東京の大学に進学した息子が友人と過ごしていた時、ほぼ東京人の中でトランプゲームをしていた時のこと 息子「ごめん、ちょっとトイレいってくる。その間にトランプ、くっとって」 それを聞いた友人一同から「えっ?」「食う?」「ふじいあきらか?」の嵐に会ったそう
東京なんかで全国の人が集まって、自己紹介をする時、神戸市の人は兵庫県を入れない。
大学で神戸の方にいってて、雨降り始めたときに 「なんかピリピリしてきたなあ」って言ったら友達に 「え?酸性雨?」って言われました
尼崎小田高校出身ですが、小田校体操ありましたよ
JR須磨駅の、砂浜(海水浴場)とホームの面一(つらいち)感が衝撃的。
東京で会社員だったころ、神戸出張のお土産選びに苦労した。たいていのものは、東京でも売ってるから。 で、選択したのがフロインドリーブのクッキー詰め合わせ。これは、神戸にしかなくて、女子社員にとても好評でした。
但馬の初秋の果物といえば、お隣の鳥取県と同じく二十世紀梨。 山陰本線の城崎温泉~米子間のラインカラーも二十世紀梨の色になっている。
武田尾温泉は、宝塚と三田のちょうど真ん中…なのだが、その「秘境感」は、半端ない。 電車じゃなくて車でアクセスすると、秘境感は、さらに増す。 結構な時間をかけて狭い山道を辿り、物凄い山奥まで来た…と思ったら、普通に電車なんかも通ってて、愕然とする人も、ある…らしい。
神戸、阪神間では基本、坂を上がれば北でその先には当然山があり、東西方向の坂を上がればその先には当然のように川がある。(天井川が多いため)
但馬では車移動がほとんど。10分走れば10㎞ぐらいと予想しながら走ります。 神戸、阪神に行くとがんばって走ってもちょっとしか進んでません。走行距離をみて、まだご近所にいくぐらいしか進んでないことに愕然とします。
「阪急仁川駅の西北側で待ってて」というから下りホーム(西側にある)の一番北端で待ってたら来ない。「西北側」というのは「西宮北口駅側」、つまり南側という意味だった。
神戸人は元町、森谷のコロッケに行列がないと見ると、今日はなんてラッキーなんだと、コロッケが食べたくなくても買ってしまう。
神戸では『南北』を『海側、山側』と言うことがあるのはすでにのネタですが、私は『下、上』で表現することがあります。地図上で北が上だからという意味ではなく、北(山側)が高いところ、つまり上にあるからです。
淡の文字は「だん」とも読む。 南あわじには西淡町と南淡町の名残りがある。 淡路市には北淡もあるが、東淡は聞いたことがない。
どなたかが触れられてましたが、神戸・阪神の女子校には、いわゆる伝統校が多く、他の学校も制服はこれら伝統校に「右へ倣え」するもんで、兵庫県、ことに神戸阪神は、女子高生の「ミニスカ率」が日本一低いんだそうです。
小さい子供のころ”灘””白浜”と聞くと神戸の灘や和歌山の白浜を知らなくて全て姫路の白浜と灘と勘違いしてニュースを見ていた。
播州弁で相手を指すときに「自分」と言うから、播州弁使わない地域で「自分、何しとん?」と言うと笑われるか訝しげな顔をされる。
神戸にあるけど「明石海峡大橋」 淡路でも獲れるけど「明石だこ」 地元で玉子焼きって呼んでるのに「明石焼き」 どれだけ北を通っていても「子午線のまち 明石」
日本で唯一の市立高専である神戸市立高専がある。ほとんど認知されていないが。更に言えば播磨の明石高専は日本一学力の高い高専なので埋もれがち。
市バスがほぼないので、バスの「運賃一律○○○円」の意味がわからない子供が多い。
昔大阪の友達と喋ってると 〜知っとう?って言うと神戸の人やなと言われた。
但馬人は谷の入り口方向を下(しも)、谷の奥方向を上(かみ)と呼ぶ。
但馬の山奥へ遊びに行った時、山菜料理のお店のご夫婦に「播磨は冬でも明るくて温暖で良いですね」と言われた。 別の年に丹波で丹波大納言のお店に行ったら「播磨は冬でも明るくて温暖で良いですね」と言われた。初めて自分はええとこに住んでると気がついた。でも丹波も但馬も美味しい物いっぱいや!
土葬のための穴を掘った男たちが墓から帰ってくると、酒と御馳走で手厚くもてなすのが慣例だった。 その年の初盆には、仏間の鴨居に檜の葉で神棚のような「家」を設えて、霊が帰ってくる場所を作ったのでした。 けっこう大きくて、犬小屋くらいの大きさでした。
北区山田町の実家で祖父が亡くなったのは、1966年。棺は、親族の男たちの手で山の上の共同墓地まで約30分かけて運び上げられ、土葬にふされた。 棺を納める穴、縦横およそ2m×1m、深さ2mほどの四角い穴は、村の有志の手で、前日に掘られていた。 ここは、1970年代末まで土葬だった。
東京にいたころ、月に一度、神戸への出張があった。 ある時、神戸のホテルに着いてテレビをつけると、甲子園の高校野球を中継してて、同行してた同僚が、イニングの合間に入るCMに「なに、これ?」と驚愕の表情。 関東人の彼には、民放の甲子園中継は初体験で、とても刺激的だったみたいです。
丹波立杭焼は、日本六古窯の一つで日本遺産にも認定されており、毎年10月の丹波焼陶器まつりには、臨時バスも運行され、丹波篠山市の人口の3倍もの人が集まる大人気イベントになっている。
1980年代末に、14年ぶりで神戸へ帰ってきた。 コープの店頭で「神戸ノート」が、自分が小学生時代に使っていたのと同じデザインで売られているのを見て、「まだあったんだ…」と驚愕した。 今もなお、神戸の小学生にはこのノートが定番。神戸ノートは、神戸の文化遺産に認定すべき、と思う。
神戸のぜいたくとは? お洒落なパン屋さんで本場顔負けのフランスパンなんかを買った後 昔ながらの市場の魚屋さんで、垂水あたりで上がった新鮮なイワシを買うこと。
神戸を離れて東京で暮らしたことのある人なら、わかってくれますよね。 じつは海が見えないことよりも、山が見えないことのほうが精神的にキツいんです。 山が遠い関東平野では、ほんま自分がどこおるんかわからん…
東京の大学に進学した息子が友人と過ごしていた時、ほぼ東京人の中でトランプゲームをしていた時のこと
息子「ごめん、ちょっとトイレいってくる。その間にトランプ、くっとって」
それを聞いた友人一同から「えっ?」「食う?」「ふじいあきらか?」の嵐に会ったそう
東京なんかで全国の人が集まって、自己紹介をする時、神戸市の人は兵庫県を入れない。
大学で神戸の方にいってて、雨降り始めたときに
「なんかピリピリしてきたなあ」って言ったら友達に
「え?酸性雨?」って言われました
尼崎小田高校出身ですが、小田校体操ありましたよ
JR須磨駅の、砂浜(海水浴場)とホームの面一(つらいち)感が衝撃的。
東京で会社員だったころ、神戸出張のお土産選びに苦労した。たいていのものは、東京でも売ってるから。
で、選択したのがフロインドリーブのクッキー詰め合わせ。これは、神戸にしかなくて、女子社員にとても好評でした。
但馬の初秋の果物といえば、お隣の鳥取県と同じく二十世紀梨。
山陰本線の城崎温泉~米子間のラインカラーも二十世紀梨の色になっている。
武田尾温泉は、宝塚と三田のちょうど真ん中…なのだが、その「秘境感」は、半端ない。
電車じゃなくて車でアクセスすると、秘境感は、さらに増す。
結構な時間をかけて狭い山道を辿り、物凄い山奥まで来た…と思ったら、普通に電車なんかも通ってて、愕然とする人も、ある…らしい。
神戸、阪神間では基本、坂を上がれば北でその先には当然山があり、東西方向の坂を上がればその先には当然のように川がある。(天井川が多いため)
但馬では車移動がほとんど。10分走れば10㎞ぐらいと予想しながら走ります。
神戸、阪神に行くとがんばって走ってもちょっとしか進んでません。走行距離をみて、まだご近所にいくぐらいしか進んでないことに愕然とします。
「阪急仁川駅の西北側で待ってて」というから下りホーム(西側にある)の一番北端で待ってたら来ない。「西北側」というのは「西宮北口駅側」、つまり南側という意味だった。
神戸人は元町、森谷のコロッケに行列がないと見ると、今日はなんてラッキーなんだと、コロッケが食べたくなくても買ってしまう。
神戸では『南北』を『海側、山側』と言うことがあるのはすでにのネタですが、私は『下、上』で表現することがあります。地図上で北が上だからという意味ではなく、北(山側)が高いところ、つまり上にあるからです。
淡の文字は「だん」とも読む。
南あわじには西淡町と南淡町の名残りがある。
淡路市には北淡もあるが、東淡は聞いたことがない。
どなたかが触れられてましたが、神戸・阪神の女子校には、いわゆる伝統校が多く、他の学校も制服はこれら伝統校に「右へ倣え」するもんで、兵庫県、ことに神戸阪神は、女子高生の「ミニスカ率」が日本一低いんだそうです。
小さい子供のころ”灘””白浜”と聞くと神戸の灘や和歌山の白浜を知らなくて全て姫路の白浜と灘と勘違いしてニュースを見ていた。
播州弁で相手を指すときに「自分」と言うから、播州弁使わない地域で「自分、何しとん?」と言うと笑われるか訝しげな顔をされる。
神戸にあるけど「明石海峡大橋」
淡路でも獲れるけど「明石だこ」
地元で玉子焼きって呼んでるのに「明石焼き」
どれだけ北を通っていても「子午線のまち 明石」
日本で唯一の市立高専である神戸市立高専がある。ほとんど認知されていないが。更に言えば播磨の明石高専は日本一学力の高い高専なので埋もれがち。
市バスがほぼないので、バスの「運賃一律○○○円」の意味がわからない子供が多い。
昔大阪の友達と喋ってると 〜知っとう?って言うと神戸の人やなと言われた。
但馬人は谷の入り口方向を下(しも)、谷の奥方向を上(かみ)と呼ぶ。
但馬の山奥へ遊びに行った時、山菜料理のお店のご夫婦に「播磨は冬でも明るくて温暖で良いですね」と言われた。
別の年に丹波で丹波大納言のお店に行ったら「播磨は冬でも明るくて温暖で良いですね」と言われた。初めて自分はええとこに住んでると気がついた。でも丹波も但馬も美味しい物いっぱいや!
土葬のための穴を掘った男たちが墓から帰ってくると、酒と御馳走で手厚くもてなすのが慣例だった。
その年の初盆には、仏間の鴨居に檜の葉で神棚のような「家」を設えて、霊が帰ってくる場所を作ったのでした。
けっこう大きくて、犬小屋くらいの大きさでした。
北区山田町の実家で祖父が亡くなったのは、1966年。棺は、親族の男たちの手で山の上の共同墓地まで約30分かけて運び上げられ、土葬にふされた。
棺を納める穴、縦横およそ2m×1m、深さ2mほどの四角い穴は、村の有志の手で、前日に掘られていた。
ここは、1970年代末まで土葬だった。
東京にいたころ、月に一度、神戸への出張があった。
ある時、神戸のホテルに着いてテレビをつけると、甲子園の高校野球を中継してて、同行してた同僚が、イニングの合間に入るCMに「なに、これ?」と驚愕の表情。
関東人の彼には、民放の甲子園中継は初体験で、とても刺激的だったみたいです。
丹波立杭焼は、日本六古窯の一つで日本遺産にも認定されており、毎年10月の丹波焼陶器まつりには、臨時バスも運行され、丹波篠山市の人口の3倍もの人が集まる大人気イベントになっている。
1980年代末に、14年ぶりで神戸へ帰ってきた。
コープの店頭で「神戸ノート」が、自分が小学生時代に使っていたのと同じデザインで売られているのを見て、「まだあったんだ…」と驚愕した。
今もなお、神戸の小学生にはこのノートが定番。神戸ノートは、神戸の文化遺産に認定すべき、と思う。
神戸のぜいたくとは?
お洒落なパン屋さんで本場顔負けのフランスパンなんかを買った後
昔ながらの市場の魚屋さんで、垂水あたりで上がった新鮮なイワシを買うこと。
神戸を離れて東京で暮らしたことのある人なら、わかってくれますよね。
じつは海が見えないことよりも、山が見えないことのほうが精神的にキツいんです。
山が遠い関東平野では、ほんま自分がどこおるんかわからん…