今の子はクワガタ取りするのかな。 六甲山系にも ノコギリクワガタが多くいまして、 大きいのをスイギュウ 小さいのをガジワラ と呼んでました。
神戸出身です。昔、職場で但馬地域の子が「学校の先生が自分の生まれたあたりは標準語だと言った」と言うので「標準語ちゃうやん」と言ったところ「あはぁ、わしゃ、あれだわ、おめ、標準語だわ」と、見事に一つも標準語ではない言葉で返してくれたのでみんなで「ちゃうやん」とつっこんだことがある。
中学校の、合唱で、大地讃頌。 60代の私が中学の時、学校の音楽会の課題曲だったけど、今36歳の娘の課題曲もそうだったので びっくりしました。なぜか歌えるのも😃
兵庫出身以外の人が甲子園球場に行くとき、JR甲子園口駅と阪神甲子園駅を間違えがち
須磨水のエイは人懐っこくてかわいい
がんじき=落ち葉集める 熊手=潮干狩りの道具
社会人になって、何度言うたことか。
やはり30年くらい前、熊は、関西学院構内にも出現しました。 まだ子熊だったみたいで、関学構内には、「かわいいからといって近寄らないこと」との立札が立ったとか。 熊はその後、六甲山伝いに移動して、ゴルフ場のバンカーで砂浴びしたりしながら、北区を経て丹波方面へ去ったようです。
ツイッター見て思い出しました。 30年近く前ですが、所用で村岡町へ行った際、あちこちに「熊に注意」との立札があって、ちょっとビビりました。
兵庫県大好き!だけど実は他の国よりも大阪や京都の方が近い気がする。
神戸の浜側では、天井川の多い地域(御影~西宮)以外では、山・海どころか「足元の感覚(勾配)」だけで向いている方向が分かる。(山から海に向かって道が下っているため)方向音痴に優しい地域だと思う。 方向音痴のみんな、神戸へ来たれ!
1980年代にお世話になった神戸の社長さん。「ボク、三中やねん」と言うので、「三田中学ですか?」と問い返すと、「神戸三中や!」と、途端に不機嫌に。 旧・一中(神戸)、二中(兵庫)、三中(長田)には、今も「ナンバースクール」の矜持は、残ってるんでしょうか?
姫路出身と言うと田舎者呼ばわりする人の大半が姫路より田舎出身が多い。 姫路は関西で5番目に人口多い市町村やねんぞ!
春場所が始まった。 貴景勝の取り組みの時、「ふるさと、大阪の地で…」とか言われると、「ちゃうやろ」と、思わずテレビに向かって突っ込んでしまう。
三田の某中高一貫校が母校です。 60年代末に入学したころ、「ちょっと前まで、灘中は、うちの滑り止めやったのに…」と頻りに残念がる先生がいて、「ちょっと前、ていつですか?」と訊いたら、「戦争前や」と言われました。
他県に来て、小学校とか中学校の時の思い出を話すと、なにそれ?っていわれるのが「油引き」と「日番」です。油引きはワックスがけで日番は日直なんですけど、変換でも出なかったりで初めて言われたときは何気にショックでした。
垂水のあたりで山陽電車から見える海がきれいでいつも見入ってしまいます。
海が“シケタ”時、西浦の海岸沿いを車で走ると、車に直接波や時には海藻もかぶるので、できるだけ山の道を駆使する。
土日ともなると、武庫川河川敷のあちこちで、少年野球の練習風景が見られる。 いろんなチームがあるようだが、「タテジマ」ユニホームが多いように見えるのは、気のせい、だろうか?
神戸市兵庫区出身の新郎は、東京都世田谷区出身の新婦と生活始めるのに、阪急六甲から坂を登って約15分のマンションを契約した。 住み始めると、駅から遠い上に坂もきついと不満たらたらの新婦に、「けど、阪急やで。阪急なんやで」と力説したのだが、「それがどうしたのよ」と返されてしまった。
司馬遼太郎は、「大阪平野」ではなく「摂河泉平野」と呼んでいた。 その西の端っこに位置する阪神人としては、その呼び方の方が「仲間外れ」感がなくて好もしい、と思う。 兵庫県内だけを指して「阪神平野」との呼び名もあるが、「摂河泉」の方が雄大で好きだな。
玉岡かおる『夢食い魚のブルー・グッドバイ』は、戦国期「三木合戦」を描いたものを除けば、おそらく唯一の、三木を舞台にした小説。 同じ著者の『をんな紋』三部作は、現在の加西市の大地主の家に生まれ、後に小野市に嫁いだ女性の、明治・大正・昭和に亘る物語。 朝ドラにならないかな?
インテルナ北村 あのCMソングはシモンズでしたっけ? ビルの上の大きなカンバンは潰れたあともしばらく残ってましたねぇ~ 結婚すると、婚礼布団や婚礼家具をトラック🚚2~3台に積んでパレードみたいに運ぶ習慣がまだ残ってた時代からありましたもんね~。
居留地にある大きな郵便局で、1960年代の神戸港は世界第3位に入る貿易港で、局内に税関もあり、貿易関係の会社の方々で賑わっていました。”お客様ルーム”というのがあってそこを通るとでいろんな国の外国ビジネスマンが居て、国際都市神戸を感じました。震災で建物が倒壊。今は無いです。
ざじずぜぞが言えない。例えば090-****-****と携帯番号を教えてもらったら、 でろきゅうでろ-****-****と言ってしまう。ちなみに和歌山の方もざじずぜぞが言えなくて、高校生の時、和歌山出身の先生が絶対主義が言えなくて”でったいしゅぎ”とあだ名をつけたことがあります。
「青木」「大沢」「宅原」、簡単に読めそうなのに実は難読地名、というこの三つは、いずれも神戸市内にある。 それぞれ、「おうぎ」「おおぞう」「えいばら」と読む。
播磨の山奥(宍粟、佐用方面)では、カメムシのことを「がいざ」と言いますが、市外でがいざはカメムシを指すことを説明すると、何かのキャラクターを想像され、「かっこいい」と返ってきます。
奈良県在住の石川県民です。この前奈良県民の友人とドライブした後、明石焼きを食べようとして店員に「明石焼き2パックください。」と言ったら店員が「ちゃうぞボケェ明石焼きとちゃうぞゴラァ!!」とキレて結構ビビりました。
福知山線の柏原駅を、「かいばら」と正しく読める日本人の割合は、ごくごく少ないと思う。 兵庫県人でも、正しい読みを知ってる人はあまり多くない、と思う。 知人が住んでいるのですが、「丹波市貝原町」と書いてくる年賀状が、たまにあるそうです。
大阪の淡路の名物として「しおまんじゅう」があるのも、道真公が間違ったのが由縁と言われています。
地元の方には顰蹙かも…なのだけど、神戸・阪神人がイメージする「播磨」は、明石、加古川、高砂、姫路と…あ、相生と龍野、赤穂もあるね、だ。 三木、小野、西脇と言われると、「あ、そう言えば」と気づくのだが、加東、加西、宍粟、佐用…とこられると、もはや位置もイメージも茫洋のままだ。
今の子はクワガタ取りするのかな。
六甲山系にも
ノコギリクワガタが多くいまして、
大きいのをスイギュウ
小さいのをガジワラ
と呼んでました。
神戸出身です。昔、職場で但馬地域の子が「学校の先生が自分の生まれたあたりは標準語だと言った」と言うので「標準語ちゃうやん」と言ったところ「あはぁ、わしゃ、あれだわ、おめ、標準語だわ」と、見事に一つも標準語ではない言葉で返してくれたのでみんなで「ちゃうやん」とつっこんだことがある。
中学校の、合唱で、大地讃頌。
60代の私が中学の時、学校の音楽会の課題曲だったけど、今36歳の娘の課題曲もそうだったので
びっくりしました。なぜか歌えるのも😃
兵庫出身以外の人が甲子園球場に行くとき、JR甲子園口駅と阪神甲子園駅を間違えがち
須磨水のエイは人懐っこくてかわいい
がんじき=落ち葉集める
熊手=潮干狩りの道具
社会人になって、何度言うたことか。
やはり30年くらい前、熊は、関西学院構内にも出現しました。
まだ子熊だったみたいで、関学構内には、「かわいいからといって近寄らないこと」との立札が立ったとか。
熊はその後、六甲山伝いに移動して、ゴルフ場のバンカーで砂浴びしたりしながら、北区を経て丹波方面へ去ったようです。
ツイッター見て思い出しました。
30年近く前ですが、所用で村岡町へ行った際、あちこちに「熊に注意」との立札があって、ちょっとビビりました。
兵庫県大好き!だけど実は他の国よりも大阪や京都の方が近い気がする。
神戸の浜側では、天井川の多い地域(御影~西宮)以外では、山・海どころか「足元の感覚(勾配)」だけで向いている方向が分かる。(山から海に向かって道が下っているため)方向音痴に優しい地域だと思う。
方向音痴のみんな、神戸へ来たれ!
1980年代にお世話になった神戸の社長さん。「ボク、三中やねん」と言うので、「三田中学ですか?」と問い返すと、「神戸三中や!」と、途端に不機嫌に。
旧・一中(神戸)、二中(兵庫)、三中(長田)には、今も「ナンバースクール」の矜持は、残ってるんでしょうか?
姫路出身と言うと田舎者呼ばわりする人の大半が姫路より田舎出身が多い。
姫路は関西で5番目に人口多い市町村やねんぞ!
春場所が始まった。
貴景勝の取り組みの時、「ふるさと、大阪の地で…」とか言われると、「ちゃうやろ」と、思わずテレビに向かって突っ込んでしまう。
三田の某中高一貫校が母校です。
60年代末に入学したころ、「ちょっと前まで、灘中は、うちの滑り止めやったのに…」と頻りに残念がる先生がいて、「ちょっと前、ていつですか?」と訊いたら、「戦争前や」と言われました。
他県に来て、小学校とか中学校の時の思い出を話すと、なにそれ?っていわれるのが「油引き」と「日番」です。油引きはワックスがけで日番は日直なんですけど、変換でも出なかったりで初めて言われたときは何気にショックでした。
垂水のあたりで山陽電車から見える海がきれいでいつも見入ってしまいます。
海が“シケタ”時、西浦の海岸沿いを車で走ると、車に直接波や時には海藻もかぶるので、できるだけ山の道を駆使する。
土日ともなると、武庫川河川敷のあちこちで、少年野球の練習風景が見られる。
いろんなチームがあるようだが、「タテジマ」ユニホームが多いように見えるのは、気のせい、だろうか?
神戸市兵庫区出身の新郎は、東京都世田谷区出身の新婦と生活始めるのに、阪急六甲から坂を登って約15分のマンションを契約した。
住み始めると、駅から遠い上に坂もきついと不満たらたらの新婦に、「けど、阪急やで。阪急なんやで」と力説したのだが、「それがどうしたのよ」と返されてしまった。
司馬遼太郎は、「大阪平野」ではなく「摂河泉平野」と呼んでいた。
その西の端っこに位置する阪神人としては、その呼び方の方が「仲間外れ」感がなくて好もしい、と思う。
兵庫県内だけを指して「阪神平野」との呼び名もあるが、「摂河泉」の方が雄大で好きだな。
玉岡かおる『夢食い魚のブルー・グッドバイ』は、戦国期「三木合戦」を描いたものを除けば、おそらく唯一の、三木を舞台にした小説。
同じ著者の『をんな紋』三部作は、現在の加西市の大地主の家に生まれ、後に小野市に嫁いだ女性の、明治・大正・昭和に亘る物語。
朝ドラにならないかな?
インテルナ北村 あのCMソングはシモンズでしたっけ? ビルの上の大きなカンバンは潰れたあともしばらく残ってましたねぇ~
結婚すると、婚礼布団や婚礼家具をトラック🚚2~3台に積んでパレードみたいに運ぶ習慣がまだ残ってた時代からありましたもんね~。
居留地にある大きな郵便局で、1960年代の神戸港は世界第3位に入る貿易港で、局内に税関もあり、貿易関係の会社の方々で賑わっていました。”お客様ルーム”というのがあってそこを通るとでいろんな国の外国ビジネスマンが居て、国際都市神戸を感じました。震災で建物が倒壊。今は無いです。
ざじずぜぞが言えない。例えば090-****-****と携帯番号を教えてもらったら、
でろきゅうでろ-****-****と言ってしまう。ちなみに和歌山の方もざじずぜぞが言えなくて、高校生の時、和歌山出身の先生が絶対主義が言えなくて”でったいしゅぎ”とあだ名をつけたことがあります。
「青木」「大沢」「宅原」、簡単に読めそうなのに実は難読地名、というこの三つは、いずれも神戸市内にある。
それぞれ、「おうぎ」「おおぞう」「えいばら」と読む。
播磨の山奥(宍粟、佐用方面)では、カメムシのことを「がいざ」と言いますが、市外でがいざはカメムシを指すことを説明すると、何かのキャラクターを想像され、「かっこいい」と返ってきます。
奈良県在住の石川県民です。この前奈良県民の友人とドライブした後、明石焼きを食べようとして店員に「明石焼き2パックください。」と言ったら店員が「ちゃうぞボケェ明石焼きとちゃうぞゴラァ!!」とキレて結構ビビりました。
福知山線の柏原駅を、「かいばら」と正しく読める日本人の割合は、ごくごく少ないと思う。
兵庫県人でも、正しい読みを知ってる人はあまり多くない、と思う。
知人が住んでいるのですが、「丹波市貝原町」と書いてくる年賀状が、たまにあるそうです。
大阪の淡路の名物として「しおまんじゅう」があるのも、道真公が間違ったのが由縁と言われています。
地元の方には顰蹙かも…なのだけど、神戸・阪神人がイメージする「播磨」は、明石、加古川、高砂、姫路と…あ、相生と龍野、赤穂もあるね、だ。
三木、小野、西脇と言われると、「あ、そう言えば」と気づくのだが、加東、加西、宍粟、佐用…とこられると、もはや位置もイメージも茫洋のままだ。