「甲子園球場はどっちの方ですか?」「あっちの方です。(南東の方を指差して)」
甲子園球場が兵庫県である事を知ってたのは感心するが、但馬で聞くのは間違ってる。(片道180kmの道のり)
JR尼崎から阪神尼崎へ乗り継ぎできると思って降りた人が路頭に迷ってるのを見る。西宮でも。
但馬の人は喋るのがゆっくり。違う、訛り強すぎて伝わらないから言葉選んで喋ってる!
但馬の高校生どんなに雪が積もってもスニーカー
「ロミーナ」「タベンチェーナ」は洋菓子じゃない。「おかき」だ。
ゆるキャラの多さは日本一だと思う。
カニ食べるのが早い。あと、そこまでに無口にならない。
県外で出身聞かれたとき(香美町香住区民の場合)「香美町」→「どこ?」「(旧)香住町」→「かすみ?どこ?」「豊岡市」→「知らない」「城崎」→「あー志賀直哉の!」
きっと宍粟と龍野と高砂の人も「姫路市」って答えるはず。
それでもダメなら「神戸」って答える。
兵庫県人のみわけ方(瀬戸内側)
○○とか言うか?(阪神)○○て言うのけ?(加古川以西播磨の方)
○○ていうこ?(明石人限定)
播磨の人と会話してて、通じなかった言葉:しょうはい御飯(炊き込み御飯)言われてとまどった言葉:きつね寿司(いなり寿司)一瞬どんな寿司か分かりませんでした。(私だけ?)
以前、神戸・阪神エリアに住んでいた時、知り合いが「うちの子、公立の普通科くらいしか行けるとこ無いわ~」と話していて、内心(えっ?公立の普通科って但馬では結構ハードル高いよっ!)って思いました。但馬には私立の高校が少なく、スポーツ推薦とか特進科とか馴染みが無いので普通科=大学行く→頭良い子なイメージです。ちなみに普通科以外の選択肢はかなり多い。農業、水産、畜産、看護、建築、商業、情報系などなど…。無いのは林業くらい?
伊丹市営バスと神戸市営バスの違いがわからない。
伊丹駅おりて、神戸市と錯覚した
髪が長くなると、「がっそやなぁ」と言われ、髪を切りに行くキッカケになる。
街中いたる所にある神戸市の市章だが、あの市章が、神戸の頭文字、カタカナの「カ」を図案化したもの、というのは、意外に知られていない。「カウベ」の「カ」なのですね。個人的には、神戸のローマ字表記は「KOBE」ではなく、「KAWBE」の方が「コーベ」と読みやすいのでは? と今も思っている。「KWANGAKU」みたいに。
神戸市民には聞こえない毎時間鳴る汽笛の音。市外の人はすぐ気付く
現在の西区、当時の垂水区在住だった母方の爺ちゃんは、「お腹が空いた」というと、「よっしゃ」と散弾銃を持ち出し、電線に止まっている雀を「ぽんぽんぽん」と撃ち落として、羽をむしって焼いて食わせてくれた。1960年代のことだ。川では鰻も獲れたし、毎年秋には、爺ちゃんの山で採れる松茸ばかり、毎日のように食わされたので、松茸が大嫌いだった。
3月の風物詩、いかなごのくぎ煮を炊く時、家中の窓やドアを開け放っても家の中のありとあらゆるものがいかなごのくぎ煮の匂いで汚染される。
給食で印象に残っているのはとくれんのオレンジゼリーとさかなっつハイ。
そろばんを広めるために、そろばんの特別授業があった。どうしてもそろばんを広めたいのか、そろばんは計算に使ったり、楽器としても使えると説明された。
岸和田の地車と灘のけんか祭りにかき消されてしまう神戸・阪神間の地車祭り…
姫路生まれです。大阪府堺市で塾講師のアルバイトをした時に、「正解」 のつもりで「おーとう。おーとう。」と言ったところ生徒から「おおとう・・・桃?」と通じなくてびっくりしました。関西弁っていろいろあるんですね。
アシックス、ビオフェルミン、グローリー、西松屋。日本全土に浸透している企業だけど「東京から」と言われるとカチンと来る。何故か「ミヤリサン」だけは「兵庫から」だと思われている。
昭和30年代前半、北区山田町の実家には、ガスはおろか水道もなかった。飲み水や料理には井戸水を水がめに汲み、煮炊きは「おくどさん」とカンテキ。洗濯は川でしていた。食事は、土間の台所の横手の板の間で、テーブルではなく、家族一人ずつの前に置いた銘々膳だった。さすがに電気は来ていたが、家にある電化製品は、電燈とアイロン、ラジオくらいだった。テレビも電話もまだなかった。冬の暖房器具は「火鉢」のみ。うちにもいたが、どの家でも牛を飼っていた。さながら江戸時代だが、違うのは、電気があって皆が洋服を来ていたこと…くらいか。当時は神戸市兵庫区だったが、電話もあれば電気・ガス・上下水道完備の市街地の生活環境とは格段の格差があった。若い人には想像もつかないだろうな。それでも、60年代前半から、生活は劇的に変化していった。
玉ねぎの苗は四国で買う。
斜度30度までを坂道と思っていない。以前、西宮の友達を自宅に案内しようと、ふつーに歩いていたら、どんどん遅れはじめ「しんどい!なんでそんなに坂道はよ歩けんの!」と言われた。
今から35、6年前、播磨では、サッカーやバスケットボール、バレーボールはメジャーなスポーツではなかった。野球か剣道くらいしか選択肢はなく、私は親父が剣道を愛好していた縁もあり、剣道をやらされていた。その当時、スキーがスポーツの選択肢にある但馬に憧れたのは言うまでもない。
神戸の安くて美味しいパンに慣れていると、東京に行った時にパンが高くてびっくりする
神戸市北区の教習所で免許を取った。自分のころにはなかったが、かつては路上教習のコースに六甲山があって、教習中に崖からの転落事故数件、踏切で立ち往生して電車を止めた事故1件、という伝説があった。免許取得後、片側2車線以上の道路で、どこを走っていいのか分からず、大いに戸惑った。
阪神:尼崎は昔大金を払って、大阪と一緒の市外局番「06」を選び、兵庫県人は、大阪空港を伊丹空港と呼びます。関西人は、関西弁を方言と言われて、違和感があるのに、但馬人は、但馬弁を方言と言われて、そうですよって納得。なんでかなぁ~。兵庫は不思議が一杯。
神戸や阪神に「ミニスカ女子高生」がほぼ皆無なのは、この地域には歴史のある伝統的女子校が多くて、その制服にどこも「右へ倣え」してるから、だそうだ。そのせいか、大阪や京都で、やたらに短いスカートの女子高生を見ると、なんだかやたらに田舎臭い、と感じてしまう…のは、偏見だろうか?
「甲子園球場はどっちの方ですか?」
「あっちの方です。(南東の方を指差して)」
甲子園球場が兵庫県である事を知ってたのは感心するが、但馬で聞くのは間違ってる。(片道180kmの道のり)
JR尼崎から阪神尼崎へ乗り継ぎできると思って降りた人が路頭に迷ってるのを見る。
西宮でも。
但馬の人は喋るのがゆっくり。
違う、訛り強すぎて伝わらないから言葉選んで喋ってる!
但馬の高校生
どんなに雪が積もっても
スニーカー
「ロミーナ」「タベンチェーナ」は洋菓子じゃない。
「おかき」だ。
ゆるキャラの多さは日本一だと思う。
カニ食べるのが早い。
あと、そこまでに無口にならない。
県外で出身聞かれたとき(香美町香住区民の場合)
「香美町」→「どこ?」
「(旧)香住町」→「かすみ?どこ?」
「豊岡市」→「知らない」
「城崎」→「あー志賀直哉の!」
きっと宍粟と龍野と高砂の人も「姫路市」って答えるはず。
それでもダメなら「神戸」って答える。
兵庫県人のみわけ方(瀬戸内側)
○○とか言うか?(阪神)
○○て言うのけ?(加古川以西播磨の方)
○○ていうこ?(明石人限定)
播磨の人と会話してて、
通じなかった言葉:
しょうはい御飯(炊き込み御飯)
言われてとまどった言葉:
きつね寿司(いなり寿司)
一瞬どんな寿司か分かりませんでした。
(私だけ?)
以前、神戸・阪神エリアに住んでいた時、知り合いが「うちの子、公立の普通科くらいしか行けるとこ無いわ~」と話していて、内心(えっ?公立の普通科って但馬では結構ハードル高いよっ!)って思いました。但馬には私立の高校が少なく、スポーツ推薦とか特進科とか馴染みが無いので普通科=大学行く→頭良い子なイメージです。ちなみに普通科以外の選択肢はかなり多い。
農業、水産、畜産、看護、建築、商業、情報系などなど…。無いのは林業くらい?
伊丹市営バスと神戸市営バスの違いがわからない。
伊丹駅おりて、神戸市と錯覚した
髪が長くなると、「がっそやなぁ」と言われ、髪を切りに行くキッカケになる。
街中いたる所にある神戸市の市章だが、あの市章が、神戸の頭文字、カタカナの「カ」を図案化したもの、というのは、意外に知られていない。
「カウベ」の「カ」なのですね。
個人的には、神戸のローマ字表記は「KOBE」ではなく、「KAWBE」の方が「コーベ」と読みやすいのでは? と今も思っている。
「KWANGAKU」みたいに。
神戸市民には聞こえない毎時間鳴る汽笛の音。市外の人はすぐ気付く
現在の西区、当時の垂水区在住だった母方の爺ちゃんは、「お腹が空いた」というと、「よっしゃ」と散弾銃を持ち出し、電線に止まっている雀を「ぽんぽんぽん」と撃ち落として、羽をむしって焼いて食わせてくれた。
1960年代のことだ。
川では鰻も獲れたし、毎年秋には、爺ちゃんの山で採れる松茸ばかり、毎日のように食わされたので、松茸が大嫌いだった。
3月の風物詩、いかなごのくぎ煮を炊く時、家中の窓やドアを開け放っても家の中のありとあらゆるものがいかなごのくぎ煮の匂いで汚染される。
給食で印象に残っているのはとくれんのオレンジゼリーとさかなっつハイ。
そろばんを広めるために、そろばんの特別授業があった。どうしてもそろばんを広めたいのか、そろばんは計算に使ったり、楽器としても使えると説明された。
岸和田の地車と灘のけんか祭りにかき消されてしまう神戸・阪神間の地車祭り…
姫路生まれです。
大阪府堺市で塾講師のアルバイトをした時に、「正解」 のつもりで「おーとう。おーとう。」と言ったところ生徒から「おおとう・・・桃?」と通じなくてびっくりしました。
関西弁っていろいろあるんですね。
アシックス、ビオフェルミン、グローリー、西松屋。日本全土に浸透している企業だけど「東京から」と言われるとカチンと来る。何故か「ミヤリサン」だけは「兵庫から」だと思われている。
昭和30年代前半、北区山田町の実家には、ガスはおろか水道もなかった。
飲み水や料理には井戸水を水がめに汲み、煮炊きは「おくどさん」とカンテキ。洗濯は川でしていた。
食事は、土間の台所の横手の板の間で、テーブルではなく、家族一人ずつの前に置いた銘々膳だった。
さすがに電気は来ていたが、家にある電化製品は、電燈とアイロン、ラジオくらいだった。テレビも電話もまだなかった。
冬の暖房器具は「火鉢」のみ。
うちにもいたが、どの家でも牛を飼っていた。
さながら江戸時代だが、違うのは、電気があって皆が洋服を来ていたこと…くらいか。
当時は神戸市兵庫区だったが、電話もあれば電気・ガス・上下水道完備の市街地の生活環境とは格段の格差があった。若い人には想像もつかないだろうな。
それでも、60年代前半から、生活は劇的に変化していった。
玉ねぎの苗は四国で買う。
斜度30度までを坂道と思っていない。
以前、西宮の友達を自宅に案内しようと、ふつーに歩いていたら、どんどん遅れはじめ「しんどい!なんでそんなに坂道はよ歩けんの!」と言われた。
今から35、6年前、播磨では、サッカーやバスケットボール、バレーボールはメジャーなスポーツではなかった。野球か剣道くらいしか選択肢はなく、私は親父が剣道を愛好していた縁もあり、剣道をやらされていた。その当時、スキーがスポーツの選択肢にある但馬に憧れたのは言うまでもない。
神戸の安くて美味しいパンに慣れていると、東京に行った時にパンが高くてびっくりする
神戸市北区の教習所で免許を取った。
自分のころにはなかったが、かつては路上教習のコースに六甲山があって、教習中に崖からの転落事故数件、踏切で立ち往生して電車を止めた事故1件、という伝説があった。
免許取得後、片側2車線以上の道路で、どこを走っていいのか分からず、大いに戸惑った。
阪神:尼崎は昔大金を払って、大阪と一緒の市外局番「06」を選び、兵庫県人は、大阪空港を伊丹空港と呼びます。関西人は、関西弁を方言と言われて、違和感があるのに、但馬人は、但馬弁を方言と言われて、そうですよって納得。なんでかなぁ~。兵庫は不思議が一杯。
神戸や阪神に「ミニスカ女子高生」がほぼ皆無なのは、この地域には歴史のある伝統的女子校が多くて、その制服にどこも「右へ倣え」してるから、だそうだ。
そのせいか、大阪や京都で、やたらに短いスカートの女子高生を見ると、なんだかやたらに田舎臭い、と感じてしまう…のは、偏見だろうか?