兵庫五国連邦のロゴの地図は、播磨の領土を摂津に侵犯されている。このような地図の間違いが影響しているのか、摂津人は西区や垂水区を摂津の範囲だと勘違いしている人が多い。
大阪では兵庫県人、神戸では大阪人と、自分を紹介する、尼崎人。それにしても、漫画に尼崎、入れてくれてへんやんか。どうせ、市外局番06、やし、尼だけ、独立国でええわい!
「宍粟市」を「穴栗市」と間違えられるちなみに 読みは「しそうし」
播磨だけど 少し神戸ナンバーが誇らしい
小学校でそろばんを作る(播州の小野市はそろばん生産全国一位)
播州にはそろばん生産日本一の市があり小さい子用のおもちゃにそろばん玉、お守りとしてもミニそろばん、果てには小野市には市役所前に巨大そろばんとそろばん推しがすごい
どこ出身ですか?「兵庫県」どこ出身ですか?(神戸で聞いた場合)「神戸」(ドヤァ顔)
「なんで淡路島が神戸ナンバーやねん。おかしいやろ。」と関西ではしょっちゅう言われるけど、東京では「八丈島と同じだろ。」と一言で片づけられてしまう。そんなに離れてないって・・・。
USJ以外のこの辺で遊園地と言ったら姫路セントラルパークか東条湖おもちゃ王国の二つが先に出る
子供の頃の男子の遊びといえば 「ちっく水雷」に決まってる。
三木市民はまだネスタリゾート神戸じゃなくてグリンピア三木と呼ぶ
母校が甲子園に出場した。応援は現地集合・解散、だった。
神戸の「文学兵器」は、いずれもとてもメジャーで全国区なのだが、「漫画兵器」となると、佐々木マキ、伊藤重夫、西村しのぶ、木村紺、と、いきなりに「知る人ぞ知る」渋めのラインナップになる。知らない人は、是非とも探して読んでみてください。いずれもとても「BE KOBE」な漫画です。因みに、阪神出身の手塚治虫「アドルフに告ぐ」も、神戸漫画の傑作です。
警報発令区分が市町村単位になってからというもの、明石市には警報がなかなか出ない。お隣の神戸、加古川、播磨町に警報が発令されていても、明石市には出ないことが多い。学校は休校や始業時間が遅れることはほぼない…
神戸や阪神に「ミニスカ女子高生」がほぼ皆無なのは、この地域には歴史のある伝統的女子校が多くて、その制服にどこも「右へ倣え」してるから、だそうだ。そのせいか、大阪や京都で、やたらに短いスカートの女子高生を見ると、なんだかやたらに田舎臭い、と感じてしまう…のは、偏見だろうか?
阪神:尼崎は昔大金を払って、大阪と一緒の市外局番「06」を選び、兵庫県人は、大阪空港を伊丹空港と呼びます。関西人は、関西弁を方言と言われて、違和感があるのに、但馬人は、但馬弁を方言と言われて、そうですよって納得。なんでかなぁ~。兵庫は不思議が一杯。
神戸市北区の教習所で免許を取った。自分のころにはなかったが、かつては路上教習のコースに六甲山があって、教習中に崖からの転落事故数件、踏切で立ち往生して電車を止めた事故1件、という伝説があった。免許取得後、片側2車線以上の道路で、どこを走っていいのか分からず、大いに戸惑った。
神戸の安くて美味しいパンに慣れていると、東京に行った時にパンが高くてびっくりする
今から35、6年前、播磨では、サッカーやバスケットボール、バレーボールはメジャーなスポーツではなかった。野球か剣道くらいしか選択肢はなく、私は親父が剣道を愛好していた縁もあり、剣道をやらされていた。その当時、スキーがスポーツの選択肢にある但馬に憧れたのは言うまでもない。
斜度30度までを坂道と思っていない。以前、西宮の友達を自宅に案内しようと、ふつーに歩いていたら、どんどん遅れはじめ「しんどい!なんでそんなに坂道はよ歩けんの!」と言われた。
玉ねぎの苗は四国で買う。
昭和30年代前半、北区山田町の実家には、ガスはおろか水道もなかった。飲み水や料理には井戸水を水がめに汲み、煮炊きは「おくどさん」とカンテキ。洗濯は川でしていた。食事は、土間の台所の横手の板の間で、テーブルではなく、家族一人ずつの前に置いた銘々膳だった。さすがに電気は来ていたが、家にある電化製品は、電燈とアイロン、ラジオくらいだった。テレビも電話もまだなかった。冬の暖房器具は「火鉢」のみ。うちにもいたが、どの家でも牛を飼っていた。さながら江戸時代だが、違うのは、電気があって皆が洋服を来ていたこと…くらいか。当時は神戸市兵庫区だったが、電話もあれば電気・ガス・上下水道完備の市街地の生活環境とは格段の格差があった。若い人には想像もつかないだろうな。それでも、60年代前半から、生活は劇的に変化していった。
アシックス、ビオフェルミン、グローリー、西松屋。日本全土に浸透している企業だけど「東京から」と言われるとカチンと来る。何故か「ミヤリサン」だけは「兵庫から」だと思われている。
姫路生まれです。大阪府堺市で塾講師のアルバイトをした時に、「正解」 のつもりで「おーとう。おーとう。」と言ったところ生徒から「おおとう・・・桃?」と通じなくてびっくりしました。関西弁っていろいろあるんですね。
岸和田の地車と灘のけんか祭りにかき消されてしまう神戸・阪神間の地車祭り…
そろばんを広めるために、そろばんの特別授業があった。どうしてもそろばんを広めたいのか、そろばんは計算に使ったり、楽器としても使えると説明された。
給食で印象に残っているのはとくれんのオレンジゼリーとさかなっつハイ。
3月の風物詩、いかなごのくぎ煮を炊く時、家中の窓やドアを開け放っても家の中のありとあらゆるものがいかなごのくぎ煮の匂いで汚染される。
現在の西区、当時の垂水区在住だった母方の爺ちゃんは、「お腹が空いた」というと、「よっしゃ」と散弾銃を持ち出し、電線に止まっている雀を「ぽんぽんぽん」と撃ち落として、羽をむしって焼いて食わせてくれた。1960年代のことだ。川では鰻も獲れたし、毎年秋には、爺ちゃんの山で採れる松茸ばかり、毎日のように食わされたので、松茸が大嫌いだった。
神戸市民には聞こえない毎時間鳴る汽笛の音。市外の人はすぐ気付く
兵庫五国連邦のロゴの地図は、播磨の領土を摂津に侵犯されている。このような地図の間違いが影響しているのか、摂津人は西区や垂水区を摂津の範囲だと勘違いしている人が多い。
大阪では兵庫県人、神戸では大阪人と、自分を紹介する、尼崎人。
それにしても、漫画に尼崎、入れてくれてへんやんか。
どうせ、市外局番06、やし、尼だけ、独立国でええわい!
「宍粟市」を「穴栗市」と間違えられる
ちなみに 読みは「しそうし」
播磨だけど 少し神戸ナンバーが誇らしい
小学校でそろばんを作る
(播州の小野市はそろばん生産全国一位)
播州にはそろばん生産日本一の市があり
小さい子用のおもちゃにそろばん玉、
お守りとしてもミニそろばん、
果てには小野市には市役所前に巨大そろばんと
そろばん推しがすごい
どこ出身ですか?
「兵庫県」
どこ出身ですか?(神戸で聞いた場合)
「神戸」(ドヤァ顔)
「なんで淡路島が神戸ナンバーやねん。おかしいやろ。」と関西ではしょっちゅう言われるけど、東京では「八丈島と同じだろ。」と一言で片づけられてしまう。そんなに離れてないって・・・。
USJ以外のこの辺で遊園地と言ったら姫路セントラルパークか東条湖おもちゃ王国の二つが先に出る
子供の頃の男子の遊びといえば 「ちっく水雷」に決まってる。
三木市民はまだネスタリゾート神戸じゃなくてグリンピア三木と呼ぶ
母校が甲子園に出場した。
応援は現地集合・解散、だった。
神戸の「文学兵器」は、いずれもとてもメジャーで全国区なのだが、「漫画兵器」となると、佐々木マキ、伊藤重夫、西村しのぶ、木村紺、と、いきなりに「知る人ぞ知る」渋めのラインナップになる。
知らない人は、是非とも探して読んでみてください。いずれもとても「BE KOBE」な漫画です。
因みに、阪神出身の手塚治虫「アドルフに告ぐ」も、神戸漫画の傑作です。
警報発令区分が市町村単位になってからというもの、明石市には警報がなかなか出ない。お隣の神戸、加古川、播磨町に警報が発令されていても、明石市には出ないことが多い。学校は休校や始業時間が遅れることはほぼない…
神戸や阪神に「ミニスカ女子高生」がほぼ皆無なのは、この地域には歴史のある伝統的女子校が多くて、その制服にどこも「右へ倣え」してるから、だそうだ。
そのせいか、大阪や京都で、やたらに短いスカートの女子高生を見ると、なんだかやたらに田舎臭い、と感じてしまう…のは、偏見だろうか?
阪神:尼崎は昔大金を払って、大阪と一緒の市外局番「06」を選び、兵庫県人は、大阪空港を伊丹空港と呼びます。関西人は、関西弁を方言と言われて、違和感があるのに、但馬人は、但馬弁を方言と言われて、そうですよって納得。なんでかなぁ~。兵庫は不思議が一杯。
神戸市北区の教習所で免許を取った。
自分のころにはなかったが、かつては路上教習のコースに六甲山があって、教習中に崖からの転落事故数件、踏切で立ち往生して電車を止めた事故1件、という伝説があった。
免許取得後、片側2車線以上の道路で、どこを走っていいのか分からず、大いに戸惑った。
神戸の安くて美味しいパンに慣れていると、東京に行った時にパンが高くてびっくりする
今から35、6年前、播磨では、サッカーやバスケットボール、バレーボールはメジャーなスポーツではなかった。野球か剣道くらいしか選択肢はなく、私は親父が剣道を愛好していた縁もあり、剣道をやらされていた。その当時、スキーがスポーツの選択肢にある但馬に憧れたのは言うまでもない。
斜度30度までを坂道と思っていない。
以前、西宮の友達を自宅に案内しようと、ふつーに歩いていたら、どんどん遅れはじめ「しんどい!なんでそんなに坂道はよ歩けんの!」と言われた。
玉ねぎの苗は四国で買う。
昭和30年代前半、北区山田町の実家には、ガスはおろか水道もなかった。
飲み水や料理には井戸水を水がめに汲み、煮炊きは「おくどさん」とカンテキ。洗濯は川でしていた。
食事は、土間の台所の横手の板の間で、テーブルではなく、家族一人ずつの前に置いた銘々膳だった。
さすがに電気は来ていたが、家にある電化製品は、電燈とアイロン、ラジオくらいだった。テレビも電話もまだなかった。
冬の暖房器具は「火鉢」のみ。
うちにもいたが、どの家でも牛を飼っていた。
さながら江戸時代だが、違うのは、電気があって皆が洋服を来ていたこと…くらいか。
当時は神戸市兵庫区だったが、電話もあれば電気・ガス・上下水道完備の市街地の生活環境とは格段の格差があった。若い人には想像もつかないだろうな。
それでも、60年代前半から、生活は劇的に変化していった。
アシックス、ビオフェルミン、グローリー、西松屋。日本全土に浸透している企業だけど「東京から」と言われるとカチンと来る。何故か「ミヤリサン」だけは「兵庫から」だと思われている。
姫路生まれです。
大阪府堺市で塾講師のアルバイトをした時に、「正解」 のつもりで「おーとう。おーとう。」と言ったところ生徒から「おおとう・・・桃?」と通じなくてびっくりしました。
関西弁っていろいろあるんですね。
岸和田の地車と灘のけんか祭りにかき消されてしまう神戸・阪神間の地車祭り…
そろばんを広めるために、そろばんの特別授業があった。どうしてもそろばんを広めたいのか、そろばんは計算に使ったり、楽器としても使えると説明された。
給食で印象に残っているのはとくれんのオレンジゼリーとさかなっつハイ。
3月の風物詩、いかなごのくぎ煮を炊く時、家中の窓やドアを開け放っても家の中のありとあらゆるものがいかなごのくぎ煮の匂いで汚染される。
現在の西区、当時の垂水区在住だった母方の爺ちゃんは、「お腹が空いた」というと、「よっしゃ」と散弾銃を持ち出し、電線に止まっている雀を「ぽんぽんぽん」と撃ち落として、羽をむしって焼いて食わせてくれた。
1960年代のことだ。
川では鰻も獲れたし、毎年秋には、爺ちゃんの山で採れる松茸ばかり、毎日のように食わされたので、松茸が大嫌いだった。
神戸市民には聞こえない毎時間鳴る汽笛の音。市外の人はすぐ気付く