たくさん神戸の名のつくブランドはあるけれども、実際に馴染みのある神戸ブランドは小学校の時に使う神戸ノートだけ
え?
「親和」は、「しんな」じゃないの?
どう読むの?
昔は、ここの生徒自身も「しんな」って言うてましたぞ。
野球シーズンが始まると、JR甲子園口駅に置かれる看板がお気に入り。
「甲子園球場まで
バスで約10分
徒歩で約40分」
駅名に「甲子園」ってつくから、甲子園球場に近いのかと思われがちですが、結構離れてます。
甲子園球場には阪神電車でいきましょう。
1980年代三宮センター街の南には〝ダイエー村〟があった。スーパーマーケットをはじめ、ファッションビル、ステーキハウス、ハンバーガーショップ、ドーナツショップ、スポーツ用品店…、なんでもあった。
神戸の小中学校は上履きは無いので、靴箱はありません
履いて行った靴で過ごします
教室は油引きした木の板ばりなので、年に何回だったか油引きの日があり、独特の匂いが懐かしいです
神戸から一歩も出たことがない生粋の神戸っ子は、それはそれで良いねと言ってもらえる。でも、仕事や留学で海外に行っている人とか、神戸から遠く離れた場所からやって来た人のほうがすごいと思われているフシもあり、ずっと地元に残っていると何だか凡庸な人生を歩んでいる気がしてくる。港町の宿命。
阪神地区の市の中で、川西だけが地味。
有名なモノもなく、キャラも立っていない。
明石は播磨か神戸か論争が度々勃発するが、明石的には県外に行くと「どこから来たの?」「神戸(の隣の明石)です」と答えがち。ちなみに()の中は発音されない。
高校に入って体育の準備体操がラジオ体操だった驚き…神戸体操痩せるよ‼︎
市内のお好み焼き屋で、おばちゃんマヨネーズちょうだい 。 なんて言うと地味に無視されたり叱られたりする。
小学5年の時に行くのはグリーンスクール。決して山の学校ではない。
神戸の北野町はほんま外国人が多かった。
実家の両隣は漢字一文字姓のご家族。
道にはインドサリーのご婦人。
すぐ近くの異人館には金髪の友達。
みんなで神戸弁で遊んでました。
六甲山小学校では、毎年10月20日過ぎに冬の準備として、薪ストーブの火入れ式が行われる。小学生がキリで起こした火をほうき状の藁束に移して点火する様子は、神戸の秋の風物詩となっている。
かつて「武庫郡」だった現在の東灘区が、終戦後に神戸市に編入されるに際して、先に編入されていた「灘区」に対して、「こっちが本家本元の『灘』なんだから、あちらを「西灘区」と改称して、こっちを「灘区」にしろ、という意見が、かなり強硬に主張されたそうです。
三田市民はこの場合何処に属するんだろうか?
摂津だから神戸・阪神?
この区分で一番困ってるのは三田市民かも知れない。
西元町駅横の、封鎖された地下通路にノスタルジックを感じる。
これ三越に通じる道?
三越側からしか開けた事ないが、扉開けたら気圧の関係か、地下なのに強い風が吹いてきたような覚えが・・・
小学校上がる前ぐらいなんで、ハッキリと覚えていないが。
子供だから強い風に思えただけ?
湊川・新開地、昔の定番おみやげ御三家は、これです。
「春陽軒の豚まん」
「おやつセンター(現・よつばや)のピロシキ」
「人工衛星饅頭」
昔からピロシキが好きなんだけど、意外に見過ごされがち。
豚まんやたこ焼き同様、神戸発B級グルメとして、アピールしてほしい。
「かねてつ」同様に「パルナス」も、関西人なら誰しも、そのCMソングをソラで歌える。
そのパルナスの創業者は加西市出身で、神戸で開業したのが最初。
パルナスは廃業してしまったが、阪神尼崎駅構内の「モンパルナス」で、かつての「モスクワの味」の一端を味わうことが出来る。
ツアーでバスからタクシーに乗り換えました。タクシーの運転手さんに「お客さんは大阪からですか?」ときかれ、私を含め、4人とも「神戸です!」と答えました。
山も海も坂も無ければ何を基準に方角を判断すればいいかわからなくなる。
山側=北=上り坂
海側=南=下り坂
神戸や明石で「明石焼き」と言う人に「イラッ」とする。
それは、大阪での呼び名で、神戸では「たこ焼き」、明石及び西区垂水区では「玉子焼き」というのが正解です。
神戸ナンバーに慣れているから東京に来ても品川ナンバーに何も感じない。
足立、練馬、世田谷、杉並にももちろん、習志野、大宮、柏、川口、千葉、川崎、所沢ナンバーの品のない走りを見ると哀れみを感じる。
ただ…横浜ナンバーだけには来やがったな?と思う。
生まれも育ちも「神戸っ子」(←ひょっとして、これもあるある?)の私は、いまだに自転車に乗れません。
お隣の大阪では、雨が降っているの中を、傘をハンドルに装着して、「大阪のおかんたち」が、自転車を走らせてました。あれは、本当にビックリした。
地元(神戸の南東部)では、原付バイクの方が、自転車よりも多く見かけます。
尼崎城天守閣が復元された。
どちらかというと立派な方らしいんだけど、ふだんから西隣の姫路城、東隣の大阪城を見慣れているので、「ちっちゃぁ~」と思った。
話の終わりに
それが確かな情報であろうがなかろうが
なんか知らんけど
という言葉がつく
「ドンク」「ユーハイム」「ケーニヒスクローネ」
この3店に限って言えば、たいていの関東人は「東京のお店」と認識している。
神戸に来たとき、この店を見て「あ、神戸にもあるんだ」と言ったのは、埼玉人と千葉人、東京人だった。
逆に自分は、青山の「ヨックモック」の本店は、神戸だ、と思い込んでいた。
日直を日番といい、学校は土足
かつて、神戸から大阪へ行くのなら、阪急か阪神、京都へ行くなら阪急、と決まっていて、大阪でも京都でも、「国鉄で行く」という選択をする人は、ごくわずかだった。
とある午後、国鉄時代の新快速で大阪から三宮まで帰ったことがあるが、1車両まるまる「貸切」状態だった。
ちなみに、当時の新快速の停車駅は、京都-大阪-三ノ宮-明石-姫路。
新大阪も神戸も通過で、特急よりも速かったが、それでも客がいなかった。
この図式は、国鉄がJRになっても変わらなかったのだが、それが逆転したのは、阪神大震災がきっかけだった。
震災で、大阪ー神戸間の鉄道は、阪急も阪神もJRもすべて不通となったのだが、JRの復旧が、阪急や阪神よりも段違いに早かったので、JRに乗客が集中し、阪急、阪神の復旧後もそれが続いたのだった。
豚まんと言えば551より老祥記。
区は、『ひょー→ご⤴︎ 』。
県は、『ひょー⤴︎ ご⤵︎ ︎』。
たくさん神戸の名のつくブランドはあるけれども、実際に馴染みのある神戸ブランドは小学校の時に使う神戸ノートだけ
え?
「親和」は、「しんな」じゃないの?
どう読むの?
昔は、ここの生徒自身も「しんな」って言うてましたぞ。
野球シーズンが始まると、JR甲子園口駅に置かれる看板がお気に入り。
「甲子園球場まで
バスで約10分
徒歩で約40分」
駅名に「甲子園」ってつくから、甲子園球場に近いのかと思われがちですが、結構離れてます。
甲子園球場には阪神電車でいきましょう。
1980年代三宮センター街の南には〝ダイエー村〟があった。スーパーマーケットをはじめ、ファッションビル、ステーキハウス、ハンバーガーショップ、ドーナツショップ、スポーツ用品店…、なんでもあった。
神戸の小中学校は上履きは無いので、靴箱はありません
履いて行った靴で過ごします
教室は油引きした木の板ばりなので、年に何回だったか油引きの日があり、独特の匂いが懐かしいです
神戸から一歩も出たことがない生粋の神戸っ子は、それはそれで良いねと言ってもらえる。でも、仕事や留学で海外に行っている人とか、神戸から遠く離れた場所からやって来た人のほうがすごいと思われているフシもあり、ずっと地元に残っていると何だか凡庸な人生を歩んでいる気がしてくる。港町の宿命。
阪神地区の市の中で、川西だけが地味。
有名なモノもなく、キャラも立っていない。
明石は播磨か神戸か論争が度々勃発するが、明石的には県外に行くと「どこから来たの?」「神戸(の隣の明石)です」と答えがち。ちなみに()の中は発音されない。
高校に入って体育の準備体操がラジオ体操だった驚き…神戸体操痩せるよ‼︎
市内のお好み焼き屋で、おばちゃんマヨネーズちょうだい 。 なんて言うと地味に無視されたり叱られたりする。
小学5年の時に行くのはグリーンスクール。決して山の学校ではない。
神戸の北野町はほんま外国人が多かった。
実家の両隣は漢字一文字姓のご家族。
道にはインドサリーのご婦人。
すぐ近くの異人館には金髪の友達。
みんなで神戸弁で遊んでました。
六甲山小学校では、毎年10月20日過ぎに冬の準備として、薪ストーブの火入れ式が行われる。小学生がキリで起こした火をほうき状の藁束に移して点火する様子は、神戸の秋の風物詩となっている。
かつて「武庫郡」だった現在の東灘区が、終戦後に神戸市に編入されるに際して、先に編入されていた「灘区」に対して、「こっちが本家本元の『灘』なんだから、あちらを「西灘区」と改称して、こっちを「灘区」にしろ、という意見が、かなり強硬に主張されたそうです。
三田市民はこの場合何処に属するんだろうか?
摂津だから神戸・阪神?
この区分で一番困ってるのは三田市民かも知れない。
西元町駅横の、封鎖された地下通路にノスタルジックを感じる。
これ三越に通じる道?
三越側からしか開けた事ないが、扉開けたら気圧の関係か、地下なのに強い風が吹いてきたような覚えが・・・
小学校上がる前ぐらいなんで、ハッキリと覚えていないが。
子供だから強い風に思えただけ?
湊川・新開地、昔の定番おみやげ御三家は、これです。
「春陽軒の豚まん」
「おやつセンター(現・よつばや)のピロシキ」
「人工衛星饅頭」
昔からピロシキが好きなんだけど、意外に見過ごされがち。
豚まんやたこ焼き同様、神戸発B級グルメとして、アピールしてほしい。
「かねてつ」同様に「パルナス」も、関西人なら誰しも、そのCMソングをソラで歌える。
そのパルナスの創業者は加西市出身で、神戸で開業したのが最初。
パルナスは廃業してしまったが、阪神尼崎駅構内の「モンパルナス」で、かつての「モスクワの味」の一端を味わうことが出来る。
ツアーでバスからタクシーに乗り換えました。タクシーの運転手さんに「お客さんは大阪からですか?」ときかれ、私を含め、4人とも「神戸です!」と答えました。
山も海も坂も無ければ何を基準に方角を判断すればいいかわからなくなる。
山側=北=上り坂
海側=南=下り坂
神戸や明石で「明石焼き」と言う人に「イラッ」とする。
それは、大阪での呼び名で、神戸では「たこ焼き」、明石及び西区垂水区では「玉子焼き」というのが正解です。
神戸ナンバーに慣れているから東京に来ても品川ナンバーに何も感じない。
足立、練馬、世田谷、杉並にももちろん、習志野、大宮、柏、川口、千葉、川崎、所沢ナンバーの品のない走りを見ると哀れみを感じる。
ただ…横浜ナンバーだけには来やがったな?と思う。
生まれも育ちも「神戸っ子」(←ひょっとして、これもあるある?)の私は、いまだに自転車に乗れません。
お隣の大阪では、雨が降っているの中を、傘をハンドルに装着して、「大阪のおかんたち」が、自転車を走らせてました。あれは、本当にビックリした。
地元(神戸の南東部)では、原付バイクの方が、自転車よりも多く見かけます。
尼崎城天守閣が復元された。
どちらかというと立派な方らしいんだけど、ふだんから西隣の姫路城、東隣の大阪城を見慣れているので、「ちっちゃぁ~」と思った。
話の終わりに
それが確かな情報であろうがなかろうが
なんか知らんけど
という言葉がつく
「ドンク」「ユーハイム」「ケーニヒスクローネ」
この3店に限って言えば、たいていの関東人は「東京のお店」と認識している。
神戸に来たとき、この店を見て「あ、神戸にもあるんだ」と言ったのは、埼玉人と千葉人、東京人だった。
逆に自分は、青山の「ヨックモック」の本店は、神戸だ、と思い込んでいた。
日直を日番といい、学校は土足
かつて、神戸から大阪へ行くのなら、阪急か阪神、京都へ行くなら阪急、と決まっていて、大阪でも京都でも、「国鉄で行く」という選択をする人は、ごくわずかだった。
とある午後、国鉄時代の新快速で大阪から三宮まで帰ったことがあるが、1車両まるまる「貸切」状態だった。
ちなみに、当時の新快速の停車駅は、京都-大阪-三ノ宮-明石-姫路。
新大阪も神戸も通過で、特急よりも速かったが、それでも客がいなかった。
この図式は、国鉄がJRになっても変わらなかったのだが、それが逆転したのは、阪神大震災がきっかけだった。
震災で、大阪ー神戸間の鉄道は、阪急も阪神もJRもすべて不通となったのだが、JRの復旧が、阪急や阪神よりも段違いに早かったので、JRに乗客が集中し、阪急、阪神の復旧後もそれが続いたのだった。
豚まんと言えば551より老祥記。
区は、『ひょー→ご⤴︎ 』。
県は、『ひょー⤴︎ ご⤵︎ ︎』。