質ブームに対し、昔から果物やパン、麺類そしてプリンアラモードやあん餅、マドレーヌなどスイーツの充実度が無駄に高いいかりスーパーの前途を心配しながらも応援している。
いかなごのくぎ煮は自分の家で作るので気にしなかったが、販売されているいかなごのくぎ煮の金額を見て仰天した。
阪神国道線(路面電車)があったころ「阪神パーク前」という駅(停留所)があった。阪神三宮の切符売場の路線図を見て「阪神パーク前」まで切符を買うのだが、(路面電車に乗り換えるために)甲子園駅に降り立つと、阪神パークは徒歩の距離とわかり、路面電車を待たず、そのまま阪神パークまで歩いて行った。
普通のたこ焼きにかつお・昆布の出汁をかけて食べる(明石焼きと大阪のたこ焼きの中間のようなもの)。
神戸の場合、爆買いとかが流行る前から中国人や韓国人は街中に普通にいる。
普通にたくさんいすぎて神戸と外国、となるとイメージは露骨にヨーロッパと外部にはおもわれている。
なんか、釈然としない。
阪神間のお嬢様は、世間でよく言われる神戸あるあるの1/3くらいしか実体験として理解できていない。とくれん?日番?神戸ノート?なあにそれ。ファミリアのアップリケのバッグ?持たせてもらえなかったわ。でも、それすらもちょびっとだけ自慢に思っていたり。
国際でもないし、もう、伊丹空港でいいんちゃうん、と思っている。
摂津の皆さんは、モロゾフのプリンの空きビンを様々な用途で利用するらしいですが、播磨では考えられない。
神戸ナンバーになる阪神地区。
しかし、宝塚市民は有名なんだし「宝塚ナンバー」でいいんじゃね?と密かに思ってる。
三田は雷も多い。
「くわばら」は三田の地名。
サンダだけにサンダー(thunder)ってか?
ばらソース以外でお好み焼き食べられない…
神戸弁がキツい割には
他地方の方言にツラれ易く
東京から戻って来ては
地元のツレに
イラッとされる…
神戸にはほとんどの地区で町内放送がない
あっても鳴るのは災害時など
いかなごのくぎ煮は、ほぼ神戸だけのソウルフード
神戸人は待つのが嫌、食事に行っても15分待ちとか言われるとやめようかと思う。
居酒屋でもメニューのお勧めは、一応聞くけど大体頼まない。
あと、焼き鳥屋が圧倒的に多い。安くて美味しいものしか生き残れない。高くて美味しいのは当たり前と思われている。
東灘区と西区だと東灘区のほうが神戸らしくてリッチな感じに捉えられるのに、東神戸と西神戸って言われるとなぜか西神戸のほうが響きが良いという逆転現象が発生する。ただし、長田区もたまに西神戸を名乗るので油断は出来ない。
藤原紀香、相武紗季=阪神美人
北川景子、浅野ゆう子=東神戸美人
平愛梨、濱田マリ=西神戸美人
が、それぞれの典型と思うのですが、どうでしょうか?
国道43号は、甲子園球場付近で高架のオーバーパスになるが、これは道路を跨ぐためではなく、甲子園駅から球場へ向かう人の動線を確保するため。
つまり、歩行者を優先するために、道路をわざわざ上へ持ち上げたのだった。
神戸の市営地下鉄は、日本で初めて冷房車を導入した地下鉄、らしい。よう知らんけど。
『北のダンナと西のヨメ』(横山了一)は、北海道出身のダンナと、神戸出身のヨメとの夫婦間カルチャーギャップ漫画。
が、ここで語られる「神戸」とは、実は北区のことだったりする。
実名は出てこないが、北区出身者が読むと、ヨメの実家の最寄駅まで分かってしまったりもする。
街を歩くイノシシに遭遇して対処法をググった。
去年(2018年)のセンバツ大会兵庫県から選ばれなかった(泣)
おかげで甲子園から三宮方面の阪神電車は比較的空いていたように思う
阪神さん的に「兵庫の高校も選んどけよ!」と思ったんとちゃうか?
たとえば神大病院の敷地が何度工事をしても狭苦しいのは、かつてあの辺りに福原京があったせいで掘っても掘っても何かの遺構が出てきてしまうからである。したがって、有馬街道沿いの者にとっては福原京の存在はあまり嬉しく思われていない。長編のテレビドラマシリーズが放送されていた時期の平清盛の人気の盛り上がり方も、それほどでもなかった。ちなみに同じ兵庫でももう少し運河沿いの方に行くと、それなりに平清盛で町おこしを図っている感はある。
「♪有馬兵衛の紅葉閣へ!」のコマーシャルを、東京でもやってるのを見て、「え!?」とびっくりしたのは1975年だった。
その翌年、神戸へ遊びに来た埼玉の友は、「♪伊東へ行くならハ・ト・ヤ」のコマーシャルを見て、「こっちでもやってんだ…」と絶句していた。
但馬の柏原は、日本一標高の低い中央分水界があることで有名だが、神戸でも、平野から有馬街道を北上していくと、時々道に寄り添う川は、当初は南向きに流れている(明石川水系)のだが、北区大池を境に、北向きに流れが変わる(武庫川水系)。
実は神戸にも分水嶺があるのだった。
大阪にとって東京が永遠のライバルであるように、神戸のライバルは、ずっと横浜だ。
が、近頃はやや押され気味……とは言え、海水浴場…は横浜にもあるのだが、「温泉」と「スキー場」は、横浜には「ない」ということで、溜飲を下げていた。
翻って、「神奈川vs兵庫五国連邦」では、姫路=小田原、六甲山=箱根、湘南=須磨~明石、までは互角だが、神奈川には「丹波」「但馬」「淡路」がない、という点で圧勝。
しかし、我が方には「鎌倉」がない、というのが、やや痛い失点なのだった。
…というバトルを、東京時代、なにかにつけて、横浜出身者と茅ヶ崎出身者を相手に、繰り広げていたのだった。
関東に移住し3ヶ月、「ポールウインナー」が売ってないことを知る
イオン系列のスーパーで販売されていることを突き止めるが、関西のスーパーより100円以上高いレートで売られている
関東で同年代の兵庫県民に出会った時の最初の会話
「トライやる・ウィーク、どこいって何した?」
昔…て、まあ、1960年代くらいまで、神戸に「ラーメン屋」は、なかった。
ラーメン屋はなかったが、「中華料理店」は、それより以前の昔から、掃いて捨てるほどあった。
ちなみに今の南京町は、一度戦災で焼失した後、1980年代に復興されたもの。
南京町として復興される以前、あの一帯には、ぼったくりの暴力バーとか怪しい店が軒を連ねていて、神戸で一番のデンジャラス・ゾーンだった。
神戸人は神戸人であることを自慢げに思っているが「〜しとぅ」「〜やっとぅ」「見とぅ」と、神戸弁をマネされるとバカにされたような気持ちになる。
最近の低糖質ブームに対し、昔から果物やパン、麺類そしてプリンアラモードやあん餅、マドレーヌなどスイーツの充実度が無駄に高いいかりスーパーの前途を心配しながらも応援している。
いかなごのくぎ煮は自分の家で作るので気にしなかったが、販売されているいかなごのくぎ煮の金額を見て仰天した。
阪神国道線(路面電車)があったころ「阪神パーク前」という駅(停留所)があった。阪神三宮の切符売場の路線図を見て「阪神パーク前」まで切符を買うのだが、(路面電車に乗り換えるために)甲子園駅に降り立つと、阪神パークは徒歩の距離とわかり、路面電車を待たず、そのまま阪神パークまで歩いて行った。
普通のたこ焼きにかつお・昆布の出汁をかけて食べる(明石焼きと大阪のたこ焼きの中間のようなもの)。
神戸の場合、爆買いとかが流行る前から中国人や韓国人は街中に普通にいる。
普通にたくさんいすぎて神戸と外国、となるとイメージは露骨にヨーロッパと外部にはおもわれている。
なんか、釈然としない。
阪神間のお嬢様は、世間でよく言われる神戸あるあるの1/3くらいしか実体験として理解できていない。とくれん?日番?神戸ノート?なあにそれ。ファミリアのアップリケのバッグ?持たせてもらえなかったわ。でも、それすらもちょびっとだけ自慢に思っていたり。
国際でもないし、もう、伊丹空港でいいんちゃうん、と思っている。
摂津の皆さんは、モロゾフのプリンの空きビンを様々な用途で利用するらしいですが、播磨では考えられない。