地下鉄長田駅で、電車を降りてきたらしい人から、神鉄長田駅への行き方を訊かれた。 もう一回電車に乗ってください、と答えた。 神鉄長田駅近くに住んでいた親戚は、タクシーで帰宅するときにはいつも「名倉へ」と言っていた。 駅名も、そっちに改称した方がいい・・・ような気がする。
「デカンショ節」の、「デカンショ」の由来は、「デカルト・カント・ショーペンハウエル」を略した囃し言葉、というのは、本当なのでしょうか? 篠山出身の一高(東大)生たちが、そう歌い始めたのが最初、と聞いたんですけど・・・
高校野球の記念大会で、兵庫県が東西に分けられた際、三田が「西」に分類されていて、「丹有地区」が「まだ生きてたんだ」と感慨にふけった。 丹波地方に旧・有馬郡を併せたのが、「丹有地区」だから、元々は神戸市北区の大池以北も「丹有」なんだけど、さすがにそちらは除外されてるようだ。
神戸大学は、敷地が広大で、しかも構内には半端でない坂もあるので、授業と授業の間に「20分」のインターバルがある。 通常の「10分」では、教室間移動が困難だから、だそうです。
県内の長いスカートの女子高生を見慣れてしまった結果、県外のミニスカセーラー等はぶっちゃけアニメのコスプレにしか見えなくて困る。年頃の娘さんら、あんまし腹冷える恰好せんと、ファミリアの鞄持って真面目にしときー。
北海道出身者を鈴蘭台に案内したとき。 「この辺でもスズランが自生してるんですか?」と訊かれた。 してない、と答えたら「じゃ、栽培してるの?」 それも「ない」と言うと、「なのに、なんで鈴蘭台?」と、とても不思議がっていた。
山口県民ですが、神戸市西区にある某大学が母校です。 神戸市にありますが、JRの最寄り駅は明石駅です。「神戸ブランドに惹かれ来たのに」と残念がっていた人は多かったです。私は学部と偏差値で選んだので、寧ろ「神戸市ってブランドなんだ」って事に驚きました。
山口県民ですが、神戸市西区にある某大学が母校です。 JR最寄り駅は明石駅。市営地下鉄の最寄り駅は伊川谷駅です。この伊川谷駅、入り口は1F、改札口は地上2F、ホームはなんと地上3F。山口県民には新幹線の駅にしか見えません。(山口県には地下鉄がない)初めて見た時は頗る混乱しました。
今の北区で育ちました。 子供の頃には、正月以外の行事はすべて旧暦で、ひな祭りは4月、端午の節句は6月、七夕は8月でした。 幼稚園で7月に七夕飾りを作って、家に帰ってから「うちでも七夕やって」というと、7月に七夕を飾る阿呆がどこにおる! と怒られたのは、昭和30年代です。
北区の神鉄粟生線沿いの我が家周辺では、「ひじき」のことを「めえ(めェ?)」と呼んでいたのですが、播磨方言でしょうか? テレビや雑誌に出てくる「ひじき」とそれが同じものとは知らず、「どんな食い物やろか?」と思ってた。 「おでん」は、「お膳」から転じたんじゃないかな。
『テーブル』や『ちゃぶ台』の事を『おでん』と呼びます。生姜醤油でおなじみの『おでん』とはアクセントが違います。
ありこまち、むさんこに、おはようおかえり、道がじるい。いぬる、おはようさん、おおきにすんまへんなあ、なんぼ、なつべる、えらい、行っちゃた。北兵庫方言を並べた。他にもあるけども、朝来市と日本海側では言葉が違う。
野坂昭如・原作『火垂るの墓』、日本人の大半はアニメを見たことがある。 が、兵庫県以外の、ことに若い世代には、この物語が「神戸のお話し」とは、あまり知られていない。 以前、大阪の某学校でアンケートしたら、大半の学生が「大阪の話」と思い込んでいた。 舞台は「広島」と答えた人もいた。
姫路駅の南側にはナチュラルに廃線モノレールの廃墟が残っていて、四国の友人にものすごく驚かれたので、あ、いわれてみれば普通ではない風景なのだと気が付いた。
姫路から東京に出たときに、灰色のざるそばの麺がぬくい黒い汁に浸かっているいるのがそばだと知って衝撃を受けた。姫路では、そば=中華そばの黄色い麺だと思っていた。逆に、東京の知人が姫路に旅行に行って駅そばを食べたら、麺が黄色かったと驚いていた。でも、美味しかったと言われて満足した。
「江戸ベラボウに京ドスエ、神戸兵庫のナンゾイヤ、ついでに丹波のイモ訛り」。日本には色んな方言がある…って意味の諺。そういや父もよくナンゾイヤって言うとったなあ。今で言うならナンヤネンってとこやな。伝統ある郷土語ナンゾイヤの絶滅を防ぐべく、現代の神戸人も積極的に使わねば!
先日テレビで、播州にしか売ってない「イトメンのチャンポンめん」が紹介されていて、これは、「播磨人のソウルフード」なんだそうだ。 その存在すら知らなかったのだが、三宮のダイエーに売っていたので買ってみた。 美味しかった。 ぜひともに、うちの方(阪神)でも買えるようにしてほしい。
播磨限定の方言かどうかはわかりませんが 片付けるとこをなおすと言います 小学校の時の先生から聞いたエピソードですが 東京のお友達に 「これ、なおして」と言ったら 「どこが壊れてるの?」と言われたそうです 他の投稿に目をとおしていません 既出ならすみません
神戸には二人の女王がいる。 塔の女王・ポートタワー 廃墟の女王・摩耶観光ホテル
ここでも良く「姫路」のイントネーションが話題になっているが。 「ひ↓め→じ」になるのは、「東洋大姫路」のせいかも、と最近思う。知らんけど。
「長田のういろ」、懐かしいです。 50年以上前ですが、長田に住んでいたわが祖母は、「教えて」「教えて」と無理強いに、渋る店主からレシピを聞き出して、家で「ういろ」を自製していました。
「鈴蘭台」が多すぎる。 神戸電鉄の駅名に鈴蘭台を名前に含む駅が4つ並んでいる。「鈴蘭台」「北鈴蘭台」「西鈴蘭台」「鈴蘭台西口」。アナウンスを聞き間違えて、意図しない駅に降りることがある。
餃子の「ひょうたん」 あ~、このコーナーに登場するとは夢にも思いませんでした。廃業は本当に残念。僕が毎日のように通っていたのは二代目のおやじさんの頃。三ノ宮店。震災の前後です。ニンニク醤油にラー油にミソに・・・焼きたて餃子をウカピーチビチビやりながら。本当によい店でした。感謝。
母親が今の西区の生まれで、育った場所も北区の西区寄りだから、「雨がぴりぴり」とか「道がじゅるい」「いのく(動く)」「いぬ(帰る)」等々、播州弁は子供のころからわりと日常語だった。 なので、今の若い子が頻繁に発する「めんどい」を聞くたび、「誰がブサイクやねん!?」と反応してしまう。
「旧国(旧国道2号線)」の東端は、尼崎です。 西宮市内の「旧国」沿いは、お店も結構あってそれなりに賑やか。 明石や加古川では、国道2号を「2国」と呼びますが、かつての阪神間では「2国」は、「第2阪神国道」すなわち国道43号を指しました。 その辺、ちょっとややこしーですね。
明姫幹線ができるまで、そのさらに海側の道が国道250号で、「浜国道」略して「ハマコク」と呼ばれてました。 ちなみに「ハマコク」の起点は、朝霧の国道28号で、明石で錦江橋へ右折して、さらに本町通に左折、そのまま大観橋を渡って旧国道250号、というのが、そのルートです。
加古川生まれ明石育ちの私。神戸で就職し、友人と談笑中、「〇〇、ホンマにはがいぃわぁ!」と言われ、何が悔しいのか、と思っていたら。 神戸では「はがゆい」=「腹立つ」らしい。いやいや、「腹立つ」は「ごうわく」やろが、と思ったけど、口にはしなかった思い出。
神戸・長田の親戚が持ってくる土産は、だいたい「ほうらく饅頭」か「長田のういろ」。 ちょっと捻って「文明堂のカステラ巻き」と相場は決まっている。
元・播磨人、今・大阪市民。幾ら子供の頃から培われた播州弁が「日本一荒い」と自負していても、だんじりと泉州弁を操る南大阪人から「自分、めっちゃ言葉汚いなぁ」と言われると、翌日会社行きとぅないくらい凹むんやで。。。なんぞいやワレ。。。
我が育ちの故郷・明石では、国道250号線は「めいかん(明姫幹線)」と言うが、更に海側にある道を「浜国」と呼ぶ。 加古川の友人は「浜国」も250号線だと言う。明石の「浜国」どこ行ったんや?
地下鉄長田駅で、電車を降りてきたらしい人から、神鉄長田駅への行き方を訊かれた。
もう一回電車に乗ってください、と答えた。
神鉄長田駅近くに住んでいた親戚は、タクシーで帰宅するときにはいつも「名倉へ」と言っていた。
駅名も、そっちに改称した方がいい・・・ような気がする。
「デカンショ節」の、「デカンショ」の由来は、「デカルト・カント・ショーペンハウエル」を略した囃し言葉、というのは、本当なのでしょうか?
篠山出身の一高(東大)生たちが、そう歌い始めたのが最初、と聞いたんですけど・・・
高校野球の記念大会で、兵庫県が東西に分けられた際、三田が「西」に分類されていて、「丹有地区」が「まだ生きてたんだ」と感慨にふけった。
丹波地方に旧・有馬郡を併せたのが、「丹有地区」だから、元々は神戸市北区の大池以北も「丹有」なんだけど、さすがにそちらは除外されてるようだ。
神戸大学は、敷地が広大で、しかも構内には半端でない坂もあるので、授業と授業の間に「20分」のインターバルがある。
通常の「10分」では、教室間移動が困難だから、だそうです。
県内の長いスカートの女子高生を見慣れてしまった結果、県外のミニスカセーラー等はぶっちゃけアニメのコスプレにしか見えなくて困る。年頃の娘さんら、あんまし腹冷える恰好せんと、ファミリアの鞄持って真面目にしときー。
北海道出身者を鈴蘭台に案内したとき。
「この辺でもスズランが自生してるんですか?」と訊かれた。
してない、と答えたら「じゃ、栽培してるの?」
それも「ない」と言うと、「なのに、なんで鈴蘭台?」と、とても不思議がっていた。
山口県民ですが、神戸市西区にある某大学が母校です。
神戸市にありますが、JRの最寄り駅は明石駅です。「神戸ブランドに惹かれ来たのに」と残念がっていた人は多かったです。私は学部と偏差値で選んだので、寧ろ「神戸市ってブランドなんだ」って事に驚きました。
山口県民ですが、神戸市西区にある某大学が母校です。
JR最寄り駅は明石駅。市営地下鉄の最寄り駅は伊川谷駅です。この伊川谷駅、入り口は1F、改札口は地上2F、ホームはなんと地上3F。山口県民には新幹線の駅にしか見えません。(山口県には地下鉄がない)初めて見た時は頗る混乱しました。
今の北区で育ちました。
子供の頃には、正月以外の行事はすべて旧暦で、ひな祭りは4月、端午の節句は6月、七夕は8月でした。
幼稚園で7月に七夕飾りを作って、家に帰ってから「うちでも七夕やって」というと、7月に七夕を飾る阿呆がどこにおる! と怒られたのは、昭和30年代です。
北区の神鉄粟生線沿いの我が家周辺では、「ひじき」のことを「めえ(めェ?)」と呼んでいたのですが、播磨方言でしょうか?
テレビや雑誌に出てくる「ひじき」とそれが同じものとは知らず、「どんな食い物やろか?」と思ってた。
「おでん」は、「お膳」から転じたんじゃないかな。
『テーブル』や『ちゃぶ台』の事を『おでん』と呼びます。生姜醤油でおなじみの『おでん』とはアクセントが違います。
ありこまち、むさんこに、おはようおかえり、道がじるい。いぬる、おはようさん、おおきにすんまへんなあ、なんぼ、なつべる、えらい、行っちゃた。北兵庫方言を並べた。他にもあるけども、朝来市と日本海側では言葉が違う。
野坂昭如・原作『火垂るの墓』、日本人の大半はアニメを見たことがある。
が、兵庫県以外の、ことに若い世代には、この物語が「神戸のお話し」とは、あまり知られていない。
以前、大阪の某学校でアンケートしたら、大半の学生が「大阪の話」と思い込んでいた。
舞台は「広島」と答えた人もいた。
姫路駅の南側にはナチュラルに廃線モノレールの廃墟が残っていて、四国の友人にものすごく驚かれたので、あ、いわれてみれば普通ではない風景なのだと気が付いた。
姫路から東京に出たときに、灰色のざるそばの麺がぬくい黒い汁に浸かっているいるのがそばだと知って衝撃を受けた。姫路では、そば=中華そばの黄色い麺だと思っていた。逆に、東京の知人が姫路に旅行に行って駅そばを食べたら、麺が黄色かったと驚いていた。でも、美味しかったと言われて満足した。
「江戸ベラボウに京ドスエ、神戸兵庫のナンゾイヤ、ついでに丹波のイモ訛り」。日本には色んな方言がある…って意味の諺。そういや父もよくナンゾイヤって言うとったなあ。今で言うならナンヤネンってとこやな。伝統ある郷土語ナンゾイヤの絶滅を防ぐべく、現代の神戸人も積極的に使わねば!
先日テレビで、播州にしか売ってない「イトメンのチャンポンめん」が紹介されていて、これは、「播磨人のソウルフード」なんだそうだ。
その存在すら知らなかったのだが、三宮のダイエーに売っていたので買ってみた。
美味しかった。
ぜひともに、うちの方(阪神)でも買えるようにしてほしい。
播磨限定の方言かどうかはわかりませんが
片付けるとこをなおすと言います
小学校の時の先生から聞いたエピソードですが
東京のお友達に
「これ、なおして」と言ったら
「どこが壊れてるの?」と言われたそうです
他の投稿に目をとおしていません
既出ならすみません
神戸には二人の女王がいる。
塔の女王・ポートタワー
廃墟の女王・摩耶観光ホテル
ここでも良く「姫路」のイントネーションが話題になっているが。
「ひ↓め→じ」になるのは、「東洋大姫路」のせいかも、と最近思う。知らんけど。
「長田のういろ」、懐かしいです。
50年以上前ですが、長田に住んでいたわが祖母は、「教えて」「教えて」と無理強いに、渋る店主からレシピを聞き出して、家で「ういろ」を自製していました。
「鈴蘭台」が多すぎる。
神戸電鉄の駅名に鈴蘭台を名前に含む駅が4つ並んでいる。「鈴蘭台」「北鈴蘭台」「西鈴蘭台」「鈴蘭台西口」。アナウンスを聞き間違えて、意図しない駅に降りることがある。
餃子の「ひょうたん」 あ~、このコーナーに登場するとは夢にも思いませんでした。廃業は本当に残念。僕が毎日のように通っていたのは二代目のおやじさんの頃。三ノ宮店。震災の前後です。ニンニク醤油にラー油にミソに・・・焼きたて餃子をウカピーチビチビやりながら。本当によい店でした。感謝。
母親が今の西区の生まれで、育った場所も北区の西区寄りだから、「雨がぴりぴり」とか「道がじゅるい」「いのく(動く)」「いぬ(帰る)」等々、播州弁は子供のころからわりと日常語だった。
なので、今の若い子が頻繁に発する「めんどい」を聞くたび、「誰がブサイクやねん!?」と反応してしまう。
「旧国(旧国道2号線)」の東端は、尼崎です。
西宮市内の「旧国」沿いは、お店も結構あってそれなりに賑やか。
明石や加古川では、国道2号を「2国」と呼びますが、かつての阪神間では「2国」は、「第2阪神国道」すなわち国道43号を指しました。
その辺、ちょっとややこしーですね。
明姫幹線ができるまで、そのさらに海側の道が国道250号で、「浜国道」略して「ハマコク」と呼ばれてました。
ちなみに「ハマコク」の起点は、朝霧の国道28号で、明石で錦江橋へ右折して、さらに本町通に左折、そのまま大観橋を渡って旧国道250号、というのが、そのルートです。
加古川生まれ明石育ちの私。神戸で就職し、友人と談笑中、「〇〇、ホンマにはがいぃわぁ!」と言われ、何が悔しいのか、と思っていたら。
神戸では「はがゆい」=「腹立つ」らしい。いやいや、「腹立つ」は「ごうわく」やろが、と思ったけど、口にはしなかった思い出。
神戸・長田の親戚が持ってくる土産は、だいたい「ほうらく饅頭」か「長田のういろ」。
ちょっと捻って「文明堂のカステラ巻き」と相場は決まっている。
元・播磨人、今・大阪市民。幾ら子供の頃から培われた播州弁が「日本一荒い」と自負していても、だんじりと泉州弁を操る南大阪人から「自分、めっちゃ言葉汚いなぁ」と言われると、翌日会社行きとぅないくらい凹むんやで。。。なんぞいやワレ。。。
我が育ちの故郷・明石では、国道250号線は「めいかん(明姫幹線)」と言うが、更に海側にある道を「浜国」と呼ぶ。
加古川の友人は「浜国」も250号線だと言う。明石の「浜国」どこ行ったんや?