高校生の時、友達のことを、おまんと呼んでいたら周りからいやらしい目で見られた。
JRが国鉄だったころ、中学校の修学旅行は「団体専用列車」が組まれ、3~4校まとめて利用していた。
何年か前だが、“丹波篠山の奥座敷”籠坊温泉で食べた牡丹鍋、猪肉の食感が「ぷりぷり」としていて絶品だった。味噌と砂糖の味付けも絶妙だった。あれから、他でも牡丹鍋を食べる機会があったが、あれ以上のものには、未だ出会ったことがない。
神戸市北区は電波障害地域がところどころにあり、通常のアンテナだと新聞のテレビ欄とはまったく関係のない放送局の番組しかはいらない。感度のいいラジオだとダイヤル選局の途中で、半島の放送や、佐世保米軍基地のFEN(現AFN)の放送が入ってくる。ということでしかたなくケーブル配信のサービスを受けている。
おでん,ひねぽん、なんでも姫路名物と言うのはおかしい、播州名物ちゃーうんけー.
「神戸ノート」だが、自分の知る限り、少なくとも60年以上前から存在した。しかも、使用される写真は時代によって変遷しているが、基本デザインと科目別の「色」は、60年以上(70年以上、かも)にわたって、ずっと変わっていない。あのノートが「神戸限定」だというのは、中学生になって初めて知った。それまでは、全国どこでも、小学生はあのノートを使って…というか、全国どこでも地域ごとにノートがあるのだと思ってた。「ジャポニカ学習帳」の登場は1970年だそうだが、それ以前、神戸以外の小学生は、どんなノートを使っていたのか、是非訊いてみたいが、知っている方はおられるでしょうか?
こどもが中学生になると、学校が主催するスキー教室のため、県内のスキー場に泊りがけで参加する。スキーの楽しさを覚えると、翌シーズンは保護者がスキー場に連れていかなければならなくなる。でも、県内のスキー場の多くは、そんな家族スキーに向いていて、とてもありがたい。
コーベブックス、流泉書房、漢口堂書店、日東館書林、丸善、海文堂、宝文館、かつて学習参考書や学校指定図書、話題の本、ベストセラー図書などをさがしもとめるゴールデンルートでした。
雨がピリピリ降ってる。語尾「ちゃった」
神奈川県横浜市神奈川区神奈川は地名としてよくネタにされるけど、兵庫県神戸市兵庫区兵庫町もネタと思いきやちゃんと実在します。全く負けてへん!!神戸にだって元町も大倉山もちゃんとあるしな。
神戸から西宮に引っ越したが、車のナンバーは「神戸」のままだ。「阪神」ナンバーが欲しい、と思う今日この頃。もっと言えば、尼崎、西宮、伊丹、川西、宝塚、芦屋で合併して「阪神市」になったら、「おもろいな」と思うが、多分…じゃなくて絶対に実現はしないだろうな、とも思う。
丹波市民の私立高校受験先はほぼ京都府福知山市。
某民放番組(サンデージャポン)の宇垣美里アナウンサーの、特集のなかで、まどかマギカ扮する彼女が呟いた「しらんしー」で癒されたあなたは、間違いなく神戸っ子です。
尼崎は、私は神戸・阪神という、、神戸・阪神は尼崎は大阪という、、、、
本州を東(北)から西へ陸移動する際、必ず兵庫県を通らないとたどり着けない事を、兵庫県民は心の何処かで誇らしく思ったことがある。
播磨地方は台風が夜に通過しがち。学生達は明日が休校になる事を楽しみに寝るが、起きたら警報解除(笑)
姫路では南北で祭り文化が違う。バイパスより北側の地域で、祭りといえば”ゆかた祭り”。浴衣姿の彼女と金魚すくいです。南部では”祭り屋台”。まわし姿の男達と台場練りです。
ちょっと、そこの垂水区…播磨ですから。
大阪にとって東京が永遠のライバルであるように、神戸のライバルは、ずっと横浜だ。 が、近頃はやや押され気味……とは言え、海水浴場…は横浜にもあるのだが、「温泉」と「スキー場」は、横浜には「ない」ということで、溜飲を下げていた。翻って、「神奈川vs兵庫五国連邦」では、姫路=小田原、六甲山=箱根、湘南=須磨~明石、までは互角だが、神奈川には「丹波」「但馬」「淡路」がない、という点で圧勝。しかし、我が方には「鎌倉」がない、というのが、やや痛い失点なのだった。…というバトルを、東京時代、なにかにつけて、横浜出身者と茅ヶ崎出身者を相手に、繰り広げていたのだった。
「はーばータン!」と歌うとはばタンダンスの手拍子のところをやってくれる友達が多い
播磨では「余部」は「よべ」。但馬では「余部」は「あまるべ」。
出身は四国なのですが、神戸に引っ越して来て、女子高生のファミリアのレッスンバッグ率にびっくりしました。
姫路市周辺に住んでいる人は、「兵庫県の何処から来られましたか」と訪ねられると、躊躇しながら姫路(方面)からですと答えてしまう。
イノシシは友達と思っていたが、お尻を咬まれてからは赤の他人と思うようになった。
横浜に神奈川区があり、県名が「神奈川」なのは、神戸に兵庫区があって県名が「兵庫」なのと、実は同じ理由だったりする。摂津と播磨にまたがる神戸、そして武蔵と相模にまたがっている横浜、ふたつの港町は、その成り立ちから立地まで、実によく似ている。その昔、東京住まいの先輩(西宮出身)から、「東横線が阪急で、京急が阪神や」と教えられた。
播磨の中でも派閥が別れます。(西播磨、東播磨、北播磨)特に北播磨は東播磨と混同されることがよくあります。
溝の読み方を『みぞ』と習っても、俺たちの呼んでいる『みど』の事だと気がつくのに時間がかかった。
中学校の校外学習で電車の乗り方を学ぶ。
硬式野球の全国大会といえば、甲子園球場だが、軟式野球の全国大会も兵庫県内で行われてる。(ただし、明石公園野球場)
第2新明道路を知っている人は、一度は第1新明道路が何処にあるか気になったことがある。
高校生の時、友達のことを、おまんと呼んでいたら周りからいやらしい目で見られた。
JRが国鉄だったころ、中学校の修学旅行は「団体専用列車」が組まれ、3~4校まとめて利用していた。
何年か前だが、“丹波篠山の奥座敷”籠坊温泉で食べた牡丹鍋、猪肉の食感が「ぷりぷり」としていて絶品だった。
味噌と砂糖の味付けも絶妙だった。
あれから、他でも牡丹鍋を食べる機会があったが、あれ以上のものには、未だ出会ったことがない。
神戸市北区は電波障害地域がところどころにあり、通常のアンテナだと新聞のテレビ欄とはまったく関係のない放送局の番組しかはいらない。感度のいいラジオだとダイヤル選局の途中で、半島の放送や、佐世保米軍基地のFEN(現AFN)の放送が入ってくる。ということでしかたなくケーブル配信のサービスを受けている。
おでん,ひねぽん、なんでも姫路名物と言うのはおかしい、播州名物ちゃーうんけー.
「神戸ノート」だが、自分の知る限り、少なくとも60年以上前から存在した。
しかも、使用される写真は時代によって変遷しているが、基本デザインと科目別の「色」は、60年以上(70年以上、かも)にわたって、ずっと変わっていない。
あのノートが「神戸限定」だというのは、中学生になって初めて知った。
それまでは、全国どこでも、小学生はあのノートを使って…というか、全国どこでも地域ごとにノートがあるのだと思ってた。
「ジャポニカ学習帳」の登場は1970年だそうだが、それ以前、神戸以外の小学生は、どんなノートを使っていたのか、是非訊いてみたいが、知っている方はおられるでしょうか?
こどもが中学生になると、学校が主催するスキー教室のため、県内のスキー場に泊りがけで参加する。スキーの楽しさを覚えると、翌シーズンは保護者がスキー場に連れていかなければならなくなる。でも、県内のスキー場の多くは、そんな家族スキーに向いていて、とてもありがたい。
コーベブックス、流泉書房、漢口堂書店、日東館書林、丸善、海文堂、宝文館、かつて学習参考書や学校指定図書、話題の本、ベストセラー図書などをさがしもとめるゴールデンルートでした。
雨がピリピリ降ってる。
語尾「ちゃった」
神奈川県横浜市神奈川区神奈川は地名としてよくネタにされるけど、兵庫県神戸市兵庫区兵庫町もネタと思いきやちゃんと実在します。全く負けてへん!!神戸にだって元町も大倉山もちゃんとあるしな。
神戸から西宮に引っ越したが、車のナンバーは「神戸」のままだ。
「阪神」ナンバーが欲しい、と思う今日この頃。
もっと言えば、尼崎、西宮、伊丹、川西、宝塚、芦屋で合併して「阪神市」になったら、「おもろいな」と思うが、多分…じゃなくて絶対に実現はしないだろうな、とも思う。
丹波市民の私立高校受験先はほぼ京都府福知山市。
某民放番組(サンデージャポン)の宇垣美里アナウンサーの、特集のなかで、まどかマギカ扮する彼女が呟いた
「しらんしー」で癒されたあなたは、
間違いなく神戸っ子です。
尼崎は、私は神戸・阪神という、、神戸・阪神は尼崎は大阪という、、、、
本州を東(北)から西へ陸移動する際、必ず兵庫県を通らないとたどり着けない事を、兵庫県民は心の何処かで誇らしく思ったことがある。
播磨地方は台風が夜に通過しがち。
学生達は明日が休校になる事を楽しみに寝るが、起きたら警報解除(笑)
姫路では南北で祭り文化が違う。
バイパスより北側の地域で、祭りといえば”ゆかた祭り”。浴衣姿の彼女と金魚すくいです。
南部では”祭り屋台”。まわし姿の男達と台場練りです。
ちょっと、そこの垂水区…
播磨ですから。
大阪にとって東京が永遠のライバルであるように、神戸のライバルは、ずっと横浜だ。
が、近頃はやや押され気味……とは言え、海水浴場…は横浜にもあるのだが、「温泉」と「スキー場」は、横浜には「ない」ということで、溜飲を下げていた。
翻って、「神奈川vs兵庫五国連邦」では、姫路=小田原、六甲山=箱根、湘南=須磨~明石、までは互角だが、神奈川には「丹波」「但馬」「淡路」がない、という点で圧勝。
しかし、我が方には「鎌倉」がない、というのが、やや痛い失点なのだった。
…というバトルを、東京時代、なにかにつけて、横浜出身者と茅ヶ崎出身者を相手に、繰り広げていたのだった。
「はーばータン!」と歌うとはばタンダンスの手拍子のところをやってくれる友達が多い
播磨では「余部」は「よべ」。但馬では「余部」は「あまるべ」。
出身は四国なのですが、神戸に引っ越して来て、女子高生のファミリアのレッスンバッグ率にびっくりしました。
姫路市周辺に住んでいる人は、「兵庫県の何処から来られましたか」と訪ねられると、躊躇しながら姫路(方面)からですと答えてしまう。
イノシシは友達と思っていたが、お尻を咬まれてからは赤の他人と思うようになった。
横浜に神奈川区があり、県名が「神奈川」なのは、神戸に兵庫区があって県名が「兵庫」なのと、実は同じ理由だったりする。
摂津と播磨にまたがる神戸、そして武蔵と相模にまたがっている横浜、ふたつの港町は、その成り立ちから立地まで、実によく似ている。
その昔、東京住まいの先輩(西宮出身)から、「東横線が阪急で、京急が阪神や」と教えられた。
播磨の中でも派閥が別れます。(西播磨、東播磨、北
播磨)
特に北播磨は東播磨と混同されることがよくあります。
溝の読み方を『みぞ』と習っても、俺たちの呼んでいる『みど』の事だと気がつくのに時間がかかった。
中学校の校外学習で電車の乗り方を学ぶ。
硬式野球の全国大会といえば、甲子園球場だが、
軟式野球の全国大会も兵庫県内で行われてる。(ただし、明石公園野球場)
第2新明道路を知っている人は、一度は第1新明道路が何処にあるか気になったことがある。