神戸は坂の町なので、南北を上下で表現します。(JRの上とか阪急の下とか)ある時、一時期神戸に住んでた人と話していて、その人の居住地よりも「うちはもっと上のほう」と言って、マウンティングととられて切れられたことがあった。
他府県の人に住所を聞かれ「神戸です」と答え更に神戸のどこ?と聞かれたので「兵庫です」と答えると混乱される
私立の親和を、「しんな」とずっと言っていた。思ってた。
北を上。南を下と言う。例えば「JRの上にあんねん」と言う説明を「JRの北にあるのか?JRの駅ビルの上階にあるのか」はニュアンスではんだんする。
尼崎城天守閣が復元された。どちらかというと立派な方らしいんだけど、ふだんから西隣の姫路城、東隣の大阪城を見慣れているので、「ちっちゃぁ~」と思った。
大河ドラマの岡田准一主演『黒田官兵衛』は素晴らしい播州人だが、『河合寸翁』も負けず劣らずの素晴らしい播州人だ。江戸時代、姫路藩主は幕府の重役を任されることが多く、財政がひっぱくしていた。その財政再建で手腕をふるったのが、『河合寸翁』だ。姫路の中学生なら知らない者がいないぐらいのヒーローだ。
姫路城は、播磨全域の五十万石以上の姫路藩により建てられた。その後、姫路藩は石高を減らされても、城のメンテナンスを続けた。戊辰戦争や廃城令、戦前の焼夷弾による空襲等、多くの危機がありながらも、雄大な姿で人々を勇気づけた。その全てが播州人にとっての最大の誇りだ。
丹波篠山が「田舎の代名詞」になったのは、明治のころ「デカンショ節」が全国的に流行した故だ。明治時代に、元・藩主の青山家の援助で一高(東大)へ遊学した篠山出身の学生たちが、寮で歌ったところが大いにウケて、当時の一高生の愛唱歌となり、そこから全国に広まったそうだ。とりわけ、「丹波篠山、山家の猿が…」の部分が、強烈なインパクトだったみたいだ。
最近では往時の勢いはないとは言え、1970年代~80年代、神戸・阪神は、確かに、日本の流行の発信地だった。当時、この地域の女子大生が、主に好んで着ていた洋服やファッション(「ニュートラ(ニュー・トラディショナル)」と呼ばれた)が、カレシの車で須磨や舞子のカフェやレストランでデートするライフスタイルとともに、「anan」や「JJ」などのファッション誌に特集され、流行として全国に広まった。メディアで、やたらと「女子大生」がもてはやされるようになったのも、これが震源。その後、神戸の「ニュートラ」をベースとして、横浜で生み出されたのが「ハマトラ」だった。
お城=姫路城なので、大阪城のなかへ初めて入ったとき博物館みたいになっててショックをうける
祭りの太鼓の練習の音がするだけでやたらとワクワクする
「甲子園」と「宝塚」の所在地を、ともに「東京だ」と思い込んでいた人を、二人知っている。一人は北海道、もう一人は秋田県出身だった。関東より遠方には、テレビの全国ネットで映る場所は、すべて「東京だ」というスリコミがある…というか、「東京より向こう」の世界は、認識できない…のかな?そう言えば、子供のころの自分も、東京が「日本の端っこ」と認識していて、それより向こうは想像できなかった。
国宝&世界遺産の姫路城を、播磨人は自慢にするが、この城は、実は「箱モノ行政」の悪しき見本でもあった。江戸時代の姫路藩は、石高15万石。その税収に対して姫路城は巨大に過ぎ、城の維持のために、あちこちから借金した負債が莫大だったそうだ。喩えて言うと、人口15万の町が、40階建ての市役所を造ってしまった、みたいな?多分、年貢の取立ても厳しかったと思う。そのせいかどうか、明治になってすぐ、姫路城は民間に売りに出されていて、その値段は「100円」だったそうだ。
東京の青山といえば、日本中誰もが知るハイソシティだが、そのルーツは、丹波篠山だ。かつて、あの辺に丹波篠山藩・青山家の下屋敷があり、さらに今の原宿から渋谷辺りも領有していたので、周辺一帯が「青山」と呼ばれるようになったのだった。
中学2年生になると、職業体験をするトライやる・ウィークがある。職種は寺社仏閣から学校、デパートまで幅広い。
日直のことを日番といい、林間学校のことを自然学校という。駐車場はモータープール。
宝塚市内の公立中学校では、校外学習で宝塚歌劇を観ます!東京の人が東京タワーに登らないように、宝塚市民もあまり歌劇は観ません。学校の行事でしか行ったことのない人もいます。
高砂に進出しようとした会社が、祭りが盛んで、じげの人はみんな休むので開店休業になると聞いてあきらめたことがある
『ラストサムライ』という映画のロケが姫路で行われたが、その話題が今も話されている。
ここ最近の寒の戻り。但馬では『彼岸の小鳥殺し』なんて言います。ちょっと物騒ですが、戻ってきた寒さが小鳥の命を脅かす事からついた名称みたいです。
またぞろ昔ネタ。姫路駅の「えきそば」、かつては列車が着くごとに、当時の駅弁同様、肩から箱を提げたおじさんが立ち売りしていた。窓から身を乗り出して「おーい」と呼ぶと、予め丼に入れた茹で麺と天ぷらの上からポットの出汁をかけて、窓越しに渡してくれるのだった。岡山からの帰途にこれを買って、急行列車の車内で食ったことがあるのは、実はひそかな自慢。立ち売りが無くなった後も、「えきそば」の丼がペラペラのプラスティックだったのは、使い捨てだったこの時代の名残りだ。
リドリー・スコット監督『ブラック・レイン』(1989)は、マイケル・ダグラス、アンディ・ガルシア、高倉健、松田優作、等々、日米豪華絢爛キャスト。大阪がメインだけど、神戸でも撮影されている。M.ダグラスと高倉健が、大阪の中央市場(だと思う)の、猥雑で薄暗い雑踏の中で尾行対象者を見失い、慌てて外に飛び出すと、なぜかそこは神戸・元町の大丸前、というシュールなシーンも見られる。震災以前の元町・大丸界隈の景色も見られます。
そうめん、やっぱり揖保乃糸~♪
兵庫県南部に行った時等に何処から来られたんですか?と尋ねられ、市町名じゃ分からないだろうと思い、「但馬の方からです。」と答えたら「但馬市って何処ですか?」と言われ、「新温泉町です。湯村温泉とか知りませんか?」と言うと「湯村温泉はよく聞きますけど、兵庫県なんですか?」と言われた事が何度か。
前の方の方も書かれてましたが、但馬だけでも広くて、方言・文化・気候が全然違うので、県全域だと仕方ないか諦めてしまいます。
姫路ナンバーの車はガラ悪いと思われる
カメムシをガイダと呼びますが、高校生の時に周りの「????」という反応で初めて共通語で無い事を知りました。
「姫路おでん」と「かつめし」は知っていたが、「にくてん」というのは、ここで初めて知った。肉の天ぷら? と思って調べたら、お好み焼きの一種なんですね。なんか美味しそうなので、機会があればぜひ一度試してみたい、と思う。
芦屋は、東の田園調布とよく比較される。が、田園調布では、デパートはニコタマか渋谷まで行かないとないし、域内にはホテルもない。ブティックとかレストランや料理屋も、あるにはあるが、決して多くはない。それらが全て市内に揃っていて、セレブ的お買い物や贈答、「お客事」等々の全てが市内で完結できるのが、芦屋が「日本のビバリーヒルズ」と言われる所以だ。まあ、自分には、まったく関係ない別世界なのだが……
宍粟市の引原ダムは、播磨地域のヒーロー的存在だ。高度成長の工業用水に使ったり、昨年の豪雨災害を防いだりと大変活躍している。ダムは県の管轄だが、建設に当たり、引原地区は犠牲になった。県職員は未来永劫にわたり忘れず、過疎化が進む宍粟市に対し、尽力してもらいたいものだ。
播磨地域の舞子の風景に似ている、たつの市の新舞子は、潮干狩りが盛んで、毎年恒例の行事になっている家庭が多い。
神戸は坂の町なので、南北を上下で表現します。(JRの上とか阪急の下とか)ある時、一時期神戸に住んでた人と話していて、その人の居住地よりも「うちはもっと上のほう」と言って、マウンティングととられて切れられたことがあった。
他府県の人に住所を聞かれ「神戸です」と答え更に神戸のどこ?と聞かれたので「兵庫です」と答えると混乱される
私立の親和を、「しんな」とずっと言っていた。思ってた。
北を上。南を下と言う。
例えば
「JRの上にあんねん」と言う説明を「JRの北にあるのか?JRの駅ビルの上階にあるのか」はニュアンスではんだんする。
尼崎城天守閣が復元された。
どちらかというと立派な方らしいんだけど、ふだんから西隣の姫路城、東隣の大阪城を見慣れているので、「ちっちゃぁ~」と思った。
大河ドラマの岡田准一主演『黒田官兵衛』は素晴らしい播州人だが、『河合寸翁』も負けず劣らずの素晴らしい播州人だ。
江戸時代、姫路藩主は幕府の重役を任されることが多く、財政がひっぱくしていた。その財政再建で手腕をふるったのが、『河合寸翁』だ。姫路の中学生なら知らない者がいないぐらいのヒーローだ。
姫路城は、播磨全域の五十万石以上の姫路藩により建てられた。その後、姫路藩は石高を減らされても、城のメンテナンスを続けた。戊辰戦争や廃城令、戦前の焼夷弾による空襲等、多くの危機がありながらも、雄大な姿で人々を勇気づけた。その全てが播州人にとっての最大の誇りだ。
丹波篠山が「田舎の代名詞」になったのは、明治のころ「デカンショ節」が全国的に流行した故だ。
明治時代に、元・藩主の青山家の援助で一高(東大)へ遊学した篠山出身の学生たちが、寮で歌ったところが大いにウケて、当時の一高生の愛唱歌となり、そこから全国に広まったそうだ。
とりわけ、「丹波篠山、山家の猿が…」の部分が、強烈なインパクトだったみたいだ。
最近では往時の勢いはないとは言え、1970年代~80年代、神戸・阪神は、確かに、日本の流行の発信地だった。
当時、この地域の女子大生が、主に好んで着ていた洋服やファッション(「ニュートラ(ニュー・トラディショナル)」と呼ばれた)が、カレシの車で須磨や舞子のカフェやレストランでデートするライフスタイルとともに、「anan」や「JJ」などのファッション誌に特集され、流行として全国に広まった。
メディアで、やたらと「女子大生」がもてはやされるようになったのも、これが震源。
その後、神戸の「ニュートラ」をベースとして、横浜で生み出されたのが「ハマトラ」だった。
お城=姫路城なので、大阪城のなかへ初めて入ったとき博物館みたいになっててショックをうける
祭りの太鼓の練習の音がするだけでやたらとワクワクする
「甲子園」と「宝塚」の所在地を、ともに「東京だ」と思い込んでいた人を、二人知っている。
一人は北海道、もう一人は秋田県出身だった。
関東より遠方には、テレビの全国ネットで映る場所は、すべて「東京だ」というスリコミがある…というか、「東京より向こう」の世界は、認識できない…のかな?
そう言えば、子供のころの自分も、東京が「日本の端っこ」と認識していて、それより向こうは想像できなかった。
国宝&世界遺産の姫路城を、播磨人は自慢にするが、この城は、実は「箱モノ行政」の悪しき見本でもあった。
江戸時代の姫路藩は、石高15万石。その税収に対して姫路城は巨大に過ぎ、城の維持のために、あちこちから借金した負債が莫大だったそうだ。
喩えて言うと、人口15万の町が、40階建ての市役所を造ってしまった、みたいな?
多分、年貢の取立ても厳しかったと思う。
そのせいかどうか、明治になってすぐ、姫路城は民間に売りに出されていて、その値段は「100円」だったそうだ。
東京の青山といえば、日本中誰もが知るハイソシティだが、そのルーツは、丹波篠山だ。
かつて、あの辺に丹波篠山藩・青山家の下屋敷があり、さらに今の原宿から渋谷辺りも領有していたので、周辺一帯が「青山」と呼ばれるようになったのだった。
中学2年生になると、職業体験をするトライやる・ウィークがある。職種は寺社仏閣から学校、デパートまで幅広い。
日直のことを日番といい、林間学校のことを自然学校という。駐車場はモータープール。
宝塚市内の公立中学校では、校外学習で宝塚歌劇を観ます!東京の人が東京タワーに登らないように、宝塚市民もあまり歌劇は観ません。学校の行事でしか行ったことのない人もいます。
高砂に進出しようとした会社が、祭りが盛んで、じげの人はみんな休むので開店休業になると聞いてあきらめたことがある
『ラストサムライ』という映画のロケが姫路で行われたが、その話題が今も話されている。
ここ最近の寒の戻り。但馬では『彼岸の小鳥殺し』なんて言います。
ちょっと物騒ですが、戻ってきた寒さが小鳥の命を脅かす事からついた名称みたいです。
またぞろ昔ネタ。
姫路駅の「えきそば」、かつては列車が着くごとに、当時の駅弁同様、肩から箱を提げたおじさんが立ち売りしていた。
窓から身を乗り出して「おーい」と呼ぶと、予め丼に入れた茹で麺と天ぷらの上からポットの出汁をかけて、窓越しに渡してくれるのだった。
岡山からの帰途にこれを買って、急行列車の車内で食ったことがあるのは、実はひそかな自慢。
立ち売りが無くなった後も、「えきそば」の丼がペラペラのプラスティックだったのは、使い捨てだったこの時代の名残りだ。
リドリー・スコット監督『ブラック・レイン』(1989)は、マイケル・ダグラス、アンディ・ガルシア、高倉健、松田優作、等々、日米豪華絢爛キャスト。
大阪がメインだけど、神戸でも撮影されている。
M.ダグラスと高倉健が、大阪の中央市場(だと思う)の、猥雑で薄暗い雑踏の中で尾行対象者を見失い、慌てて外に飛び出すと、なぜかそこは神戸・元町の大丸前、というシュールなシーンも見られる。
震災以前の元町・大丸界隈の景色も見られます。
そうめん、やっぱり揖保乃糸~♪
兵庫県南部に行った時等に何処から来られたんですか?と尋ねられ、市町名じゃ分からないだろうと思い、
「但馬の方からです。」と答えたら「但馬市って何処ですか?」と言われ、「新温泉町です。湯村温泉とか知りませんか?」と言うと「湯村温泉はよく聞きますけど、兵庫県なんですか?」と言われた事が何度か。
前の方の方も書かれてましたが、但馬だけでも広くて、方言・文化・気候が全然違うので、県全域だと仕方ないか諦めてしまいます。
姫路ナンバーの車はガラ悪いと思われる
カメムシをガイダと呼びますが、高校生の時に周りの「????」という反応で初めて共通語で無い事を知りました。
「姫路おでん」と「かつめし」は知っていたが、「にくてん」というのは、ここで初めて知った。
肉の天ぷら? と思って調べたら、お好み焼きの一種なんですね。
なんか美味しそうなので、機会があればぜひ一度試してみたい、と思う。
芦屋は、東の田園調布とよく比較される。
が、田園調布では、デパートはニコタマか渋谷まで行かないとないし、域内にはホテルもない。ブティックとかレストランや料理屋も、あるにはあるが、決して多くはない。
それらが全て市内に揃っていて、セレブ的お買い物や贈答、「お客事」等々の全てが市内で完結できるのが、芦屋が「日本のビバリーヒルズ」と言われる所以だ。
まあ、自分には、まったく関係ない別世界なのだが……
宍粟市の引原ダムは、播磨地域のヒーロー的存在だ。高度成長の工業用水に使ったり、昨年の豪雨災害を防いだりと大変活躍している。ダムは県の管轄だが、建設に当たり、引原地区は犠牲になった。県職員は未来永劫にわたり忘れず、過疎化が進む宍粟市に対し、尽力してもらいたいものだ。
播磨地域の舞子の風景に似ている、たつの市の新舞子は、潮干狩りが盛んで、毎年恒例の行事になっている家庭が多い。