Vol.05【神戸(ごうど)物語】-群馬-
赤城の山も今宵限り…にしないひとたち。
それは、私たちのもとに届いた一通のTwitterから始まった
ヒョーゴピックスさんと県職員Nさんには群馬の神戸駅にもポスタージャック行って欲しいけど、出張費でるんかなあ #兵庫五国連邦 #ポスター
@トラック提督
調べてみる。
☑ 「神戸」と書いて「ごうど」と読むらしい。
☑ わたらせ渓谷鐡道にあるらしい。
☑ だいぶ遠いらしい。
(湯川)行くしかありませんね(キッパリ)
(Nさん)マジですか。……やっぱり、そうですよね(涙目)
こうして県職員Nさんと私は、東へ向かうことにしたのでした。めっちゃ、東へ。
もちろん出発は兵庫県。そこから東へ、大阪府。京都府。琵琶湖をチラ見しながら滋賀県。岐阜県。愛知県。日本一の富士山は曇って見えず静岡県。神奈川県。東京都だよおっ母さん。そこから北へ、翔んで埼玉県。そしていよいよ、赤城の山も今宵限りか、群馬県は桐生に到着!
乗り換えの桐生駅でたまたま、観光キャンペーン中のゆるキャラたち&地元八木節祭りガールズに遭遇。手踊りの輪に加えていただきながら、桐生市役所の山田さんに地域のことを伺いました。
山田さん(桐生市役所)
桐生はかつて絹織物で大変栄えたまちでして、なので今は少し元気がないというか……。
ただ、八木節祭りの時には、まちの人口が一気に増えるんですよ。交流人口増をということで、今日も栃木県と合同の『まんぷくグルメ列車』のキャンペーンをしていたところなんです
まんぷくグルメ! 私たちの目が輝いたのに気づいたのか、ねじり鉢巻き&赤いハッピが素敵なチャキチャキ八木節祭りガールズ・松井さんが、お話ししてくれました。
松井さん
天神八木節祭りは、天の神様と地の神様に豊作を祈るお祭りなんですよ! みんな、それ目当てに帰ってくるの。
名物だと、甘い味噌だれをつけた桐生焼きまんじゅう、美味しいですよ。みんな好き、だよねー! あとやっぱり、ひもかわうどんと、ソースカツ丼ですね!」
なに、”ソースカツ丼”とな?
加古川を通るたび”カツめし”を食べずにはいられない兵庫県民としては、立ち寄らないわけにはいくまいて。……というわけで、おすすめいただいたソースカツ丼のお店へ。
お。本当にカツ&丼だ! カツは、加古川カツめしのようにビーフではなくて、ポーク。ソースは、加古川カツめしのようにデミグラスではなくて、ウスター系。そしてお皿は、加古川カツめしのように平皿ではなくて、丼。味は……。そこで私は、ハッとした。
いま、桐生のソースカツ丼をいただくのに、いちいち加古川のカツめしと比べるのは、目の前の桐生名物ソースカツ丼に対して、失礼ではないだろうか。もし自分が、目の前の異性に、いちいち昔の恋人を引き合いに出されて比べられたらと想像したら、たまったものじゃないものね。
そう、たまたま「カツ」+「ごはん」が共通しているというだけ。ご覧、材料が牛か豚かから、まったく違う。つい、「織物のまち・桐生」と「日本有数の靴下の産地・加古川」の共通点まで探そうとしてしまったけど、それも強引なこじつけというものだ。
というわけで、静かに有難く、ソースカツ丼をいただきます。わ、うま! ウマか! 群“馬”だけに、ね。むしゃむしゃ。お腹いっぱーい! なるほど、”ソウルフード”と呼ぶのにふさわしい、たーっぷりのボリュームでした。
同じ名前だけど、違う読み。いや、そもそも違ったのは……
桐生駅に戻ると、マル―ン色の車体が停まっていました。阪急電車以外にもあるのね! 意外とシック。これが、わたらせ渓谷鐡道。一両編成。…って、編成してるのか? ともかく一両。
電車が出発してひとつめの駅を過ぎたところで、「次はあいおい駅」とアナウンスがありました。おいおい、あいおい?
「あいおい」ならこれまた兵庫県の駅、すこしだけど新幹線も停まる播磨地方の駅と同じ名前だぜ! ……と立ち上がって見たら、「相老」の表示。なんだ~兵庫県「相生駅」と違って違ったか。ちょっと残念に思って視線を落とすと、駅名の下に「(桐生市相生町)」という表示。んんん? 老いるの? 生まれるの?
めちゃくちゃ気になるけれど、今回、我々は神戸(ごうど)の謎を解かなければならない。後ろ髪を引かれつつ、我々は出発する電車とともに、もう少し、山へ分け入ってまいります。
霧雨をまとってむせ返るような緑のトンネルの中を、電車はどんどん山の中へと進んでいきます。
右手には渓流、細い道、ときどきポツンといくつかの家。まるで「飲食店見つけないと次に進めない」テレビ企画に出てきそうな光景だけが、次々と現れます。
やがて、桐生から出て約1時間。ついに私とNさんは、傘をひろげて、群馬県の神戸駅に降り立ちました。
ねえ、ちゃんと来ましたよ! Twitterで教えてくださった、”トラック提督”さん!!
そこは、古いけど掃除が行き届いた、明るい駅舎。映画に出てきそうな質素な待合室には、いろんな人にていねいに愛されてきたのだろうな、という雰囲気が、きもちよく漂っています。
ぜったいに何人かが持ち寄ったに違いない、いろいろ薄手のクッションが並べられている木製ベンチの上、学校の教室のようなレトロな趣の掛け時計を挟んだ両側に、ありました! 「神戸・阪神」のポスターが、右手に2枚と左手に2枚、合計4枚。
神戸ポスタージャック、成功!!! いやー、遠くまで、きたー!! 直線距離で400km以上、移動距離は概算で約760km。いま鉄道で最高速度ギネス記録もってる超電導リニア(時速603km)でも、1時間じゃ着かないんだぜ!!
感慨を胸に、ポスターの前でNさんと「それにしても、『同じ名前だけど違う読み方』というのは初めてですね」と話していると、「茹でたジャガイモありますよ。いかがですか?」と駅長さんらしき帽子姿の男性がニコニコと話しかけてこられました。胸に「ふるさと駅長」という名札が光っています。
金子さん(神戸駅 ふるさと駅長)
あぁ、わたらせ渓谷鐡道は無人駅が多いでしょう? そこでね、週末はこうやってボランティアが『ふるさと駅長』をしているんです。私なんか、村役場を57歳で辞めてからずっと。いま70歳だから、13年になりますね。
駅舎はね、これは大正元年に建築されたまんま。国の有形文化財になってるんですよ。テレビなんかも良く来ますね。それで今日は、何の取材で……? え! 兵庫県から! わざわざですか!! えー、兵庫県から。それはそれは遠くから、本当にありがとうございます。神戸と同じ名前だというだけで、ねぇ。いやはや。
あ、でもこの駅はもともと『神戸』という名前ではなかったんです。『神土』、神の「土」と書いてたんですよ。あ、ちょっといいですか? 雨降ってますけど外に出ていただいたら。で、こっち、これ、見てみられたらわかりますよ
Nさんと私は、金子さんに連れられて駅の外に数歩出ると、指示された通り、くるっと振り向いて駅舎の看板を見上げました。……あっ! あーっ! あーっ!!
金子さん(ふるさと駅長)
ね? ほら、この看板、『戸』のところだけ、書き換えられておるんです。色が違いますでしょう。もともとは、『土』と書いていて。
わたらせ渓谷鐡道は最初、足尾鉄道といって、足尾銅山の銅を運ぶために桐生まで結んだ鉄道です。開通は大正元年、それがこの駅舎ができたときです。
それから国鉄の足尾線になったんですが、その国鉄のルールというか、よく知りませんけども、全国に同じ名前の駅があっては紛らわしくていかんということで、その当時、小さな駅の方が名前を変えるようになっていたらしくてですね。
それで、兵庫県に神戸駅という大きな駅があるものだから、こっちは『神土』という表記になったと聞いとります
Oh my GODO(ゴード)!!!
なんと! っていうか、なんか……ごめんなさい!!! あっ! ってことは、ひょっとしてあれも!?
あとですね、同じわたらせ渓谷鐡道に「相老」という名前の駅もあるんですが、それもですね、もともとは同じ国鉄にもっと大きな駅でたしか……
ごめんなさい! みなまで言わないで! ハイ、それも兵庫県に相生って駅があるからです!(すこしだけど新幹線停まるの) なんか、本当にごめんなさい!!
自分の土地の名前には誇りがありますから。
金子さん(ふるさと駅長)
それで、国鉄からこの第三セクターになったときに、『神戸』というもともとの地名に戻したというわけです。
地域のひとたちの反応ですか? それはやっぱりね。自分の土地の名前には誇りがありますから。喜んでおりますよ。
知名度は兵庫県の神戸にはもちろん適いませんけども、ここも春には300本の花桃が満開になりましてですね。土日なんか、たくさんの人が来てくれるようになりました。
この季節は、隣の沢入駅のアジサイもきれいですよ、2,200本でしたか。あじさい祭りもあります。株を分けてもらってから、みんなで何年か手入れして、ようやく見てもらえるようになりまして。
なんせ第三セクターだから、この鉄道がなくなったら困るから、なんとかお客さんに来てもらってと思ってですね。ボランティアで鉄道を支える会をつくって、みんなで駅舎の芝の手入れもしますし、冬場は群馬県の桐生市とみどり市、栃木県の日光市の三市合同でイルミネーションもしておるんですよ。
いっときよりは少なくなったけど、通学に使う学生もいるのでね。なくなったら困るので。だから、みんなでいろいろと。
すごい。みんなに愛されて支えられている鉄道と、駅。じぃぃぃん。ふるさと駅長さんにお礼を言って、Nさんと私はしばし、雨の中を神戸(GODO)散策に出ることにしました。
ていねいに整えられた花壇。駅を離れる道々に現われる、栄華の名残を感じさせる朽ちた蔵、降りしきる雨をふくんでしっとり苔むす石垣。なんだかとっても落ち着きます。
いまは誰もいないという清水寺に、苔でつるつる足を滑らせながらお参りして戻り、神戸駅に戻ると、この日は桐生方面に4つ戻った水沼駅へ。駅構内にある温泉(!)で温まり、近くの素朴な旅館に宿泊。
渓谷の夜はまっくらくら。まるでトトロと猫バスが出てきそうな、森と闇とに囲まれたしっとり温かな暗さが、まわりを「しーん」と覆ってます。神戸(こうべ)とぜんぜん違うなぁ…。では、おやすみなさい。ぐーぐーぐー…。(※温泉が気になった方は、プレゼント企画を見てね!)
翌朝。びっくりするような土砂降りのなか、再び神戸駅を訪れます。あっ! ふるさと駅長さんだー!!
金子さん(神戸駅 ふるさと駅長)
わー、今日は来られるのか、どうか、と思っていましたけど。遠くからはるばる来ていただいて、私、本当に嬉しくてですね。わざわざ、本当にありがとうございます。ねえ、こんなところに。わざわざ遠くから。
それでね、昨日あれからずっと考えておったんですけど。地名の由来ですね。いろいろと説があるんですが、私なんかが聞いておるのは、その、太郎神社の話です。いま、太郎神社のお隣に「玉木屋さん」といううどん屋さんがありますので、そこの息子さんに話を聞かれるといいですよ。行かれるなら、私、話しておきますから。
玉木屋さんに行かれます? そう、ではあそこね、そこの道をあがって、ね、それがいちばんの近道になってますから。あ、連絡しときますんで。いやー、ねえ。遠くから来ていただいて、ねえ。本当にうれしい。
金子駅長さん、こちらこそ本当にありがとうなのです! 行ってきます!
真緑の景色のなか、真っ赤な傘をひろげ、のんびりしたホーホケキョとケキョケキョを聞きつつ、落ちている梅の実を数えたり、路傍のキノコの大きさに驚いたりしながら歩いていると、ブーンと隣を駆け抜けかけた車の窓がしゅーと開きました。「そのまままっすぐです! よかった、道に迷われてないかと思って。先に行ってますから!」と、金子駅長さんでした。もう、なんて、いい方なの!
このあたり一帯は、江戸時代は天領です。
道路脇に佇む、こぢんまりとした神社。わりと新しい鳥居をくぐって進むと、右手の足元に苔むした石段……じゃなくて、古い鳥居の横木?が、土の上に置かれていたのでした。神社自体は古いんだな。横木の上には、いくつか石像が。金精大明神、というのだとか。
お参りが終わるのを、金子ふるさと駅長さんと一緒に待ってくださっていた体格の良い男性が、お隣でうどん店「玉木屋」を営む(こちらも)金子さん。もともと高校の先生だったというだけあって、言葉が穏やかで、お話がとてもわかりやすい。
金子武徳さん(玉木屋さん)
ここね、こっちの端まで来てみていただけますか? この下、いま竹藪になっていますけど、見えます? 「落石注意」の黄色い看板……ええ、あれです。ね、看板のあたり、道になっているでしょう。
ここは「あかがね街道」が90度、曲がるところなんですよ。あかがね街道はご存知……ないですか。江戸時代にですね、足尾銅山で製錬した銅が、馬の背に載せられて、ここを通って江戸まで運ばれていたという、非常に重要な街道です。
この神社は、実は集落の入り口になるんです。江戸時代は関所でして、なので国定忠治の手配書なんかまわってきたのも、あちらの母屋にまだ置いてありますよ。あ、それとね、ここ、足元のところ、見えますか?
金子武徳さんが指さす地面、広い範囲にわたって、もにょもにょうねうね、盛り上がっている。
金子武徳さん(玉木屋さん)
ここには昔、大きな杉の木が2本、並んでそびえていたんです。ええもう、それはそれは、大人8人がかりでも抱えきれないくらいの大木で。切ろうとすると必ずたたりがあった、という話も聞いとります。
この2本の木が、『神の扉(戸)』ということで、『ごうど』という名前の由来となった、と、地元の民俗史に書いてあるそうです。昔むかし、この一帯に疫病が蔓延して大変だったときに、神の戸で、集落に疫病が入るのを防いだ、と。
なんと。群馬県の神戸は、本当に字の通り「神の戸」だった!! 病気、厄災。人間の力が及ばないときに、神様ここを閉じてください、と、土地のひとたちが祈った場所。
そんな由来をもつ「ごうど」はやっぱり「神戸」と書かないと、気持ち悪いよね。
…って、いま気づきました。そういえば私、地元兵庫県の神戸の名前の由来を知らないぞ。
金子武徳さん(玉木屋さん)
この、いまうどん屋になっている母屋ですけど、そうですか立派と言っていただいて有難いですが、このあたりでよく見られる「赤城型」という建て方になります。二階部分で蚕を飼っていたんですね。あの、上に飛び出している屋根は、煙出し用で。
裏手の建物は、「Samurai and Silk」を書いたライシャワー駐日大使夫人の生家です。このあたりは養蚕が盛んで、それで桐生で絹織物がつくられたのですね。なので桐生はいまでも、他の土地より物価が高かったり、まちのひとのプライドも高かったり、まあ言うなら見栄っ張りのところもあったり、なんて言われますね。
絹織物の桐生も、和同開珎から日本を支えている足尾銅山もですが、このあたり一帯は、江戸時代は天領です。
金子駅長さんは、見えなくなるまで、ずっと。
そんな歴史ある、たしかに素晴らしく豊かな雰囲気が息づく玉木屋さんで、せっかくなので、お蕎麦をいただくことに。あ、お手洗いはどちらに……? え、いったん外に出て、離れですか! わお!!
Nさんと、山菜の天ぷらが添えられたお蕎麦をつるつる食べていると、ご近所らしい家族連れが来られて奥の広い座敷にあがられた。膝の上に座っている小さなお子さんを含めて三世代七人が、穏やかに和やかに食事をする光景が、まるで生命保険会社かなにかのCMかと思うくらい、本当に素敵。
土地の名前の由来ともいわれる、 大きな2本の杉は、なくなった。
いま59歳の金子さんがこどもの頃はまだこの神社の境内に櫓が組まれ、村のひとが総出で行っていたという毎年恒例の夏祭りも、いつの間にかなくなった。
一帯を埋め尽くしていた桑畑もなくなり、桑の実を狙いに来ていたサルも、見かけなくなった。
ライシャワー夫人の祖父であり、日本で初めてアメリカへの輸出を実現した絹商人でもある新井領一郎兄弟がつくった水沼製糸場も、なくなった。
銅や絹織物という産業でなりわっていたひとたちも、いなくなった。
たくさんのものが、なくなった。
だけど、いる。
代々庄屋さんとして村を守り、いまはまちのひとたちに神様とつながる場所と、家族が憩える素敵なうどん屋さんをご夫婦で維持し続けるひとが。
なにもないところだからせめておもてなしを、と、野菜を育てながら13年もボランティア駅長として毎週末駅に立ち、観光客に声をかけ、めいっぱいまちの魅力を伝え続けるひとが。
山奥の渓谷で季節ごとに咲き誇る花桃やアジサイを、植え、手入れし続ける、たくさんの近隣のひとが。
学生たちの通学の足がなくなったら困るから、と、自治体の枠も超えて力を合わせるひとたちが。
ちゃんと、ずっと、いる。
いるから、Nさんと私が今日、この土地に、こんなに優しく温かく、迎え入れていただいている。
すっかり雨が上がった道を、神戸駅へ、ぽつぽつ歩いて戻る。
かつて神様が戸を立てて守ったという「ごうど」は、いま、ひとが守っている。
駅が第三セクター運営に代わり、当て字だった「神土」から、本来の名前である「神戸」に戻ったとき、どれだけ嬉しかっただろうか。
一度、その名を奪われた。だからこそわかる、「土地の名前を名乗る」喜び。
大正元年(1912年)から107年という長い年月を経ながらもていねいに整えられ続けている「神戸駅」をあらためて見ると、霧を背景に何気なく佇む駅舎から、そんな誇りと喜びが、しっとりとあふれ出しているように感じられた。
静まり返った渓谷の駅の空気が、遠くの踏切の音から動き出す。
1時間半に1本くらいの間隔でやって来る、帰りの列車に乗り込んだ。
反対側のホームを見ると、あっ、金子駅長さん!!
金子さんは、見えなくなるまで、ずっと手を振ってくださいました。
名前があるということ、歴史があるということ。それを語り続けるひとがいること。
群馬県の「神戸」は、地元のひと曰く”なんにもない”、でも、いろんなひとによって大切に受け継がれているたくさんの思いがある、素敵な場所でした。
…で、兵庫県の神戸の由来って、なんなんやろ!?
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