数年に一度くらいは、神戸・阪神エリアから頑張って兵庫県の北の方に向かってみるものの、行けども行けども目的地に着かない。ついに出てくる感想は「日本列島って分厚いんだね・・・」。
生れてはじめて、「きれーな人やなあ」と見とれたのは、元町を歩いていたインド人のお姉さんだった。
神戸には、日本語(神戸弁)しかしゃべれない欧米系「ガイジン」が、今も多い。「観光客からいきなり英語でしゃべりかけられて、往生すんねン」らしい。
神戸港は、明治時代、播磨の莫大な税金と但馬の絹の売上金のおかげで、寒村の神戸から発展を遂げたことを神戸の方々は知らない。
かつて、神戸ー芦屋ー西宮ー尼崎ー大阪は、路面電車で直通でつながっていた。1975年まで、だが。国道線はともかく、甲子園球場のすぐ脇を走っていた甲子園線は、今もあったら「便利やのにな」と思う。
神戸の小中学校は上履きは無いので、靴箱はありません履いて行った靴で過ごします教室は油引きした木の板ばりなので、年に何回だったか油引きの日があり、独特の匂いが懐かしいです
イカナゴは須磨、垂水の無二名物!と信じていたが、播州に通勤した1年目の3月、イカナゴ解禁のポスターが山電の駅に掲示されていて、須磨=神戸っ子っと言う自負にヒビが入った一瞬だったΣ(゚д゚lll)。
かつて、神戸市東灘区は周辺もあわして甲南市を作る予定だったことを地元市民に語り継がれてる。
そこそこ知名度が上がってきた、牛スジ肉とこんにゃくの醤油煮込みの「ぼっかけ」の名称について、意外と地元民は「ぼっかけ」という名称をあまり使わず、「スジの炊いたん」とかただ単に「スジ」と言う。「ぼっかけ」という呼称の歴史は意外と浅いと思う(神戸市長田区生まれのおっさんより)。
神戸の場合、爆買いとかが流行る前から中国人や韓国人は街中に普通にいる。普通にたくさんいすぎて神戸と外国、となるとイメージは露骨にヨーロッパと外部にはおもわれている。なんか、釈然としない。
春から但馬を出て大阪、神戸方面の学校に行った友達が夏の帰省時には関西弁になっている。今年の夏頃にも、但馬各地で関西弁ラッシュが予想されるでしょう。
数年に一度くらいは、神戸・阪神エリアから頑張って兵庫県の北の方に向かってみるものの、行けども行けども目的地に着かない。ついに出てくる感想は「日本列島って分厚いんだね・・・」。
生れてはじめて、「きれーな人やなあ」と見とれたのは、元町を歩いていたインド人のお姉さんだった。
神戸には、日本語(神戸弁)しかしゃべれない欧米系「ガイジン」が、今も多い。
「観光客からいきなり英語でしゃべりかけられて、往生すんねン」らしい。
神戸港は、明治時代、播磨の莫大な税金と但馬の絹の売上金のおかげで、寒村の神戸から発展を遂げたことを神戸の方々は知らない。
かつて、神戸ー芦屋ー西宮ー尼崎ー大阪は、路面電車で直通でつながっていた。
1975年まで、だが。
国道線はともかく、甲子園球場のすぐ脇を走っていた甲子園線は、今もあったら「便利やのにな」と思う。
神戸の小中学校は上履きは無いので、靴箱はありません
履いて行った靴で過ごします
教室は油引きした木の板ばりなので、年に何回だったか油引きの日があり、独特の匂いが懐かしいです
イカナゴは須磨、垂水の無二名物!と信じていたが、播州に通勤した1年目の3月、イカナゴ解禁のポスターが山電の駅に掲示されていて、須磨=神戸っ子っと言う自負にヒビが入った一瞬だったΣ(゚д゚lll)。
かつて、神戸市東灘区は周辺もあわして甲南市を作る予定だったことを地元市民に語り継がれてる。
そこそこ知名度が上がってきた、牛スジ肉とこんにゃくの醤油煮込みの「ぼっかけ」の名称について、意外と地元民は「ぼっかけ」という名称をあまり使わず、「スジの炊いたん」とかただ単に「スジ」と言う。「ぼっかけ」という呼称の歴史は意外と浅いと思う(神戸市長田区生まれのおっさんより)。
神戸の場合、爆買いとかが流行る前から中国人や韓国人は街中に普通にいる。
普通にたくさんいすぎて神戸と外国、となるとイメージは露骨にヨーロッパと外部にはおもわれている。
なんか、釈然としない。
春から但馬を出て大阪、神戸方面の学校に行った友達が夏の帰省時には関西弁になっている。
今年の夏頃にも、但馬各地で関西弁ラッシュが予想されるでしょう。