明石の町割りや、巌流島での佐々木小次郎との決闘などで有名な「宮本武蔵」
著書「五輪書」に「生国播磨」の記載があり、播磨生誕説がある。
加古川河口周辺では蚊の出現が驚くほど早く、驚くほど遅くまで生息してる。
正確に言うと5月ごろから11月ごろまで生き残る奴がいる。
学校を祭りで休むと欠席扱いにならない。
祭りの時に授業は進まない。自習プリントか映画鑑賞会になる。
兵庫のチベットは宍粟じゃろがいと思う。
大河ドラマの岡田准一主演『黒田官兵衛』は素晴らしい播州人だが、『河合寸翁』も負けず劣らずの素晴らしい播州人だ。
江戸時代、姫路藩主は幕府の重役を任されることが多く、財政がひっぱくしていた。その財政再建で手腕をふるったのが、『河合寸翁』だ。姫路の中学生なら知らない者がいないぐらいのヒーローだ。
播磨地域は、野球が盛んな地域だ。現在、明商が活躍しているが、播磨地域が一つの県だったら、もっと東洋も甲子園で活躍していたと思う。
車のナンバーの話。
明石(東二見以東)が神戸ナンバーなのは、「まあ、しゃあないな」となるが、三木が神戸ナンバーである事には「何でや!」となる。
明石市は、旧明石郡の西区や垂水区を取り戻し、近年の人口増の勢いを加速させたいと思っている。
播磨北西部、特に宍粟市には「春名」さんがワンサカいる。
播州弁が出るとヤクザに間違われるほど怖がられる
播磨だけど 少し神戸ナンバーが誇らしい
播州人は、よく神戸(摂津)へ遊びに行くが、但馬や丹波、淡路へは行くことが、ほとんどない。
地域限定かもしれませんが…
「ほん そこ」が通じなかった。
「○○どこにある?」
「ほん そこにあるよ」
「????」
「ほん そこ」は本がそこにあるではなく、
「すぐそこ」との意味です。「ほん ちょっと」
もよく使います。
小学生の頃、大阪の従兄弟に「◯◯めぐなよ(壊すなよ)」と言ったら「えっ?何?」と通じなかった。自分は標準語で喋ってるのではないことを知った瞬間だった。
播磨のアイランド、家島(えじま)は、よくテレビ番組で特集を組まれているが、行ったことがない人や知らない人が多い。
「こけよった」
大阪では「こ→け↑よ→っ→た→」
播磨は「こ→け→よ↑っ→た→」
で、大阪でこけそうになって思わず言ったら、こけてないやんと言われた。
会議の予定を「まつり」がある、と変更を申し出たら、「私用」はダメだと断られました。「まつり」は「公用」です!と反論しました。
友人の居る豊岡市に遊びに行った時、ロータリー交差点があって驚いた。
姫路市は合併で広くなったので、雨が降っていなくても「警報」で学校が休みになる。
祭りの季節になると「俺、祭り嫌いやねん」と言う人が出てきて、ほぼ全員から冷たい視線を浴びる。
北播磨で加西市だけが姫路ナンバー。加東市民や西脇市民から「俺らは神戸ナンバーやから勝ってる」「加西は姫路近いし方言荒いよな」と笑われた。そんな変わらんわ!あんたらも播磨やろ!
姫路城より○○!
なんてのを見ると一瞬
「はぁ!?Σ( ̄皿 ̄;;」ってなるけど
それだけ知名度あるだけの話やーんと
ふっ( ̄ー+ ̄)となる。
祭りが命の播州人。しかしそこには暗黙のルールが存在します。
①他町のやっさ(屋台)に触れない
やっさは村の宝なのです。気安く触れてはいけません。
②やっさに背を向けない
練り合わせ時のやっさは予測不可能です。
③他の祭りを悪く言わない
当然です
春祭りと秋祭りの日は親戚が集まって、すき焼きと巻寿司を食べる。昔からの風習だとおばあちゃんから聞いた。
東北の山形県鶴岡市に「播磨」の地名がある。
その昔、負け戦で播磨国から奥羽に亡命した人らが、そこで与えられた地を開墾した時、出身地に因み「播磨」の地名を付けたとされる。
竜野市街に行こうと思って竜野駅で降りたら全然違うし、合併でたつの市になる前の竜野駅は揖保郡揖保川町で全然竜野じゃない。
祭りを理由に、工事の着工が延期される。職人さんが揃わないとか。
551の豚まん、TVではよくみるけど…
甲子園での野球の試合。
あんまり遅くまで長引いたら「加古川の人、帰られへん」。
(説明しよう!JRにおいては加古川以西とそれより東で、終電の時間がガラリと変わるのだ!)
佐用町は丹波に負けないくらい朝霧の濃い町であるが、
そもそも播磨だと思われてない。
ごく一部を除き、美作ではない。
明石の町割りや、巌流島での佐々木小次郎との決闘などで有名な「宮本武蔵」
著書「五輪書」に「生国播磨」の記載があり、播磨生誕説がある。
加古川河口周辺では蚊の出現が驚くほど早く、驚くほど遅くまで生息してる。
正確に言うと5月ごろから11月ごろまで生き残る奴がいる。
学校を祭りで休むと欠席扱いにならない。
祭りの時に授業は進まない。自習プリントか映画鑑賞会になる。
兵庫のチベットは宍粟じゃろがいと思う。
大河ドラマの岡田准一主演『黒田官兵衛』は素晴らしい播州人だが、『河合寸翁』も負けず劣らずの素晴らしい播州人だ。
江戸時代、姫路藩主は幕府の重役を任されることが多く、財政がひっぱくしていた。その財政再建で手腕をふるったのが、『河合寸翁』だ。姫路の中学生なら知らない者がいないぐらいのヒーローだ。
播磨地域は、野球が盛んな地域だ。現在、明商が活躍しているが、播磨地域が一つの県だったら、もっと東洋も甲子園で活躍していたと思う。
車のナンバーの話。
明石(東二見以東)が神戸ナンバーなのは、「まあ、しゃあないな」となるが、三木が神戸ナンバーである事には「何でや!」となる。
明石市は、旧明石郡の西区や垂水区を取り戻し、近年の人口増の勢いを加速させたいと思っている。
播磨北西部、特に宍粟市には「春名」さんがワンサカいる。
播州弁が出るとヤクザに間違われるほど怖がられる
播磨だけど 少し神戸ナンバーが誇らしい
播州人は、よく神戸(摂津)へ遊びに行くが、但馬や丹波、淡路へは行くことが、ほとんどない。
地域限定かもしれませんが…
「ほん そこ」が通じなかった。
「○○どこにある?」
「ほん そこにあるよ」
「????」
「ほん そこ」は本がそこにあるではなく、
「すぐそこ」との意味です。「ほん ちょっと」
もよく使います。
小学生の頃、大阪の従兄弟に「◯◯めぐなよ(壊すなよ)」と言ったら「えっ?何?」と通じなかった。自分は標準語で喋ってるのではないことを知った瞬間だった。
播磨のアイランド、家島(えじま)は、よくテレビ番組で特集を組まれているが、行ったことがない人や知らない人が多い。
「こけよった」
大阪では「こ→け↑よ→っ→た→」
播磨は「こ→け→よ↑っ→た→」
で、大阪でこけそうになって思わず言ったら、こけてないやんと言われた。
会議の予定を「まつり」がある、と変更を申し出たら、「私用」はダメだと断られました。「まつり」は「公用」です!と反論しました。
友人の居る豊岡市に遊びに行った時、ロータリー交差点があって驚いた。
姫路市は合併で広くなったので、雨が降っていなくても「警報」で学校が休みになる。
祭りの季節になると「俺、祭り嫌いやねん」と言う人が出てきて、ほぼ全員から冷たい視線を浴びる。
北播磨で加西市だけが姫路ナンバー。加東市民や西脇市民から「俺らは神戸ナンバーやから勝ってる」「加西は姫路近いし方言荒いよな」と笑われた。そんな変わらんわ!あんたらも播磨やろ!
姫路城より○○!
なんてのを見ると一瞬
「はぁ!?Σ( ̄皿 ̄;;」ってなるけど
それだけ知名度あるだけの話やーんと
ふっ( ̄ー+ ̄)となる。
祭りが命の播州人。しかしそこには暗黙のルールが存在します。
①他町のやっさ(屋台)に触れない
やっさは村の宝なのです。気安く触れてはいけません。
②やっさに背を向けない
練り合わせ時のやっさは予測不可能です。
③他の祭りを悪く言わない
当然です
春祭りと秋祭りの日は親戚が集まって、すき焼きと巻寿司を食べる。昔からの風習だとおばあちゃんから聞いた。
東北の山形県鶴岡市に「播磨」の地名がある。
その昔、負け戦で播磨国から奥羽に亡命した人らが、そこで与えられた地を開墾した時、出身地に因み「播磨」の地名を付けたとされる。
竜野市街に行こうと思って竜野駅で降りたら全然違うし、合併でたつの市になる前の竜野駅は揖保郡揖保川町で全然竜野じゃない。
祭りを理由に、工事の着工が延期される。職人さんが揃わないとか。
551の豚まん、TVではよくみるけど…
甲子園での野球の試合。
あんまり遅くまで長引いたら「加古川の人、帰られへん」。
(説明しよう!JRにおいては加古川以西とそれより東で、終電の時間がガラリと変わるのだ!)
佐用町は丹波に負けないくらい朝霧の濃い町であるが、
そもそも播磨だと思われてない。
ごく一部を除き、美作ではない。