今年のNHK大河ドラマは、神戸・阪神ゆかりのドラマでもある。物語のキーパーソン・嘉納治五郎は、灘五郷の中でも「菊正宗」で知られる財閥・嘉納家の御曹司だ。
今の神戸・阪神、とくに神戸市須磨区から尼崎市・伊丹市あたりまでは、尼崎藩領と天領や旗本の知行地が、それぞれ飛び地となって、かなり複雑に入り組んでいたようだ。なので、西宮や伊丹、神戸市東部では、今も「従是南尼崎領(これよりみなみあまがさきりょう)」と刻まれた石の道標が、あちこちいたるところに残っている。ちなみに「南」のところには、場所によっていろんな方角が入る。うちの近所(西宮です)にある道標は、「従是東尼崎領」とあり、その裏面に「従是西他領」と刻まれている。
宝塚音楽学校の卒業式、合格発表、入学式がニュースに登場するのは、兵庫県だけではなく、もはや関西の春の風物詩だ。が、その宝塚の町が、元は「温泉街」として開発され、歌劇も元々は「温泉の余興」だったことは、もはや地元民ですら覚えていない。
灘五郷に江戸時代からあった蔵元のいくつかは、明治から昭和戦前にかけて、酒造だけではなく、銀行、海運、観光、ホテル等々の事業にも乗り出し、巨大財閥に成長した。これらの財閥の存在が、いわゆる阪神モダニズムと呼ばれる文化の醸成に、大きく寄与したのは、間違いない。「朝日新聞」もまた、その蔵元財閥のひとつが興した新聞だ。
神戸港の歴史とか御影の歴史がやたら授業がある。
尼崎は大阪やと思ってるのは、他府県民と阪急沿線住民。
浜手の播州人は、JRより山電が好きだ。
姫路のソウルフードは、寿屋のぶどうパンです。給食のパンは、寿屋のパンでした。
「摂津本山」「丹波大山」「播磨新宮」等々、駅名に旧国名が冠される例は多いが、「播磨赤穂」ではなくて「播州赤穂」なのは、あきらかに忠臣蔵を意識している、と思う。
神戸のライバルは横浜、と良く言われるが、平家ゆかりの地域に住む人は、密かに鎌倉をライバル視している。やっぱり神奈川県・・・
神戸出身の横溝正史のイメージを、岡山県に取られているのが歯がゆい・・・八つ墓村、悪魔の手鞠唄、悪魔が来たりて笛を吹く等、一部神戸が出て来る作品もあるが・・・
鳥取県境港市が、「ゲゲゲの鬼太郎のふるさと」と言われるのに少し抵抗がある。水木しげるのペンネームは、神戸市兵庫区水木通にあったアパート・水木荘に住んでいた事に由来し、そこで鬼太郎の原型となる話も描かれたというのに・・・しかし、水木しげるが妖怪に興味を持ったのが、境港に住んでいた時代であるだけに、強く反論出来ない・・・
記念館があるから、宝塚市生まれだと思われがちな手塚治虫。実は大阪生まれ。しかし、育ちは宝塚で、宝塚歌劇等の宝塚の風景が後の作品に影響を与えたので、宝塚にこそ記念館があるべきである。
神戸市民でも知る人は少ない、兵庫大仏・・・
いのししと共存。
武庫之荘は、尼崎市内にある阪急の駅。ここの住民は、「お住まいは?」と訊かれると、必ず「武庫之荘です」と応え、決して「尼崎です」とは言わない…と、もっぱらのウワサです。
「水木しげる」のペンネームは、確かに、当時住んでいた兵庫区水木通りが由来です。そして「鬼太郎」もまた、神戸生まれです。「鬼太郎」の原案を作ったのは、昭和戦前の神戸の紙芝居作家、伊藤正美、辰巳恵洋という二人。その「ハカバキタロー」という紙芝居を、戦後、水木通りで紙芝居作家をしていた水木が、やはり兵庫区にあった紙芝居問屋(「阪神画劇社」といったそうです)の倉庫でたまたま見つけて、元の作者両名の了解を得た上で、水木版「鬼太郎」として、紙芝居でリメイクしたのです。その後、紙芝居から漫画、アニメとなって今に至ります。なので、「鬼太郎」に限っては、正真正銘「神戸生まれ」で、誕生年から言うと、「バットマン」「スーパーマン」と同世代です。
はじめて横浜を訪れたのは、1970年代。伊勢佐木町では、「三宮の方が賑やかや」と優越感にひたり、元町では「神戸の元町の勝ち」と断言。山手は、(神戸の山手と比べて)「まあまあやね」。が、中華街だけは「負けた」と思った。今も負けてると思う。
やっさが通る順路にある新幹線の高架が普通より高くなっている。
神戸で一番影の薄い電車・神戸電鉄だが、実は「お召し列車」を仕立てた過去がある。1980年、現在の天皇皇后両陛下、当時の皇太子ご夫妻が、確か三木市での植樹祭だったと思うのだが、新開地ー志染を電車で移動したのだった。もちろん、一般客と一緒ではなく貸切列車だが、電車が通過する最寄駅へ旗を振りに行った母親によると、「皇太子はんも美智子さんも、吊り革に?まって手ぇ振ってはった」そうだ。
友達から丹波ってドがつくほどの田舎やんとか言われるけど正直神戸も田舎だと思うド田舎市民
たまに篠山市を「しのやまし」と呼ぶ人がいてだいたい「黒豆が有名としか言わない」確かに有名だけれども…
兵庫県の地元紙「神戸新聞」・・・どうも他所の地元紙のように感じる。
~ができない を「できれへん」、来れない を「来れれへん」と言うと、「れ」が多いと言われる。
小学校の給食で出たとくれんのプデナオレンジは余りが出たら争奪戦だった・・半解凍のしゃりしゃり感がたまらない
播州と言えば、やはり、言葉遣いと車の運転の荒っぽさ。特に、言葉遣いの荒い事には自覚があって、周囲(特にご近所さん)からの「丁寧な言葉遣いやな」とか「綺麗な言葉遣うなぁ」という言葉はどうにも褒め言葉に聞こえない事があります。「綺麗な言葉遣いやけど、あんた、ホンマに播州の人か?」みたいな含みがあるように聞こえてしまいます。(汗)
播州弁の敬語の表現は「~してはる」とか「○○って言うてはる」ではなく、「~しとってや」とか「○○って言うとってや」である。
車のナンバーの話。明石(東二見以東)が神戸ナンバーなのは、「まあ、しゃあないな」となるが、三木が神戸ナンバーである事には「何でや!」となる。
播州ラーメンは甘いけど他所の人から砂糖で甘くしてると思われている。
南部から帰る途中、遠阪トンネルを抜けると「やっとここまで帰ってきたか…」と思う。逆の場合は「ついに南部突入…!」。
今年のNHK大河ドラマは、神戸・阪神ゆかりのドラマでもある。
物語のキーパーソン・嘉納治五郎は、灘五郷の中でも「菊正宗」で知られる財閥・嘉納家の御曹司だ。
今の神戸・阪神、とくに神戸市須磨区から尼崎市・伊丹市あたりまでは、尼崎藩領と天領や旗本の知行地が、それぞれ飛び地となって、かなり複雑に入り組んでいたようだ。
なので、西宮や伊丹、神戸市東部では、今も「従是南尼崎領(これよりみなみあまがさきりょう)」と刻まれた石の道標が、あちこちいたるところに残っている。
ちなみに「南」のところには、場所によっていろんな方角が入る。
うちの近所(西宮です)にある道標は、「従是東尼崎領」とあり、その裏面に「従是西他領」と刻まれている。
宝塚音楽学校の卒業式、合格発表、入学式がニュースに登場するのは、兵庫県だけではなく、もはや関西の春の風物詩だ。
が、その宝塚の町が、元は「温泉街」として開発され、歌劇も元々は「温泉の余興」だったことは、もはや地元民ですら覚えていない。
灘五郷に江戸時代からあった蔵元のいくつかは、明治から昭和戦前にかけて、酒造だけではなく、銀行、海運、観光、ホテル等々の事業にも乗り出し、巨大財閥に成長した。
これらの財閥の存在が、いわゆる阪神モダニズムと呼ばれる文化の醸成に、大きく寄与したのは、間違いない。
「朝日新聞」もまた、その蔵元財閥のひとつが興した新聞だ。
神戸港の歴史とか御影の歴史がやたら授業がある。
尼崎は大阪やと思ってるのは、他府県民と阪急沿線住民。
浜手の播州人は、JRより山電が好きだ。
姫路のソウルフードは、寿屋のぶどうパンです。給食のパンは、寿屋のパンでした。
「摂津本山」「丹波大山」「播磨新宮」等々、駅名に旧国名が冠される例は多いが、「播磨赤穂」ではなくて「播州赤穂」なのは、あきらかに忠臣蔵を意識している、と思う。
神戸のライバルは横浜、と良く言われるが、平家ゆかりの地域に住む人は、密かに鎌倉をライバル視している。
やっぱり神奈川県・・・
神戸出身の横溝正史のイメージを、岡山県に取られているのが歯がゆい・・・
八つ墓村、悪魔の手鞠唄、悪魔が来たりて笛を吹く等、一部神戸が出て来る作品もあるが・・・
鳥取県境港市が、「ゲゲゲの鬼太郎のふるさと」と言われるのに少し抵抗がある。
水木しげるのペンネームは、神戸市兵庫区水木通にあったアパート・水木荘に住んでいた事に由来し、そこで鬼太郎の原型となる話も描かれたというのに・・・
しかし、水木しげるが妖怪に興味を持ったのが、境港に住んでいた時代であるだけに、強く反論出来ない・・・
記念館があるから、宝塚市生まれだと思われがちな手塚治虫。
実は大阪生まれ。
しかし、育ちは宝塚で、宝塚歌劇等の宝塚の風景が後の作品に影響を与えたので、宝塚にこそ記念館があるべきである。
神戸市民でも知る人は少ない、兵庫大仏・・・
いのししと共存。
武庫之荘は、尼崎市内にある阪急の駅。
ここの住民は、「お住まいは?」と訊かれると、必ず「武庫之荘です」と応え、決して「尼崎です」とは言わない…と、もっぱらのウワサです。
「水木しげる」のペンネームは、確かに、当時住んでいた兵庫区水木通りが由来です。
そして「鬼太郎」もまた、神戸生まれです。
「鬼太郎」の原案を作ったのは、昭和戦前の神戸の紙芝居作家、伊藤正美、辰巳恵洋という二人。
その「ハカバキタロー」という紙芝居を、戦後、水木通りで紙芝居作家をしていた水木が、やはり兵庫区にあった紙芝居問屋(「阪神画劇社」といったそうです)の倉庫でたまたま見つけて、元の作者両名の了解を得た上で、水木版「鬼太郎」として、紙芝居でリメイクしたのです。
その後、紙芝居から漫画、アニメとなって今に至ります。
なので、「鬼太郎」に限っては、正真正銘「神戸生まれ」で、誕生年から言うと、「バットマン」「スーパーマン」と同世代です。
はじめて横浜を訪れたのは、1970年代。
伊勢佐木町では、「三宮の方が賑やかや」と優越感にひたり、元町では「神戸の元町の勝ち」と断言。
山手は、(神戸の山手と比べて)「まあまあやね」。
が、中華街だけは「負けた」と思った。
今も負けてると思う。
やっさが通る順路にある新幹線の高架が普通より高くなっている。
神戸で一番影の薄い電車・神戸電鉄だが、実は「お召し列車」を仕立てた過去がある。
1980年、現在の天皇皇后両陛下、当時の皇太子ご夫妻が、確か三木市での植樹祭だったと思うのだが、新開地ー志染を電車で移動したのだった。
もちろん、一般客と一緒ではなく貸切列車だが、電車が通過する最寄駅へ旗を振りに行った母親によると、「皇太子はんも美智子さんも、吊り革に?まって手ぇ振ってはった」そうだ。
友達から丹波ってドがつくほどの田舎やんとか言われるけど正直神戸も田舎だと思うド田舎市民
たまに篠山市を「しのやまし」と呼ぶ人がいてだいたい「黒豆が有名としか言わない」確かに有名だけれども…
兵庫県の地元紙「神戸新聞」・・・どうも他所の地元紙のように感じる。
~ができない を「できれへん」、来れない を「来れれへん」と言うと、「れ」が多いと言われる。
小学校の給食で出たとくれんのプデナオレンジは余りが出たら争奪戦だった・・半解凍のしゃりしゃり感がたまらない
播州と言えば、やはり、言葉遣いと車の運転の荒っぽさ。特に、言葉遣いの荒い事には自覚があって、周囲(特にご近所さん)からの「丁寧な言葉遣いやな」とか「綺麗な言葉遣うなぁ」という言葉はどうにも褒め言葉に聞こえない事があります。「綺麗な言葉遣いやけど、あんた、ホンマに播州の人か?」みたいな含みがあるように聞こえてしまいます。(汗)
播州弁の敬語の表現は「~してはる」とか「○○って言うてはる」ではなく、「~しとってや」とか「○○って言うとってや」である。
車のナンバーの話。
明石(東二見以東)が神戸ナンバーなのは、「まあ、しゃあないな」となるが、三木が神戸ナンバーである事には「何でや!」となる。
播州ラーメンは甘いけど他所の人から砂糖で甘くしてると思われている。
南部から帰る途中、遠阪トンネルを抜けると「やっとここまで帰ってきたか…」と思う。
逆の場合は「ついに南部突入…!」。