「兵庫の上って何があるん?」 「山とか農地とか漁港とか?」 みたいな扱いを他県の人から受けがちです。 いろいろ!!あるわい!!!! あと「暑かったり寒かったりするところやろ?」ともたまに言われます。 もっとあるやろがい!! そして色々話すと「コウノトリ ?何それ?」とも。 うう…
テレビを見ている時 「兵庫で今話題の〇〇!!」 うちには関係ないな……
「兵庫にも新しい店舗が出来ます!」 うちには関係ないな……
「次回の〇〇は兵庫が舞台に!」 うちには関係ないかな……
「ところにより激しい雨や落雷に注意してください」 うちだな……
毎年 冬になると スタットレスを付けるかどうか悩んで結局付けるが、スタットレス無しでも過ごせてしまう積雪量。
べっちょないはそんなに言わない
阪神タイガースの「阪神」は、阪神「電鉄」ではなく阪神「地域」のことだ、と思っている。 球団名のロゴマークとペットマーク、それに球場もまた、創設以来80年以上、ずっと同じものを使い続けているというのは、自慢していい。 ロゴも虎マークも戦前のデザインなのに、全然古びてない。
イカナゴが解禁されると色んな家からいい匂いがするようになる
播磨のJRには快速など存在しない。
西宮から来た友達が、姫路を案内してると神姫バスを指さして「あの赤とオレンジのバス何?」と聞いて来た。
三田市民は三田牛食べたことない。
雪や大雨で出社が遅れた際、「三田市」と言うだけで許してくれる。(宝塚駅以北はJRが運休・遅延しやすいため)
旅先で「猪名川町」ってどこにあるの?と聞かれたら「宝塚」の横と答える。
北播磨あるある 「おでんの上におでんがある」とおばあちゃんが言う。 私は、「御膳の上に、おでんがある」と自動変換する。
阪急電車で音楽学校の生徒さんを見かけると、必ず、心の中で「頑張って」って応援してしまう。
自然は豊か。街はお洒落。お菓子も美味しい。もっと寒い都市もある。
なのに何故、兵庫のチベット、関西のシベリアと言われるのだろう。
三田市の呟き
芦屋生まれ、芦屋育ちの私は阪神電車につっかけ(草履)で父と乗車し、二人でド派手なハッピを着て両手に黄色のメガホン持ち、甲子園球場に毎週、阪神タイガースの応援に行ってました。宝塚に嫁に来て30年。いまだに阪急電車につっかけで乗車する勇気がありません。
宝塚市内でタカラジェンヌが歩いているのを見つけると地方から来た観光客は大騒ぎですが地元宝塚市民は落ち着いています。その理由は①日頃から見慣れている②友だち家族知り合いにタカラジェンヌがいるので珍しくない③宝塚歌劇団のスターでも騒がずそっとしてあげたいからです。
なんやかんやで宝塚歌劇の町。宝塚は阪神競馬場、手塚治虫記念館、中山寺など観光名所あるけど、全国区の宝塚歌劇団の煌びやかさに埋もれてしまう。
宝塚市在住者は、旅行先でどこから来たかを問われると、「兵庫県」ではなく「宝塚」と言いがち。(きらびやかなイメージをアピールしたい)
神戸市北区で「かまくら」を作ったことがあるのが、密かな自慢。 昭和40年代には、年に二、三度は、20~30センチ超の積雪があった。 朝起きて玄関を開けると、屋根から落ちた雪が、白い壁になって立ちふさがっていた。
飛行機乗ったら昆陽池探して、日本!日本列島って言うのは伊丹市民
神戸にはマンモス校が多数存在しており、西区にはプレハブを建てすぎて校庭が狭くなり、クラス毎に使用出来る時間が決められている学校もある。 更には1学年10クラスもある中学校も存在しており、校歌を歌えば街中に響き渡るという。
舞子〜学園都市のバスはとにかく揺れる。何も分からず乗ると信じられないくらい酔う可能性があるので注意が必要であり、古い車両が来ない事を祈るしかない。
神戸は役所を転々と移転しがち。市役所も新開地から三宮に移転しており、最近では今年12月に西区役所が10キロほど移動するらしい。他地域からは考えられないレベルの移転も、さすが神戸さんである。
播磨の一部には神戸の北の淡河川から御坂サイフォン等を経由して流れてくる淡河川水系がある。元々水の少なかった地域に水路を通したらしいので、もしかしたら「淡河川の水止めるぞ」という滋賀県の様なおどし方も出来る?
神戸市営地下鉄には三木方面と西明石方面への延伸計画があった。だが、実現には至らず、今日に至っている。西神中央駅にある線路の無い乗り場や、神出にある「神出に地下鉄を!」の看板はその名残り?
小学校。 「体操の隊形にひらけ!」 「ヤー!!!」
播磨のソウルフード御座候。御座候の餡子は回転焼きなどとは異なり、赤は粒あんだが、白は白あんではなく手ぼうあんなのだ!なので他の地域で「白ください」って頼むと白あんが出てきてちょっと残念。
昭和40年代、鈴蘭台地区は人口が急増したが、小学校は小部小学校1校だけ。児童数の急激な増加に対して、校庭にプレハブ校舎を建てて凌いでいた。 同じころ急速に宅地開発された山の街には、まだ小学校がなくて、当時ここへ越してきたという知人は、電車で谷上小学校へ通っていたそうだ。
朝から学校じゃない勉強に行く格好して電車に乗ってる小学生 「お、べつべんか」と思ったけど、神戸エリアしか言わんかな。 こちらお江戸です(笑)
宝塚音楽学校の生徒やタカラジェンヌを街中や電車内で見る事が珍しくなく、一目で分かる。
「兵庫の上って何があるん?」
「山とか農地とか漁港とか?」
みたいな扱いを他県の人から受けがちです。
いろいろ!!あるわい!!!!
あと「暑かったり寒かったりするところやろ?」ともたまに言われます。
もっとあるやろがい!!
そして色々話すと「コウノトリ ?何それ?」とも。
うう…
テレビを見ている時
「兵庫で今話題の〇〇!!」
うちには関係ないな……
「兵庫にも新しい店舗が出来ます!」
うちには関係ないな……
「次回の〇〇は兵庫が舞台に!」
うちには関係ないかな……
「ところにより激しい雨や落雷に注意してください」
うちだな……
毎年 冬になると スタットレスを付けるかどうか悩んで結局付けるが、スタットレス無しでも過ごせてしまう積雪量。
べっちょないはそんなに言わない
阪神タイガースの「阪神」は、阪神「電鉄」ではなく阪神「地域」のことだ、と思っている。
球団名のロゴマークとペットマーク、それに球場もまた、創設以来80年以上、ずっと同じものを使い続けているというのは、自慢していい。
ロゴも虎マークも戦前のデザインなのに、全然古びてない。
イカナゴが解禁されると色んな家からいい匂いがするようになる
播磨のJRには快速など存在しない。
西宮から来た友達が、姫路を案内してると神姫バスを指さして「あの赤とオレンジのバス何?」と聞いて来た。
三田市民は三田牛食べたことない。
雪や大雨で出社が遅れた際、「三田市」と言うだけで許してくれる。(宝塚駅以北はJRが運休・遅延しやすいため)
旅先で「猪名川町」ってどこにあるの?と聞かれたら「宝塚」の横と答える。
北播磨あるある
「おでんの上におでんがある」とおばあちゃんが言う。
私は、「御膳の上に、おでんがある」と自動変換する。
阪急電車で音楽学校の生徒さんを見かけると、必ず、心の中で「頑張って」って応援してしまう。
自然は豊か。街はお洒落。お菓子も美味しい。もっと寒い都市もある。
なのに何故、兵庫のチベット、関西のシベリアと言われるのだろう。
三田市の呟き
芦屋生まれ、芦屋育ちの私は阪神電車につっかけ(草履)で父と乗車し、二人でド派手なハッピを着て両手に黄色のメガホン持ち、甲子園球場に毎週、阪神タイガースの応援に行ってました。宝塚に嫁に来て30年。いまだに阪急電車につっかけで乗車する勇気がありません。
宝塚市内でタカラジェンヌが歩いているのを見つけると地方から来た観光客は大騒ぎですが地元宝塚市民は落ち着いています。その理由は①日頃から見慣れている②友だち家族知り合いにタカラジェンヌがいるので珍しくない③宝塚歌劇団のスターでも騒がずそっとしてあげたいからです。
なんやかんやで宝塚歌劇の町。宝塚は阪神競馬場、手塚治虫記念館、中山寺など観光名所あるけど、全国区の宝塚歌劇団の煌びやかさに埋もれてしまう。
宝塚市在住者は、旅行先でどこから来たかを問われると、「兵庫県」ではなく「宝塚」と言いがち。(きらびやかなイメージをアピールしたい)
神戸市北区で「かまくら」を作ったことがあるのが、密かな自慢。
昭和40年代には、年に二、三度は、20~30センチ超の積雪があった。
朝起きて玄関を開けると、屋根から落ちた雪が、白い壁になって立ちふさがっていた。
飛行機乗ったら昆陽池探して、日本!日本列島って言うのは伊丹市民
神戸にはマンモス校が多数存在しており、西区にはプレハブを建てすぎて校庭が狭くなり、クラス毎に使用出来る時間が決められている学校もある。
更には1学年10クラスもある中学校も存在しており、校歌を歌えば街中に響き渡るという。
舞子〜学園都市のバスはとにかく揺れる。何も分からず乗ると信じられないくらい酔う可能性があるので注意が必要であり、古い車両が来ない事を祈るしかない。
神戸は役所を転々と移転しがち。市役所も新開地から三宮に移転しており、最近では今年12月に西区役所が10キロほど移動するらしい。他地域からは考えられないレベルの移転も、さすが神戸さんである。
播磨の一部には神戸の北の淡河川から御坂サイフォン等を経由して流れてくる淡河川水系がある。元々水の少なかった地域に水路を通したらしいので、もしかしたら「淡河川の水止めるぞ」という滋賀県の様なおどし方も出来る?
神戸市営地下鉄には三木方面と西明石方面への延伸計画があった。だが、実現には至らず、今日に至っている。西神中央駅にある線路の無い乗り場や、神出にある「神出に地下鉄を!」の看板はその名残り?
小学校。
「体操の隊形にひらけ!」
「ヤー!!!」
播磨のソウルフード御座候。御座候の餡子は回転焼きなどとは異なり、赤は粒あんだが、白は白あんではなく手ぼうあんなのだ!なので他の地域で「白ください」って頼むと白あんが出てきてちょっと残念。
昭和40年代、鈴蘭台地区は人口が急増したが、小学校は小部小学校1校だけ。児童数の急激な増加に対して、校庭にプレハブ校舎を建てて凌いでいた。
同じころ急速に宅地開発された山の街には、まだ小学校がなくて、当時ここへ越してきたという知人は、電車で谷上小学校へ通っていたそうだ。
朝から学校じゃない勉強に行く格好して電車に乗ってる小学生
「お、べつべんか」と思ったけど、神戸エリアしか言わんかな。
こちらお江戸です(笑)
宝塚音楽学校の生徒やタカラジェンヌを街中や電車内で見る事が珍しくなく、一目で分かる。