他府県で神戸ですか?、私の車は「神戸ナンバー」実は丹波市在住
電車に乗ると元町より西は非常に遠く感じる。
神戸の北区(山の上)に住んでると、昔は神戸や三ノ宮に行くことを「下におりる」って言うてた。「今度の休み、下おりようや!!」みたいな…今は言わないかなぁ?
教習所の教官に「危ないから初心者の間は六甲山で運転するのやめてね」と言われた。
阪神淡路大震災で被災した人は当時の事を話すとき、(無理やり)笑い話にしようとする。
30年位前だけど、神戸まつりの期間中、神戸市の学校は公休。
小学校低学年の遠足の行き先は須磨浦公園(現地集合)
いかなごのくぎ煮は自分の家で作るので気にしなかったが、販売されているいかなごのくぎ煮の金額を見て仰天した。
大阪国際空港と聞いてもピンと来ない。伊丹空港と言ってくれないと。
“阪神間”で括られると大阪も入ってしまう気がして実はやめてほしい。
名のあるスイーツ店も良いけど、神戸人にはそれぞれご贔屓の知られざるスイーツ店がひとつはある。「どこのお店?」と聞かれることが喜び。
甲子園球場までは電車1本、15分ほどの乗車で行けるので高校野球好きの友人(他府県在住)に羨ましがられた。
豚まんと言えば551より老祥記。
甲子園でのプロ野球の試合が長引いても阪神電鉄本線は運行してくれるみたい。昔、延長戦での実況解説・福本豊さんの「これ加古川の奴帰られへんなぁ」という言葉が衝撃的だった。
生活協同組合(コープ)の事を「コープさん」とつい言ってしまう。
阪神国道線(路面電車)があったころ「阪神パーク前」という駅(停留所)があった。阪神三宮の切符売場の路線図を見て「阪神パーク前」まで切符を買うのだが、(路面電車に乗り換えるために)甲子園駅に降り立つと、阪神パークは徒歩の距離とわかり、路面電車を待たず、そのまま阪神パークまで歩いて行った。
ロシア人は、キノコが大好き。1970年代に、在神戸ロシア人グループの、キノコ狩りの様子をレポートした新聞記事を読んだことがある。10人ほどで六甲山中に分け入り、キノコとみれば手当たり次第採取して、10キロほども集めてきたそれをシチューにするのだが、中には、明らかに毒キノコ、というのも相当数混じっていて、記者が「あ、それ毒…」というと「大丈夫、大丈夫」とどんどんぶち込んでいく。みんなわいわいとおいしそうに食べていて、記者にも勧められたらしいが、遠慮したそうだ。
谷崎潤一郎の「細雪」にも、近所に住むロシア人一家について、同じような記述がある。
長靴のことを但馬ブーツと呼ぶ
県外から移り住んだ人は、神戸の市営住宅などに表示されている市章を、当社は不動産会社のマークと勘違いする。
駅の地点が海抜ではなく標高で表される神戸電鉄。ワンマン運転なのにワンマン表示がない。ほとんどのホームでは1両につき3カ所の乗車位置表示をしているので、たまに乗降扉が2カ所しかない旧型車両がやってくるため、整列して待っていた利用客が右往左往する。基本4両編成なのだが、たまに3両編成がやってくる。こんなにインターネットやSNSが普及しているのに、一か八かの体験ができてしまう。
普通のたこ焼きにかつお・昆布の出汁をかけて食べる(明石焼きと大阪のたこ焼きの中間のようなもの)。
淡路といえば?って尋ねたら「玉ねぎ!」ってしか返ってこない!玉ねぎ以外も名産品はあるんやで!!!
但馬地域内および但馬と大阪・神戸を結ぶ重要な交通網を担う全但バス。そのサイトにある路線図や時刻表には兵庫県庁前(神戸市中央区)のことを「神戸県庁前」と表示…。
「どこ出身?」と他府県民(近畿除く)に聞かれ「神戸生まれの神戸育ちです」と答えると何故か羨ましがられた。ブランド扱い?ちなみに神戸ナンバーの車も同じ扱いっぽい。
神戸体操は腕立て伏せに似たパートがあるため、地面に両手をつけなければなりません。そのパートが終わると立ち上がり、次のパートへ移行するのですが、両手についた土や砂を払うというルーティンが加わります。
西区と北区は神戸市だという事実
兵庫北部と京都北部の但馬・丹波・丹後で「三丹」っていう地域のくくりがあって、かなり実感がわく。
出石の辰鼓楼は、札幌の時計台と並んで、日本最古の時計台。でも、言わない。
今の西区の区域が神戸市に編入されたとき、明石市にも合併が打診されたらしい。明石市議会は、その後ごっつ長いことその可否を議論し続け、10年後にようやく「合併しない」と決定した。「神戸市明石区」になっていたかも、なのだった。
神戸市は、現在の芦屋市と西宮市も合併しようと目論んでいたらしいが、こちらは、国から「待った」をかけられたそうだ。
播磨の「播」の音は「ハ」で、「バン」という読みは本来なかった。だから「播州」は、もともと「ハシュウ」と読まれていたのだが、いつの時代かどこかの阿呆が「バンシュウ」と読み間違えて、以後それが定着してしまった。ということを、相生が生んだ漢字と日本語の鉄人・高島俊男の著作で読んだ覚えがある。
他府県で神戸ですか?、私の車は「神戸ナンバー
」実は丹波市在住
電車に乗ると元町より西は非常に遠く感じる。
神戸の北区(山の上)に住んでると、昔は神戸や三ノ宮に行くことを「下におりる」って言うてた。
「今度の休み、下おりようや!!」みたいな…
今は言わないかなぁ?
教習所の教官に「危ないから初心者の間は六甲山で運転するのやめてね」と言われた。
阪神淡路大震災で被災した人は当時の事を話すとき、(無理やり)笑い話にしようとする。
30年位前だけど、神戸まつりの期間中、神戸市の学校は公休。
小学校低学年の遠足の行き先は須磨浦公園(現地集合)
いかなごのくぎ煮は自分の家で作るので気にしなかったが、販売されているいかなごのくぎ煮の金額を見て仰天した。
大阪国際空港と聞いてもピンと来ない。伊丹空港と言ってくれないと。
“阪神間”で括られると大阪も入ってしまう気がして実はやめてほしい。
名のあるスイーツ店も良いけど、神戸人にはそれぞれご贔屓の知られざるスイーツ店がひとつはある。「どこのお店?」と聞かれることが喜び。
甲子園球場までは電車1本、15分ほどの乗車で行けるので高校野球好きの友人(他府県在住)に羨ましがられた。
豚まんと言えば551より老祥記。
甲子園でのプロ野球の試合が長引いても阪神電鉄本線は運行してくれるみたい。
昔、延長戦での実況解説・福本豊さんの「これ加古川の奴帰られへんなぁ」という言葉が衝撃的だった。
生活協同組合(コープ)の事を「コープさん」とつい言ってしまう。
阪神国道線(路面電車)があったころ「阪神パーク前」という駅(停留所)があった。阪神三宮の切符売場の路線図を見て「阪神パーク前」まで切符を買うのだが、(路面電車に乗り換えるために)甲子園駅に降り立つと、阪神パークは徒歩の距離とわかり、路面電車を待たず、そのまま阪神パークまで歩いて行った。
ロシア人は、キノコが大好き。
1970年代に、在神戸ロシア人グループの、キノコ狩りの様子をレポートした新聞記事を読んだことがある。
10人ほどで六甲山中に分け入り、キノコとみれば手当たり次第採取して、10キロほども集めてきたそれをシチューにするのだが、中には、明らかに毒キノコ、というのも相当数混じっていて、記者が「あ、それ毒…」というと「大丈夫、大丈夫」とどんどんぶち込んでいく。
みんなわいわいとおいしそうに食べていて、記者にも勧められたらしいが、遠慮したそうだ。
谷崎潤一郎の「細雪」にも、近所に住むロシア人一家について、同じような記述がある。
長靴のことを但馬ブーツと呼ぶ
県外から移り住んだ人は、神戸の市営住宅などに表示されている市章を、当社は不動産会社のマークと勘違いする。
駅の地点が海抜ではなく標高で表される神戸電鉄。ワンマン運転なのにワンマン表示がない。ほとんどのホームでは1両につき3カ所の乗車位置表示をしているので、たまに乗降扉が2カ所しかない旧型車両がやってくるため、整列して待っていた利用客が右往左往する。基本4両編成なのだが、たまに3両編成がやってくる。こんなにインターネットやSNSが普及しているのに、一か八かの体験ができてしまう。
普通のたこ焼きにかつお・昆布の出汁をかけて食べる(明石焼きと大阪のたこ焼きの中間のようなもの)。
淡路といえば?って尋ねたら
「玉ねぎ!」ってしか返ってこない!
玉ねぎ以外も名産品はあるんやで!!!
但馬地域内および但馬と大阪・神戸を結ぶ重要な交通網を担う全但バス。そのサイトにある路線図や時刻表には兵庫県庁前(神戸市中央区)のことを「神戸県庁前」と表示…。
「どこ出身?」と他府県民(近畿除く)に聞かれ「神戸生まれの神戸育ちです」と答えると何故か羨ましがられた。ブランド扱い?
ちなみに神戸ナンバーの車も同じ扱いっぽい。
神戸体操は腕立て伏せに似たパートがあるため、地面に両手をつけなければなりません。そのパートが終わると立ち上がり、次のパートへ移行するのですが、両手についた土や砂を払うというルーティンが加わります。
西区と北区は神戸市だという事実
兵庫北部と京都北部の但馬・丹波・丹後で「三丹」っていう地域のくくりがあって、かなり実感がわく。
出石の辰鼓楼は、札幌の時計台と並んで
、日本最古の時計台。でも、言わない。
今の西区の区域が神戸市に編入されたとき、明石市にも合併が打診されたらしい。
明石市議会は、その後ごっつ長いことその可否を議論し続け、10年後にようやく「合併しない」と決定した。
「神戸市明石区」になっていたかも、なのだった。
神戸市は、現在の芦屋市と西宮市も合併しようと目論んでいたらしいが、こちらは、国から「待った」をかけられたそうだ。
播磨の「播」の音は「ハ」で、「バン」という読みは本来なかった。
だから「播州」は、もともと「ハシュウ」と読まれていたのだが、いつの時代かどこかの阿呆が「バンシュウ」と読み間違えて、以後それが定着してしまった。
ということを、相生が生んだ漢字と日本語の鉄人・高島俊男の著作で読んだ覚えがある。