U5HのTwitterの「ひょうごインスタントグラム」に関するTweetを見て感じたこと。 何でも「神戸」って付いたら高級感が出る気がする、と。阪神民の神戸への憧れのあらわれです。「阪神」ってついてもとある虎の球団な感じしかでないのは阪神民のお約束。
神戸で、安くておいしい居酒屋なら、今もやっぱり新開地だ。 どて焼きなら「正宗屋」の串のやつが日本一、と思っている。 店名が素敵な「八喜為(はきだめ)」は、コロナ禍でありながら、つい最近新店舗をオープンしてしまった。 焼き鳥なら、もちろん「八栄亭」だ。
いまだに違和感が拭えません。 阪急電車の車内や駅にあるタイガースのポスターと、阪神電車の宝塚。
1970年頃からのブームで、サッポロラーメンのチェーン店が進出してきて、神戸にも「ラーメン屋」がぽつぽつと出現し始めた。 それ以前の神戸には「中華料理店」なら星の数ほどあったが、「ラーメン屋」というのは、皆無に近かった。 昔ながらの神戸の中華料理屋のラーメン、今も好きだ。
「二国」と言えば、我々世代では「第二阪神国道」すなわち「国道43号」だ。 しかし、若い世代では「二国」と言えば「国道2号」で、会話に齟齬が生じることが、度々ある。 我々世代にも、今は「43(よんさん)」の呼び名が定着しつつある。 「阪神国道」も、今は駅名に残るのみ。
西区に住んで、その後北区に住みました。 三宮へ飲みに行くと、「北区と西区は『神戸市』やけど、『神戸』ではない!」と、中央区及び灘区の住人から指摘された。 「千早赤阪村を、大阪、とは言わんのと一緒や」なんだそうです。
但馬の雪の量は、地域により随分と差があります。 学校や職場などで積雪量が話題になると、少ない方が都会だとマウントとります。
毎年、テレビのニュースで「六甲山小学校のストーブ火入れ式」の話題が流れると、「もうすぐ冬やねんなあ・・・」と思う。 その六甲山小学校、かつては市内で一番児童数が少なかったが、今は小規模特認校で、麓からケーブルで通って来る子がほとんどだが、かなりの児童数だ。
ふつうは、住んでいるところを「ガラ悪い」といわれると、いやな気がしますが、自慢げにする人が結構いる(屈強なイメージがある)。そうでないところに住んでいる人からすると、うらやましかったりもする。
昔、大阪人だった私が神戸の大学に通学し始めた頃、電車内で見かける女子高生の制服が千差万別なのに、皆同じテイストの補助鞄を提げている事が不思議だった。学校は違えど、納入業者は一緒なのか?神戸の学校では指定されてるのか?と、その補助鞄とは…ファミリアのレッスンバッグ。
淡路島ではベビーカステラよりもピンス焼きが人気。ベビーカステラの見た目で中身が生になっているので、淡路島民じゃない人からすれば、ちゃんと焼けてないと驚く。
芦屋市の道路は夜になってもスポーツカーや高級車、アメ車のエンジン音で眠れないほどうるさくなる(芦屋市は外車が当たり前)
新幹線の駅で 新神戸駅ほど表と裏の 落差が大きい駅は他にない。 表(南側)都会、高層ホテル、タワマン 裏(北側)山、木、滝、ロープウエイ
神戸市兵庫区夢野町は、摂津国風土記の「夢野の鹿」が住んでいた場所で、そのあたりには、ゆめの児童館、ゆめのこどもホーム、ゆめの中学校、ゆめの団地、ゆめのマンション、夢の老人ホーム、ゆめの自動車、ゆめのサービスステーション、ゆめのハウジング、ゆめの支店など、ゆめの○○であふれている。
JR福知山線って、大阪~福知山間の路線を総称して呼ばれることがあるんですけど、実際は篠山口~福知山間が福知山線なんですよね。
明石の名前の由来説の一つに、明石市林崎あたりに住む雌鹿が小豆島の雄鹿と通い合っていたが、あるとき漁師に刺されてその血が赤い石になったという赤石伝説からきたというのがある。また、鹿が通っていたところが「鹿の瀬」という播磨灘屈指の漁場である。
会社で、島外から赴任してきた上司に来た日当日に淡路島の町名全ての呼び名を教えてくれと言われた。倭文や榎列はわかるとして、本町も分からないのは不思議だった。 が、上司が変わるたびに聞かれ、淡路島の地区名は特殊なのかと思う程だった。
昔は播磨御蔭之荘だった現姫路市砥堀では、お正月の「お鏡」を床の間へ、ではなく昔々俵を作る時に測った筒状で両取っ手が耳の様に付いた50cm前後の高さがある大桝の中に据えて御祝いしました。
昔は播磨御蔭之荘だった現姫路市砥堀では、春の山にツツジが咲くと男児の祝いとか関係無く(おじサンでも爺でも)桃色に赤い斑入りの大型ツツジだけを集めて薬玉の様に丸く縛り高い竿に刺して庭で掲げました。
ポートアイランドでは、「ポーアイ」と、いささか間抜けな略称が自然発生的に定着した。 六甲アイランドでは、(多分)その轍を踏むまいと神戸市は、「RIC(Rokko Island City)」という略称を、あらかじめ用意した。 が、その甲斐もなく、今や「ろくあい」が定着している。
かつては、阪急沿線に住みたいと憧れていたが、止むをえざる事情で、阪神沿線に住むことになった。 そして今は、「阪急? ケッ!」で、断然、阪神沿線ファンです。 「安・旨・近」は、断然こっちだ。 商店街や市場はじめ各種お店の数も、圧倒的にこっちの方が多い。
播州でも浜手は塩田がぎょうさんありました。東京からその職人さんが来てレクチャーをしてくれたのだけれど思いっきりの江戸弁で話しよるさかい播州弁にべらんめいが混ざってしもた。祭りで飛び交う怒号はあまりにも凄まじいので普段は耳にしないけどそれでも十分に怖がられてしまう。
住宅地にギリギリまで近い伊丹空港。 飛行機が飛ぶと自然に会話が止まり、過ぎ去ったら何もなかったように再開する。 学校の朝礼も。
祭りの時にまわし姿がだらしないと 同級生や同僚の女の子に見られるのが 恥ずかしいので、こっそりスクワット とかしてお尻の筋トレしてました。 祭り好きの播磨の男は自分の後ろ姿に こだわるし、女の子は祭りの時に 一目惚れして結婚した、なんてエピソードがゴロゴロあると思います。
先日、テレビの「ケンミンSHOW」で、「神戸の豚まん」が紹介されていた。 出演者の皆さんが口々に、豚まんが「神戸名物」なのが、「以外!」とか「知らなかった」と驚いていた。 地元民からすると、「神戸の豚まん」が全国的には無名だった、という方が「以外!」で驚いた。
六甲山の裏側に位置し、神戸市扱いされていない北区の住民は三宮方面など六甲山の南側に行くときは「表(おもて)に行く」と言うことがあります。
季節になると近所の人から丹波黒豆をもらう。いろんな人からもらいすぎて毎週ザル山盛りの枝豆を食べる。枝付きは贈答用としては喜ばれるけど、ご近所さんにお裾分けするときは不評。
冬型の気圧配置が強い時、風が強くて日本海側の海岸線はほとんど雪が積もりません。雪がないからと軽装ででかけるとひどいめにあいます。 逆に弱い冬型とき、海岸線だけドカ雪のことがあって、完全冬装備ででかけると、少し内陸にはいっただけで晴れていて、職場の人にバカにされます。
東京の知人が、仕事で神戸へ来たときに持ってきた手土産は、ユーハイムのお菓子。 一緒に街を歩いていてユーハイムの前を通りかかり、彼は慌てて「しまった、神戸にもあったんだね」としきりに謝った。 「こっちが本店」とは、言い出しにくくて黙っていた。
東京からユーハイムを手土産に持ってきた知人、ドンクの前を通りかかったときには、「あ、ドンクもあるんだね。ここのパン、美味しいんだよ」と親切に教えてくれた。 こっちが本家、とはやはり言い出しづらくて、「そうですね」と答えておいた。
U5HのTwitterの「ひょうごインスタントグラム」に関するTweetを見て感じたこと。
何でも「神戸」って付いたら高級感が出る気がする、と。阪神民の神戸への憧れのあらわれです。「阪神」ってついてもとある虎の球団な感じしかでないのは阪神民のお約束。
神戸で、安くておいしい居酒屋なら、今もやっぱり新開地だ。
どて焼きなら「正宗屋」の串のやつが日本一、と思っている。
店名が素敵な「八喜為(はきだめ)」は、コロナ禍でありながら、つい最近新店舗をオープンしてしまった。
焼き鳥なら、もちろん「八栄亭」だ。
いまだに違和感が拭えません。
阪急電車の車内や駅にあるタイガースのポスターと、阪神電車の宝塚。
1970年頃からのブームで、サッポロラーメンのチェーン店が進出してきて、神戸にも「ラーメン屋」がぽつぽつと出現し始めた。
それ以前の神戸には「中華料理店」なら星の数ほどあったが、「ラーメン屋」というのは、皆無に近かった。
昔ながらの神戸の中華料理屋のラーメン、今も好きだ。
「二国」と言えば、我々世代では「第二阪神国道」すなわち「国道43号」だ。
しかし、若い世代では「二国」と言えば「国道2号」で、会話に齟齬が生じることが、度々ある。
我々世代にも、今は「43(よんさん)」の呼び名が定着しつつある。
「阪神国道」も、今は駅名に残るのみ。
西区に住んで、その後北区に住みました。
三宮へ飲みに行くと、「北区と西区は『神戸市』やけど、『神戸』ではない!」と、中央区及び灘区の住人から指摘された。
「千早赤阪村を、大阪、とは言わんのと一緒や」なんだそうです。
但馬の雪の量は、地域により随分と差があります。
学校や職場などで積雪量が話題になると、少ない方が都会だとマウントとります。
毎年、テレビのニュースで「六甲山小学校のストーブ火入れ式」の話題が流れると、「もうすぐ冬やねんなあ・・・」と思う。
その六甲山小学校、かつては市内で一番児童数が少なかったが、今は小規模特認校で、麓からケーブルで通って来る子がほとんどだが、かなりの児童数だ。
ふつうは、住んでいるところを「ガラ悪い」といわれると、いやな気がしますが、自慢げにする人が結構いる(屈強なイメージがある)。そうでないところに住んでいる人からすると、うらやましかったりもする。
昔、大阪人だった私が神戸の大学に通学し始めた頃、電車内で見かける女子高生の制服が千差万別なのに、皆同じテイストの補助鞄を提げている事が不思議だった。学校は違えど、納入業者は一緒なのか?神戸の学校では指定されてるのか?と、その補助鞄とは…ファミリアのレッスンバッグ。
淡路島ではベビーカステラよりもピンス焼きが人気。ベビーカステラの見た目で中身が生になっているので、淡路島民じゃない人からすれば、ちゃんと焼けてないと驚く。
芦屋市の道路は夜になってもスポーツカーや高級車、アメ車のエンジン音で眠れないほどうるさくなる(芦屋市は外車が当たり前)
新幹線の駅で
新神戸駅ほど表と裏の
落差が大きい駅は他にない。
表(南側)都会、高層ホテル、タワマン
裏(北側)山、木、滝、ロープウエイ
神戸市兵庫区夢野町は、摂津国風土記の「夢野の鹿」が住んでいた場所で、そのあたりには、ゆめの児童館、ゆめのこどもホーム、ゆめの中学校、ゆめの団地、ゆめのマンション、夢の老人ホーム、ゆめの自動車、ゆめのサービスステーション、ゆめのハウジング、ゆめの支店など、ゆめの○○であふれている。
JR福知山線って、大阪~福知山間の路線を総称して呼ばれることがあるんですけど、実際は篠山口~福知山間が福知山線なんですよね。
明石の名前の由来説の一つに、明石市林崎あたりに住む雌鹿が小豆島の雄鹿と通い合っていたが、あるとき漁師に刺されてその血が赤い石になったという赤石伝説からきたというのがある。また、鹿が通っていたところが「鹿の瀬」という播磨灘屈指の漁場である。
会社で、島外から赴任してきた上司に来た日当日に淡路島の町名全ての呼び名を教えてくれと言われた。倭文や榎列はわかるとして、本町も分からないのは不思議だった。
が、上司が変わるたびに聞かれ、淡路島の地区名は特殊なのかと思う程だった。
昔は播磨御蔭之荘だった現姫路市砥堀では、お正月の「お鏡」を床の間へ、ではなく昔々俵を作る時に測った筒状で両取っ手が耳の様に付いた50cm前後の高さがある大桝の中に据えて御祝いしました。
昔は播磨御蔭之荘だった現姫路市砥堀では、春の山にツツジが咲くと男児の祝いとか関係無く(おじサンでも爺でも)桃色に赤い斑入りの大型ツツジだけを集めて薬玉の様に丸く縛り高い竿に刺して庭で掲げました。
ポートアイランドでは、「ポーアイ」と、いささか間抜けな略称が自然発生的に定着した。
六甲アイランドでは、(多分)その轍を踏むまいと神戸市は、「RIC(Rokko Island City)」という略称を、あらかじめ用意した。
が、その甲斐もなく、今や「ろくあい」が定着している。
かつては、阪急沿線に住みたいと憧れていたが、止むをえざる事情で、阪神沿線に住むことになった。
そして今は、「阪急? ケッ!」で、断然、阪神沿線ファンです。
「安・旨・近」は、断然こっちだ。
商店街や市場はじめ各種お店の数も、圧倒的にこっちの方が多い。
播州でも浜手は塩田がぎょうさんありました。東京からその職人さんが来てレクチャーをしてくれたのだけれど思いっきりの江戸弁で話しよるさかい播州弁にべらんめいが混ざってしもた。祭りで飛び交う怒号はあまりにも凄まじいので普段は耳にしないけどそれでも十分に怖がられてしまう。
住宅地にギリギリまで近い伊丹空港。
飛行機が飛ぶと自然に会話が止まり、過ぎ去ったら何もなかったように再開する。
学校の朝礼も。
祭りの時にまわし姿がだらしないと
同級生や同僚の女の子に見られるのが
恥ずかしいので、こっそりスクワット
とかしてお尻の筋トレしてました。
祭り好きの播磨の男は自分の後ろ姿に
こだわるし、女の子は祭りの時に
一目惚れして結婚した、なんてエピソードがゴロゴロあると思います。
先日、テレビの「ケンミンSHOW」で、「神戸の豚まん」が紹介されていた。
出演者の皆さんが口々に、豚まんが「神戸名物」なのが、「以外!」とか「知らなかった」と驚いていた。
地元民からすると、「神戸の豚まん」が全国的には無名だった、という方が「以外!」で驚いた。
六甲山の裏側に位置し、神戸市扱いされていない北区の住民は三宮方面など六甲山の南側に行くときは「表(おもて)に行く」と言うことがあります。
季節になると近所の人から丹波黒豆をもらう。いろんな人からもらいすぎて毎週ザル山盛りの枝豆を食べる。枝付きは贈答用としては喜ばれるけど、ご近所さんにお裾分けするときは不評。
冬型の気圧配置が強い時、風が強くて日本海側の海岸線はほとんど雪が積もりません。雪がないからと軽装ででかけるとひどいめにあいます。
逆に弱い冬型とき、海岸線だけドカ雪のことがあって、完全冬装備ででかけると、少し内陸にはいっただけで晴れていて、職場の人にバカにされます。
東京の知人が、仕事で神戸へ来たときに持ってきた手土産は、ユーハイムのお菓子。
一緒に街を歩いていてユーハイムの前を通りかかり、彼は慌てて「しまった、神戸にもあったんだね」としきりに謝った。
「こっちが本店」とは、言い出しにくくて黙っていた。
東京からユーハイムを手土産に持ってきた知人、ドンクの前を通りかかったときには、「あ、ドンクもあるんだね。ここのパン、美味しいんだよ」と親切に教えてくれた。
こっちが本家、とはやはり言い出しづらくて、「そうですね」と答えておいた。