「どこ出身?」 「宝塚出身です!」というと、 「え??タカラジェンヌ??」と聞かれることがあるある
中山寺(阪急中山寺駅下車)で受けた腹帯に男と書いてあったら女の子が、女と書いてあったら男の子が生まれるという言い伝えが昔からあります。ちなみに私は男と書いてあり、生まれたのは女の子でしたよ。
神戸は「○○台」や「○○丘」、「○○谷」に「○○岡」などといった、山関連の地名が多すぎて覚えられない
神戸の地名は人の苗字のような地名が多い。山田、籠池、池田、福田、宮下など。山田に住む山田さんなど、地名と苗字の一致があったりするのだが、みんな出身地は「神戸」としか言わないので気づかない。
神戸の小中学校には校舎内で上履きに履き替えるルールなどない。
神戸には「近江」と書いて「きんこう」と読む地名がある。それを近江のある町の人に聞いたら「どこ?」と聞かれるので存在が定かではない
他地域の人は誰も知らない、教室の油引き
神戸市西区に住んでいた頃、最寄り駅は、徒歩約8分のJR西明石駅だった。 西区は、明石市東部の北辺に覆いかぶさっているので、最寄り駅が西明石、あるいは明石駅という神戸市民が、多数存在する。 まあ、隣の垂水区も含めて、元は同じ「明石郡」だったんだけど。
猪名川町出身で50才以下の人は、ほぼうさちゃんクラブの歌が歌えます
阪神北地区にある猪名川町は全国でも健康寿命がトップクラスに良い。
阪神北地区の猪名川町にある多田銀山には、徳川家の財宝が眠っているといわれている。 猪名川町民はそれを信じている。
年頃の女性あるあるですが、宝塚歌劇のある宝塚駅や宝塚南口駅の近辺を移動してるときに、音楽学校の生徒さんに気持ちの良い挨拶をされて戸惑うことはあるあるです。嬉しいですけど。
三田市民は神戸北イオンモールのことを「イオン」、ウッディタウンにあるイオンを名前が変わって何年経っても「サティ」学生は特に「旧サ」と呼び、フラワータウンにあるイオンは「ダイエー」と呼んでそれぞれ区別をつけている。つまり三田市民にとってイオンは神戸北のただ一つのみ。
関西の他県の人に三田出身と言うと、「あぁアウトレットのとこ」と言われるが実際は三田に無く神戸市北区にあると言われるたび説明する。特に大学入りたての場合この会話が多く途中から訂正するのが面倒くさくなり、「そう、そのへん」と答えたりする。
明石「魚の棚」で干し蛸を買ったとき、店のおっちゃんが、干し蛸で作る「蛸飯」のレシピをくれた。 レシピに従って、干し蛸を酒で戻して蛸飯を炊いた。 めっちゃ旨かった。 また食いたいと思い、明石へ行くたび干し蛸を買おうか迷うが、高い… でも、蛸飯は、干し蛸に限ります! 絶対!
1970年代まで、「鈴蘭台」という地名(町名)は存在せず、単なる「駅名」でしかなかった。 なのだけど、駅周辺は、かなり以前から「鈴蘭台」と通称されていた。 駅近くの市場も「鈴蘭台センター」だった。住所は「大字小部」だったけど。
東灘区の深江、本庄界隈には、「芦屋〇〇」「西芦屋○○」等々、「芦屋」を名乗るマンションがとても多い。 西宮市の鳴尾駅周辺にも、「東甲子園」と名乗るマンションが、結構あったりする。
川西市民は、自分の娘や孫娘こそ、清和源氏まつりの懐古行列の巴御前や常磐御前、静御前役にふさわしいと、ちょっぴり期待している。
川西市民の憩いの場であるアステ川西1階のぴいぷう広場のモニュメント「ハミングツリー」には、時間になると妖精と鳥たちが音楽に合わせて踊る仕掛けがあり、運良くそれが見られると1日ハッピーになれる!
赤い紙に馬の絵と「三丹一の大祭」と書かれた出石初午のポスターを町で見かけると、春が近いなと感じる
豊岡の雪の量は但馬では中ぐらい。 但馬で本当に雪が多いのは旧村岡町周辺で、雪に慣れているためか除雪の仕方が上手い。
今でこそ「おしゃれな街」と全国的に認識されている神戸だが、1975年、東京の大学に入って「神戸出身」というと、「神戸って…すごく、怖い街なんでしょ?」と言われた。 当時は、東映「実録」映画の全盛期だった。
兵庫県の第一の都市は神戸、第二は姫路だが、第三は未だ決まらず。西宮と明石がよく候補になる。
友達から「ポートライナーって淡路と繋がってるん?」と聞かれた
姫路の本町68は日本で二番目に広い。広すぎて68のどこなのかを聞く。
川西市の子どもは能勢電鉄で電車デビュー。踏切で電車に手を振ると、時たま運転手さんが手を振りかえしてくれて嬉しい。
川西市内の県立高校は山の上にあり、昔は競輪選手の練習のごとく自転車で駆け上っていた。今の高校生は電動自転車で楽々通学。うらやましい!
新三田駅あたりで牛の匂い漂いがち
宝塚市民は全員歌劇を見ていると思われている
猪名川町民あるある どこ住んですの?と聞かれた時、 「宝塚の隣」「大阪国際空港」の近く と答える
「どこ出身?」
「宝塚出身です!」というと、
「え??タカラジェンヌ??」と聞かれることがあるある
中山寺(阪急中山寺駅下車)で受けた腹帯に男と書いてあったら女の子が、女と書いてあったら男の子が生まれるという言い伝えが昔からあります。ちなみに私は男と書いてあり、生まれたのは女の子でしたよ。
神戸は「○○台」や「○○丘」、「○○谷」に「○○岡」などといった、山関連の地名が多すぎて覚えられない
神戸の地名は人の苗字のような地名が多い。山田、籠池、池田、福田、宮下など。山田に住む山田さんなど、地名と苗字の一致があったりするのだが、みんな出身地は「神戸」としか言わないので気づかない。
神戸の小中学校には校舎内で上履きに履き替えるルールなどない。
神戸には「近江」と書いて「きんこう」と読む地名がある。それを近江のある町の人に聞いたら「どこ?」と聞かれるので存在が定かではない
他地域の人は誰も知らない、教室の油引き
神戸市西区に住んでいた頃、最寄り駅は、徒歩約8分のJR西明石駅だった。
西区は、明石市東部の北辺に覆いかぶさっているので、最寄り駅が西明石、あるいは明石駅という神戸市民が、多数存在する。
まあ、隣の垂水区も含めて、元は同じ「明石郡」だったんだけど。
猪名川町出身で50才以下の人は、ほぼうさちゃんクラブの歌が歌えます
阪神北地区にある猪名川町は全国でも健康寿命がトップクラスに良い。
阪神北地区の猪名川町にある多田銀山には、徳川家の財宝が眠っているといわれている。
猪名川町民はそれを信じている。
年頃の女性あるあるですが、宝塚歌劇のある宝塚駅や宝塚南口駅の近辺を移動してるときに、音楽学校の生徒さんに気持ちの良い挨拶をされて戸惑うことはあるあるです。嬉しいですけど。
三田市民は神戸北イオンモールのことを「イオン」、ウッディタウンにあるイオンを名前が変わって何年経っても「サティ」学生は特に「旧サ」と呼び、フラワータウンにあるイオンは「ダイエー」と呼んでそれぞれ区別をつけている。つまり三田市民にとってイオンは神戸北のただ一つのみ。
関西の他県の人に三田出身と言うと、「あぁアウトレットのとこ」と言われるが実際は三田に無く神戸市北区にあると言われるたび説明する。特に大学入りたての場合この会話が多く途中から訂正するのが面倒くさくなり、「そう、そのへん」と答えたりする。
明石「魚の棚」で干し蛸を買ったとき、店のおっちゃんが、干し蛸で作る「蛸飯」のレシピをくれた。
レシピに従って、干し蛸を酒で戻して蛸飯を炊いた。
めっちゃ旨かった。
また食いたいと思い、明石へ行くたび干し蛸を買おうか迷うが、高い…
でも、蛸飯は、干し蛸に限ります! 絶対!
1970年代まで、「鈴蘭台」という地名(町名)は存在せず、単なる「駅名」でしかなかった。
なのだけど、駅周辺は、かなり以前から「鈴蘭台」と通称されていた。
駅近くの市場も「鈴蘭台センター」だった。住所は「大字小部」だったけど。
東灘区の深江、本庄界隈には、「芦屋〇〇」「西芦屋○○」等々、「芦屋」を名乗るマンションがとても多い。
西宮市の鳴尾駅周辺にも、「東甲子園」と名乗るマンションが、結構あったりする。
川西市民は、自分の娘や孫娘こそ、清和源氏まつりの懐古行列の巴御前や常磐御前、静御前役にふさわしいと、ちょっぴり期待している。
川西市民の憩いの場であるアステ川西1階のぴいぷう広場のモニュメント「ハミングツリー」には、時間になると妖精と鳥たちが音楽に合わせて踊る仕掛けがあり、運良くそれが見られると1日ハッピーになれる!
赤い紙に馬の絵と「三丹一の大祭」と書かれた出石初午のポスターを町で見かけると、春が近いなと感じる
豊岡の雪の量は但馬では中ぐらい。
但馬で本当に雪が多いのは旧村岡町周辺で、雪に慣れているためか除雪の仕方が上手い。
今でこそ「おしゃれな街」と全国的に認識されている神戸だが、1975年、東京の大学に入って「神戸出身」というと、「神戸って…すごく、怖い街なんでしょ?」と言われた。
当時は、東映「実録」映画の全盛期だった。
兵庫県の第一の都市は神戸、第二は姫路だが、第三は未だ決まらず。西宮と明石がよく候補になる。
友達から「ポートライナーって淡路と繋がってるん?」と聞かれた
姫路の本町68は日本で二番目に広い。広すぎて68のどこなのかを聞く。
川西市の子どもは能勢電鉄で電車デビュー。踏切で電車に手を振ると、時たま運転手さんが手を振りかえしてくれて嬉しい。
川西市内の県立高校は山の上にあり、昔は競輪選手の練習のごとく自転車で駆け上っていた。今の高校生は電動自転車で楽々通学。うらやましい!
新三田駅あたりで牛の匂い漂いがち
宝塚市民は全員歌劇を見ていると思われている
猪名川町民あるある
どこ住んですの?と聞かれた時、
「宝塚の隣」「大阪国際空港」の近く
と答える