明治時代、今の神戸の街の原型を形作ったのは、旧・三田藩主の九鬼隆義とその藩士だった白洲退蔵、小寺泰次郎の3人だ、と言っても過言ではない。三田藩という藩が存在したからこそ、今の神戸がある、とも言える。山手にある相楽園は、元は小寺家の邸宅なのだった。
「どこ出身?」「西宮……(言うてもピンとけぇへんやろから)、大阪と神戸の真ん中ですわ」「へぇ」「でもほら、甲子園も西宮ですし」「へぇ」「(まあそんなもんか……)」
六甲山の言い方で神戸っ子か否かわかる
長崎とかよりも神戸の方が中華繁華街は良いと絶対的に自身を持ってる。
生まれも育ちも「神戸っ子」(←ひょっとして、これもあるある?)の私は、いまだに自転車に乗れません。
お隣の大阪では、雨が降っているの中を、傘をハンドルに装着して、「大阪のおかんたち」が、自転車を走らせてました。あれは、本当にビックリした。地元(神戸の南東部)では、原付バイクの方が、自転車よりも多く見かけます。
「兵庫大仏」よりもっとマイナーなのが、「鵯越大仏」だ。北区山田町の鵯越墓苑にある。最寄り駅は神鉄鵯越駅。注意して見てると、電車からも「ちらっ」と見えます。神戸には、実は大仏がふたつあるのです。鵯越大仏、昔、子供のころには大仏の掌や体に登って遊んだのですが、今もできるかな?
生まれも育ちも神戸の私。『神戸』という漢字の読みは、ずっと『こうべ』だけだけだと堅く信じていた。でも、三重県の賢島に旅行した折り、駅員さんに大阪からの賢島方面への連絡駅を尋ねたら、一瞬きょとんとした顔をされた。私「あの~、連絡駅は『伊賀こうべ』ですよね?」駅員「あー、『伊賀かんべ』です。その時、私は、初めて知った。神戸って『かんべ』とも読むんだと。三重県のみなさん、ゴメンなさい。※備考(WIKIPEDIA):全国の神戸の地名の読み方として「かど・かのと・かみと・かみど・かんど・かんべ・ごうと・ごうど・こうど・こうべ・じんご・じんど」と多種類の読み方が存在している。
神戸っ子は。世界中のはどこよりも神戸が好き。
明石大橋は神戸にあるのになぜと聞かれると、本当は明石海峡大橋というのだと説明。変に正式名を略すと混乱を招く
出張や旅先でうえがきの鶯ボールが当たり前に売っておらず、神戸土産だと知った時の衝撃…。
明治時代、今の神戸の街の原型を形作ったのは、旧・三田藩主の九鬼隆義とその藩士だった白洲退蔵、小寺泰次郎の3人だ、と言っても過言ではない。
三田藩という藩が存在したからこそ、今の神戸がある、とも言える。
山手にある相楽園は、元は小寺家の邸宅なのだった。
「どこ出身?」「西宮……(言うてもピンとけぇへんやろから)、大阪と神戸の真ん中ですわ」
「へぇ」「でもほら、甲子園も西宮ですし」
「へぇ」「(まあそんなもんか……)」
六甲山の言い方で神戸っ子か否かわかる
長崎とかよりも神戸の方が中華繁華街は良いと絶対的に自身を持ってる。
生まれも育ちも「神戸っ子」(←ひょっとして、これもあるある?)の私は、いまだに自転車に乗れません。
お隣の大阪では、雨が降っているの中を、傘をハンドルに装着して、「大阪のおかんたち」が、自転車を走らせてました。あれは、本当にビックリした。
地元(神戸の南東部)では、原付バイクの方が、自転車よりも多く見かけます。
「兵庫大仏」よりもっとマイナーなのが、「鵯越大仏」だ。
北区山田町の鵯越墓苑にある。
最寄り駅は神鉄鵯越駅。注意して見てると、電車からも「ちらっ」と見えます。
神戸には、実は大仏がふたつあるのです。
鵯越大仏、昔、子供のころには大仏の掌や体に登って遊んだのですが、今もできるかな?
生まれも育ちも神戸の私。『神戸』という漢字の読みは、ずっと『こうべ』だけだけだと堅く信じていた。でも、三重県の賢島に旅行した折り、駅員さんに大阪からの賢島方面への連絡駅を尋ねたら、一瞬きょとんとした顔をされた。私「あの~、連絡駅は『伊賀こうべ』ですよね?」駅員「あー、『伊賀かんべ』です。その時、私は、初めて知った。神戸って『かんべ』とも読むんだと。三重県のみなさん、ゴメンなさい。
※備考(WIKIPEDIA):全国の神戸の地名の読み方として「かど・かのと・かみと・かみど・かんど・かんべ・ごうと・ごうど・こうど・こうべ・じんご・じんど」と多種類の読み方が存在している。
神戸っ子は。
世界中のはどこよりも神戸が好き。
明石大橋は神戸にあるのになぜと聞かれると、本当は明石海峡大橋というのだと説明。変に正式名を略すと混乱を招く
出張や旅先でうえがきの鶯ボールが当たり前に売っておらず、神戸土産だと知った時の衝撃…。