カメムシをガイダと呼びますが、高校生の時に周りの「···?」という反応で初めて共通語で無い事を知りました。
加古川や高砂の家庭では、茶碗蒸しの具にうどんを入れます。
播州と言えば、やはり、言葉遣いと車の運転の荒っぽさ。特に、言葉遣いの荒い事には自覚があって、周囲(特にご近所さん)からの「丁寧な言葉遣いやな」とか「綺麗な言葉遣うなぁ」という言葉はどうにも褒め言葉に聞こえない事があります。「綺麗な言葉遣いやけど、あんた、ホンマに播州の人か?」みたいな含みがあるように聞こえてしまいます。(汗)
お正月に帰省しなくてもいいけど、お祭りに帰らない(帰れない)と、「なんでや」とわけを問われる。
一度、神戸新聞にのりましたが東播地区辺りは夜になると空が黒ではなく赤になると言われましたね。でも今でもやはり赤いときがある。
ちょっと、そこの垂水区…
播磨ですから。
姫路工業大学が兵庫県立大学になった時の失望は大きかった。「姫路」という名が国公立大学から消え、悲しい想いをした。
ついつい国道250号線のことを「浜国」と言ってしまう。
播磨地方の友人二人が大阪の専門学校で普通に話してるのに大阪の子達に喧嘩してると思われて止めに入られたらしいw
昔のイメージか、他県に行くと姫路ナンバーは運転が荒いと思われている…
植垣米菓のウグイスボールの愛称が爆弾
県外の方に秋祭りの「やったい」(担ぐ屋台)を説明するのが難しい。「お神輿」じゃないし、「やったい」なんだけどなぁ。チョーサ!!
友人と奈良に行った時の温度差
友人「わー!すごーい!鹿だよー!かっわいー!」
自分「夜よく居るよね」
「姫路人」と書いて、「ひめじん」と読む。
大学で地元を出るまで、かつめしはカレー同様、どこの家庭でも食べられているものだと思っていた。
祭り期間中に
ゼミにムリヤリ出て来た
播州人のツレ
終始ウツロな目で
何話しかけても
よぉーーいやさぁー としか
答えない…
灘のけんか祭りすごいねって口だけは言っているが、本心はまあ有名なだけの観光祭りだろ。
自分のところの祭りが一番だって思っているのが播磨人。
5月5日は、白象が町に出現する。多くの子どもたちが「象ひき」という巨大な象を綱で引いて、町を練り歩く。何十年も続く、地元の伝統的な行事だ。
宍粟市の引原ダムは、播磨地域のヒーロー的存在だ。高度成長の工業用水に使ったり、昨年の豪雨災害を防いだりと大変活躍している。ダムは県の管轄だが、建設に当たり、引原地区は犠牲になった。県職員は未来永劫にわたり忘れず、過疎化が進む宍粟市に対し、尽力してもらいたいものだ。
三月は、山電の山陽網干駅から綾部山梅林へ歩いて行くご高齢の方がとても多い。そのため、帰りの駅の改札に行列ができ、そのご一行とバッティングすると電車を乗りそこねることになる。地元民は、とても警戒している。
兵庫県の地元紙「神戸新聞」・・・どうも他所の地元紙のように感じる。
北沢産業網干鉄道の廃線跡は、子どもの頃の遊び場だった。今も、鉄道好きの方に知られた存在というのは誇らしいことだ。
山電高砂駅南側の早朝は、某焼きあなご屋さんから出る香ばしい香りに包まれる
明石の会社に勤めている時、10月13・14日が会社がなぜ休日なのかわからなかったが、高砂の会社に勤めだしてやっとわかった。社長が高砂市出身で祭りの日でした。
おでん,ひねぽん、なんでも姫路名物と言うのはおかしい、播州名物ちゃーうんけー.
姫路では南北で祭り文化が違う。
バイパスより北側の地域で、祭りといえば”ゆかた祭り”。浴衣姿の彼女と金魚すくいです。
南部では”祭り屋台”。まわし姿の男達と台場練りです。
西西播地域は、カメムシがごじゃなぐらいよーけおる。ここらへんの人は、ガイダってゆーてる。姫路では使わへん表現や。
今から35、6年前、播磨では、サッカーやバスケットボール、バレーボールはメジャーなスポーツではなかった。野球か剣道くらいしか選択肢はなく、私は親父が剣道を愛好していた縁もあり、剣道をやらされていた。その当時、スキーがスポーツの選択肢にある但馬に憧れたのは言うまでもない。
規模が大きく知名度がある他所の神社の祭りや、他町の立派な祭り屋台に憧れはあっても、やっぱり慣れ親しんだ地元の神社の祭りと、自分の町の祭り屋台に愛着がある。
播磨は、新幹線の駅が3つもある。実は、ひそかな自慢である。
カメムシをガイダと呼びますが、高校生の時に周りの「···?」という反応で初めて共通語で無い事を知りました。
加古川や高砂の家庭では、茶碗蒸しの具にうどんを入れます。
播州と言えば、やはり、言葉遣いと車の運転の荒っぽさ。特に、言葉遣いの荒い事には自覚があって、周囲(特にご近所さん)からの「丁寧な言葉遣いやな」とか「綺麗な言葉遣うなぁ」という言葉はどうにも褒め言葉に聞こえない事があります。「綺麗な言葉遣いやけど、あんた、ホンマに播州の人か?」みたいな含みがあるように聞こえてしまいます。(汗)
お正月に帰省しなくてもいいけど、お祭りに帰らない(帰れない)と、「なんでや」とわけを問われる。
一度、神戸新聞にのりましたが東播地区辺りは夜になると空が黒ではなく赤になると言われましたね。でも今でもやはり赤いときがある。
ちょっと、そこの垂水区…
播磨ですから。
姫路工業大学が兵庫県立大学になった時の失望は大きかった。「姫路」という名が国公立大学から消え、悲しい想いをした。
ついつい国道250号線のことを「浜国」と言ってしまう。
播磨地方の友人二人が大阪の専門学校で普通に話してるのに大阪の子達に喧嘩してると思われて止めに入られたらしいw
昔のイメージか、他県に行くと姫路ナンバーは運転が荒いと思われている…
植垣米菓のウグイスボールの愛称が爆弾
県外の方に秋祭りの「やったい」(担ぐ屋台)を説明するのが難しい。「お神輿」じゃないし、「やったい」なんだけどなぁ。チョーサ!!
友人と奈良に行った時の温度差
友人「わー!すごーい!鹿だよー!かっわいー!」
自分「夜よく居るよね」
「姫路人」と書いて、「ひめじん」と読む。
大学で地元を出るまで、かつめしはカレー同様、どこの家庭でも食べられているものだと思っていた。
祭り期間中に
ゼミにムリヤリ出て来た
播州人のツレ
終始ウツロな目で
何話しかけても
よぉーーいやさぁー としか
答えない…
灘のけんか祭りすごいねって口だけは言っているが、本心はまあ有名なだけの観光祭りだろ。
自分のところの祭りが一番だって思っているのが播磨人。
5月5日は、白象が町に出現する。多くの子どもたちが「象ひき」という巨大な象を綱で引いて、町を練り歩く。何十年も続く、地元の伝統的な行事だ。
宍粟市の引原ダムは、播磨地域のヒーロー的存在だ。高度成長の工業用水に使ったり、昨年の豪雨災害を防いだりと大変活躍している。ダムは県の管轄だが、建設に当たり、引原地区は犠牲になった。県職員は未来永劫にわたり忘れず、過疎化が進む宍粟市に対し、尽力してもらいたいものだ。
三月は、山電の山陽網干駅から綾部山梅林へ歩いて行くご高齢の方がとても多い。そのため、帰りの駅の改札に行列ができ、そのご一行とバッティングすると電車を乗りそこねることになる。地元民は、とても警戒している。
兵庫県の地元紙「神戸新聞」・・・どうも他所の地元紙のように感じる。
北沢産業網干鉄道の廃線跡は、子どもの頃の遊び場だった。今も、鉄道好きの方に知られた存在というのは誇らしいことだ。
山電高砂駅南側の早朝は、某焼きあなご屋さんから出る香ばしい香りに包まれる
明石の会社に勤めている時、10月13・14日が会社がなぜ休日なのかわからなかったが、高砂の会社に勤めだしてやっとわかった。社長が高砂市出身で祭りの日でした。
おでん,ひねぽん、なんでも姫路名物と言うのはおかしい、播州名物ちゃーうんけー.
姫路では南北で祭り文化が違う。
バイパスより北側の地域で、祭りといえば”ゆかた祭り”。浴衣姿の彼女と金魚すくいです。
南部では”祭り屋台”。まわし姿の男達と台場練りです。
西西播地域は、カメムシがごじゃなぐらいよーけおる。ここらへんの人は、ガイダってゆーてる。姫路では使わへん表現や。
今から35、6年前、播磨では、サッカーやバスケットボール、バレーボールはメジャーなスポーツではなかった。野球か剣道くらいしか選択肢はなく、私は親父が剣道を愛好していた縁もあり、剣道をやらされていた。その当時、スキーがスポーツの選択肢にある但馬に憧れたのは言うまでもない。
規模が大きく知名度がある他所の神社の祭りや、他町の立派な祭り屋台に憧れはあっても、やっぱり慣れ親しんだ地元の神社の祭りと、自分の町の祭り屋台に愛着がある。
播磨は、新幹線の駅が3つもある。実は、ひそかな自慢である。