県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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Vol.04【はりま(や橋)物語】-高知-

長曾我部元親をがっかりさせなかった。

 

君の名は、ぼくの名前と、すこし似ている。
ぼくは、きみを探す。君に会いに旅をする。
君との物語を紡ぐために。
君ノ名ハ、僕の名前と似ているネ。」より

兵庫の五国と同じ名前の駅をポスタージャックし、兵庫県広報官の湯川カナがその町を訪ねる「君ノ名ハ」プロジェクト。
第4弾は、高知県の「はりまや橋」です。


前回私たちは三重県まで行ったのに、「播磨」の謎は解けなかった。
播磨という名前の鉄道駅は、他に、ない。
「祭りの時、仕事してたら怒られました」という播磨国ポスターを貼ってくれる駅は日本にはもうない……のだろうか?

「高知ですよ? 遠いですよ?? やめましょうよ」(県職員N)


「あ!」と、県職員Nさん。「『はりまや橋』なら、ありますね、高知に。あっ、でも、あきませんわ。名前も『播磨』と微妙に違いますし、向こうは平仮名だし、ダメですね」
「そもそも、はりまや橋に、駅ってないですしね」と、私。
「はい、駅はありませんね。バスターミナルならありますけど」
「え? じゃ、ポスター貼れますね!」
「貼れるかもしれませんけど……。えっ、広報官、ひょっとして本気で考えてはります? 高知ですよ? 遠いですよ?? やめましょうよ」
「いえ、行きましょう。そこに『同じ名前』が、ある限り」


こうして私たちは、一路、高知県の「はりまや橋」を目指すことにしました。
初めてホームグラウンドである近畿を出て、海を渡って外遊です。Nさんと私は、正装を整えました。「兵庫五国連邦」の旗も準備。ついに「兵庫五国連邦使節団」結成、の趣きです。


23時半、深夜の三宮バスターミナル。私とNさんは、いつ何があっても恥ずかしくないように正装で集合し、バスに乗り込みました。

カーテンを引いてウトウトしていると、「室津PAに停まります」と、低い声でアナウンス。ここは淡路島の北西、「海に面する絶景PA」として人気。せっかくなのでNさんと連れ立ってバスを降り、「播磨灘を一望する」と有名なスポットに佇んでみます。……が、もちろん、暗闇のなか、何も見えません。播磨(灘)はたしかに、そこにあるのに。 

やがて夜が明け、どうしても心の中で(高知の夜明けぜよ!)と竜馬モードが高まってきた午前6時半前、高速バスはついに「はりまや橋バスターミナル」に到着しました。

「ま、あの、いわゆる『日本三大ガッカリ名所』、と言われてますけれども。」(高知市役所の尾谷さん)


大きなバスターミナルの、そこかしこに、兵庫五国連邦「播磨」ポスターが貼ってあります。まさかの! バスターミナルで! 四国の高知で!!! ポスタージャック成功~!!
……名前は平仮名だし、一文字多い「はりまや」だけど。ね。

車中で一晩寝ていささかヨレヨレになったモーニング姿の私たちを、高知市役所の尾谷さんと菅原さんが出迎えてくださっていました。

「よう、高知にお越しくださいました。はるばる、兵庫から。早速ですが、はりまや橋に行かれますか? どっちから行こうかな、じゃあ、こちらから。「はりまや橋公園」を通りましょう。

そうそう、播磨のポスターにある『祭りのときに仕事してたら怒られました。』ね、あれ、高知でも同じやなぁと思いながら見てたんですよ。

実際に、よさこい祭の時に、そんな話を聞いとります。

あ、そこのクジラ。これが「よさこい節」にも出てくる魚、というわけですね。よさこい節はご存知……え、ない? そうですか。

「♪おらんくの池にゃ 潮吹く魚が 泳ぎより」って、太平洋のことをわざと「池」と言い、クジラのことも「魚」と言う、そういう高知の豪快な気風ですね。だから「言うたちいかんちゃ」、つまり、ケンカなんかするな、と。

あ、見えてきました。あっち、向こうの。

あれが、よさこい節の歌い出し「土佐の高知のはりまや橋で」に出てくる、はりまや橋です。

ま、あの、いわゆる「日本三大ガッカリ名所」、と言われてますけれども。はい、あの、思ったより小さくてですね。いまは川はなくなったんで本当は橋は必要ないんですけども、あの、道路の方ですね、石橋を模して作ってまして。

奥のあの朱塗りの欄干の方は、新しく観光用に架けたもんです。それがガッカリ名所と言われるもんで……」

高知市役所・尾谷さん

大丈夫です!
これだけ地元の観光課の方にまで「日本三大ガッカリ名所」と先に言われたら、もはや、そんなにガッカリしませんから!!

朱塗りの欄干に向かうには、道路の下、地下広場を通る。そこには、初代なのか? 少なくとも三代前の、古い橋が保存してあった。さらに、パネルなども使って、よさこい節で「坊さん かんざし 買うを見た」とうたわれる、お坊様「純信」と美しい娘「お馬」の恋の話が紹介されている。 

えーっと、なになに? かんざしを買ったお坊様は純信……じゃなくてもっと若い「慶全」なの? え! いきなり予想外の展開だけど、読んでみると、そもそも慶全はお馬の元カレらしい。

だけどお馬が慶全の上司の純信に惚れてそっちにいっちゃったので、よりを戻したい慶全がお馬にかんざしを買って贈ったのだけどやっぱり振られたので慶全が腹いせに「ちょ、みんな聞いて~! うちの上司の偉いお坊さんが~若い娘にかんざし送ったんですが~それっていーんすかね~」とかなんとか言いふらした結果、純信とお馬は駆け落ちせざるをなくなり、しかしあえなくつかまってふたりとも国外追放になった、という話らしい。

なんか複雑。お馬は同級生から上司に乗り換えるし、元カレは邪魔するために上司に濡れ衣きせるし、純信はお坊さんなのに若い女と駆け落ちしてるし。

高知市の菅原さんにうかがうと、この話は、高知のこどもたちはちゃんと学校でも教わるらしい。「あの、えっと……。これって教訓としては、『恋は身を過つ』とか『女性の心変わりと男性の嫉妬には気をつけろ』とかなんでしょうか?」ときくと、菅原さんはウフフフ、と笑われるのでした。
しかし、登場人物みんなそれぞれ、熱いなあ。

播磨屋さんが架けた橋だから「はりまや橋」。OK!

そして、肝心の橋の名前の由来が、お隣のパネルに書いてありました。
「はりまや橋は、江戸時代初期、堀川を挟んで店を構えていた播磨屋と櫃屋が、お互いの行き来のために架けた」


キタ-!! この見慣れた文字、「播磨」や! やっぱり「播磨屋」が「はりまや橋」の由来だったん、ちゃんと漢字にしたら同じ『播磨』(屋や!)やったー!!
意気揚々と地上に駆け戻り、目の前に現れた、ちいさくキュートなはりまや橋(復元)のもとへ。ガッカリ、なんかしないわよ! だって由来がわかったんだもの。播磨屋さんが架けた橋だから、「はりまや橋」。OK! そうそう、播磨屋さん……って、えっと、誰?

「ちょっと、そこまでは知らないです。すみません。

でも、あれですね、こうして「はりま」という同じ名前のご縁があるのは、嬉しいですね。
いま高知では「リョーマの休日」という観光キャンペーンを行っていましてね、高知のいろんな自然や体験を知っていただきたいと。
こうして同じ名前、ということで、兵庫県のみなさまにも興味をもっていただけるといいですなぁ」

高知市役所・尾谷さん


Yes, we're 地方自治体職員。
住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担っています(地方自治法第一条第二項)。
これからもお互い、地域住民のために頑張りましょうぞ。観光でも、地域の良さを知ってもらいましょうぞ。我らをつなぐ、「はりま」のご縁で! 
固く握手をして、別れます。

『播磨屋宗徳』の大きな文字が現われました。


さてさて。腹が減ってはなんとやら。
私たちは、通りすがりの喫茶店に入り、迷わずモーニングを頼みました。
出てきたのは、ジャムトースト、ゆで卵、野菜サラダ、バナナ、オレンジジュース、ソーセージ、パスタ……、オムレツ(また卵?)、ん? ふりかけご飯……で、スープまでついてる! ま、いっか! いただきまーす。……って、味噌汁やん!!!
たしかに、モーニングセットもお祭り騒ぎ。さすが、高知。なんとなく。


予想外の豪華さに満腹のお腹をさすって歩いていると、『播磨屋宗徳』の大きな文字が現われました。こ、これは!!! な、なんて美味しそうな居酒屋だ!!! お腹いっぱいだけど、ガラガラガラ。すみませーん! カツオのたたき、を、食べたいのですが、まずはお話をきかせてください!


とっても明るくて気さくな、「まさに高知の女性。」というイメージのおかみさんが、きもちよく答えてくださいました。

「お店の名前にさせていただいているんですけど、とくにゆかりがあるとかじゃなくて。せっかくなのにすみません。近くに「帯や勘助」というお店もしていて、個人の名前を店名にしたいということで、十年前からこの名前なんです。

このあたりは昔、水路だったらしいんですね。運送に使っていたみたい。播磨屋宗徳さんは、豪商で、材木を扱っていたと聞いています。それで橋を架けて、そのずっとあとに『はりまや町』って町名もできたそうです。

播磨屋宗徳さんと兵庫県との関係は……聞いたことないです。主人がそういうの詳しいので、いたらよかったんですけど。あ、聞いてみますね。ちょっと待っていただけます? ねえ、わざわざ高知まで来ていただいて。あ、もしもーし? あのね、いま兵庫県のひとが……」 

早川さん(女将さん)


やがて女将さんが私に、ニッコニコ笑いながら「はい」と、スマホを手渡してくださいました。もう、なんて親切なのだ!

「播磨屋宗徳は、もともと高嶋与十郎といって、飾磨……だから播磨ですよね。はい、いまの兵庫県のお金持ちだったようです。で、長曾我部元親と仲が良くて、たしか讃岐を平定する時だったと思うのですが、戦場である四国内ではまぁ味方を見つけるのがなかなか難しい状況だったので、海を越えた播磨、姫路のあたりだと思うのですが、そこの高嶋与十郎に、お金や兵糧を手配してもらったんですね。

それで、長曾我部が四国全土を平定した後に高嶋与十郎を高知に呼んで、商人としてのまぁ特権を与えて商売をさせた。その後、藩主が山内一豊になっても商人としての庇護は変わらず、それから播磨屋宗徳と名前を変えたようですね。

そうですね、ゆかりの場所というなら、播磨屋として商売していた場所ですかね。はりまや橋、見て来られました? あの大きな交差点の北側あたりだったんじゃないかと言われてます。いま、ハマコウさんというお菓子屋さんになってますよ。

え? いやいや、私は単なる歴史好きで。ぜんぜん専門家とかじゃないです。何かお役に立てたら良いのですが」 

早川さん(旦那さん)

いやいやいやいやいや、もう、感謝感激! 奇跡!! 播磨屋ツアーの夜明けぜよ! こんなに詳しい方と出会えるなんて~。何度もお礼を申し上げてスマホを返すと、女将さんが「あっ、そうそう」と教えてくださいました。

車でちょっと行ったところに、播磨屋宗徳のお墓がありますよ。横浜小学校、っていうところの近くです。たまたま近くを通った時に、「あっ、こんなのある!」って思って」

早川さん(女将さん)


わお! ということで、そのゆかりの地を見て、お墓参りをさせていただくことに決定。しかも女将さん、入口にどどんと「播磨」ポスターを貼ってくださいました! もうもう、高知のみなさん、なんてなんて親切なのだ!!

 

播磨屋宗徳さん。本名・高嶋与十郎さん。頑張ったんだね。


ということで、はりまや橋にUターン。たしかにあの朱色の欄干のたもとに、大きな菓子店「浜幸」がありました。入ってみると、試食がずらり。ああ、お腹いっぱい、だったはずなのに、ウマウマ。「かんざし」に「いごっそう」。あ、めっちゃ可愛い飴ちゃん、発見!


高知のみなさまの熱情と優しさの思い出に、かんざし飴ちゃん、購入(※読者プレゼントあり!)。これがあればいつでも「はりまや橋、ぼんさん買ってきたかんざし」遊びができます。教訓は、「恋は身を過つ」と「女性の心変わりと男性の嫉妬には気をつけろ」でしたね、たしか。


ともかくここが、播磨屋さんがあった場所。姫路のあたりからはるか海を渡って太平洋に面した高知に拠点を移し、故郷の名前を屋号にしながら、播磨屋宗徳さんは、ここで、土佐藩財政を支える材木業を営んでいたんですねぇ。橋だって、自分のお金で架けちゃうくらい。

ちなみに、身分の差が大きかった土佐藩では、町人の居住地も上町と下町に分けられていて、商人が住むエリアのいちばんお城寄りが、この、はりまや橋のところだったそうです。


そこから車を走らせることしばし、播磨屋宗徳さんのお墓は、誰も気づかないような細い道を上がった先、小高い丘にありました。案内看板も、すっかり字が見えづらくなっています。手で拭こうとしたけど、もう、汚れとかじゃなくて、錆のようでした。


南国の陽光をいっぱいに浴びて草花たちがのんびり咲いている丘の斜面をとことこ降りると、大きな石碑が静かに建っています。こちらは、古いけれど、誰かがちゃんと手入れをしている気配。石碑には、これまで高知のいろんな親切な方が教えてきてくださったストーリーが、風雨にさらされて消えてしまわないよう、しっかり深々と石に刻み込まれていました。


播磨屋宗徳さん。本名・高嶋与十郎さん。頑張ったんだね。
当時の土佐は、播磨から、どれだけ遠かったのだろう。おそらく幼いころからいつも見て馴染んできた穏やかな瀬戸内海と、高知の浜から見る、島影ひとつない水平線ひろがる太平洋、沖をクジラが泳ぐ大海、いちど荒れるとすべてを呑み込む外海は、どれだけ違ったのだろう。


その海を「池」といい、クジラを「魚」と呼ぶ、ついでにモーニングにまであの八方破れなまでの豪快さが現れる、高知の人々。宗徳さん、故郷を離れて、寂しかったのではないだろうか……。

播磨から出てきた高嶋与十郎さんが、土佐で頑張ったおかげで、高知に「はりまや橋」がある。


なんとなくしゅんとしながら、お礼を伝えに居酒屋「播磨屋宗徳」さんに戻ると、さきほどお電話した旦那さんが来られて、播磨ポスターを眺めていらっしゃいました。

「おもしろいですね。播州、ええわかります、あ、言葉が汚いと言われるんですか。高知もです(笑)
あとは、熱しやすく冷めやすいのも、高知の特徴なので、似ているかもしれませんね。

そうですか? 豪快ですか? 皿鉢料理、「おきゃく」、モーニング、はぁはぁ。

そうですね……高知は、最果ての地ですから、貧しい方も多いというのは、歴史的な背景として、やっぱりあるのだと思うんですよね。なので、騒いでないとやってられない、楽しまないと、バカやってないと、やってられないというのが、あるような気がしますね」

早川さん(旦那さん)


あ。だから、私たちのような異邦人にも、すごく優しいんだ。

そっかそっか、宗徳さんも、寂しくなんかなかったのかもしれないな。なんせ、「祭りの時、仕事してたら怒られました」の播州人だもん。泣く子も黙る、灘のけんか祭りやで。こちとら、日本一荒いと言われる播州弁や!

そして、ときは戦国時代。播磨屋宗徳さんと長曾我部元親さんの間には、そしてきっと、長曾我部の残党を徹底的に壊滅させながらも播磨屋宗徳への扱いを変えなかった山内容堂さんとの間にも、なにか、命を賭けあうような絆が生まれていた、のかもしれない。

400年ほど前、播磨から出てきた高嶋与十郎さんが、播磨屋宗徳として土佐で頑張ったおかげで、いま、高知に「はりまや橋」という地名がある。ありがとう。宗徳さんのおかげで、私たち、この土地に来て、とても素敵な高知の人たちから、たくさんの縁や親切や喜びをいただいたよ!!


神戸に帰るまでの時間を惜しんで、私たちは、やっぱりここまで来たら行ってみました。桂浜。
土地の若者たちがお金を出しあって建てたという、龍馬の大きな大きな像。その龍馬が懐手で見やる先に、圧倒的な水平線……いやこれは、高知の人には「池」、だったね。


池の向こうには、土地がある。その名はアメリカ? どこであれ、そこに住むひとがいる。その土地は、なぜか、僕と同じ名前かもしれない。


陸も続いている。海も続いている。私たちはどこにでも、行くことができる。


行くしかない。
行くしかないぜよ。
行けるかな?
行かなあかんやろ!
行てまえ!!


ぼくは、まだまだ、きみを探す。君に会いに旅をする。
距離を越えて、時を超えて、君との物語を紡ぐために。
ぼくたちの明日が、ちょっと楽しくなる......かもしれない。

 

 


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