京都人にとって「前の戦」と言えば太平洋戦争ではなく応仁の乱(蛤御門の変とも)を差すという都市伝説(?)があるが… 兵庫県で十年ぐらい前までは「地震」「震災」とは、関東大震災等ではなく、阪神淡路大震災を指す言葉だった。 東日本大震災以降は、ある程度言葉を変えるようになったが。
明石駅の広告掲示板、「デンタルオフィスゥゥゥゥゥゥゥゥウ!!キタァァァァァァアノォォォォォォオ!!!!!!」
「夢と未来を応援します」でおなじみばんしんのCMは明石駅で大音量で流れているので、校外学習の解散時の先生の話が一切聞こえない。
神戸市の学校は校外学習の後、帰る時の集合場所が絶対に東遊園地。ルミナリエの建っていない東遊園地に児童、生徒、学生がいたら、だいたい校外学習
何度か投稿しているが、“神戸・阪神”地域でいいのか不安になる。 猪名川町が“神戸・阪神”に地域分けされているのが申し訳なく感じる。
武庫川駅をはじめ、香櫨園、芦屋川、石屋川と、阪神電車には、川を跨いでホームのある駅が多い。 香櫨園駅のホームには、夙川の真上に出られるバルコニーがあって、桜の季節には、わざわざ途中下車してここから桜を眺める人も多い。 芦屋駅のホームから川沿いに山手を望む景色も、和みます。
母校がセンバツに出場したとき、応援は、現地集合、現地解散だった。 友人と連れ立って電車で甲子園へ行くと、アルプス席の入場口に立った先生が、三々五々やってくる生徒に入場券を渡していた。
ある日生まれも育ちも東京の後輩社員が「ほんま、あいつごうわきますわ」と話していたのでなぜそんな播州言葉を話すの?と尋ねたら「自分は東洋大学野球部にいましたが東洋大姫路出身の野球部員がよく使うので自分もつい。」と言っていました。元巨人の清水も使っていたとか(笑)
自転車でアワイチ(淡路一周)をする人は体の左半分が焼けがち 時計回りで走るとだいたい太陽が左手にある
三田は兵庫のチベット(シベリア)などと言われるが、宝塚方面から電車で来ると「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」をリアルで体験できる。
よそからの人は神戸市北区も三田扱いするけど、地元民からすると北区って言っても神戸なんや…!というギリギリのプライドと神戸への憧れがある。
「三田」はイントネーションを間違えるとすごく田舎くさく聞こえるな…と気にしている。
但馬ではカニは買って食べるものじゃない! 貰って食べるものだ!
どこの出身か在住か言う時に、兵庫とはあまり言わずに市の名前で言う。
宝塚音楽学校の生徒やタカラジェンヌを街中や電車内で見る事が珍しくなく、一目で分かる。
朝から学校じゃない勉強に行く格好して電車に乗ってる小学生 「お、べつべんか」と思ったけど、神戸エリアしか言わんかな。 こちらお江戸です(笑)
昭和40年代、鈴蘭台地区は人口が急増したが、小学校は小部小学校1校だけ。児童数の急激な増加に対して、校庭にプレハブ校舎を建てて凌いでいた。 同じころ急速に宅地開発された山の街には、まだ小学校がなくて、当時ここへ越してきたという知人は、電車で谷上小学校へ通っていたそうだ。
播磨のソウルフード御座候。御座候の餡子は回転焼きなどとは異なり、赤は粒あんだが、白は白あんではなく手ぼうあんなのだ!なので他の地域で「白ください」って頼むと白あんが出てきてちょっと残念。
小学校。 「体操の隊形にひらけ!」 「ヤー!!!」
神戸市営地下鉄には三木方面と西明石方面への延伸計画があった。だが、実現には至らず、今日に至っている。西神中央駅にある線路の無い乗り場や、神出にある「神出に地下鉄を!」の看板はその名残り?
播磨の一部には神戸の北の淡河川から御坂サイフォン等を経由して流れてくる淡河川水系がある。元々水の少なかった地域に水路を通したらしいので、もしかしたら「淡河川の水止めるぞ」という滋賀県の様なおどし方も出来る?
神戸は役所を転々と移転しがち。市役所も新開地から三宮に移転しており、最近では今年12月に西区役所が10キロほど移動するらしい。他地域からは考えられないレベルの移転も、さすが神戸さんである。
舞子〜学園都市のバスはとにかく揺れる。何も分からず乗ると信じられないくらい酔う可能性があるので注意が必要であり、古い車両が来ない事を祈るしかない。
神戸にはマンモス校が多数存在しており、西区にはプレハブを建てすぎて校庭が狭くなり、クラス毎に使用出来る時間が決められている学校もある。 更には1学年10クラスもある中学校も存在しており、校歌を歌えば街中に響き渡るという。
飛行機乗ったら昆陽池探して、日本!日本列島って言うのは伊丹市民
神戸市北区で「かまくら」を作ったことがあるのが、密かな自慢。 昭和40年代には、年に二、三度は、20~30センチ超の積雪があった。 朝起きて玄関を開けると、屋根から落ちた雪が、白い壁になって立ちふさがっていた。
宝塚市在住者は、旅行先でどこから来たかを問われると、「兵庫県」ではなく「宝塚」と言いがち。(きらびやかなイメージをアピールしたい)
なんやかんやで宝塚歌劇の町。宝塚は阪神競馬場、手塚治虫記念館、中山寺など観光名所あるけど、全国区の宝塚歌劇団の煌びやかさに埋もれてしまう。
宝塚市内でタカラジェンヌが歩いているのを見つけると地方から来た観光客は大騒ぎですが地元宝塚市民は落ち着いています。その理由は①日頃から見慣れている②友だち家族知り合いにタカラジェンヌがいるので珍しくない③宝塚歌劇団のスターでも騒がずそっとしてあげたいからです。
芦屋生まれ、芦屋育ちの私は阪神電車につっかけ(草履)で父と乗車し、二人でド派手なハッピを着て両手に黄色のメガホン持ち、甲子園球場に毎週、阪神タイガースの応援に行ってました。宝塚に嫁に来て30年。いまだに阪急電車につっかけで乗車する勇気がありません。
京都人にとって「前の戦」と言えば太平洋戦争ではなく応仁の乱(蛤御門の変とも)を差すという都市伝説(?)があるが…
兵庫県で十年ぐらい前までは「地震」「震災」とは、関東大震災等ではなく、阪神淡路大震災を指す言葉だった。
東日本大震災以降は、ある程度言葉を変えるようになったが。
明石駅の広告掲示板、「デンタルオフィスゥゥゥゥゥゥゥゥウ!!キタァァァァァァアノォォォォォォオ!!!!!!」
「夢と未来を応援します」でおなじみばんしんのCMは明石駅で大音量で流れているので、校外学習の解散時の先生の話が一切聞こえない。
神戸市の学校は校外学習の後、帰る時の集合場所が絶対に東遊園地。ルミナリエの建っていない東遊園地に児童、生徒、学生がいたら、だいたい校外学習
何度か投稿しているが、“神戸・阪神”地域でいいのか不安になる。
猪名川町が“神戸・阪神”に地域分けされているのが申し訳なく感じる。
武庫川駅をはじめ、香櫨園、芦屋川、石屋川と、阪神電車には、川を跨いでホームのある駅が多い。
香櫨園駅のホームには、夙川の真上に出られるバルコニーがあって、桜の季節には、わざわざ途中下車してここから桜を眺める人も多い。
芦屋駅のホームから川沿いに山手を望む景色も、和みます。
母校がセンバツに出場したとき、応援は、現地集合、現地解散だった。
友人と連れ立って電車で甲子園へ行くと、アルプス席の入場口に立った先生が、三々五々やってくる生徒に入場券を渡していた。
ある日生まれも育ちも東京の後輩社員が「ほんま、あいつごうわきますわ」と話していたのでなぜそんな播州言葉を話すの?と尋ねたら「自分は東洋大学野球部にいましたが東洋大姫路出身の野球部員がよく使うので自分もつい。」と言っていました。元巨人の清水も使っていたとか(笑)
自転車でアワイチ(淡路一周)をする人は体の左半分が焼けがち
時計回りで走るとだいたい太陽が左手にある
三田は兵庫のチベット(シベリア)などと言われるが、宝塚方面から電車で来ると「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」をリアルで体験できる。
よそからの人は神戸市北区も三田扱いするけど、地元民からすると北区って言っても神戸なんや…!というギリギリのプライドと神戸への憧れがある。
「三田」はイントネーションを間違えるとすごく田舎くさく聞こえるな…と気にしている。
但馬ではカニは買って食べるものじゃない!
貰って食べるものだ!
どこの出身か在住か言う時に、兵庫とはあまり言わずに市の名前で言う。
宝塚音楽学校の生徒やタカラジェンヌを街中や電車内で見る事が珍しくなく、一目で分かる。
朝から学校じゃない勉強に行く格好して電車に乗ってる小学生
「お、べつべんか」と思ったけど、神戸エリアしか言わんかな。
こちらお江戸です(笑)
昭和40年代、鈴蘭台地区は人口が急増したが、小学校は小部小学校1校だけ。児童数の急激な増加に対して、校庭にプレハブ校舎を建てて凌いでいた。
同じころ急速に宅地開発された山の街には、まだ小学校がなくて、当時ここへ越してきたという知人は、電車で谷上小学校へ通っていたそうだ。
播磨のソウルフード御座候。御座候の餡子は回転焼きなどとは異なり、赤は粒あんだが、白は白あんではなく手ぼうあんなのだ!なので他の地域で「白ください」って頼むと白あんが出てきてちょっと残念。
小学校。
「体操の隊形にひらけ!」
「ヤー!!!」
神戸市営地下鉄には三木方面と西明石方面への延伸計画があった。だが、実現には至らず、今日に至っている。西神中央駅にある線路の無い乗り場や、神出にある「神出に地下鉄を!」の看板はその名残り?
播磨の一部には神戸の北の淡河川から御坂サイフォン等を経由して流れてくる淡河川水系がある。元々水の少なかった地域に水路を通したらしいので、もしかしたら「淡河川の水止めるぞ」という滋賀県の様なおどし方も出来る?
神戸は役所を転々と移転しがち。市役所も新開地から三宮に移転しており、最近では今年12月に西区役所が10キロほど移動するらしい。他地域からは考えられないレベルの移転も、さすが神戸さんである。
舞子〜学園都市のバスはとにかく揺れる。何も分からず乗ると信じられないくらい酔う可能性があるので注意が必要であり、古い車両が来ない事を祈るしかない。
神戸にはマンモス校が多数存在しており、西区にはプレハブを建てすぎて校庭が狭くなり、クラス毎に使用出来る時間が決められている学校もある。
更には1学年10クラスもある中学校も存在しており、校歌を歌えば街中に響き渡るという。
飛行機乗ったら昆陽池探して、日本!日本列島って言うのは伊丹市民
神戸市北区で「かまくら」を作ったことがあるのが、密かな自慢。
昭和40年代には、年に二、三度は、20~30センチ超の積雪があった。
朝起きて玄関を開けると、屋根から落ちた雪が、白い壁になって立ちふさがっていた。
宝塚市在住者は、旅行先でどこから来たかを問われると、「兵庫県」ではなく「宝塚」と言いがち。(きらびやかなイメージをアピールしたい)
なんやかんやで宝塚歌劇の町。宝塚は阪神競馬場、手塚治虫記念館、中山寺など観光名所あるけど、全国区の宝塚歌劇団の煌びやかさに埋もれてしまう。
宝塚市内でタカラジェンヌが歩いているのを見つけると地方から来た観光客は大騒ぎですが地元宝塚市民は落ち着いています。その理由は①日頃から見慣れている②友だち家族知り合いにタカラジェンヌがいるので珍しくない③宝塚歌劇団のスターでも騒がずそっとしてあげたいからです。
芦屋生まれ、芦屋育ちの私は阪神電車につっかけ(草履)で父と乗車し、二人でド派手なハッピを着て両手に黄色のメガホン持ち、甲子園球場に毎週、阪神タイガースの応援に行ってました。宝塚に嫁に来て30年。いまだに阪急電車につっかけで乗車する勇気がありません。