2019/03/12
「カニ」に関するあるある
但馬人はカニを食う速さがハンパない。松葉、紅(ズワイ・ベニズワイ)の食べ方を嫁と娘(二人とも東京生まれ東京育ち)レクチャーする。また、カニが上がらない地域の人にも、その機会が多い。
給食に出るカニは食べるのがめんどい。
但馬人数人で中国・上海に旅行に行った際、レストランにて現地ガイドさんが「専用ハサミ」を用意している間に全員「上海ガニ」を食べ終わっていた。ガイドさん「お上手ですね!」とビックリ。
だって食べ方はセコガニ(松葉ガニの雌)と一緒!お箸一本、またはカニの小指だけで食す事が出来る。
「姫路」に関するあるある
姫路おでんとか、御座候とか、玉子焼き(明石焼き)とか、
そこに、こだわり出したんここ最近で、
姫路の人間は昔っから
かんとだき、かいてんやき、たこ焼き
で使こてる。
もちろん、
しょうが醤油のおでん、
御座候店の回転焼き、
出汁につけるじん粉の玉子焼きの意味でやけど。
姫路から東京に出たときに、灰色のざるそばの麺がぬくい黒い汁に浸かっているいるのがそばだと知って衝撃を受けた。姫路では、そば=中華そばの黄色い麺だと思っていた。逆に、東京の知人が姫路に旅行に行って駅そばを食べたら、麺が黄色かったと驚いていた。でも、美味しかったと言われて満足した。
「横浜」に関するあるある
神戸ナンバーに慣れているから東京に来ても品川ナンバーに何も感じない。
足立、練馬、世田谷、杉並にももちろん、習志野、大宮、柏、川口、千葉、川崎、所沢ナンバーの品のない走りを見ると哀れみを感じる。
ただ…横浜ナンバーだけには来やがったな?と思う。
最近では往時の勢いはないとは言え、1970年代~80年代、神戸・阪神は、確かに、日本の流行の発信地だった。
当時、この地域の女子大生が、主に好んで着ていた洋服やファッション(「ニュートラ(ニュー・トラディショナル)」と呼ばれた)が、カレシの車で須磨や舞子のカフェやレストランでデートするライフスタイルとともに、「anan」や「JJ」などのファッション誌に特集され、流行として全国に広まった。
メディアで、やたらと「女子大生」がもてはやされるようになったのも、これが震源。
その後、神戸の「ニュートラ」をベースとして、横浜で生み出されたのが「ハマトラ」だった。
はじめて横浜を訪れたのは、1970年代。
伊勢佐木町では、「三宮の方が賑やかや」と優越感にひたり、元町では「神戸の元町の勝ち」と断言。
山手は、(神戸の山手と比べて)「まあまあやね」。
が、中華街だけは「負けた」と思った。
今も負けてると思う。
「温泉」に関するあるある
神戸の人にとって有馬や城崎、湯村のお湯は言うたら「高級品」。
普段は湊山、灘、朝日、おとめ塚、クアハウス…市街地のいで湯を十分に堪能。
何しろここは「神戸温泉郷」!(ホンマか?)
東京での学生時代(もう40年以上も前だが)、有馬温泉が「神戸市内だ」と教えると、「ウソ!?」と言われた。
神戸市内には、スキー場と海水浴場がある、と言うたところ、やはり「ウソ!?」と言われた。
「城崎温泉」は、兵庫県だから「神戸の割とすぐ近く」と思い込んでいた奴もいた。
宝塚音楽学校の卒業式、合格発表、入学式がニュースに登場するのは、兵庫県だけではなく、もはや関西の春の風物詩だ。
が、その宝塚の町が、元は「温泉街」として開発され、歌劇も元々は「温泉の余興」だったことは、もはや地元民ですら覚えていない。
「神戸」に関するあるある
神戸市の市章は、「神戸」の頭文字、すなわち「カウベ」の「カ」の字を図案化したものだ。
ただいま、神戸のローマ字表記は「KOBE」だが、こちらも旧仮名遣いを採用して「KAWBE」の方が、かっこいいんじゃないか? と秘かに思っている。
野坂昭如・原作『火垂るの墓』、日本人の大半はアニメを見たことがある。
が、兵庫県以外の、ことに若い世代には、この物語が「神戸のお話し」とは、あまり知られていない。
以前、大阪の某学校でアンケートしたら、大半の学生が「大阪の話」と思い込んでいた。
舞台は「広島」と答えた人もいた。
鈴蘭台を含む北区山田町と、現在の東灘区は、元は同じ「武庫郡」だ。
なのに、東灘区が「神戸の代表」みたいな顔してるのに対して、山田町は「神戸のおまけ」的存在に甘んじている。
神戸市に編入されたのは、山田町の方がずっと早かったのに、実に不公平だと思う。