大阪と京都が横にあるけど、何気に一番住みたいのは兵庫県西宮やで
神戸市民には聞こえない毎時間鳴る汽笛の音。市外の人はすぐ気付く
就職直後の研修で兵庫県出身の人に出会い、「兵庫のどこ出身ですか?」と聞いたところ、
「たつの」と言われ、3度聞き返した
80年代、東京の会社員時代、月に一度神戸への出張があった。
毎回、関西版の、タイガースが一面のスポーツ新聞を買い込んできては、タイガースを啓蒙するため、都内の電車で1紙ずつ、わざと置き忘れる、という地道な活動をしていた。
1985年の優勝時には、会社のクルマに球団旗を掲げ、「六甲おろし」を大音量で流しながら、東京都港区、渋谷区界隈を一周した。
80年代に東京の会社に勤めていた。
横浜出身・在住の同僚と、「神戸の方が横浜よりスマートで都会やで」「横浜の方がイケてるに決まってんじゃん」と、いつも言い合いをしていた。
その彼が、同じ横浜在住の彼女と関西へ旅行したついでに神戸にも一日立ち寄ったそうで、会社で顔を合わすと、「横浜、完全に負けてたわ」と素直に負けを認めてきた。
ちょうどバブルのころのことですが、今ならどうなんでしょうね?
甲子園球場までは電車1本、15分ほどの乗車で行けるので高校野球好きの友人(他府県在住)に羨ましがられた。
ロシア人は、キノコが大好き。
1970年代に、在神戸ロシア人グループの、キノコ狩りの様子をレポートした新聞記事を読んだことがある。
10人ほどで六甲山中に分け入り、キノコとみれば手当たり次第採取して、10キロほども集めてきたそれをシチューにするのだが、中には、明らかに毒キノコ、というのも相当数混じっていて、記者が「あ、それ毒…」というと「大丈夫、大丈夫」とどんどんぶち込んでいく。
みんなわいわいとおいしそうに食べていて、記者にも勧められたらしいが、遠慮したそうだ。
谷崎潤一郎の「細雪」にも、近所に住むロシア人一家について、同じような記述がある。
播磨の「播」の音は「ハ」で、「バン」という読みは本来なかった。
だから「播州」は、もともと「ハシュウ」と読まれていたのだが、いつの時代かどこかの阿呆が「バンシュウ」と読み間違えて、以後それが定着してしまった。
ということを、相生が生んだ漢字と日本語の鉄人・高島俊男の著作で読んだ覚えがある。
神戸港は、明治時代、播磨の莫大な税金と但馬の絹の売上金のおかげで、寒村の神戸から発展を遂げたことを神戸の方々は知らない。
かつて、神戸ー芦屋ー西宮ー尼崎ー大阪は、路面電車で直通でつながっていた。
1975年まで、だが。
国道線はともかく、甲子園球場のすぐ脇を走っていた甲子園線は、今もあったら「便利やのにな」と思う。
宮っ子は甲子園のグランドに立ったことあるねん!と、言う。小体連または中体連のとき、靴の中にこっそり土を入れて帰る。
「いのく」「じゅるい」「めんどい」「さんこにする」「べっちょない」「雨がぴりぴり」
上記の意味が即座にわかる神戸人は、「播磨系神戸人」です。
当時の垂水区、今の西区から、当時の兵庫区、今の北区に嫁いだ母親が日常的に使っていたので、「神戸弁」だと思ってたのですが、遊びに来た神戸市兵庫区と中央区の友だちには通じなくて、「今、なんて言わはったん?」と通訳を求められた。
ちなみに「めんどい」は、「めんどくさい」という意味ではありません。
摂津は高槻、摂津など淀川以北の大阪郊外だと思っていたが、神戸ではどうも違うらしい。
広島出身の友達より「父さんが王子動物園はすごいってよく言ってた」私「どう言う意味で?」「立地的に!」
丹波篠山が「田舎の代名詞」になったのは、明治のころ「デカンショ節」が全国的に流行した故だ。
明治時代に、元・藩主の青山家の援助で一高(東大)へ遊学した篠山出身の学生たちが、寮で歌ったところが大いにウケて、当時の一高生の愛唱歌となり、そこから全国に広まったそうだ。
とりわけ、「丹波篠山、山家の猿が…」の部分が、強烈なインパクトだったみたいだ。
「姫路おでん」と「かつめし」は知っていたが、「にくてん」というのは、ここで初めて知った。
肉の天ぷら? と思って調べたら、お好み焼きの一種なんですね。
なんか美味しそうなので、機会があればぜひ一度試してみたい、と思う。
今年のNHK大河ドラマは、神戸・阪神ゆかりのドラマでもある。
物語のキーパーソン・嘉納治五郎は、灘五郷の中でも「菊正宗」で知られる財閥・嘉納家の御曹司だ。
出身地に虚偽記載ありと彼氏彼女に逃げられます。芦屋公立校卒、肩身も街も狭いです。
さっき前のスレッドを見たら、柏原を「但馬」と書いていた。
柏原の皆さんと丹波の皆さんに、ごめんなさい。
ところで、「柏原」もまた、微妙に難読地名ですね。
1970年代のことだが、神戸を舞台とした漫画で、「第二神明」を「第二名神」と誤記していて、抗議の葉書を送ったことがある。
「兵庫県三田市」に、「みたし」とルビを振っている雑誌もあった。
明石の観光名所を聞かれても『明石海峡大橋』は言いづらい明石っ子。
兵庫は溜め池の多い県でもある。冬、小野市役所前の県道を走っていると濃い霧がかかっていて道の両側に何も見えない区間があり物凄く不安になる。晴れていると、池の真ん中に道が通っているのだとすく分かるけれど。
街中いたる所にある神戸市の市章だが、あの市章が、神戸の頭文字、カタカナの「カ」を図案化したもの、というのは、意外に知られていない。
「カウベ」の「カ」なのですね。
個人的には、神戸のローマ字表記は「KOBE」ではなく、「KAWBE」の方が「コーベ」と読みやすいのでは? と今も思っている。
「KWANGAKU」みたいに。
今の西区の区域が神戸市に編入されたとき、明石市にも合併が打診されたらしい。
明石市議会は、その後ごっつ長いことその可否を議論し続け、10年後にようやく「合併しない」と決定した。
「神戸市明石区」になっていたかも、なのだった。
神戸市は、現在の芦屋市と西宮市も合併しようと目論んでいたらしいが、こちらは、国から「待った」をかけられたそうだ。
かつて、神戸市東灘区は周辺もあわして甲南市を作る予定だったことを地元市民に語り継がれてる。
子供の時うまかったので、徳島行って、道の駅で「とくれん」ないですかときいたら、店員に「❓️」とかえされました。
かなしかった。
ハラダのパンととくれん
メンズのスキニー率が以上に高い
神戸港の歴史とか御影の歴史がやたら授業がある。
何年か前だが、“丹波篠山の奥座敷”籠坊温泉で食べた牡丹鍋、猪肉の食感が「ぷりぷり」としていて絶品だった。
味噌と砂糖の味付けも絶妙だった。
あれから、他でも牡丹鍋を食べる機会があったが、あれ以上のものには、未だ出会ったことがない。
大阪と京都が横にあるけど、何気に一番住みたいのは兵庫県西宮やで
神戸市民には聞こえない毎時間鳴る汽笛の音。市外の人はすぐ気付く
就職直後の研修で兵庫県出身の人に出会い、「兵庫のどこ出身ですか?」と聞いたところ、
「たつの」と言われ、3度聞き返した
80年代、東京の会社員時代、月に一度神戸への出張があった。
毎回、関西版の、タイガースが一面のスポーツ新聞を買い込んできては、タイガースを啓蒙するため、都内の電車で1紙ずつ、わざと置き忘れる、という地道な活動をしていた。
1985年の優勝時には、会社のクルマに球団旗を掲げ、「六甲おろし」を大音量で流しながら、東京都港区、渋谷区界隈を一周した。
80年代に東京の会社に勤めていた。
横浜出身・在住の同僚と、「神戸の方が横浜よりスマートで都会やで」「横浜の方がイケてるに決まってんじゃん」と、いつも言い合いをしていた。
その彼が、同じ横浜在住の彼女と関西へ旅行したついでに神戸にも一日立ち寄ったそうで、会社で顔を合わすと、「横浜、完全に負けてたわ」と素直に負けを認めてきた。
ちょうどバブルのころのことですが、今ならどうなんでしょうね?
甲子園球場までは電車1本、15分ほどの乗車で行けるので高校野球好きの友人(他府県在住)に羨ましがられた。
ロシア人は、キノコが大好き。
1970年代に、在神戸ロシア人グループの、キノコ狩りの様子をレポートした新聞記事を読んだことがある。
10人ほどで六甲山中に分け入り、キノコとみれば手当たり次第採取して、10キロほども集めてきたそれをシチューにするのだが、中には、明らかに毒キノコ、というのも相当数混じっていて、記者が「あ、それ毒…」というと「大丈夫、大丈夫」とどんどんぶち込んでいく。
みんなわいわいとおいしそうに食べていて、記者にも勧められたらしいが、遠慮したそうだ。
谷崎潤一郎の「細雪」にも、近所に住むロシア人一家について、同じような記述がある。
播磨の「播」の音は「ハ」で、「バン」という読みは本来なかった。
だから「播州」は、もともと「ハシュウ」と読まれていたのだが、いつの時代かどこかの阿呆が「バンシュウ」と読み間違えて、以後それが定着してしまった。
ということを、相生が生んだ漢字と日本語の鉄人・高島俊男の著作で読んだ覚えがある。
神戸港は、明治時代、播磨の莫大な税金と但馬の絹の売上金のおかげで、寒村の神戸から発展を遂げたことを神戸の方々は知らない。
かつて、神戸ー芦屋ー西宮ー尼崎ー大阪は、路面電車で直通でつながっていた。
1975年まで、だが。
国道線はともかく、甲子園球場のすぐ脇を走っていた甲子園線は、今もあったら「便利やのにな」と思う。
宮っ子は甲子園のグランドに立ったことあるねん!と、言う。小体連または中体連のとき、靴の中にこっそり土を入れて帰る。
「いのく」「じゅるい」「めんどい」「さんこにする」「べっちょない」「雨がぴりぴり」
上記の意味が即座にわかる神戸人は、「播磨系神戸人」です。
当時の垂水区、今の西区から、当時の兵庫区、今の北区に嫁いだ母親が日常的に使っていたので、「神戸弁」だと思ってたのですが、遊びに来た神戸市兵庫区と中央区の友だちには通じなくて、「今、なんて言わはったん?」と通訳を求められた。
ちなみに「めんどい」は、「めんどくさい」という意味ではありません。
摂津は高槻、摂津など淀川以北の大阪郊外だと思っていたが、神戸ではどうも違うらしい。
広島出身の友達より「父さんが王子動物園はすごいってよく言ってた」私「どう言う意味で?」「立地的に!」
丹波篠山が「田舎の代名詞」になったのは、明治のころ「デカンショ節」が全国的に流行した故だ。
明治時代に、元・藩主の青山家の援助で一高(東大)へ遊学した篠山出身の学生たちが、寮で歌ったところが大いにウケて、当時の一高生の愛唱歌となり、そこから全国に広まったそうだ。
とりわけ、「丹波篠山、山家の猿が…」の部分が、強烈なインパクトだったみたいだ。
「姫路おでん」と「かつめし」は知っていたが、「にくてん」というのは、ここで初めて知った。
肉の天ぷら? と思って調べたら、お好み焼きの一種なんですね。
なんか美味しそうなので、機会があればぜひ一度試してみたい、と思う。
今年のNHK大河ドラマは、神戸・阪神ゆかりのドラマでもある。
物語のキーパーソン・嘉納治五郎は、灘五郷の中でも「菊正宗」で知られる財閥・嘉納家の御曹司だ。
出身地に虚偽記載ありと彼氏彼女に逃げられます。芦屋公立校卒、肩身も街も狭いです。
さっき前のスレッドを見たら、柏原を「但馬」と書いていた。
柏原の皆さんと丹波の皆さんに、ごめんなさい。
ところで、「柏原」もまた、微妙に難読地名ですね。
1970年代のことだが、神戸を舞台とした漫画で、「第二神明」を「第二名神」と誤記していて、抗議の葉書を送ったことがある。
「兵庫県三田市」に、「みたし」とルビを振っている雑誌もあった。
明石の観光名所を聞かれても『明石海峡大橋』は言いづらい明石っ子。
兵庫は溜め池の多い県でもある。冬、小野市役所前の県道を走っていると濃い霧がかかっていて道の両側に何も見えない区間があり物凄く不安になる。晴れていると、池の真ん中に道が通っているのだとすく分かるけれど。
街中いたる所にある神戸市の市章だが、あの市章が、神戸の頭文字、カタカナの「カ」を図案化したもの、というのは、意外に知られていない。
「カウベ」の「カ」なのですね。
個人的には、神戸のローマ字表記は「KOBE」ではなく、「KAWBE」の方が「コーベ」と読みやすいのでは? と今も思っている。
「KWANGAKU」みたいに。
今の西区の区域が神戸市に編入されたとき、明石市にも合併が打診されたらしい。
明石市議会は、その後ごっつ長いことその可否を議論し続け、10年後にようやく「合併しない」と決定した。
「神戸市明石区」になっていたかも、なのだった。
神戸市は、現在の芦屋市と西宮市も合併しようと目論んでいたらしいが、こちらは、国から「待った」をかけられたそうだ。
かつて、神戸市東灘区は周辺もあわして甲南市を作る予定だったことを地元市民に語り継がれてる。
子供の時うまかったので、徳島行って、道の駅で「とくれん」ないですかときいたら、店員に「❓️」とかえされました。
かなしかった。
ハラダのパンととくれん
メンズのスキニー率が以上に高い
神戸港の歴史とか御影の歴史がやたら授業がある。
何年か前だが、“丹波篠山の奥座敷”籠坊温泉で食べた牡丹鍋、猪肉の食感が「ぷりぷり」としていて絶品だった。
味噌と砂糖の味付けも絶妙だった。
あれから、他でも牡丹鍋を食べる機会があったが、あれ以上のものには、未だ出会ったことがない。