県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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なくなったものあるあるとは?

【ないある探検隊#3】ハチ北のマクドなるほド編

#ないないあるあるの投稿の中から特に気になるネタを取材する「ないある探検隊」。
今回は「ハチ北のマクドなるほド」に迫ります。
詳細はこちら>>>

【ないある探検隊#2】三宮のサソリと富士山・完結編!!!

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョンの完結編!!!
三宮駅近くにあったとされる【巨大な富士山の看板】と【サソリの看板】。。。
ついにその全貌が明かされる!!そして、想像もしなかった意外な事実も!!!

【ないある探検隊#1】三宮のサソリと富士山

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョン!兵庫県広報官をインタビュアーに、数ある投稿の中から特に気になるネタを徹底取材!

※動画内の効果音(フィルム)・・・OtoLogic提供
※写真提供・・・石津事務所

なくなったものあるある、新着エピソード 75/90

神戸タワー
たろからさん

かつて湊川公園の南詰に聳えていて、地元では「新開地タワー」とも呼ばれてました。
昭和30年代では既に中には立入禁止でしたが、「えーとこ、えーとこ聚楽館」とともに、新開地が神戸で一番の繁華街だったころの象徴でもありました。

今も少しだけ残ってますが、かつては「東の浅草、西の新開地」と並び称された一大興業街で、劇場と映画館が軒を連ねていたのが新開地。
昭和40年代には、まだその名残りがありました。
「始発電車まで」とのタイトルで、浅川マキのオールナイトコンサートがあったのは、70年代末の神戸東映でした

1990年代初めころまで、三宮の東門、新道界隈に、夜になるとあちこちに店が出てました。
炭火の網には巻貝が直接乗っていて、香ばしい匂いをあたりに漂わせてました。貝の中身は大貝でした。
冬、飲んだ後に、はふはふと食べると旨かった。
衛生面と道交法で姿を消したのだっけ。

中突堤の内海航路
たろからさん

中突堤から、淡路や小豆島、高松、松山、別府へと、関西汽船や加藤汽船の瀬戸内海航路が頻繁に出ていました
年末の別府航路などは、客室に入りきらない乗客が、甲板にまで溢れていたものです。
大抵の便が大阪発・神戸経由だったので、神戸-大阪の船旅も可能で、運賃は電車賃と同じでした。

がら空きの新快速
たろからさん

それ以来、京都へ行くときなど、あの座ってても尻が浮き上がるほどの揺れさえ我慢すれば、速いし確実に座れるしで、よく使うようになった。
国鉄時代の新快速は、複々線内側の電車線を走っていたのだが、新大阪にも停まらなかったので、北陸行きの特急を追い抜くことも度々でした。

大劇会館
ヒョーゴスラビアの民さん

「ぬ~べ~」や「クレヨンしんちゃん」などが上映されていましたね。

OSの映画館とは違って、なんか暗い感じの雰囲気が映画とマッチしていたような印象でした。

姫路アリーナ(スケート場)
ヒョーゴスラビアの民さん

小学校の授業ではここを利用していた。
今は姫路セントラルパークになりましたね。

親子パンダがトレードマークだった温泉施設。

つぶれた後も親子パンダの行方を「探偵ナイトスクープ」で取り上げてもらった際は地元は少し盛り上がった。

旧神明道を西からいくと、鉄拐山トンネルに入る手前、しゃれたチロル風の外観と、なぜか「バカボンのパパ」が描かれた店名のギャップが衝撃的だった。
名前の故か、当時(80~90年代)はかなりの有名店で、旧神明は「バカボン街道」とも呼ばれていました。

がら空きの新快速
たろからさん

いつも阪急か阪神だったのですが、ある日の午後、大阪から三宮まで、国鉄の新快速を使ってみたのは、1974年。
車内はがら空き、というより、6両編成の各車両に平均2~3人で、走り出すと、めちゃ揺れました。
停車駅は、京都-大阪-三ノ宮-明石-姫路だった。