県公式・兵庫五国連邦プロジェクト

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なくなったものあるあるとは?

【ないある探検隊#3】ハチ北のマクドなるほド編

#ないないあるあるの投稿の中から特に気になるネタを取材する「ないある探検隊」。
今回は「ハチ北のマクドなるほド」に迫ります。
詳細はこちら>>>

【ないある探検隊#2】三宮のサソリと富士山・完結編!!!

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョンの完結編!!!
三宮駅近くにあったとされる【巨大な富士山の看板】と【サソリの看板】。。。
ついにその全貌が明かされる!!そして、想像もしなかった意外な事実も!!!

【ないある探検隊#1】三宮のサソリと富士山

今はないけどたしかにあった・・・そんな、私たちが覚えておきたい場所やモノを、みんなで語り合う投稿型コンテンツ、兵庫県U5H<なくなったものあるある>。
今回は、その特別取材バージョン!兵庫県広報官をインタビュアーに、数ある投稿の中から特に気になるネタを徹底取材!

※動画内の効果音(フィルム)・・・OtoLogic提供
※写真提供・・・石津事務所

なくなったものあるある、新着エピソード 45/101

洋食「いくた」
Fernwehさん

高校の2年先輩の実家でした。大人になってから先輩も時々店に出ていました。お手軽においしい洋食を食べることができて大好きでした。

市電が立ち往生したのは交差する箇所の架線に電気が流れていなかったからです。どちらも直流ですが電圧が市電が600V、山陽電車が1500Vだったので交差部分だけ無電区間を設けていました。

(続き)電車は惰力でここを通り過ぎるわけですが、運悪く直前を自動車などが横切ったりするとブレーキをかけねばならず、一旦止まったが最後、モーターに通電できなくなるので動けなくなってしまいます。山陽電車は2両以上なので必ず電気が流れている部分にもパンタがあって、再起動できました。

一階はスリランカの雑貨を売ってて、2階が小さな食堂。ここで食べるセイロンカレーもミルクティーもジンジャーケーキも忘れられない美味しさでした。もう一度食べたい

市電は東は石屋川から西は須磨まで走っていましたが、三宮の国際会館前で元町に向かう路線から分かれてそのまままっすぐ海岸方法に下りて行く、税関線という路線がありました。

終点の税関前は東遊園地の横、回転レストランで有名なニューポートホテルの前にありましたが非常に閑散な路線でした。

昔、東京に住んでいた頃、「神戸からの手紙」という名の雑誌を渋谷の書店で見つけて、こんな雑誌があるんや?しかも全国発売? と妙に嬉しかった。
中身は女性ファッション誌だったが、これが後に「SAVVY」になって、今は「ミーツリージョナル」だ、てことは、後に知った。

明石港の播淡汽船乗り場前にあった料理屋「明石屋」。
先日通りかかったら、播淡汽船も明石屋もなくなっていた。
今のジェノバラインってのが、かつての播淡汽船?
蛸の活き造りの定食もあった明石屋は、他所から来た人を連れて行くと喜ばれた。
あの生蛸の活き造り、どこかで引き継いでる?

元町、鯉川筋寄りの方にあった「時雨茶屋」はいつなくなったんでしょうか。2階に上がる美味しいうどん屋さんで、セットについたバッテラも美味しかった記憶。祖母と叔母とよく行きました。震災で神戸を離れましたが、帰省してはあったもんがなくなって寂しいです。

明石(二見)と、それから尼崎にあったカルフール
コ・ス・ト・コ じゃないさん

明石の二見にありました。それから尼崎にも

明石のカルフールは、その前はダイエー系のハイパーマートで、最後はイオンタウンとなり閉店しました。

カルフール時代は、インラインスケートを履いた店員さんが店内を走っていて、新しいサービス・スタイルを感じました。

関西汽船と加藤汽船
たろからさん

高校の修学旅行は1972年。中突堤を朝に出て夕方別府着の関西汽船。
九州半周四泊五日の後、帰りは別府発の夜便で、翌朝神戸着だった。
大学生のとき、やはり中突堤から加藤汽船で小豆島へひと夏のアルバイトに。
いずれもフェリーではなくて、かなり大型の「客船」だったのが、懐かしいですね。