県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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なくなったものあるあるとは?

【ないある探検隊#3】ハチ北のマクドなるほド編

#ないないあるあるの投稿の中から特に気になるネタを取材する「ないある探検隊」。
今回は「ハチ北のマクドなるほド」に迫ります。
詳細はこちら>>>

【ないある探検隊#2】三宮のサソリと富士山・完結編!!!

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョンの完結編!!!
三宮駅近くにあったとされる【巨大な富士山の看板】と【サソリの看板】。。。
ついにその全貌が明かされる!!そして、想像もしなかった意外な事実も!!!

【ないある探検隊#1】三宮のサソリと富士山

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョン!兵庫県広報官をインタビュアーに、数ある投稿の中から特に気になるネタを徹底取材!

※動画内の効果音(フィルム)・・・OtoLogic提供
※写真提供・・・石津事務所

なくなったものあるある、新着エピソード 82/101

子供の頃、「行ってきとった(=網干区あるある)」母の定番お土産は12個入りのシュークリーム。当然家族で分けていました。
大人買いは果たせぬままとなりました。

三木鉄道
たろからさん

1970年ころだったと思いますが、まだ国鉄三木線だったこの線の、赤い気動車に友人と乗りました。
三木から加古川まで直通で所要およそ30分ほど。国包までの田園風景がのどかでした。
元々旅客が少なかったところに、第三セクター転換後、加古川直通の列車がなくなり、更に乗客が減ったそうです

三木鉄道
ふらっとさんさん

三木鉄道は一度でも乗りたかった鉄道です。この三木鉄道がなくなって数年はたちますが加古川方面からの早く行ける鉄道でした。今では加古川線をのり神鉄経由でないと行けなくなりましたがこの三木鉄道に乗って三木に行くととても景色がよかったそうです。今は線路跡しかなくなりましたが駅は残ってます

1956年に神戸新聞社に入社した横尾忠則さんは、後に神戸で下宿するまで、鍛冶屋線ー加古川線ー山陽線と汽車を乗り継いで神戸まで通っていたそうです。
「神戸は遠いから」と、お母さんが毎日傘を持たせてくれたとか。

今は大阪ですが、1987年まで神戸にありました。
確か、東遊園の近くだったと記憶します。
過激派が、ロケット弾を撃ち込む、という事件もありました。
今も、大阪なのに「駐大阪・神戸米国総領事館」と名称に「神戸」がついてるのは、その名残。
総領事公邸は、今も西宮で威容を誇ってます

確か『風の歌を聴け』にも登場したと思う、その海は、埋め立てられて芦屋浜シーサイドタウンとなってますが、かつて少年・村上春樹が腰かけていたであろう堤防は、臨港線の道路沿いに、車道と歩道を区切るガードレール(?)として、先端だけを地面から覗かせています。

玉岡かおるさんの『をんな紋』は、現在の小野市、加西市周辺を舞台に、女性から女性に受け継がれる系譜とともに、加古川流域及び加古川線沿線の盛衰を、明治末から大正、昭和にかけて描いております。

有馬ヘルスセンター
たろからさん

昔、神鉄の車内で、島倉千代子や「こまどり姉妹」の歌謡ショーの中吊りをよく見かけました。
いつの間にかなくなった、と思っていたのですが、あちこちでポスターや中吊りをよく見る「太閤の湯」が、元の有馬ヘルスセンターだということを、最近知って、ちょっとびっくり。

もう1本の北条線は、現在も「北条鉄道」として存続してますが、あの、ごく短いローカル線である加古川線に、これだけの枝というか支線があったのは、沿線の各地に地場産業が盛んで、その輸送需要があったから、ではないでしょうか。

東宝・宝塚映画製作で1966年に公開された、石原慎太郎・原作、夏木陽介主演の『これが青春だ!』は、劇中の高校のシーンは私立三田学園で撮影され、三田市と周辺でもロケがされてます。
今見ると、今はもう見られない貴重な風景や町の様子が、映像として残っていたりします。