イカナゴのくぎ煮、配る分もだけど自分たちも食べる分も多量に作り冷凍させて必ずストックさせている。
県外の人にやっさの説明が困る…今大阪に住んでるけどこっちはだんじりなので、やっさと言っても通じないw面倒いのでだんじりに担ぎ棒つけたやつと説明したw
県外の人に、物凄くムカついたときにとっさに「ごーわく」と言ってしまい通じなかった…。
普段は出ないけど、腹立つと「〜やんけ!!」と「け」をつけてしまう。県外の人に言うと物凄くキツく聞こえるみたい
播磨地方の友人二人が大阪の専門学校で普通に話してるのに大阪の子達に喧嘩してると思われて止めに入られたらしいw
神戸の場合、爆買いとかが流行る前から中国人や韓国人は街中に普通にいる。普通にたくさんいすぎて神戸と外国、となるとイメージは露骨にヨーロッパと外部にはおもわれている。なんか、釈然としない。
“肥後守”これを調べずに何かわかる人は播磨の人。持っている人は三木の人。
とは言え今は海外の人に大人気らしい
関東のアナウンサーのしゃべる「ヒメジ」のイントネーションに違和感を感じて、思わずテレビの前で突っ込んでしまう。元が神戸、阪神人の私が聴いてもやっぱりヘン。
阪急宝塚駅の周辺を歩いていると、制服姿で集団で移動している宝塚音楽学校(タカラジェンヌのたまご)の学生さんに出くわします。颯爽と歩いていてかっこいいですが、一斉に挨拶する時があってびっくりします。誰にあいさつしているのか……。
そこそこ知名度が上がってきた、牛スジ肉とこんにゃくの醤油煮込みの「ぼっかけ」の名称について、意外と地元民は「ぼっかけ」という名称をあまり使わず、「スジの炊いたん」とかただ単に「スジ」と言う。「ぼっかけ」という呼称の歴史は意外と浅いと思う(神戸市長田区生まれのおっさんより)。
宮っ子は甲子園のグランドに立ったことあるねん!と、言う。小体連または中体連のとき、靴の中にこっそり土を入れて帰る。
姫路にある「太陽公園」は、フランスの「凱旋門」や、中国の「万里の長城」などがあり、世界旅行の気分が味わえる。ドイツのノイシュバンシュタイン城をモチーフとした「白鳥城」は、某テレビドラマで「天空城」としてロケ地になってた。
ついつい国道250号線のことを「浜国」と言ってしまう。
実はダボって姫路の人はほとんど使わない。加古川くらいまで行くと使ってる人ちょくちょく見かけるけど
小学生の頃、大阪の従兄弟に「◯◯めぐなよ(壊すなよ)」と言ったら「えっ?何?」と通じなかった。自分は標準語で喋ってるのではないことを知った瞬間だった。
かつて、神戸市東灘区は周辺もあわして甲南市を作る予定だったことを地元市民に語り継がれてる。
岡山に行くときは在来線ではなく新幹線を利用します。姫路から西は新快速ですら各停です、でも新快速は岡山には行きません。
イカナゴは須磨、垂水の無二名物!と信じていたが、播州に通勤した1年目の3月、イカナゴ解禁のポスターが山電の駅に掲示されていて、須磨=神戸っ子っと言う自負にヒビが入った一瞬だったΣ(゚д゚lll)。
播磨の人って、ごぐごく狭い地域での共通点を播磨全体のことって思っている人が多い。ヤッサとかヤッタイってここにも投稿があるけど、屋台、やっさ、やったい、たいこなんて播磨での共通語とは思えない。まあ知っててもそんな呼び方どこの地方やっていいそうだ。
姫路ナンバーは、車の運転が荒いと言われるが、姫路人ではなく、西播磨地域の方々のような気がする。
教室で掃除の時、机と椅子を教室後方に移動させることを「おくる」という。大人になっても使います。
春の風物詩、いかなごのくぎ煮といわれますが30年以上前の西播磨(私は相生出身)では、メジャーな食べ物ではなかったと思います。どちらかといえば、ままかりの酢漬けだったような気がします。
神戸の小中学校は上履きは無いので、靴箱はありません履いて行った靴で過ごします教室は油引きした木の板ばりなので、年に何回だったか油引きの日があり、独特の匂いが懐かしいです
地域限定かもしれませんが…「ほん そこ」が通じなかった。「○○どこにある?」「ほん そこにあるよ」「????」「ほん そこ」は本がそこにあるではなく、「すぐそこ」との意味です。「ほん ちょっと」もよく使います。
かつて、神戸ー芦屋ー西宮ー尼崎ー大阪は、路面電車で直通でつながっていた。1975年まで、だが。国道線はともかく、甲子園球場のすぐ脇を走っていた甲子園線は、今もあったら「便利やのにな」と思う。
播磨地域には、妖怪の町がある。
二十年以上前、「なりがわるい(格好がみっともない)」と今は亡き祖父母に怒られていた頃が懐かしい今日この頃。
神戸港は、明治時代、播磨の莫大な税金と但馬の絹の売上金のおかげで、寒村の神戸から発展を遂げたことを神戸の方々は知らない。
播州人は、播磨地域(飾磨県・姫路県)で独立を望む人が数多くいる。兵庫県は、播磨から様々なものを奪ってきた。今こそ、明石郡の西区や垂水区を取り戻し、一つの県として、独立を実現させましょう。
生れてはじめて、「きれーな人やなあ」と見とれたのは、元町を歩いていたインド人のお姉さんだった。
神戸には、日本語(神戸弁)しかしゃべれない欧米系「ガイジン」が、今も多い。「観光客からいきなり英語でしゃべりかけられて、往生すんねン」らしい。
イカナゴのくぎ煮、配る分もだけど自分たちも食べる分も多量に作り冷凍させて必ずストックさせている。
県外の人にやっさの説明が困る…今大阪に住んでるけどこっちはだんじりなので、やっさと言っても通じないw面倒いのでだんじりに担ぎ棒つけたやつと説明したw
県外の人に、物凄くムカついたときにとっさに「ごーわく」と言ってしまい通じなかった…。
普段は出ないけど、腹立つと「〜やんけ!!」と「け」をつけてしまう。県外の人に言うと物凄くキツく聞こえるみたい
播磨地方の友人二人が大阪の専門学校で普通に話してるのに大阪の子達に喧嘩してると思われて止めに入られたらしいw
神戸の場合、爆買いとかが流行る前から中国人や韓国人は街中に普通にいる。
普通にたくさんいすぎて神戸と外国、となるとイメージは露骨にヨーロッパと外部にはおもわれている。
なんか、釈然としない。
“肥後守”
これを調べずに何かわかる人は播磨の人。
持っている人は三木の人。
とは言え今は海外の人に大人気らしい
関東のアナウンサーのしゃべる「ヒメジ」のイントネーションに違和感を感じて、思わずテレビの前で突っ込んでしまう。
元が神戸、阪神人の私が聴いてもやっぱりヘン。
阪急宝塚駅の周辺を歩いていると、制服姿で集団で移動している宝塚音楽学校(タカラジェンヌのたまご)の学生さんに出くわします。颯爽と歩いていてかっこいいですが、一斉に挨拶する時があってびっくりします。誰にあいさつしているのか……。
そこそこ知名度が上がってきた、牛スジ肉とこんにゃくの醤油煮込みの「ぼっかけ」の名称について、意外と地元民は「ぼっかけ」という名称をあまり使わず、「スジの炊いたん」とかただ単に「スジ」と言う。「ぼっかけ」という呼称の歴史は意外と浅いと思う(神戸市長田区生まれのおっさんより)。
宮っ子は甲子園のグランドに立ったことあるねん!と、言う。小体連または中体連のとき、靴の中にこっそり土を入れて帰る。
姫路にある「太陽公園」は、フランスの「凱旋門」や、中国の「万里の長城」などがあり、世界旅行の気分が味わえる。
ドイツのノイシュバンシュタイン城をモチーフとした「白鳥城」は、某テレビドラマで「天空城」としてロケ地になってた。
ついつい国道250号線のことを「浜国」と言ってしまう。
実はダボって姫路の人はほとんど使わない。加古川くらいまで行くと使ってる人ちょくちょく見かけるけど
小学生の頃、大阪の従兄弟に「◯◯めぐなよ(壊すなよ)」と言ったら「えっ?何?」と通じなかった。自分は標準語で喋ってるのではないことを知った瞬間だった。
かつて、神戸市東灘区は周辺もあわして甲南市を作る予定だったことを地元市民に語り継がれてる。
岡山に行くときは在来線ではなく新幹線を利用します。姫路から西は新快速ですら各停です、でも新快速は岡山には行きません。
イカナゴは須磨、垂水の無二名物!と信じていたが、播州に通勤した1年目の3月、イカナゴ解禁のポスターが山電の駅に掲示されていて、須磨=神戸っ子っと言う自負にヒビが入った一瞬だったΣ(゚д゚lll)。
播磨の人って、ごぐごく狭い地域での共通点を播磨全体のことって思っている人が多い。
ヤッサとかヤッタイってここにも投稿があるけど、屋台、やっさ、やったい、たいこなんて播磨での共通語とは思えない。まあ知っててもそんな呼び方どこの地方やっていいそうだ。
姫路ナンバーは、車の運転が荒いと言われるが、姫路人ではなく、西播磨地域の方々のような気がする。
教室で掃除の時、机と椅子を教室後方に移動させることを「おくる」という。
大人になっても使います。
春の風物詩、いかなごのくぎ煮といわれますが
30年以上前の西播磨(私は相生出身)では、メジャーな食べ物ではなかったと思います。どちらかといえば、ままかりの酢漬けだったような気がします。
神戸の小中学校は上履きは無いので、靴箱はありません
履いて行った靴で過ごします
教室は油引きした木の板ばりなので、年に何回だったか油引きの日があり、独特の匂いが懐かしいです
地域限定かもしれませんが…
「ほん そこ」が通じなかった。
「○○どこにある?」
「ほん そこにあるよ」
「????」
「ほん そこ」は本がそこにあるではなく、
「すぐそこ」との意味です。「ほん ちょっと」
もよく使います。
かつて、神戸ー芦屋ー西宮ー尼崎ー大阪は、路面電車で直通でつながっていた。
1975年まで、だが。
国道線はともかく、甲子園球場のすぐ脇を走っていた甲子園線は、今もあったら「便利やのにな」と思う。
播磨地域には、妖怪の町がある。
二十年以上前、「なりがわるい(格好がみっともない)」と今は亡き祖父母に怒られていた頃が懐かしい今日この頃。
神戸港は、明治時代、播磨の莫大な税金と但馬の絹の売上金のおかげで、寒村の神戸から発展を遂げたことを神戸の方々は知らない。
播州人は、播磨地域(飾磨県・姫路県)で独立を望む人が数多くいる。兵庫県は、播磨から様々なものを奪ってきた。今こそ、明石郡の西区や垂水区を取り戻し、一つの県として、独立を実現させましょう。
生れてはじめて、「きれーな人やなあ」と見とれたのは、元町を歩いていたインド人のお姉さんだった。
神戸には、日本語(神戸弁)しかしゃべれない欧米系「ガイジン」が、今も多い。
「観光客からいきなり英語でしゃべりかけられて、往生すんねン」らしい。