三月は、山電の山陽網干駅から綾部山梅林へ歩いて行くご高齢の方がとても多い。そのため、帰りの駅の改札に行列ができ、そのご一行とバッティングすると電車を乗りそこねることになる。地元民は、とても警戒している。
播磨地域は、野球が盛んな地域だ。現在、明商が活躍しているが、播磨地域が一つの県だったら、もっと東洋も甲子園で活躍していたと思う。
政令市神戸には「日本一短い国道」(中央区、フラワーロード南の174号、184メートル)や、日本で唯一地下鉄の線路の下を新幹線が通る(須磨区)というユニークな場所がある。
イギリス映画「007は二度死ぬ」(1967年)やキングジョーが登場したウルトラセブン「ウルトラ警備隊西へ」(1968年)では神戸ロケがあった。当時としては神戸ロケが珍しかったため、内容そのものよりも、神戸ロケという話題で盛り上がることがある。
ファミリアのトートバッグを使うのは私学のリセケーニヒスクローネのビニールバッグを使うのはマダム業務スーパーの黄色に茶色の紐のバッグを使うのがおっちゃん・おばあちゃん
「明石ってあまり雨が降らないね~」と明石出身の方に話すと「淡路島さんのお陰やねん」…って…そうなの!?
西宮市は小学校も中学校も給食がすごく美味しかった。給食の準備は先生が一番張り切ってた件。国立校に移動したのに、給食が恋しくて出戻ってきた先生がいたな…
芦屋の高校に通った時、奥様方がベンツでスーパーに買い物に行くのをよく見かけた。芦屋では「ベンツは芦屋カローラ」らしい。。。
広大な面積を有する宍粟市は何故か鉄道空白地帯。JRも私鉄もカスリもしていない。大人の事情なんでしょうけど。子供の頃は実際の線路や踏切に若干ワクワクした。
播磨ネタで驚いた時に「はりまぁ」と言ったことがある
加古川や高砂の家庭では、茶碗蒸しの具にうどんを入れます。
大晦日は除夜の鐘?いいえ除夜の汽笛!
山電曽根駅は、曽根町にあるが,JR曽根駅は曽根町ではなく、阿弥陀町にある。
コウノトリ但馬空港。1日2便の伊丹からやってくる飛行機は、土日になると「到着した便で空港の外に出ることなく大阪へ帰っていく」人がちらほらと。平日も状況次第では居るらしいし、1日2回同じことをする人も居る。(説明:JALマイレージバンクの会員ランクを上げるために安く飛行機に乗ることを目的とした、所謂「修行僧」の旅客。)
南部から帰る途中、遠阪トンネルを抜けると「やっとここまで帰ってきたか…」と思う。逆の場合は「ついに南部突入…!」。
播州ラーメンは甘いけど他所の人から砂糖で甘くしてると思われている。
車のナンバーの話。明石(東二見以東)が神戸ナンバーなのは、「まあ、しゃあないな」となるが、三木が神戸ナンバーである事には「何でや!」となる。
播州弁の敬語の表現は「~してはる」とか「○○って言うてはる」ではなく、「~しとってや」とか「○○って言うとってや」である。
播州と言えば、やはり、言葉遣いと車の運転の荒っぽさ。特に、言葉遣いの荒い事には自覚があって、周囲(特にご近所さん)からの「丁寧な言葉遣いやな」とか「綺麗な言葉遣うなぁ」という言葉はどうにも褒め言葉に聞こえない事があります。「綺麗な言葉遣いやけど、あんた、ホンマに播州の人か?」みたいな含みがあるように聞こえてしまいます。(汗)
小学校の給食で出たとくれんのプデナオレンジは余りが出たら争奪戦だった・・半解凍のしゃりしゃり感がたまらない
~ができない を「できれへん」、来れない を「来れれへん」と言うと、「れ」が多いと言われる。
兵庫県の地元紙「神戸新聞」・・・どうも他所の地元紙のように感じる。
たまに篠山市を「しのやまし」と呼ぶ人がいてだいたい「黒豆が有名としか言わない」確かに有名だけれども…
友達から丹波ってドがつくほどの田舎やんとか言われるけど正直神戸も田舎だと思うド田舎市民
神戸で一番影の薄い電車・神戸電鉄だが、実は「お召し列車」を仕立てた過去がある。1980年、現在の天皇皇后両陛下、当時の皇太子ご夫妻が、確か三木市での植樹祭だったと思うのだが、新開地ー志染を電車で移動したのだった。もちろん、一般客と一緒ではなく貸切列車だが、電車が通過する最寄駅へ旗を振りに行った母親によると、「皇太子はんも美智子さんも、吊り革に?まって手ぇ振ってはった」そうだ。
やっさが通る順路にある新幹線の高架が普通より高くなっている。
はじめて横浜を訪れたのは、1970年代。伊勢佐木町では、「三宮の方が賑やかや」と優越感にひたり、元町では「神戸の元町の勝ち」と断言。山手は、(神戸の山手と比べて)「まあまあやね」。が、中華街だけは「負けた」と思った。今も負けてると思う。
「水木しげる」のペンネームは、確かに、当時住んでいた兵庫区水木通りが由来です。そして「鬼太郎」もまた、神戸生まれです。「鬼太郎」の原案を作ったのは、昭和戦前の神戸の紙芝居作家、伊藤正美、辰巳恵洋という二人。その「ハカバキタロー」という紙芝居を、戦後、水木通りで紙芝居作家をしていた水木が、やはり兵庫区にあった紙芝居問屋(「阪神画劇社」といったそうです)の倉庫でたまたま見つけて、元の作者両名の了解を得た上で、水木版「鬼太郎」として、紙芝居でリメイクしたのです。その後、紙芝居から漫画、アニメとなって今に至ります。なので、「鬼太郎」に限っては、正真正銘「神戸生まれ」で、誕生年から言うと、「バットマン」「スーパーマン」と同世代です。
武庫之荘は、尼崎市内にある阪急の駅。ここの住民は、「お住まいは?」と訊かれると、必ず「武庫之荘です」と応え、決して「尼崎です」とは言わない…と、もっぱらのウワサです。
いのししと共存。
三月は、山電の山陽網干駅から綾部山梅林へ歩いて行くご高齢の方がとても多い。そのため、帰りの駅の改札に行列ができ、そのご一行とバッティングすると電車を乗りそこねることになる。地元民は、とても警戒している。
播磨地域は、野球が盛んな地域だ。現在、明商が活躍しているが、播磨地域が一つの県だったら、もっと東洋も甲子園で活躍していたと思う。
政令市神戸には「日本一短い国道」(中央区、フラワーロード南の174号、184メートル)や、日本で唯一地下鉄の線路の下を新幹線が通る(須磨区)というユニークな場所がある。
イギリス映画「007は二度死ぬ」(1967年)やキングジョーが登場したウルトラセブン「ウルトラ警備隊西へ」(1968年)では神戸ロケがあった。当時としては神戸ロケが珍しかったため、内容そのものよりも、神戸ロケという話題で盛り上がることがある。
ファミリアのトートバッグを使うのは私学のリセ
ケーニヒスクローネのビニールバッグを使うのはマダム
業務スーパーの黄色に茶色の紐のバッグを使うのがおっちゃん・おばあちゃん
「明石ってあまり雨が降らないね~」と明石出身の方に話すと「淡路島さんのお陰やねん」…って…そうなの!?
西宮市は小学校も中学校も給食がすごく美味しかった。給食の準備は先生が一番張り切ってた件。国立校に移動したのに、給食が恋しくて出戻ってきた先生がいたな…
芦屋の高校に通った時、奥様方がベンツでスーパーに買い物に行くのをよく見かけた。芦屋では「ベンツは芦屋カローラ」らしい。。。
広大な面積を有する宍粟市は何故か鉄道空白地帯。JRも私鉄もカスリもしていない。大人の事情なんでしょうけど。子供の頃は実際の線路や踏切に若干ワクワクした。
播磨ネタで驚いた時に「はりまぁ」と言ったことがある
加古川や高砂の家庭では、茶碗蒸しの具にうどんを入れます。
大晦日は除夜の鐘?
いいえ除夜の汽笛!
山電曽根駅は、曽根町にあるが,JR曽根駅は曽根町ではなく、阿弥陀町にある。
コウノトリ但馬空港。
1日2便の伊丹からやってくる飛行機は、土日になると「到着した便で空港の外に出ることなく大阪へ帰っていく」人がちらほらと。平日も状況次第では居るらしいし、1日2回同じことをする人も居る。
(説明:JALマイレージバンクの会員ランクを上げるために安く飛行機に乗ることを目的とした、所謂「修行僧」の旅客。)
南部から帰る途中、遠阪トンネルを抜けると「やっとここまで帰ってきたか…」と思う。
逆の場合は「ついに南部突入…!」。
播州ラーメンは甘いけど他所の人から砂糖で甘くしてると思われている。
車のナンバーの話。
明石(東二見以東)が神戸ナンバーなのは、「まあ、しゃあないな」となるが、三木が神戸ナンバーである事には「何でや!」となる。
播州弁の敬語の表現は「~してはる」とか「○○って言うてはる」ではなく、「~しとってや」とか「○○って言うとってや」である。
播州と言えば、やはり、言葉遣いと車の運転の荒っぽさ。特に、言葉遣いの荒い事には自覚があって、周囲(特にご近所さん)からの「丁寧な言葉遣いやな」とか「綺麗な言葉遣うなぁ」という言葉はどうにも褒め言葉に聞こえない事があります。「綺麗な言葉遣いやけど、あんた、ホンマに播州の人か?」みたいな含みがあるように聞こえてしまいます。(汗)
小学校の給食で出たとくれんのプデナオレンジは余りが出たら争奪戦だった・・半解凍のしゃりしゃり感がたまらない
~ができない を「できれへん」、来れない を「来れれへん」と言うと、「れ」が多いと言われる。
兵庫県の地元紙「神戸新聞」・・・どうも他所の地元紙のように感じる。
たまに篠山市を「しのやまし」と呼ぶ人がいてだいたい「黒豆が有名としか言わない」確かに有名だけれども…
友達から丹波ってドがつくほどの田舎やんとか言われるけど正直神戸も田舎だと思うド田舎市民
神戸で一番影の薄い電車・神戸電鉄だが、実は「お召し列車」を仕立てた過去がある。
1980年、現在の天皇皇后両陛下、当時の皇太子ご夫妻が、確か三木市での植樹祭だったと思うのだが、新開地ー志染を電車で移動したのだった。
もちろん、一般客と一緒ではなく貸切列車だが、電車が通過する最寄駅へ旗を振りに行った母親によると、「皇太子はんも美智子さんも、吊り革に?まって手ぇ振ってはった」そうだ。
やっさが通る順路にある新幹線の高架が普通より高くなっている。
はじめて横浜を訪れたのは、1970年代。
伊勢佐木町では、「三宮の方が賑やかや」と優越感にひたり、元町では「神戸の元町の勝ち」と断言。
山手は、(神戸の山手と比べて)「まあまあやね」。
が、中華街だけは「負けた」と思った。
今も負けてると思う。
「水木しげる」のペンネームは、確かに、当時住んでいた兵庫区水木通りが由来です。
そして「鬼太郎」もまた、神戸生まれです。
「鬼太郎」の原案を作ったのは、昭和戦前の神戸の紙芝居作家、伊藤正美、辰巳恵洋という二人。
その「ハカバキタロー」という紙芝居を、戦後、水木通りで紙芝居作家をしていた水木が、やはり兵庫区にあった紙芝居問屋(「阪神画劇社」といったそうです)の倉庫でたまたま見つけて、元の作者両名の了解を得た上で、水木版「鬼太郎」として、紙芝居でリメイクしたのです。
その後、紙芝居から漫画、アニメとなって今に至ります。
なので、「鬼太郎」に限っては、正真正銘「神戸生まれ」で、誕生年から言うと、「バットマン」「スーパーマン」と同世代です。
武庫之荘は、尼崎市内にある阪急の駅。
ここの住民は、「お住まいは?」と訊かれると、必ず「武庫之荘です」と応え、決して「尼崎です」とは言わない…と、もっぱらのウワサです。
いのししと共存。